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死に還りの調律師
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ミストラーン地方の火種、エヴェス独立の件は『予定通り』に片が付いた様だ。
城壁の町、イースターには小鬼達の軍勢に合わせ、ゆっくりと戻って来た。ようやく高い城壁が見えてきて、周囲に散らばる小鬼達の居住区らしいあばら家が周囲に並び始めた頃、ピーター女史がまるで、待ち構えるように道の上に立っていた。
「上出来だ」
これは、褒めてくれた……と思う。相変わらず白い獣鬼である彼女の表情は乏しくて、言葉に感情がある訳でもなく、ただ事務的にそう言われただけの様にも感じてやや不安に感じてしまう事ながら。
しかし、一緒に戻って来たレギオンがあったりめーだろーがとやけに上機嫌に応じている。彼女との付き合いは彼の方が長いのだから、ピーター女史はいつも通りの無表情ながら、ちゃんとこちらを労ってくれたのだろうと思う事にしよう。
思っていたよりも抵抗は少なく、死人も最低限に抑えられたと思う……と報告した所、少しだけ怪訝な顔をされてしまった。
普段無表情だけに、わずかな顔の変化や動作の機微でそういう事が余計に、理解出来てしまうものだ。
「レギオンを向かわせたというのに最低限になってしまったか」
彼女の算段では、もっと死人が出ているはずだったのだろうか。しかし、逃げ口を作るようにレギオンに言っていたのも彼女だ。
その辺りの意図を組み取れず、私は私の正義として最善を尽くしたつもりであったからつい、言葉を返してしまっていた。
「……独立を望んでいたのは町を支配していた層と、実際に町を守る事が出来る力を持った軍部だ。死人を出すならば、そちら側だけで良いはずだ」
「ふむ、つまり思っていたよりも殲滅すべき層は薄かった、そういう事か」
これは、前向きに捉えてくれたのか?
やはり彼女の意図が読めない。
「がっかりだぜぇ、もっとガッツリ殲滅戦だと思ったのに、相当数ジャンの奴が武装解除させて逃がしちゃったんだけどぉ」
「そうか。……計算式に修正が必要だな、理解した」
と、手に持つ書類の束に何かを書きつけながらスタスタと、ピーター女史は歩いて……城壁を潜る狭い門の方へ行ってしまうのだった。
*** *** ***
帰りを共にした小鬼軍達は、とにかく数が多い。その手数で、エヴェスの物資を根こそぎ奪って戻って来た所である。すでに荷下ろしは始まっていて、大きな道は混雑をし始めた。
最悪の場合彼らも戦力として数え、エヴェスを攻めなければならないと女史から聞いていた。しかし、小鬼軍は手数こそ期待できるが正直戦力としてはそれほどでもない。小鬼というのは人間から派生した魔物種なのだが、魔種や混血が多く蔓延るこの世の中で極めて『弱者』の部類である『純人間種』よりも、さらに弱いと評価せざるを得ない種族なのだ。
力も強くないし、背丈も低いし知能も高いわけでもない、魔法が別段得意になるわけでもない。ただ、繁殖力だけは強い。人間も相当だと云われるが、そこだけを強化されたような種族。
この度は人間の、自警団がある程度の村を襲うのではない。国を相手取った戦争も辞さない、国家とならんとするエヴェスの軍隊を相手取るものだ。
そこに向けるべき戦力ではない。
私は、もはや魔王軍に属しているのだから……ここ城壁の町イースターの本来の住民である小鬼達に、無用な被害を出したくなかった。
種族の違いで差別などはしない。自分が属する世界に見合う『正義』の振る舞いをするべきだと知っている。
戦いは手短に、被害は双方、最小限に。それでいて相手の再起は出来ない位徹底的に。
それが出来れば、正しく『上出来』だろうと私は思っていて、その通りの仕事が出来たと思ったのだが……それなのにどうにも何か、この戦の指揮取ったピーター女史にとっては計算違いがあった様に感じる。
なんとなくそれが気に掛かるな……こんなに完璧に仕事をこなしたのに。
彼女も、魔王の庭の一角として、やはり血はより多く流れた方が良い、的な考えを持つのだろうか?
小鬼軍達はエヴェスに残されていた食料、武器、使えそうな物資は根こそぎ奪い、残った建物には火を放って徹底的に燃やした。
そういう段取りになっていると聞いていたから、その行為で逃げだしていく人間の被害が出ない限り、私は何も手を出す事は無かった。私や、レギオンの軍隊が愚かな小鬼達が逃げる人間に暴力を振るわないようにしっかり目を光らせていた都合もあるかもしれない。そう、そういう『力』が働いて居なければ……エヴェスから逃げるに必死な人間たちを小鬼達が面白半分に追いまわす様な事もあったかもしれないのだ。
レギオンとしては、そういう展開の方を期待していた様ではある。
彼の望みは『殺戮』だったはずだが、不思議と……後で不思議ではなくなったが。
とにかく彼の率いるレギオン軍はそうではなく、むしろレギオンの乱暴を抑えるような働きをして……きわめて穏便にエヴェスの解体を進める事が出来たのだった。
*** *** ***
1週間程度を空けただけなのに、なんだかすっかり……この城壁の町は変わってしまった。そんな気がして感じて顔を上げる。
まだ町の入り口で、高い城壁の周りに散らばる居住地域に入った所だ。数多くの戦火に巻き込まれ、何度も壊され、燃えて、わずかに残った梁を再利用した、雨風を防げる程度の煩雑な作りの小屋が立ち並んでいる。
エヴェスに向かう前に感じた生臭さの残滓は殆どない。高い城壁を見上げ、それを潜り抜ける狭いトンネルを小鬼達の群れと一緒に潜る。
変化を理解する。
城壁に囲まれていて、レギオンによる魅了によって『人間』以外には全く被害を出さずに奪還した、イースターの町が綺麗に、焼き払われていたのだった。
残されていたのは一部の頑強な城砦としての建物と、高い城壁のみ。
足元には真っ黒い炭が分厚く降り積もっていて、固い木片も岩も、何もかもを焼き払って粉々にした跡があるだけだった。
「おーおー、随分と綺麗になったじゃねーか」
思わず立ち止まって居たら、レギオンが追いついて来て隣に並ぶ。
「実際、ここに住んでた連中殆ど死んだからな、死体処理に手間取ってただろ」
小鬼達が、同意する様に甲高い声でレギオンに応えている。
「いっそ綺麗に燃やしたかー。って事は、ここも最終的には耕すつもりか?」
「庭を作る、のか」
「いやー、でもビッチが来てたよな。アイツなんか、目を付けてていろいろ掛け合ってたし、メスブタは庭いじりはしねぇだろ?」
そういえば、ピーター女史は魔導師で専門は、なんだったか。
だだっ広い黒い空間に、蜃気楼のように空気が一部歪む景色を見渡してみる。先ほど先にこちらへ向かったと思ったが、ピーター女史のあの白い姿が見当たらない。
私は踵を返し、城壁を登る階段を駆け上がっていた。
この町は焼けたと一目で分かるが、焼け焦げた匂いは無いし、煙がくすぶり残る気配もない。たった一週間で、ここまで景色というものは変わるものだろうか。
何もない、確かに、綺麗にはなった。しかし……何故だろうか、高い城壁が囲う黒い世界が何か、重苦しい感じがする。
「いやーな感じってやっぱりする?」
驚いて思わず剣に手を掛けてしまったが、冷静になって慌てて放し足元を見やる。
「えへ、びっくりした」
「ああ、君は……本当に神出鬼没だな、庭の外にも出るのか」
インティだ、いつの間にか足元の大きな城壁の石の上に腰かけている。
「ここは完全にオウサマの管轄になったからねー。でも、ちょっと微妙な感じかな、庇護はするけど属性は違う、というか」
インティがここに居る理由に、私は即座勘づく事が出来た。
「これは、普通の火で焼かれたものではないな」
「お兄ちゃんくらいだと分かっちゃうよね、そうなんだ。リンガが手に負えない規模だって言うから、じゃあいっそ燃やすかって事になってさ。僕がやったよ」
そう言ってインティは両手を上げて……その中に閃光を放つ様な火柱を立てて見せる。
これは……普通の火では無い気がする。ただ炎の柱を立ち昇らせたにしては熱量が高く、放つ光が眩しい。
「燃やすにはさ、燃やす素となる『燃料』が必要なんだよね。魔法使いでも魔導師でも結局そこんところは変わりなくって、『何』を燃やすかで色々あるんだよ」
インティは魔法使い、意識だけで理論立てる事無く魔法を使うが、珍しく仕組み的な事を私に説明する。
「これ、若干危ない系の火を使ったからお兄ちゃん、ここにはあんまり長居しない方がいいよ」
「それは、どういう……」
「僕あんまりそーいうの詳しくないから」
と、いつも通りはぐらかしてインティは無邪気に笑う。
「とにかく、オウサマの趣味の庭には成り得ないって事だよ」
おおいと呼びかけられて、城壁の下に目を向けた。
レギオンが、自分の部下たちに囲まれる中大げさに腕を振っている
「ジャーン、俺様寝床に帰るけどー」
インティは勿論、もうどこにもいなかった。勿論彼が居た事をレギオンに一々伝える事はしない、どうにも仲が悪い事は既に把握している。
降りる間に先に行ったかと思ったが、レギオン達は私が城壁を降りるまで待っていて、不思議と取り囲んで来た。
「こりゃ本格的にビッチの管轄っぽいじゃん、すげーヤな感じがするぜ。お前もさっさと庭に帰った方が良い」
