異世界創造NOSYUYO トビラ

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10~11章後推奨 番外編 縁を持たない緑国の鬼

◆BACK-BONE STORY『縁を持たない緑国の鬼 -7-』

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◆BACK-BONE STORY『縁を持たない緑国の鬼 -7-』
 ※ これは、実は隠し事がいっぱいあるナッツ視点の番外編です ※

 数時間後、神殿の裏で起きていた血なまぐさい出来事など無かったかのように……予定通りに、降臨祭は執り行われる事になった。

 もちろんそれは、僕の安全が保障されたからだ。

 つまり……問題の『賊』は捕まったという事である。

 勿論僕は、その日の祭りごとを夢見心地で過ごしていたよ。
 直前まで殺戮を目の当たりにしたからではない、それだけなら僕は縁を切り、いつも通りに振舞う自信がある。
 そうじゃないんだ……縁が、切れていない。こちらから一方的に切ろうとしたところで無駄だと察している。きっと縁は……結ばれたままなのだ、殺気を向けられその毒気に中てられて、気が付いたとき式は終わっていた。

 その後、僕の視界から鬼が消えてそしてどうしたのか、ぼんやり思い出している。
 僕はその場を全力で逃げた。実は背中の羽で飛ぶなんて普段あまりやらないからさ、相当体が鈍ってて、ハクガイコウ控室でもある塔の近くまで戻ってきた時には息も切れ切れ、倒れる様に逃げてきた僕を、行方を捜していた神官たちが取り押さえる様に受け止めて、それで……


「おーい、大丈夫ですかー?」
 目の前で手が振られていると気が付き、僕ははっとなってワイズの顔に焦点を合わせる。
「……ああ、君……無事だったね」
「ご迷惑おかけしましたねぇ、でもおかげでちゃんと捕縛しましたよ」
 式の間、本来僕の隣に控えて居なければならないワイズは……居なかった。賊はワイズが捕らえた、という報告はぼんやりと聞いていたけれど……彼の安否は聞かされていない。聞けば良かったのだろうけど僕は、その時そこまで気が回らなかったんだ。
「捕まえたの……影の方だね」
「おや、良くご存じで。そういえば屋根の上から飛んできたとか?まさか、野次馬してましたか?」
「そういうつもりじゃなかったんだけど……」
 僕は笑う。ひきつりそうになる顔に僕は久しぶりに意識して笑ったな。
 手を伸ばし、湯気を立てているお茶のカップを掴もうとしてその手が震えている事に気が付く。
「ああ……久しぶりだなぁ、この感覚は」
「大丈夫ですか、本当に」
「大丈夫じゃなくても大丈夫と答えるのが……僕の役柄でね……」
 気を落ち着かせ、カップを包みこんで……一口含む。
「それで、やっぱりあれが『緑国の鬼』だったのかい?」
「そのようですね、約束通り明日にでも、お会いしたいのであればご案内しますが」
 またあれと会うのか。
 自分で『会いたい』と言っていた事を正直、後悔してしまった。とはいえ……影の方だったね。僕が見たのは大男の賊だ。どういうからくりなのか、興味が無い訳じゃない。
「ああ、頼む……でも本体の方はどうするんだい?」
 御茶を飲んで大分落ち着いて来たのかもしれない。僕は、その様にカマをかけてみた。
「そこまで事情が分かっているなら話は早いですねぇ」
 ワイズは、多分呆れながら笑っているな。
「連中は二人じゃないんです、結局一匹でしてね。どっちかを押さえたらこっちのものですよ。明日にでももう片割れも捕らえ事が出来るように段取りを整えていますから。早い所、ハクガイコウの不安を取り除いて差し上げますよ」
 恭しく一礼され、僕は苦笑した。

 今回ばかりは言い返す言葉が無い。


 *** *** *** *** *** 


 相手が封印師だったのが運のつき。

 緑国の鬼はついに、捕らえられ……た?
 僕の前にあるのは、たまに塔の隅に置かれる事がある、野鼠捕りの見慣れた箱だった。
 鉄製の小さな入口の奥に例外なく、掛ってしまった哀れな怯えたネズミが入っているのが見える。

「あんまり、覗きこまない方がいいですよ?」
「どうして?」
『俺は脅すのが大好きだからさぁッ』
 大声で怒鳴られて僕は、驚いて飛びのいた。
『ぎゃははははは、驚いたな、驚いたな!』
「終始この通りで」
 ワイズが呆れて顔で肩をすくめて……固まっている僕を通り過ぎて……鼠捕りの箱をつかみ上げて容赦なく振り回した。
『ぐわぁッ!やめろ!止めろ、何しやがる!』
 どうやら声は……その箱から聞こえているようだ。
「……どう云う事なんだ?」
「昨日さんざん上の人達にもそう聞かれましたが、仕方が無いのでもう一回、ハクガイコウにご説明差し上げます」
 ワザとらしく謙ってワイズは乱暴に箱を置く。
「緑国の鬼とやらは、自分の影を操る事が出来る魔物の様です。ただし……いくつか制約があり、相手の影を乗っ取る過程相手を必ず殺す。死んだ相手の影を操って、死体を自在に動かす事が出来るわけです」
「本体とは別で動くんだ」
 本体、というのは……僕が見た、容赦ない殺戮をする大男の方。
「むしろ、別人格のようですねぇ」
『くっくっく、まさか俺が捕まっちまうとは、とんだ番狂わせだぜ!』


 影が別人格で動いているなんて誰も想像しなかっただろう。
 何度か緑国の鬼を追い込んだ事があるものの逃げられていたのは、この異様な魔物化を把握していなかったからだろう。本体と言っていいのか、そこもなんとなく微妙な気がしてきたけれど……大男を捉えたと油断したところ、分離した影から巻き返えされていたのだろうな。影は目に見えない伏兵だ、しかも死体を動かす技を使う。先に大男が現場に死体を積み上げて居れば、その死体を影が動かして自分たちの戦力に加えてしまう。
 影曰く、俺が情けない相棒を何時も助けてやっているのさと豪語する。
 死んだものを操る『影』は何人からも殺される事は無い。
 誰も、捉えることなど出来ない。誰かしら『影』の存在には気が付いたのかもしれないけれど、何しろ『緑国の鬼』は目撃者も一人残らず殺してしまうだろう?
 真実の姿がずっと見えなかったけどようやく今、分かって来た所なんだ。
 今回は『影』が僕らを狙い、すぐに僕らの口を塞げなかった事が敗因となったようだ。無敵と信じた自分を封じられる相手が居るなんて、勿論、思いもよらなかったのだろう。『影』は、何時もの様に、思い通りに事を運べるだろうと僕のいる塔に現れた。すでにその時大男の方が扇動役として兵士を相手取り大立ち回りをしていたはずだ。
 封印に特化したワイズは、実態の無い『影』を捕まえる為に影をまず実態に封印する事にしたそうだ。
 そしてその際、相手の抵抗力を失わせる為に咄嗟に選んだのは……鼠捕りの中のネズミって訳か。

 種をばらされれば何という事はない。

 そんな力をあるのかと、そこは驚く所じゃない。テラールの姫だって存在したじゃないか、魔物になる道が約束されている以上……進化の仕方は自由でもある。
 ようやく捕らえた。
 本性を見せず、全ての縁を切ってきた『緑国の鬼』の影をついに、僕らは踏んだんだ。