レギオン軍に囲まれて全く戯けた気配なく言われたのに私は、思わず彼の鉄仮面をまじまじと見つめてしまった。よく見ると彼はこちらを見ずに、焼け焦げた炭の降り積もる町の様子を横目で睨みつけている。
と、こちらが見ているのに気が付いて鉄仮面の中で目が驚きの色を見せた。
「具体的に何って聞かれると困るんだけどよ、こう……なんかやーな感じがするだろ?言い表せない、ザワザワする……」
私はこれに、インティが良くない火で燃やした様だ、とは言わないで軽く同意の頷きを返した。
「お前も感じるか、そっか、アレだっけオタク、タネ駆除とかやってた口だっけか」
そういう経緯はあまり語るつもりはない、そもそもレギオンにどんな事を話してしまったのだったか。祖国はファマメントだとはバレてしまったのだったか。
レギオンの言う種の駆除が、具体的にどういう役であるかを勿論、私は知っている。
しかし、どうにも鎌を掛けられて気もする。誤魔化すつもりで、無言で肩を竦めて見せた。
それは……必然的にオウカの事を思い出させる。
そしてそれは、今でも私の心を少しざわつかせるのだ。
「こんな所を町の中央まで行くのもヤだから、俺は街外れの門を使うぜ」
「使えるでしょうか」
と、レギオン軍のケレスが少し心配そうに言った。門、というのは転位門の事で、この魔法の扉は常時便利に使えるモノではない事は私も理解している。
イースター攻略の為に穿たれていたものが、一週間前にここに来た時イースター中央の城砦の中に移されていた……のだと思っていたから、まだ郊外に門が残されているのかと、正直魔法の所業はさっぱりわからない事なので思わず、救いを求めるように先ほどの城壁の見上げてしまう。
……と、インティが姿を現していて軽く手を振っている。小さく頷いているのを見やり、顔を戻す。
「大丈夫そうだ」
「うん?本当か」
「彼がそっちを使えと言ってる様だ」
インティの事を告げないつもりだったが、私がそんな事を根拠なく言った所で説得力はないだろうなと、城壁の上を指さしたが……もちろん、インティの姿は消えている。
誰も居ない城壁を暫らく睨みつけていたレギオンだったが、無言で手を上げて彼らの軍勢を率い……町の外に出て行った。と、私が黙って突っ立っているのに気が付いて振り返る。
「ジャン、帰るぞー」
確かに、ここに長居は良くないとインティも言っていたが……。私はまだピーター女史に聞き質したい事があるんだが。それを、私の気配から察したようにレギオンは舌打ちしてから喚いた。
「こんな物騒な所にビッチが居るもんかよ、あいつもさっさと巣穴に戻ってるに決まってる。危険察知はビッチウサギの専売特許だろうがよ」
「あと、ジャン様が一緒ではないとインティ様は転位門を開けてくださいませんので」
ケレスの苦笑を受けて、そうなのか?と虚空を見やった所にまたしてもインティが空に浮かんでいる。そして……俗にいう、あかんべぇの仕草をしてするりと青い空の中に姿が掻き消えた。
*** *** ***
果たしてレギオンの言う通り、ピーターはいつの間にやら王の庭にある自分の穴倉に戻っていて、何か道具の調整をしている。
稀に手に持っている、竪琴の様な飾りのついた大きな杖の、調律でもしている風で一弦ずつ爪弾いてはねじを少しずつ巻いて、書類になにやら書き留めるを繰り返している。
「失礼する……お忙しい様だが」
「そうだな、際どい調整をしているから、この作業は止めだ」
彼女は、まるで今私に気が付いたように素早く顔を上げた。ウサギの様な大きな耳、いや、実際兎鬼種だった。彼女の、兎らしい大きな耳が完全にこちらを向いて、小さな吐息と共に言った。
「何を聞きたい」
魔導師というのは……もういい、このくだりは何度目だ?こちらが喋り出す前に意図を察した質問をされるのに、いい加減慣れた方がいいかもしれない。魔導師というものは『こういうもの』なのだ、と。
天空国在中の魔導師の数は少なかった……慣れていないのは間違いない。
「エヴェスの件だ」
「悪くない仕事だったと評価したはずだが」
「私としては、もう少し良い評価を得られるものだと。というよりは、貴方の理想とした終局とはいかなるものであったのか、それを知りたい」
女史は、大きく鼻で息を吐いた。
「すでに終結し、覆る事無い物事について、可能性など聞いてどうなるか」
確かに彼女の言う通りだ。しかし……悪を挫き、正義を成す私がそこに何かを嗅ぎ取ったのだ。という事を、彼女は魔導師らしく察したように小さく頷く。
「ああ、そういう所か……ふむ、しかし君に事を説明するのは実に、時間の無駄だ」
何か、すごく酷い事を言われた気がする。
「詳しく話したところで解説に時間を、無限に割くだけになるだろう。故に極めて簡潔に言わせてもらうが」
そう言いつつピーター女史は日の当たらない所に設置された本棚の方へ歩いて行った。
「私には、一つ理想とする事があってその研究を庭で、許されている」
それは庭の王へ、完全なる滅びを願う研究の一種であると、私は認識していたが確かに、よく考えたら彼女が得意とする分野とはそもそも、何であるのか良く知らないな。
死霊使いである、という事はかろうじて理解している。
しかし正直死霊使いというモノがどういう現象を操っての事なのか良く分かっていないと思う。理解したい事でもないのだが……そうも言ってはいられないのか?
あらゆるものは基本、死を迎える。
死んだ後に、弔う事が不十分であると死を迎えたモノは、自らが消滅しつつある事を理解出来ずに起き上がる。
それが、死霊だ。
全てには……天使教の教義において『魂』があるとされる。この、魂という概念は他の宗教や文化圏だと理解されない事があるが、まぁその話は今あまり、関係は無いのだろうと思い頭から追いやった。
「イースターに、浄化装置を設置する許可を得た。これからそれの調整を行う、ゆえに私は忙しい。その過程、私の研究成果が正しく作用しているかの所謂……実験の為に、エヴェスからも借りようと、そう皮算用をしていたのだ」
エヴェスから、何を借りようと云うのか?
ピーター女史はこれ以上の詳しい話で時間を割きたくない様で、本棚から抜き取った本を私の胸に押し当てながら言った。
「詳しくはこれを読んでからだな。その後もう一度答えよう」
そう来たか……私が、読み書きを苦手とする所を分かっていての提案だな。正直に渋い顔をして本を受け取るのを態度で拒否してみたが……彼女も引く様子が無い。
「これは、何の本でしょうか」
「表題も読めぬか」
「すみません、東国の文字は……ちょっと」
「自力で読めとまでは云わぬ。私は急いでいる。君がこの本の内容を理解する頃には、ある程度仕事は落ち着いているだろうから頼む、出直せ」
なんとも誤魔化されている気がするな、やはりイースターで行われようとしている事で、私に知られてはまずい事でもあるのではないか。
「何か、悪い事が起きているのでは無いと言い切れるのですか」
「何とも言えぬ」
その答えでは納得がいかない。
無いのなら、無いとはっきり言ってくれた方が彼女の場合まだ信じれる。
「なら私は引き下がる訳には行きません」
呆れたような口調になり、彼女は額に手を当てる。
「善悪というものは、観測者の寄る辺で変わるものだ。君の基準を完全に私の方で理解している訳ではないが、……その知る限りで言えば悪い事ではない、はずだ」
なんとも歯切れの悪い言い方をする、ますます怪しく感じ、私は彼女から本は受け取ったものの具体的な話を今ここで、聞かない限りは退かない決意を示す為、勝手に椅子を引っ張り出して来て座り込んだ。
すると、ピーターもまた私を無視し、やっていた作業に戻るべく背を向ける。
そうして暫らく黙って私は、彼女の作業を眺めている事となった。
その間少し、手元にある小さいが分厚い本に視線を落としてみたが……いや、扉を捲るだけで無理と分かる。西方国の一般的な文字も得意ではないし、真政文字は辞書頼み。南国のティルメント文字は発音くらいは多少理解出来るとして、遠東方のカンジだって読めやしないのだ。カンジは私の仮面にも使われているというが、これが文字だと言われても知らなければそうとは分からない。
だというのに、文字を横に筆記する東方のエンシャントタングルなんて無理にも程がある。
と、穴倉の扉をノックする音がして、私はそちらに目を向けたがピーター女史は聞いていない様だ。完全に、調律らしい仕事に付きっ切りで耳が完全にそっちを向いている。
来客の様だがと、声を掛けるのも憚る位には集中しているのを察し、仕方が無く私が席を立つ。
ほぼ地下の様なこの部屋へとつながる扉を開ける為、少し階段を上がり丸い分厚い木の扉を開いた。まだ陽が高いはずだが、差し込むべき光は少なくそれが目の前に立つ人物の影の所為と理解するのに一瞬の間があっただろう。
「お兄ちゃん、困ってそうだね」
と、巨大な影の隙間からインティが顔を出した。私は、咄嗟に手に持つ本を指し示す。
「丁度良い所に来た。この本、何の本だろう。君なら読めるか?」
「私が纏めた本デあるナ」
奇妙な声に、私は導かれるまま顎を上げる。
巨大な影は、巨大な人影が纏う外套だった。
そのはるか上空に、馬の長い首と頭がまさかの二つも付いている。馬の首を二つ支えられる体が、いかに巨漢となるか想像出来るだろうか?