『だぁから俺は止めろと言ったんだ。こんなヤバい所に入るのは……あからさまな罠だぞと警告したのに』
 捕らえられているというのに、どこか豪胆に影は語る。
「君は、本当に僕を殺しに来たのか?」
『殺すかどうかは別だ、俺は、殺しでもいいがな』
 卑しく笑いながら僕を脅そうとしている。相手が無力だと知ればもう怖くない。
「じゃぁ、何の為にこんな所に来たんだ」
『ひひ……こっそり教えてやろうかなぁ』
 影が僕に、耳を寄せろと囁いた。
「そうやって、また大声で脅かそうっていうのか?」
『ちげぇよ、これあんまりこれを言うと相棒が怒るんだよ』
 相棒、それはつまり……本体の方の事かな。
 僕はワイズを窺いつつ、しかたなく……十二分に心の準備をして耳を近付けた。
『へへ……お前らが必死に探してるアレ、分かるだろう?』
 僕は目を眇めた。ワイズが気にしている、何を話しているんだと近づきたい雰囲気をしているが、僕は視線でそこから動かないようにと指示する。
『見た事あるか?あの光も知らない生娘。俺もびっくりな位……いい女だったぜぇ。しかし宝モンが女だとは流石に分からなかったからな、ずいぶん相棒も驚いていた』

 滅ばずの姫。

 こちらから聞く前に相手から、彼女の事を聞く事になろうとは。
 僕は……正直その話の続きを聞きたくないと思った。
 何でかって?……今は、縁を切りたいと切実に思って居るからさ。興味があったはずのに今、急速にその思いが萎えている。これ以上彼女こだわってしまったら僕は、緑国の鬼と結んだ縁を切れないような気がしたんだ。でも……拒否してその箱から離れる事が出来ない。

『ありゃ魔女だな、俺は肉体が無いだろう?相棒の具合を見て判断するしかねぇが……悪か無さそうだったぜ』
 見下げた卑しい笑みを含め、影は笑う。
『すっかり相棒、咥えこまれちまって俺の言う事を聞きゃぁしねぇ。すっかり骨抜きにされちまってな』
 影が小さな声で僕に囁いた。
『所が、彼女がアンタに会いたがっているのさ』

 ……なぜ、そうなる。
 僕は小さくため息を漏らしてしまった。

 彼女は、全部忘れたはずだろう?そうしたとワイズ、君は言ったじゃないか。
 それとも、姫は忘れたい事は忘れて……覚えておきたい事は忘れずにいたとでもいうのか?

「だから、僕を?」
 僕を、影は攫おうと現れたのか。
『そうさ、そっちの方が効率いいからな』
 僕は立ち上がり、ワイズに視線を投げる。
「なぁ、君の封印術は完璧なんだよね?」
「何を唐突に、まぁたまにしくじる事もありますが?」
 僕は警護に当たる兵士達や神官の目を気にしながら、ワイズに近づいて行って肩を叩き、囁いた。

「残念ながら彼女は生きている」


 *** *** *** *** ***


 ならば、彼女と一緒に鬼の本体をここに連れてくるまでだと、ワイズは答えた。
 判明した事実を前に、解決策を上から求められ、ワイズはそのように断言したけれど。

 いや、……それは君の望みじゃないだろうに。

 他の天使教幹部達に、今後の段取りを説明するワイズを見ていて、僕はそんな暗い展開を予測する。
 止めろ、とは言えないな。
 僕には言う権利が無い。

 緑国の鬼、の影。
 本体と影が別の人格を作り、それぞれに動く。
 魔法で影を自在操るというのがあるけれどこれは、そういう事ではないな。
 影は饒舌に暴露した。影が、捕らえられた事に恐怖を見せないのは怖くないからじゃない。
 この影は、怖いという感情を知らないのだろう。
 肉体を持たない、肉体を持っている者とは別の人格を有したこの影は……この世界に干渉する術が限られている。死んだ者の肉体しか操る事が出来ないこの影は、もはや本体に重なる事すら出来ない。
 元の体に戻る時、それは本体を殺す時だ。その時この影も同時に消滅するだろう。
 異様な影の魔物は、死体にしか重なる事が出来ない制約の内に存在している。
 ならば、本体が殺されるような状態は避けなければいけない訳だろう?彼らは別に存在する様になってしまった魔物の類だが、二つで一つの存在である事には変わりがない。
 残念ながら、影を滅する事は出来ない様だ。今の所、ファマメント国の知恵者を集めて協議した限りでは方法が見つからない。物理的な事は通じ無いから干渉する手立てが無いというのだ。光に力は弱められるが消滅までは持っていけない。
 ワイズの封印魔法に捕らわれている、という事は魔法的な楔は打ち込めるって事だ。なら、魔導師でも呼んで調べて貰えば何か方法はありそうなものだけど、ペランストラメールに協力要請をするなんて頭は無いだろうなぁ。もともとファマメント国は対魔法防御こそ特化しているけれど魔導技術に明るい訳ではないからね。
 魔導師連中を頼る前にすべき事がある。魔導師連中には間違っても漏らす事が出来ない、こっそりと葬りさりたい、滅ぼしたい事実があるって事だろう。
 ファマメント政府が何より恐れている事は、ワイズ家の家宝の行方だ。
 死んだというのならまだいい、だが……どうやらまだ彼女は生きている。生かしたまま野に放つ訳にはいかない、何が起こるかわらかないだけに、身柄は確保しなくてはいけないだろうと必死だ。
 何かが起こって、無関係だと言い切る事が政府には出来ないのだろうね。
 それだけあの存在が、世界にとって危険なものに成り得る可能性の方を信じている。
 もし最終的に知らないふりをするつもりなら……僕が読み説いたテラールの説話が記載された書物は全て、見つけ出されて燃やされてしまうだろうな。
 政府は後手に回る事を嫌がって、なんとか今回の件を自分達で解決しようとしている、その心意気は僕も買うよ。
 とにかく……姫をほっとくつもりはないみたいだね、今のところ。
 そして『それ』が、影の本体と行動を共にして居るなら好機ともいえるだろう。
 緑国の鬼を即刻、殺してしまう訳にはいかない。その前に『それ』の行方をはっきりとさせて、少なくとも手元に戻さなければと考えている様だ。

 緑国の鬼も、もう片方を捉えれば影も一緒の滅ぼすことが可能なんだから、今はそうすれば良いと考えている事だろう。
 唯一それだけはやめてくれと『影』も訴えているのだが……どうも誠意が足りないね。
 『影』の性格は刹那的で、楽天的。

 滅びたい訳ではないようだが、痛みを知らない影は一方で、滅びとはどんなものであろうという興味も抱いている……そんな気配がする。

 彼の囁きは悪魔のそれに似ているね。
 思いつきで悪だくみをして、それをこっそり呟いて……相手と取引しようと虎視眈々と狙っている。

「理論的に、お前と本体は繋がっている」
『そうだなぁ、そう云う事になる』
「お前を操り、本体をここに連れてくる事が出来る訳だ」
『ひっひひ……、もちろん可能だぁ。相棒は意志薄弱でな、基本的にゃぁ俺の言いなりだぜ。本当だぞ、だから……呼び出すだけに留まらないんだぜ?』
 『影』が鼠捕りの箱の中から悪魔的に囁いている。
『なぁお前さん達、この俺を雇わないか?』
 何を言い出すと、神官達は無駄に動揺する。

 もちろん、そのように揺れ動くのは下心があるからだ。
 僕は、密かに眉を潜めながら事の成り行きを見守っていた。口を出す権利が無いんだ、口出しなんかしたらこの場から即刻追い出されるだけだよ。とりあえずどうなるのか見守りたいから、今は黙って状況を眺めているしかない。

『俺はぶっちゃけて、存在できりゃぁそれでいい。どんな生き方でも構いやしないんだ。何しろ影になって生きている位だからな、酷い生き方もあったもんだぜ』
 笑いながら『影』が毒を吐く。
『お前さんらが緑国の鬼とか呼んでいるあれ、あれの鬼畜っぷりについてはご承知の通りだ。俺をとっ捕まえたお前らは、間接的に奴を自在に動かせるんだ。あの鬼を自由に出来るって事だぞ、あの鬼を、好きなように操れるんだぜぇ』
 ワイズが口を曲げている。
 ……風向きが良くないな、ワイズ。
 政府の心意気を買ったなんて、前言撤回。