これは魔物だ、馬の頭二つが付いている様な種族など聞いた事がない。それがましてや人の言葉を語っている。よく見ると、この巨漢は見覚えのある模様が刻まれたマントを羽織ってはいないか。
「初めテお目にカカるジャン・ジャスティ殿。エルドロゥ、であル」
*** *** ***
やはり、顔が馬だからなのか少し特徴のある話し方をする人……人ではないな、人ではないのだろうが、魔導師ではあるようだ。
「魔導師というのは、基本人間が魔法を使う為の共同体じゃなかったか」
「世間一般的ニは勿論そうダ。故ニ、逸脱しタ場合は魔導都市よリ追い出されルものデな」
多分、これは笑っている。人間に比べれば、やっぱり馬の頭は大きすぎるのだと思う。その二つの頭が歯をむき出してしきりに頭を上下させている。
「彼女とテ例外でハ無イし、私もコの通り無色ダ」
レッド殿から聞いた話だと、魔導師はマントの色で階級が決まっているものだという。しかし、魔導師の禁忌に触れてしまうと色が剥奪されて、基本的には呪術師への降格処理が行われ、討伐対象になる……とか。
しかし、元々位や、実力が高すぎる魔導師の色を奪って討伐対象にしたところで誰も手を出せないという問題もあり、そういう魔導師が『無色』であるという。
エルドロゥと名乗った、この異形の魔導師がその典型的な例であるらしい。ピーターも無色であるらしいが、彼女の場合はレッド殿が王の庭に連れてきて保護しているに近い扱い、との事。
「つまり、魔導師からすると無色というのは、魔導師の法に反している……」
「しまった!お兄ちゃんに助け船を出したつもりでこれは……」
インティがワザとらしく頭を抱えた隣で、巨漢の異形はまたしても軽快に笑う。
「魔導師デも無いノに、魔導師の法ヲ語ルのかネ」
それもそうだ、私は別に魔導師の事は良く知らない門外漢であるし、魔導師協会からこういう異形の邪術師を見かけたら是非成敗するようにとお願いされている立場でもない。
私は、私にだけ出されていたお茶を一口啜った。
料理長がお茶請けに、状態の悪い小麦粉を処分する為に焼いたというパン菓子を持たせてくれたのでそれも摘まんでいる。
ピーター女史は夢中になって作業をしていてたし、エルドロゥとしても邪魔をするつもりはない、との事で仕方なく、場所は食堂二階のテラスに移動してきていた。
ちなみにそこまで移動する間、主にフリード部隊の庭師達とすれ違ったが、エルドロゥについてはどうやらすでに見知った存在らしい。軽く会釈をして何事も無く通り過ぎて行った。
「この……魔導師も庭の住人なのか?」
「庭の主ト顔見知りデある故、稀ニお邪魔ヲすル事があル程度でアる」
話を聞き進めるに、顔見知りの意味が割ととんでもなくて私は、思わず眉間を抑えてしまった。
この異形、もともとインティの仲間なのだという。つまり、今や伝説となった……魔王八逆星が一座だったというのだ。どうにも魔王の連中は普通の存在ではないのが基本形態なのか、エルドロゥも飲食は出来ないという。説明はされたがよく分からなかったが……要するに、死霊みたいなものだと結ばれてそれで一応納得はする事にした。
死霊の類が飲食をするという話は、天使教をそれなりに信仰していた身としても、聞いた事が無い。
インティも本性は人形であるらしいので食べる事が出来ない。
それでさっきから飲食をしているのは私だけというワケである。
ピーター女史から渡された小さな本は、今エルドロゥの手の中にあった。頭は馬なのに、体は一応、人間のそれだ。しかし体躯に合わせ手も異様なほどに大きい。彼の手の中にあると小さな手帳の様だった。大きな指の先で器用にページを捲り、感慨深く懐かしいと呟く。
「この本ハ私が管理スるシコクの事を記したもノだ」
「シコク?」
「私ハ、シコクの管理人をシていル。シコクにツいては……こノ本を読めバ分かルようニはしてあルはズだが、」
「お兄ちゃんは本読むの苦手なんだよ」
インティの容赦ない暴露に私は身を竦めるよりない、事実である。
「ふム……貴重な本であルぞ、少なクとモ天導館でハ禁書扱いデあっタはズ。こノ世の秘匿さレた摂理ノ一つヲ理解できルようニ作っタ」
そういう事を知り得ているから、魔導師達から色を奪われたのだとは思うのだが……しかし、世の秘匿された摂理、シコクとは何であろう。
これを私に渡したピーター女史の意図する所を考えれば、彼女の研究、ジョウカソウチとやらはそのシコクと関係があるという事だろうか。
「要すルに、ピーターは新シい形のシコクを作ろうトしていルのだ」
「新しい形の……」
言っていた言葉を私は、必死に思い出す。
「ジョウカ、ソウチ、というのは……浄化装置か?」
何を浄化するんだ、エヴェスから、何を借りるつもりでいたか。
「……彼女ノ専攻を彼は知らヌのか?」
「魔導師の難しい事は、お兄ちゃんには分からないんだよ」
まぁ、その通りではあるのだが……。
「私には難しい事だが、理解しない事には善悪の判断が付けられない。人の評価ではダメなんだ、私が考えて私で、判断しなければ。それを難しいからと投げ出すわけにはいかないだろう」
ティーカップを思わず両手で抱え込み、私は自分に言い聞かせるように言っていた。
「私は……人に善悪を委ねて、間違ってしまった事がある」
そうして、この左目に傷を負ったと言っても過言ではないだろう。それで戒めとして残してあるんだ。だから祖国と距離を置いた、祖国が定める正義と、私が行うべき正義は必ずしも一致しないのだと、知ったんだ。
自分で考えなくても良い、求められるままに自分という剣を振るのは確かに楽だ。だが、楽をすると正しい事を見誤るのだと知ってしまった。
「私は、正義を振る者として在りたい」
「……フむ」
「理解したい」
決意を込めて、視線を上げる。
その為なら、人に頭を下げる事だって悪い事ではない。
「……良く分カらんノだガ、いや、……高位殿が言ってイたのはコレかね」
「多分そうだと思うよ」
指こそ差してこなかったが、どうにも雑な扱われ方をしている気がして来た。ましてエルドロゥの顔は異形で、馬の表情を見分けるというのは人間には難しすぎる。
「こンな頭でっカちに、世の摂理ヲ話しテしまっテも良イものかネぇ」
「そこは、理解出来る程度で良いんじゃないかな。お兄ちゃんが納得できる位で良いと思うよ」
「お前ハそレを自分デやるつモりが無クて私を呼ンだか」
「僕じゃぁ力になれないよ、だって僕は魔導師じゃないから理論的な事とかさっぱりだし」
本当だろうか、という疑いの目をエルドロゥがインティに向けて投げかけている……というのは、なんとなく辛うじて分かった。
「まぁ、良イだろウ。要すルに、お前はピーターのコの度の実験トいうモのの『善悪』を図りタい。そうイう事デあろウ」
「悪い事ならば、私が、止めなければならない」
「悪しキ…か。私ニ言わせればシコクの創設は悪い事デはなイと断言でキるのだがナ。ただ、彼女が今回作ろウとして居ルものは私が知るモノとは別の規格とイう事にナろう」
エルドロゥは、小さな本をテーブルの上に置いてからその手を、前で組んでやや前のめりとなり、二つの馬の顔を寄せて来た。
そして、手始めにと一つの問いを投げかけて来たのだった。
「お前ニは、魂といウものガ理解でキるか?」
*** *** ***
かろうじて理解出来た事を私が語るとすれば……シコクというものは、要するに魂の資源再生を行う特殊な場の事であるらしい。
特に言うと死霊化しうる魂の輪廻転生を手助けする『装置』として存在するものなのだという。
私は、最初の問いかけに『分かる』と答えた。
それは、魂の存在を肯定する宗教である天使教の信者だからだ。
死した者に向け、これが死霊となる事を抑えるためにまず肉体から、魂を分離させる。壊れた体との『縁』を切り、その後魂に紐づく他の『縁』も切り離していく。そうして最終的に肉体も、魂もそれぞれがバラバラにされて世界に帰依する。
それが、天使教における葬儀のあり方の基本形式で、死霊化した場合の調伏儀式も大体はこの流れに沿って行われると聞く。
とはいえ、国の宗教であるから属しているだけで私は死霊調伏など出来るわけではないし、死霊と実際戦う部隊でもない。死霊というものは物理的な解決が向かないのだ、という事を把握しているという程度だ。
次に聞かれた事は、魂が見えるか、という事だった。
これには当然と『見えない』と答えている。
魂は、目には見えない。死霊調伏に特化した神官であっても、死霊というものの存在を把握するためには仮の肉体を与える必要がある。
というよりは、死霊というのは魂だけで成り立つものでは無く、魂が、死んだ肉体や動くはずの無い別の何かに宿る事で起きる現象の事だという理解をしていた。
魂だけでは、たとえ死霊であってもこの世界に干渉出来ない。
世界に触れるには、かならず肉を伴う。
だとすれば、肉体から正しく切り離された魂とは、どうやって世界に均されるのか。
……天使教は神を語らない宗教だ。西教の様に、唯一信じるべき神という存在が無い。それに見合うものとして『世界』を語る。
世界に帰依する、私は容易くそう表現をしてしまうのは、天使教の教義に慣れきってしまっているからだし、その教義が何か間違って居るとは思っていないからだ。
それとも何か違うとでも言いたいのか?