 君がここの連中をアホと連呼するのがようやく僕にも分かったよ。

 そして、こんな連中に飼われている僕もまた、哀れだと人が思うのも仕方がない。君がそのように僕を同情するのは仕方がない事だったんだ。

『ちぃっと、考えておいてくれねぇかなぁ。クックック……悪い話じゃぁないと思うんだがなぁ』


 *** *** *** *** ***


 影から行動を握られている、影を失った男捕らえられたのは……それから暫くしてすぐの事だったよ。

 緑国の鬼が捕まったという話題は……残念ながら世間体に駆け巡る事は無かった。
 代わりに秘宝が戻ったという話題が新聞に載っている。

 嘘ばかりだ、それは今に始まった事じゃないのだけどさ。
 僕はため息を漏らしてこの見出しをしばらく無駄に眺めていた。

 詳しい話は流れてこないけれど、つまりこういう結果が出た事で事態を想像するのは難しくない。
 ……緑国の鬼は行方知れずと新聞に書いてある。死んだ、と云う事にはなっていない。
 なぜなら、時たまにその噂を引き摺る事件が起こすつもりがあるからだよ、誰かがね。
 生かしておいて活用する事に政府は決めてしまったんだ。『影』が囁いた取引の通に、鬼を飼う事にしたんだろう。だからこういう状況になっている。
 僕は、新聞を読みながら顔をしかめていただろう。

 影の囁きの通りに、自由に振える暗黒の剣を政府は得てしまった。

 しかし、それで本当に秘宝は戻ったのだろうか?

 ワイズが来たらまっ先に聞いてやらなきゃ。こっちから逐一聞きだすわけにもいかないから、……ほら、興味を持っていると知られるのは危険だろう?僕は、一連の真実を知っている側だ。またハクガイコウが余計な事をすると思われてはいけない。
 僕は、こうやって世間にも話題が出たのを知ってようやく、彼にどう云う事情になったのだい?と尋ねる事が出来るんだよ。

 とっくの昔に結論は出ているだろうにね、ワイズはその結末を僕に教えてくれなかった。

 緑国の鬼が捕まってから、不思議とワイズは口が堅くなった。余計な事をハクガイコウに言うなとでも言われているのかもしれない。


「ああ、もちろん。今度こそ決着をつけましたよ」
 僕の質問に対し、ワイズは笑ってそう答えた。
「……そうか、じゃぁ本当に……今度こそ。彼女は死んだんだな」
「そう信じるしかありませんがね。証拠に首持ってこいって言ったのに、腕でしたけど」
 煮え切らない言い方をする。
「腕?」
「ええ、正しくは左腕と辛うじてわかる様な物体でした」
 僕が怪訝な顔をすると、傀儡になった例の鬼ですがと唐突に話題を変えてくる。
「そもそも、あんなものを飼っている事が世間に知れたら、っていう危険もある訳でしょう。そこで僕は、影に一つ取引を申し出たんです」
 何の話だろうと、僕は手を組んだ。
「……僕は『彼女』を自由にしたい」
 忘れさせたいのではなく、何よりも自由にしたい。誰もが滅ばずの姫にそれを望んで、失敗した。
 自由とは……ワイズが望む彼女の自由は……存在する事からの自由。
 すなわち、死ぬこと無く存在続ける姫へ『死』を与える事。

 テラールの愛は歪んでいる、ワイズがかつて呟いた言葉の意味を僕は、今はもう理解している。

 誰よりも愛しているからこそ、彼女を殺さなければいけない。そのようにワイズは彼女への愛を貫いたんだ。
「影曰く、鬼は姫を愛しているのだそうだ。どういう理屈でそうなったのかは知らない、彼女がそれを望んでいたのかもしれない。だけど僕はそれを許す立場じゃぁない」
 確かに、君の愛は歪んでいるね。僕は、そのようにワイズを見る権利が無いのかもしれないけれども。
「僕の望みはただ一つ、彼女を自由にしたい。だから……こう云う取引が成立した訳です」
 ワイズは手を背後で組み、今度こそ僕の叱責を覚悟するように背をのばして告げた。
「僕は影に、男に、姫を殺せと命じた訳です。そうするならば、ファマメント政府を唆して『緑国の鬼』を殺さないように僕の方でも最大限に助力する、とね」