宗教観は、国によって違う事は理解しているつもりだが、思っていたより自分は、信じる教義に偏ったものの考えをしていたのだろうかと、やや身構えてしまう。
しかし……そう、魂は見えぬ。魂とは、言うなれば経験値なのだと、エルドロゥは言った。
テーブルに置いた本を再び手に取り、このように何か物理的形を得なければ見える事は無い、魂とはそれを持つ者の『英知』の事だと結んだ。
英知は、死によって失われるもので……肉体が腐って朽ちて行くように、死によって失われていく形の無い存在なのだとエルドロゥは語る。
その例えは、私にもなんとか理解が出来る気がする。
それが世の絶対の摂理であると言われればどうなのだろうかと首をかしげたくなるが、確かに経験値……人が得た知識や知恵は、その人の死によって失われてしまうものだ。
書物などの様な形を与えて残さなければ……消えてしまうモノのという例えは極めて道理の様に思える。
しかし魂というのには一種の『質』があり、この如何によっては更なる浄化が必要となる事を、基本的に多くの者は知らないのだという。
南の国の果てに、負に振り切れた『魂』を留め置く国があるのだという。
それが、シコク。
シコクに集まる魂とは、世に均されずに次の肉体を得うる『重きもの』で、こういう魂を鎮める為に機能する特殊な場であるのだそうだ。
そんな事を言われても、実際この目で見た訳ではないから私は即座に信じる気には成らなかった。実際に自分の目で見なければ納得しないというのなら、私が管理するシコクを見に来るが良いとエルドロゥが言い出したのでとりあえず、今はそれが在る前提で話を聞く事になった。
まぁ、見えない『魂』がどうやって『世界に帰依』するのか、というのは宗教的には綺麗に完結している様に見えて、実際問題どうなのかという事を問われると魂は、見えないだけに……何が正解なのかさっぱりわからない事だけは理解出来る。
シコクとは、世界の理としては見えない『魂』の調和を司っている重要な装置の事なのだ、とエルドロゥは言う。
魂とは『一つ』なのだと云う。
この世界では、一つだけでは成り立たない様になっていて最低限『二つ』が必要なのだそうだ。
しかし『二つ』では不安定で、基本的に多くのモノは『三つ』で成り立っているという話については……何かで聞いた事があるような、と思う程度だろうか。
*** *** ***
「とこロがピーターはコの『一つ』ヲ見る事ガ出来ル、ト言ったらどウ思うかネ」
「……魂が、見える?」
「実際『見えて』いルかとイう問題には、チと難しイ説明をせネばなラぬのでナ。お前ハあまリその事ヲ考えない方が良イ。一番正しい言イ方をスるならバ、ピーターは魂ノ知覚が出来ルのだ」
見えないものが、見える。
とはいえ、私の脳裏に浮かんだ事は墓地で見たと騒がれたりする『人魂』であったりする。あれは魂が飛んでいるのだと云われるが、ようするに発光するなんらかの『物体』に依存してはじめて『目』に『見える』様になった、死霊の一種ではないだろうか。
こんな理屈っぽい考え方をしたのは多分、初めてだな。
つまり……ピーター女史は、そういう一切の受肉をしていない魂そのものを『観る』事が出来る?
「ピーターの死霊召喚術はねぇ、すごいんだよ。死霊化出来る魂と、それに与える肉体との結合が手に取る様に理解出来るんだもんそりゃぁ当然だよね。僕が死霊召喚したら、近場に居る起き上がれる肉体を持った魂を強引に呼び出すだけだもんなぁ」
「……?」
「死霊召喚とイうのは魔導式においテも色々手続きガ面倒なモの。彼女ほド手短に行エる者なド世におラんだロう位にハ卓越しタ存在であロうな。高位殿もソこハ得意であったかラ現在はアの姿ダが」
高位殿、というのはレッド殿の事だったな。
「あ、知らないって顔だね。レッドも今は大体僕らと同じようなモンだから飲食できないんだよ。僕は人形、エルは旧規格の魔王、レッドは死霊だから」
レッド殿が、死霊?
呆けているだろう、私に向けてやはり魔法使い系は心を読むのだろう。
「そーだよ、でなきゃあんな自由に空間転位ほいほい出来る訳無いでしょ。あれ、肉体が殆ど無いからだよ」
そんな事云われても、こちらは魔法とか魔導式などほどんど知らない門外漢だぞ。不貞腐れてしまった私に向けて、インティは反省したように大きなため息を漏らす。
「ダメだ、この話はちょっと難しかった。……ほらね、やっぱり僕じゃ説明無理だよ」
「ふむ。インティの話ハ一時忘れヨ。とにカくピーターは、自然と重キ魂を集めル場とシてのシコクではナく、半バ強制的に『魂』ヲ『世に均す』装置を作ろうロしていル訳だ」
浄化装置。魂の、浄化装置か。
それが彼女の一つの理想。目指していた到着点。
「ようするに、巨大な強制調伏装置って事?」
インティの言葉に、エルドロゥが呆れた声色で答えた。
「重キ魂はそうそウと世ニ迷い出ルものでハなイ。端的ニ言えバ、彼女が作ろうトしてイるのハ強制死霊発生調伏装置だ」
「強制死霊、発生、調伏、装置?」
一つずつ単語を区切って考えるとすれば。死霊をあえて作って、解体する?
「……それがどうして浄化装置になりうるんだ?」
「経験値を与り多く均しテ世に還スからなノだが、……ソこは端折っタ所でなぁ、そうすル事が『善い』のだトお前ハ理解出来まイ」
いや、笑ってごまかそうとしないでくれ。元魔王八逆星とかいう、謎の存在が二人笑うのに私は流される訳にはいかない。
「理解した、エヴェスから借りたいと言っていたのはそこで亡くなった人の魂という事か。それを……死霊化させる?強制的に?」
それは、余りにも冒涜的な事ではないのか。
「でもお兄ちゃんの事だから、ちゃんとお弔いして来た訳でしょ?」
ああ、レギオン軍にも手伝ってもらって一応の祈りは済ませてから死体の処理をした。半分くらいは私が手を下した者達なのだから、当然の所作であろうと思う……が、こういう所に私のなじみ過ぎた宗教観が出るな。
「なら、肉体と魂の縁は切れてる訳で、死霊化はちゃんと防がれてるよ」
「じゃぁどうやって彼女は強制的に死霊を作るというんだ」
「だから、元来の縁は切れてるんだからこの場合の魂は、ようするにただの経験値、ピーターが作る死霊の原材料になっているだけじゃん」
どこの小麦が混じっているともわからない、パンを焼くみたいなもんだよ……と、云われて私の思考が停止する。
今まさに、パン菓子を口に入れようかと思った所だったのもある。
祈られて、縁が切れて……肉体から解き放たれ、『魂』が……消えていく。
それは、物質である肉から切り離されたからこそ、もう二度と目には見えないからこそ消え失せて行く。
「死霊トいうモノのは基本、縁にヨって起キ上がル。縁ガ切れレば起き上がりハ無いガ、切ル縁がなイ場合強引に縁ヲ結んで切ルのが調伏。死霊召喚は途切レた縁ヲ再び強引に繋ぐもノ。勿論、彼女の手ニ掛かれバ元の縁を結ぶ事モ出来よウが、肉体と離さレすぎレばそうもイかぬだロう。とすレば、どうすルか」
魂は、経験値だというエルドロゥの話を受け入れるならば。
「調伏の儀式と同じく、適当な肉体を用意して強引に、縁を結ぶ?」
「そレが出来る死霊術師はそウそう居ナい。そんナ事が出来るトいうナら、参界接合などという中途な技術が禁忌として徹底排除されてはおるまいよ。ピーターの魔導は……使イ方を選べバ人をモ還すゾ」
死者を、生き返らせる?