 愛するが故に殺せと、君は。鬼に命じたのか。
 鬼も姫を愛しているらしいじゃないか、それなのに死にたくなければ殺して来いと命じたんだね。
 僕は、組んだ手の上に額を置いてため息を漏らす。
 大凡、ワイズが取るであろう行動の予測範囲ではあるけど、だからこそ落胆しているんだ。

 そうやって今、鬼が飼われているんだったね。そこまでして緑国の鬼は……死にたくないって事か。
 いや、そんな選択を迫られて他にどんな行動が出来るんだ?男は影の命令に逆らえない、影曰く、ではあるけど……そして影は別に男の様に、姫に執着していない。ただ望むのは存在する事、影は男に容赦なく、姫を殺せと命じただろうな。男はその命令に……逆らえなかった。
 感情的には、そうだな……どうにか逆らって、姫を連れて自由に逃げていったのなら良かったと思っている。僕が望んだ姫の自由はそういうものだ。自由にするのは僕じゃなくたっていい、僕は、政府やワイズ家程あの秘宝とやらの危険性を想像出来ないでいるからね。
 でもそうはならなかったんだね、首を持ってこいだって?酷い命令をしたものだ。

 男は、どんなことを思って彼女を殺したのだろう?

 しかし、酷い片恋慕もあったものだね。相手の気持ちなど汲む隙間もない、ワイズが時にちらつかせる、この泥くささが僕は嫌いじゃぁないけどさ。
 でもなぁ、正直狂気の沙汰だとちょっと思ってしまう。
 僕が顔を上げると、これがテラール一族のとんでもない宿命だというように、ワイズは清々した顔をしていた。
「ああ、なら大体僕の予想通りだ」
 僕は笑って、机の上で組んでいた手を解く。ワイズがそのように手引きする事位、想像は難しくないんだよ。そう、僕はこうなるだろうと予測していた。鬼は生かされ、代わりに姫は『自由』になる……鬼の手によって。
「……やっぱり怒らないし」
「だから、僕は君の望みにいちゃもんをつけられる立場じゃないんだって」
「でも……カイエン」
 滅多に僕の本名を呼ばないのに、ワイズはこの時はそう呼びかけて僕が付いているテーブルの前までやってきて、そこに両手を付いた。
「君は均しく救いたかったんじゃぁないのか」

 僕に会いたいと言った滅ばずの姫。
 影がそう囁いた言葉を思い出し、僕はワイズの言葉を否定する事が出来ずに沈黙した。

 テラールの姫、彼女が僕に会いたがっていた。

 本当なのかどうなのか分からないよ?影の嘘かもしれない。もちろん、どうしてそんな嘘をついたのかも分からない。
 とにかく『それ』が、緑国の鬼がファマメント国の神殿にのこのこやってくる、と云う事態を招いた事は事実なのだろう。
 宝があると騙されて盗んだ秘宝に、魅入られた鬼はその秘宝の願いを叶えようとしたんだ。
 僕、つまりハクガイコウを狙ってここに来た。
 そして……捕まった。

 彼女が僕に会いたいと言った、その意図も良く分からないね。

 だが、広い意味でいえばそれは、彼女は僕の腕にすがったという事だろう。
 もちろん、その望みの果てが何であったのかはもう分からないけれど。

「君は僕に向けても嫉妬するのかな」
 目を閉じて僕は答えをごまかす。
「知りませんかねハクガイコウ。北神イン・テラールの司る感情は愛とは違います、恋です」
 そういえば、そういう説話もあるね。
 北神イン・テラールが司るのは一方的な恋で、愛を司っているのは南神ルミザ・ケンティランドだとかいう。北神は、その名前の通テラール一族であるだろう。テラールの説話が世界から消えなかった理由は、北神の名前にテラールが残っているからかもしれない。
「じゃ、皆一方的に恋をしていたんだ」
 他人ごとの様に僕は苦笑する。
 ワイズもまた、いつもの調子に戻って口元を笑わせた。
「そう云う事でしょうなぁ」


 *** *** *** *** ***


 昔話に終わりをつける……。
 僕は、星空を眺めながら悲劇の幕引きを考えてみる。
 僕は、緑国の鬼の本体の方には会ってないね、あの日遠くに殺戮するのを見ていた限りだ。
 ただ噂で聞くに、恐ろしく気の弱い男なんだとか。
 本当に、影の囁く言葉に逆らう事が出来ないのだという。
 影が命じるままに人を殺すらしい。皆殺しも影の命令だったそうだ、酷い殺しの手口も、全て、全て。

 いつしか影が別になったんだろう。

 緑国の鬼である男はきっと、影の言いなりになる事で彼の信じる『正気』を保とうとしている。

 ……僕に一時の恐怖を叩きこんだ殺気を発した、その男の本性を哀れに思う。
 俺が望んだ事じゃない、あいつが、あいつが俺にそうしろと言ったのだ。
 影の囁きに導かれてやってきて、捕らえられてまっ先に……緑国の鬼はそんな事を喚いたとか言う。
 ……普通はば影と別々になる事などないよね。リアルであれば、その男は二重人格を装い責任から逃げているにすぎない事だ。
 ところが、この世界ではそうやって道を踏み外す事が合法と認められていて……そのように望む果て、歪む事が許されている。
 こういう普通じゃない事は魔物化と云う。
 度合いは色々あるけれど……そうやって気が狂うも『魔物化』として、ありうる事と認識されている。

 そんな事は尋常じゃない、在りえないと否定される事は無いんだよね。

 どこまでも自分の弱さを他人に預ける気性であった『緑国の鬼』は、自分が起こした全ての事件をアイツの所為だと言って影に転嫁を図ったんだろう。
 影は自分とは『別』である事を望み、その通りに彼の存在は歪んでしまった。
 この状態を専門的に言えば『道を踏み外した』と言い、魔物となったと表しすなわち『魔物化した』と言う。
 別人格として剥がれた影は、主であった男がそういう性格である事を承知して、男が抱いて溜め込んでいた狂気を囁き続ける。
 相棒はしょうがない奴だからこの俺が、色々アドバイスしてやらなきゃいけねぇんだよと、あの厭らしい笑いを含みながら意志の弱い男に囁いて、殺戮へと掻きたてていく。
 殺せ、殺せ、縁を切れ。
 お前が生きたいのなら、お前の存在を許さない人間の存在を許すな。

 ……そんな所かな。
 緑国の鬼の成り立ちについて、僕はそんな風に想像を働かせてみている。

 でも僕は、最後に聞いたんだよ。鼠捕りの鉄のかごの中で、影が小さくぼやいたのを。
 出来るならあんな奴とおさらばしてぇ、と影が、……ごくごく小さく漏らしたのを。

 もう一つの人格もまた、弱い『相棒』から離れて行きたいという願望があって、双方の願いが歪に叶う。
 かくして、影は人格を有して本体から離れた。
 それでも互いに完全な決別が出来ない。
 『意志』は影が握っている、しかし『存在』は男が握ったままに。

 ……この縮図。なぜか人ごとのようにやり過ごせないね。

 もし『俺』が、カトウーナツメが、この仮想世界に『俺』ではない僕を作っていたならどうだろう?
 この仮想世界に俺の写し身ではなく、僕と言う理想を置いていたら?
 こうなりたいという望みを投影していたら僕と俺はどうなっていただろう。

 俺と僕は独立し、反発し。
 強い一方に支配されてしまっていたかもしれない。
 この仮想世界が、そういう事を引き起こさないと言えるのだろうか?それとも、そんな事が起きないように、忠実に『俺』の本性を仮想の中に写し込んでいるのだろうか?

 そうやって、心の奥底に仕舞っている願望をこう言う形で付きつけて『俺』を脅すというのか。

 それとも、起きている出来事に僕がそのような受け取り方をするだけなのか。

 知りたいと願っている。
 そして、知りたいと願った先に……僕の未来があるんだ。
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エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

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