死者蘇生……もちろん、ありえない事だというのは分かっている。それはいくら魔法という万能の力があっても、叶わない事だからこそ、現実的に死者蘇生を罰する法が存在しないんだ。
「……魔導都市では死者蘇生技術は法に触れるのか?」
エルドロゥはまたしても盛大に馬の顔二つで嗤った。
「数十世紀の前よリ求め続けル愚かな技法よ。故に、そレに手を伸ばそうトすればアる程度法ニは触れル様にナっておルかな」
「では、彼女が行おうとしている新しいシコク、魂の浄化装置としての……ええと、強制死者蘇生……じゃないな」
私は口に出す事で間違いに気が付き、再び頭を悩ます事になる。
「強制の死霊発生、調伏装置?」
インティの例えを思い出している。
材料から適切に作られたパンの様に、もはや縁は無く『経験値』として利用され、捏ねられ作られた死霊とは、何だ?
そこだ、そこを笑ってごまかされたのだと思い出す。
「なんでピーターはそんなものを作るのだ?」
「だかラ、端折った事ナがら。ソうやって世ニ均す魂は、世界にとっテは滋養の高イものデあるかラだ。シコクではいカんせんコれに時間が掛かリすぎルものでナ、とハいえ我々の様な存在にハ時間の経過なドもはヤどうでモ良い事でハあるのだガね。手っ取り早い方法をト、考エ出さレたのがピーターの術式とイう事だ。もちロん、ピーターはコの術式ガ死を覆す事を理解シている、一般化すレば危うイ事は十二分に、な」
「だからだよ、お兄ちゃん」
インティが何を言いたいのか、私は……少し考えて理解が及んだ。
だからピーターは私に、歯切れの悪い返事をしたのか。
悪い事が起きうる、その可能性はある。そういう技術を試そうとしている。それを十二分に理解していて、嘘を吐かずに、彼女は私に答えたというわけか。
何とも言えない事だ、と
*** *** ***
結果として、新しい形のシコク、というものは残念ながら、未完成のままだ。
あの小さな本の内容は、書いたという本人から解説されたのだからちゃんと読んだ事になったと思う。
私は、一人イースターに戻りそこで、魔導式の調整を続けているピーター女史を尋ねる事にした。
高い城壁に、ぐるりと囲まれた町だ。式を敷くならあの城壁の上だろうとインティが言っていた通り。真っ白いローブと、ふわふわ舞う綿毛の様な毛を纏う彼女は城壁の上で、手に持つ杖を爪弾きながら風に煽られていた。
流石に一発で調整が利くほど簡単な事を追及はしてないのだ、とのピーター女史の談だ。私がすぐ後ろに来た事にもすぐに気づき、そう言った。
元々多くの死が積もっていたイースターには、死霊となりうる媒体がそもそも多すぎる。その縁をどうにもインティは、やや強引な火で燃やしたが、それでも断ち切れない因果にあの城壁の町は塗れていたのだという。
それがあの、何か嫌な気配だったのかもしれない。
肉体を強引に消し飛ばされ、適当な肉と縁を結べない様に障りのある火で汚染された土地に……目には見えない、感じる事も出来ない『魂』が閉じ込められている。
彼女は、城壁の上でわずかな音を鳴らす弦を爪弾き続ける。
色々説明されたがやっぱり正直良く分かっていない。
彼女の特別な術式とは音に関係するのか……と、聞いてみたが、正しくはないと不機嫌に言われてしまった。
「ヒトの耳が拾えるのが音だ、お前達が知らない波形が世には満ちているのだよ」
勿論私には聞こえないが、どうにも彼女の鳴らすその『波形』とやらが、今もこの地の魂に向けて、呼びかけている。
魂にだけに、肉体になど依らず、経験値として在るだけの『一つ』の存在へ。
強制的に死霊を作り、解体して、世に均す。
何度も調整を重ねながら、いつかこの地に目的の……浄化装置を働かせる為の『調べ』を生み出す事が彼女の望みだ。
「この装置が完成すれば、いずれ庭の王の解体にも一役立つ筈だ」
成る程、そういう都合もあったのか。素直に関心するも、つまりそれはどいう事なのだろうか、ちょっと想像が付かない。
「その音で、王を害する事が出来るんですか」
「その前に、物理的な事はお前達に任る事になると思うがね」
死したものが、二度と起き上がって来ない様に。
消えゆく英知を還す為の旋律が、今日も完成には程遠く微かに響いている。
終
城壁の町、イースターには小鬼達の軍勢に合わせ、ゆっくりと戻って来た。ようやく高い城壁が見えてきて、周囲に散らばる小鬼達の居住区らしいあばら家が周囲に並び始めた頃、ピーター女史がまるで、待ち構えるように道の上に立っていた。
「上出来だ」
これは、褒めてくれた……と思う。相変わらず白い獣鬼である彼女の表情は乏しくて、言葉に感情がある訳でもなく、ただ事務的にそう言われただけの様にも感じてやや不安に感じてしまう事ながら。
しかし、一緒に戻って来たレギオンがあったりめーだろーがとやけに上機嫌に応じている。彼女との付き合いは彼の方が長いのだから、ピーター女史はいつも通りの無表情ながら、ちゃんとこちらを労ってくれたのだろうと思う事にしよう。
思っていたよりも抵抗は少なく、死人も最低限に抑えられたと思う……と報告した所、少しだけ怪訝な顔をされてしまった。
普段無表情だけに、わずかな顔の変化や動作の機微でそういう事が余計に、理解出来てしまうものだ。
「レギオンを向かわせたというのに最低限になってしまったか」
彼女の算段では、もっと死人が出ているはずだったのだろうか。しかし、逃げ口を作るようにレギオンに言っていたのも彼女だ。
その辺りの意図を組み取れず、私は私の正義として最善を尽くしたつもりであったからつい、言葉を返してしまっていた。
「……独立を望んでいたのは町を支配していた層と、実際に町を守る事が出来る力を持った軍部だ。死人を出すならば、そちら側だけで良いはずだ」
「ふむ、つまり思っていたよりも殲滅すべき層は薄かった、そういう事か」
これは、前向きに捉えてくれたのか?
やはり彼女の意図が読めない。
「がっかりだぜぇ、もっとガッツリ殲滅戦だと思ったのに、相当数ジャンの奴が武装解除させて逃がしちゃったんだけどぉ」
「そうか。……計算式に修正が必要だな、理解した」
と、手に持つ書類の束に何かを書きつけながらスタスタと、ピーター女史は歩いて……城壁を潜る狭い門の方へ行ってしまうのだった。
*** *** ***
帰りを共にした小鬼軍達は、とにかく数が多い。その手数で、エヴェスの物資を根こそぎ奪って戻って来た所である。すでに荷下ろしは始まっていて、大きな道は混雑をし始めた。
最悪の場合彼らも戦力として数え、エヴェスを攻めなければならないと女史から聞いていた。しかし、小鬼軍は手数こそ期待できるが正直戦力としてはそれほどでもない。小鬼というのは人間から派生した魔物種なのだが、魔種や混血が多く蔓延るこの世の中で極めて『弱者』の部類である『純人間種』よりも、さらに弱いと評価せざるを得ない種族なのだ。
力も強くないし、背丈も低いし知能も高いわけでもない、魔法が別段得意になるわけでもない。ただ、繁殖力だけは強い。人間も相当だと云われるが、そこだけを強化されたような種族。
この度は人間の、自警団がある程度の村を襲うのではない。国を相手取った戦争も辞さない、国家とならんとするエヴェスの軍隊を相手取るものだ。
そこに向けるべき戦力ではない。
私は、もはや魔王軍に属しているのだから……ここ城壁の町イースターの本来の住民である小鬼達に、無用な被害を出したくなかった。
種族の違いで差別などはしない。自分が属する世界に見合う『正義』の振る舞いをするべきだと知っている。
戦いは手短に、被害は双方、最小限に。それでいて相手の再起は出来ない位徹底的に。
それが出来れば、正しく『上出来』だろうと私は思っていて、その通りの仕事が出来たと思ったのだが……それなのにどうにも何か、この戦の指揮取ったピーター女史にとっては計算違いがあった様に感じる。
なんとなくそれが気に掛かるな……こんなに完璧に仕事をこなしたのに。
彼女も、魔王の庭の一角として、やはり血はより多く流れた方が良い、的な考えを持つのだろうか?
小鬼軍達はエヴェスに残されていた食料、武器、使えそうな物資は根こそぎ奪い、残った建物には火を放って徹底的に燃やした。
そういう段取りになっていると聞いていたから、その行為で逃げだしていく人間の被害が出ない限り、私は何も手を出す事は無かった。私や、レギオンの軍隊が愚かな小鬼達が逃げる人間に暴力を振るわないようにしっかり目を光らせていた都合もあるかもしれない。そう、そういう『力』が働いて居なければ……エヴェスから逃げるに必死な人間たちを小鬼達が面白半分に追いまわす様な事もあったかもしれないのだ。
レギオンとしては、そういう展開の方を期待していた様ではある。
彼の望みは『殺戮』だったはずだが、不思議と……後で不思議ではなくなったが。
とにかく彼の率いるレギオン軍はそうではなく、むしろレギオンの乱暴を抑えるような働きをして……きわめて穏便にエヴェスの解体を進める事が出来たのだった。
*** *** ***
1週間程度を空けただけなのに、なんだかすっかり……この城壁の町は変わってしまった。そんな気がして感じて顔を上げる。
まだ町の入り口で、高い城壁の周りに散らばる居住地域に入った所だ。数多くの戦火に巻き込まれ、何度も壊され、燃えて、わずかに残った梁を再利用した、雨風を防げる程度の煩雑な作りの小屋が立ち並んでいる。
エヴェスに向かう前に感じた生臭さの残滓は殆どない。高い城壁を見上げ、それを潜り抜ける狭いトンネルを小鬼達の群れと一緒に潜る。
変化を理解する。
城壁に囲まれていて、レギオンによる魅了によって『人間』以外には全く被害を出さずに奪還した、イースターの町が綺麗に、焼き払われていたのだった。
残されていたのは一部の頑強な城砦としての建物と、高い城壁のみ。
足元には真っ黒い炭が分厚く降り積もっていて、固い木片も岩も、何もかもを焼き払って粉々にした跡があるだけだった。
「おーおー、随分と綺麗になったじゃねーか」
思わず立ち止まって居たら、レギオンが追いついて来て隣に並ぶ。
「実際、ここに住んでた連中殆ど死んだからな、死体処理に手間取ってただろ」
小鬼達が、同意する様に甲高い声でレギオンに応えている。
「いっそ綺麗に燃やしたかー。って事は、ここも最終的には耕すつもりか?」
「庭を作る、のか」
「いやー、でもビッチが来てたよな。アイツなんか、目を付けてていろいろ掛け合ってたし、メスブタは庭いじりはしねぇだろ?」
そういえば、ピーター女史は魔導師で専門は、なんだったか。
だだっ広い黒い空間に、蜃気楼のように空気が一部歪む景色を見渡してみる。先ほど先にこちらへ向かったと思ったが、ピーター女史のあの白い姿が見当たらない。
私は踵を返し、城壁を登る階段を駆け上がっていた。
この町は焼けたと一目で分かるが、焼け焦げた匂いは無いし、煙がくすぶり残る気配もない。たった一週間で、ここまで景色というものは変わるものだろうか。
何もない、確かに、綺麗にはなった。しかし……何故だろうか、高い城壁が囲う黒い世界が何か、重苦しい感じがする。
「いやーな感じってやっぱりする?」
驚いて思わず剣に手を掛けてしまったが、冷静になって慌てて放し足元を見やる。
「えへ、びっくりした」
「ああ、君は……本当に神出鬼没だな、庭の外にも出るのか」
インティだ、いつの間にか足元の大きな城壁の石の上に腰かけている。
「ここは完全にオウサマの管轄になったからねー。でも、ちょっと微妙な感じかな、庇護はするけど属性は違う、というか」
インティがここに居る理由に、私は即座勘づく事が出来た。
「これは、普通の火で焼かれたものではないな」
「お兄ちゃんくらいだと分かっちゃうよね、そうなんだ。リンガが手に負えない規模だって言うから、じゃあいっそ燃やすかって事になってさ。僕がやったよ」
そう言ってインティは両手を上げて……その中に閃光を放つ様な火柱を立てて見せる。
これは……普通の火では無い気がする。ただ炎の柱を立ち昇らせたにしては熱量が高く、放つ光が眩しい。
「燃やすにはさ、燃やす素となる『燃料』が必要なんだよね。魔法使いでも魔導師でも結局そこんところは変わりなくって、『何』を燃やすかで色々あるんだよ」
インティは魔法使い、意識だけで理論立てる事無く魔法を使うが、珍しく仕組み的な事を私に説明する。
「これ、若干危ない系の火を使ったからお兄ちゃん、ここにはあんまり長居しない方がいいよ」
「それは、どういう……」
「僕あんまりそーいうの詳しくないから」
と、いつも通りはぐらかしてインティは無邪気に笑う。
「とにかく、オウサマの趣味の庭には成り得ないって事だよ」
おおいと呼びかけられて、城壁の下に目を向けた。
レギオンが、自分の部下たちに囲まれる中大げさに腕を振っている
「ジャーン、俺様寝床に帰るけどー」
インティは勿論、もうどこにもいなかった。勿論彼が居た事をレギオンに一々伝える事はしない、どうにも仲が悪い事は既に把握している。
降りる間に先に行ったかと思ったが、レギオン達は私が城壁を降りるまで待っていて、不思議と取り囲んで来た。
「こりゃ本格的にビッチの管轄っぽいじゃん、すげーヤな感じがするぜ。お前もさっさと庭に帰った方が良い」
レギオン軍に囲まれて全く戯けた気配なく言われたのに私は、思わず彼の鉄仮面をまじまじと見つめてしまった。よく見ると彼はこちらを見ずに、焼け焦げた炭の降り積もる町の様子を横目で睨みつけている。
と、こちらが見ているのに気が付いて鉄仮面の中で目が驚きの色を見せた。
「具体的に何って聞かれると困るんだけどよ、こう……なんかやーな感じがするだろ?言い表せない、ザワザワする……」
私はこれに、インティが良くない火で燃やした様だ、とは言わないで軽く同意の頷きを返した。
「お前も感じるか、そっか、アレだっけオタク、タネ駆除とかやってた口だっけか」
そういう経緯はあまり語るつもりはない、そもそもレギオンにどんな事を話してしまったのだったか。祖国はファマメントだとはバレてしまったのだったか。
レギオンの言う種の駆除が、具体的にどういう役であるかを勿論、私は知っている。
しかし、どうにも鎌を掛けられて気もする。誤魔化すつもりで、無言で肩を竦めて見せた。
それは……必然的にオウカの事を思い出させる。
そしてそれは、今でも私の心を少しざわつかせるのだ。
「こんな所を町の中央まで行くのもヤだから、俺は街外れの門を使うぜ」
「使えるでしょうか」
と、レギオン軍のケレスが少し心配そうに言った。門、というのは転位門の事で、この魔法の扉は常時便利に使えるモノではない事は私も理解している。
イースター攻略の為に穿たれていたものが、一週間前にここに来た時イースター中央の城砦の中に移されていた……のだと思っていたから、まだ郊外に門が残されているのかと、正直魔法の所業はさっぱりわからない事なので思わず、救いを求めるように先ほどの城壁の見上げてしまう。
……と、インティが姿を現していて軽く手を振っている。小さく頷いているのを見やり、顔を戻す。
「大丈夫そうだ」
「うん?本当か」
「彼がそっちを使えと言ってる様だ」
インティの事を告げないつもりだったが、私がそんな事を根拠なく言った所で説得力はないだろうなと、城壁の上を指さしたが……もちろん、インティの姿は消えている。
誰も居ない城壁を暫らく睨みつけていたレギオンだったが、無言で手を上げて彼らの軍勢を率い……町の外に出て行った。と、私が黙って突っ立っているのに気が付いて振り返る。
「ジャン、帰るぞー」
確かに、ここに長居は良くないとインティも言っていたが……。私はまだピーター女史に聞き質したい事があるんだが。それを、私の気配から察したようにレギオンは舌打ちしてから喚いた。
「こんな物騒な所にビッチが居るもんかよ、あいつもさっさと巣穴に戻ってるに決まってる。危険察知はビッチウサギの専売特許だろうがよ」
「あと、ジャン様が一緒ではないとインティ様は転位門を開けてくださいませんので」
ケレスの苦笑を受けて、そうなのか?と虚空を見やった所にまたしてもインティが空に浮かんでいる。そして……俗にいう、あかんべぇの仕草をしてするりと青い空の中に姿が掻き消えた。
*** *** ***
果たしてレギオンの言う通り、ピーターはいつの間にやら王の庭にある自分の穴倉に戻っていて、何か道具の調整をしている。
稀に手に持っている、竪琴の様な飾りのついた大きな杖の、調律でもしている風で一弦ずつ爪弾いてはねじを少しずつ巻いて、書類になにやら書き留めるを繰り返している。
「失礼する……お忙しい様だが」
「そうだな、際どい調整をしているから、この作業は止めだ」
彼女は、まるで今私に気が付いたように素早く顔を上げた。ウサギの様な大きな耳、いや、実際兎鬼種だった。彼女の、兎らしい大きな耳が完全にこちらを向いて、小さな吐息と共に言った。
「何を聞きたい」
魔導師というのは……もういい、このくだりは何度目だ?こちらが喋り出す前に意図を察した質問をされるのに、いい加減慣れた方がいいかもしれない。魔導師というものは『こういうもの』なのだ、と。
天空国在中の魔導師の数は少なかった……慣れていないのは間違いない。
「エヴェスの件だ」
「悪くない仕事だったと評価したはずだが」
「私としては、もう少し良い評価を得られるものだと。というよりは、貴方の理想とした終局とはいかなるものであったのか、それを知りたい」
女史は、大きく鼻で息を吐いた。
「すでに終結し、覆る事無い物事について、可能性など聞いてどうなるか」
確かに彼女の言う通りだ。しかし……悪を挫き、正義を成す私がそこに何かを嗅ぎ取ったのだ。という事を、彼女は魔導師らしく察したように小さく頷く。
「ああ、そういう所か……ふむ、しかし君に事を説明するのは実に、時間の無駄だ」
何か、すごく酷い事を言われた気がする。
「詳しく話したところで解説に時間を、無限に割くだけになるだろう。故に極めて簡潔に言わせてもらうが」
そう言いつつピーター女史は日の当たらない所に設置された本棚の方へ歩いて行った。
「私には、一つ理想とする事があってその研究を庭で、許されている」
それは庭の王へ、完全なる滅びを願う研究の一種であると、私は認識していたが確かに、よく考えたら彼女が得意とする分野とはそもそも、何であるのか良く知らないな。
死霊使いである、という事はかろうじて理解している。
しかし正直死霊使いというモノがどういう現象を操っての事なのか良く分かっていないと思う。理解したい事でもないのだが……そうも言ってはいられないのか?
あらゆるものは基本、死を迎える。
死んだ後に、弔う事が不十分であると死を迎えたモノは、自らが消滅しつつある事を理解出来ずに起き上がる。
それが、死霊だ。
全てには……天使教の教義において『魂』があるとされる。この、魂という概念は他の宗教や文化圏だと理解されない事があるが、まぁその話は今あまり、関係は無いのだろうと思い頭から追いやった。
「イースターに、浄化装置を設置する許可を得た。これからそれの調整を行う、ゆえに私は忙しい。その過程、私の研究成果が正しく作用しているかの所謂……実験の為に、エヴェスからも借りようと、そう皮算用をしていたのだ」
エヴェスから、何を借りようと云うのか?
ピーター女史はこれ以上の詳しい話で時間を割きたくない様で、本棚から抜き取った本を私の胸に押し当てながら言った。
「詳しくはこれを読んでからだな。その後もう一度答えよう」
そう来たか……私が、読み書きを苦手とする所を分かっていての提案だな。正直に渋い顔をして本を受け取るのを態度で拒否してみたが……彼女も引く様子が無い。
「これは、何の本でしょうか」
「表題も読めぬか」
「すみません、東国の文字は……ちょっと」
「自力で読めとまでは云わぬ。私は急いでいる。君がこの本の内容を理解する頃には、ある程度仕事は落ち着いているだろうから頼む、出直せ」
なんとも誤魔化されている気がするな、やはりイースターで行われようとしている事で、私に知られてはまずい事でもあるのではないか。
「何か、悪い事が起きているのでは無いと言い切れるのですか」
「何とも言えぬ」
その答えでは納得がいかない。
無いのなら、無いとはっきり言ってくれた方が彼女の場合まだ信じれる。
「なら私は引き下がる訳には行きません」
呆れたような口調になり、彼女は額に手を当てる。
「善悪というものは、観測者の寄る辺で変わるものだ。君の基準を完全に私の方で理解している訳ではないが、……その知る限りで言えば悪い事ではない、はずだ」
なんとも歯切れの悪い言い方をする、ますます怪しく感じ、私は彼女から本は受け取ったものの具体的な話を今ここで、聞かない限りは退かない決意を示す為、勝手に椅子を引っ張り出して来て座り込んだ。
すると、ピーターもまた私を無視し、やっていた作業に戻るべく背を向ける。
そうして暫らく黙って私は、彼女の作業を眺めている事となった。
その間少し、手元にある小さいが分厚い本に視線を落としてみたが……いや、扉を捲るだけで無理と分かる。西方国の一般的な文字も得意ではないし、真政文字は辞書頼み。南国のティルメント文字は発音くらいは多少理解出来るとして、遠東方のカンジだって読めやしないのだ。カンジは私の仮面にも使われているというが、これが文字だと言われても知らなければそうとは分からない。
だというのに、文字を横に筆記する東方のエンシャントタングルなんて無理にも程がある。
と、穴倉の扉をノックする音がして、私はそちらに目を向けたがピーター女史は聞いていない様だ。完全に、調律らしい仕事に付きっ切りで耳が完全にそっちを向いている。
来客の様だがと、声を掛けるのも憚る位には集中しているのを察し、仕方が無く私が席を立つ。
ほぼ地下の様なこの部屋へとつながる扉を開ける為、少し階段を上がり丸い分厚い木の扉を開いた。まだ陽が高いはずだが、差し込むべき光は少なくそれが目の前に立つ人物の影の所為と理解するのに一瞬の間があっただろう。
「お兄ちゃん、困ってそうだね」
と、巨大な影の隙間からインティが顔を出した。私は、咄嗟に手に持つ本を指し示す。
「丁度良い所に来た。この本、何の本だろう。君なら読めるか?」
「私が纏めた本デあるナ」
奇妙な声に、私は導かれるまま顎を上げる。
巨大な影は、巨大な人影が纏う外套だった。
そのはるか上空に、馬の長い首と頭がまさかの二つも付いている。馬の首を二つ支えられる体が、いかに巨漢となるか想像出来るだろうか?
これは魔物だ、馬の頭二つが付いている様な種族など聞いた事がない。それがましてや人の言葉を語っている。よく見ると、この巨漢は見覚えのある模様が刻まれたマントを羽織ってはいないか。
「初めテお目にカカるジャン・ジャスティ殿。エルドロゥ、であル」
*** *** ***
やはり、顔が馬だからなのか少し特徴のある話し方をする人……人ではないな、人ではないのだろうが、魔導師ではあるようだ。
「魔導師というのは、基本人間が魔法を使う為の共同体じゃなかったか」
「世間一般的ニは勿論そうダ。故ニ、逸脱しタ場合は魔導都市よリ追い出されルものデな」
多分、これは笑っている。人間に比べれば、やっぱり馬の頭は大きすぎるのだと思う。その二つの頭が歯をむき出してしきりに頭を上下させている。
「彼女とテ例外でハ無イし、私もコの通り無色ダ」
レッド殿から聞いた話だと、魔導師はマントの色で階級が決まっているものだという。しかし、魔導師の禁忌に触れてしまうと色が剥奪されて、基本的には呪術師への降格処理が行われ、討伐対象になる……とか。
しかし、元々位や、実力が高すぎる魔導師の色を奪って討伐対象にしたところで誰も手を出せないという問題もあり、そういう魔導師が『無色』であるという。
エルドロゥと名乗った、この異形の魔導師がその典型的な例であるらしい。ピーターも無色であるらしいが、彼女の場合はレッド殿が王の庭に連れてきて保護しているに近い扱い、との事。
「つまり、魔導師からすると無色というのは、魔導師の法に反している……」
「しまった!お兄ちゃんに助け船を出したつもりでこれは……」
インティがワザとらしく頭を抱えた隣で、巨漢の異形はまたしても軽快に笑う。
「魔導師デも無いノに、魔導師の法ヲ語ルのかネ」
それもそうだ、私は別に魔導師の事は良く知らない門外漢であるし、魔導師協会からこういう異形の邪術師を見かけたら是非成敗するようにとお願いされている立場でもない。
私は、私にだけ出されていたお茶を一口啜った。
料理長がお茶請けに、状態の悪い小麦粉を処分する為に焼いたというパン菓子を持たせてくれたのでそれも摘まんでいる。
ピーター女史は夢中になって作業をしていてたし、エルドロゥとしても邪魔をするつもりはない、との事で仕方なく、場所は食堂二階のテラスに移動してきていた。
ちなみにそこまで移動する間、主にフリード部隊の庭師達とすれ違ったが、エルドロゥについてはどうやらすでに見知った存在らしい。軽く会釈をして何事も無く通り過ぎて行った。
「この……魔導師も庭の住人なのか?」
「庭の主ト顔見知りデある故、稀ニお邪魔ヲすル事があル程度でアる」
話を聞き進めるに、顔見知りの意味が割ととんでもなくて私は、思わず眉間を抑えてしまった。
この異形、もともとインティの仲間なのだという。つまり、今や伝説となった……魔王八逆星が一座だったというのだ。どうにも魔王の連中は普通の存在ではないのが基本形態なのか、エルドロゥも飲食は出来ないという。説明はされたがよく分からなかったが……要するに、死霊みたいなものだと結ばれてそれで一応納得はする事にした。
死霊の類が飲食をするという話は、天使教をそれなりに信仰していた身としても、聞いた事が無い。
インティも本性は人形であるらしいので食べる事が出来ない。
それでさっきから飲食をしているのは私だけというワケである。
ピーター女史から渡された小さな本は、今エルドロゥの手の中にあった。頭は馬なのに、体は一応、人間のそれだ。しかし体躯に合わせ手も異様なほどに大きい。彼の手の中にあると小さな手帳の様だった。大きな指の先で器用にページを捲り、感慨深く懐かしいと呟く。
「この本ハ私が管理スるシコクの事を記したもノだ」
「シコク?」
「私ハ、シコクの管理人をシていル。シコクにツいては……こノ本を読めバ分かルようニはしてあルはズだが、」
「お兄ちゃんは本読むの苦手なんだよ」
インティの容赦ない暴露に私は身を竦めるよりない、事実である。
「ふム……貴重な本であルぞ、少なクとモ天導館でハ禁書扱いデあっタはズ。こノ世の秘匿さレた摂理ノ一つヲ理解できルようニ作っタ」
そういう事を知り得ているから、魔導師達から色を奪われたのだとは思うのだが……しかし、世の秘匿された摂理、シコクとは何であろう。
これを私に渡したピーター女史の意図する所を考えれば、彼女の研究、ジョウカソウチとやらはそのシコクと関係があるという事だろうか。
「要すルに、ピーターは新シい形のシコクを作ろうトしていルのだ」
「新しい形の……」
言っていた言葉を私は、必死に思い出す。
「ジョウカ、ソウチ、というのは……浄化装置か?」
何を浄化するんだ、エヴェスから、何を借りるつもりでいたか。
「……彼女ノ専攻を彼は知らヌのか?」
「魔導師の難しい事は、お兄ちゃんには分からないんだよ」
まぁ、その通りではあるのだが……。
「私には難しい事だが、理解しない事には善悪の判断が付けられない。人の評価ではダメなんだ、私が考えて私で、判断しなければ。それを難しいからと投げ出すわけにはいかないだろう」
ティーカップを思わず両手で抱え込み、私は自分に言い聞かせるように言っていた。
「私は……人に善悪を委ねて、間違ってしまった事がある」
そうして、この左目に傷を負ったと言っても過言ではないだろう。それで戒めとして残してあるんだ。だから祖国と距離を置いた、祖国が定める正義と、私が行うべき正義は必ずしも一致しないのだと、知ったんだ。
自分で考えなくても良い、求められるままに自分という剣を振るのは確かに楽だ。だが、楽をすると正しい事を見誤るのだと知ってしまった。
「私は、正義を振る者として在りたい」
「……フむ」
「理解したい」
決意を込めて、視線を上げる。
その為なら、人に頭を下げる事だって悪い事ではない。
「……良く分カらんノだガ、いや、……高位殿が言ってイたのはコレかね」
「多分そうだと思うよ」
指こそ差してこなかったが、どうにも雑な扱われ方をしている気がして来た。ましてエルドロゥの顔は異形で、馬の表情を見分けるというのは人間には難しすぎる。
「こンな頭でっカちに、世の摂理ヲ話しテしまっテも良イものかネぇ」
「そこは、理解出来る程度で良いんじゃないかな。お兄ちゃんが納得できる位で良いと思うよ」
「お前ハそレを自分デやるつモりが無クて私を呼ンだか」
「僕じゃぁ力になれないよ、だって僕は魔導師じゃないから理論的な事とかさっぱりだし」
本当だろうか、という疑いの目をエルドロゥがインティに向けて投げかけている……というのは、なんとなく辛うじて分かった。
「まぁ、良イだろウ。要すルに、お前はピーターのコの度の実験トいうモのの『善悪』を図りタい。そうイう事デあろウ」
「悪い事ならば、私が、止めなければならない」
「悪しキ…か。私ニ言わせればシコクの創設は悪い事デはなイと断言でキるのだがナ。ただ、彼女が今回作ろウとして居ルものは私が知るモノとは別の規格とイう事にナろう」
エルドロゥは、小さな本をテーブルの上に置いてからその手を、前で組んでやや前のめりとなり、二つの馬の顔を寄せて来た。
そして、手始めにと一つの問いを投げかけて来たのだった。
「お前ニは、魂といウものガ理解でキるか?」
*** *** ***
かろうじて理解出来た事を私が語るとすれば……シコクというものは、要するに魂の資源再生を行う特殊な場の事であるらしい。
特に言うと死霊化しうる魂の輪廻転生を手助けする『装置』として存在するものなのだという。
私は、最初の問いかけに『分かる』と答えた。
それは、魂の存在を肯定する宗教である天使教の信者だからだ。
死した者に向け、これが死霊となる事を抑えるためにまず肉体から、魂を分離させる。壊れた体との『縁』を切り、その後魂に紐づく他の『縁』も切り離していく。そうして最終的に肉体も、魂もそれぞれがバラバラにされて世界に帰依する。
それが、天使教における葬儀のあり方の基本形式で、死霊化した場合の調伏儀式も大体はこの流れに沿って行われると聞く。
とはいえ、国の宗教であるから属しているだけで私は死霊調伏など出来るわけではないし、死霊と実際戦う部隊でもない。死霊というものは物理的な解決が向かないのだ、という事を把握しているという程度だ。
次に聞かれた事は、魂が見えるか、という事だった。
これには当然と『見えない』と答えている。
魂は、目には見えない。死霊調伏に特化した神官であっても、死霊というものの存在を把握するためには仮の肉体を与える必要がある。
というよりは、死霊というのは魂だけで成り立つものでは無く、魂が、死んだ肉体や動くはずの無い別の何かに宿る事で起きる現象の事だという理解をしていた。
魂だけでは、たとえ死霊であってもこの世界に干渉出来ない。
世界に触れるには、かならず肉を伴う。
だとすれば、肉体から正しく切り離された魂とは、どうやって世界に均されるのか。
……天使教は神を語らない宗教だ。西教の様に、唯一信じるべき神という存在が無い。それに見合うものとして『世界』を語る。
世界に帰依する、私は容易くそう表現をしてしまうのは、天使教の教義に慣れきってしまっているからだし、その教義が何か間違って居るとは思っていないからだ。
それとも何か違うとでも言いたいのか?
宗教観は、国によって違う事は理解しているつもりだが、思っていたより自分は、信じる教義に偏ったものの考えをしていたのだろうかと、やや身構えてしまう。
しかし……そう、魂は見えぬ。魂とは、言うなれば経験値なのだと、エルドロゥは言った。
テーブルに置いた本を再び手に取り、このように何か物理的形を得なければ見える事は無い、魂とはそれを持つ者の『英知』の事だと結んだ。
英知は、死によって失われるもので……肉体が腐って朽ちて行くように、死によって失われていく形の無い存在なのだとエルドロゥは語る。
その例えは、私にもなんとか理解が出来る気がする。
それが世の絶対の摂理であると言われればどうなのだろうかと首をかしげたくなるが、確かに経験値……人が得た知識や知恵は、その人の死によって失われてしまうものだ。
書物などの様な形を与えて残さなければ……消えてしまうモノのという例えは極めて道理の様に思える。
しかし魂というのには一種の『質』があり、この如何によっては更なる浄化が必要となる事を、基本的に多くの者は知らないのだという。
南の国の果てに、負に振り切れた『魂』を留め置く国があるのだという。
それが、シコク。
シコクに集まる魂とは、世に均されずに次の肉体を得うる『重きもの』で、こういう魂を鎮める為に機能する特殊な場であるのだそうだ。
そんな事を言われても、実際この目で見た訳ではないから私は即座に信じる気には成らなかった。実際に自分の目で見なければ納得しないというのなら、私が管理するシコクを見に来るが良いとエルドロゥが言い出したのでとりあえず、今はそれが在る前提で話を聞く事になった。
まぁ、見えない『魂』がどうやって『世界に帰依』するのか、というのは宗教的には綺麗に完結している様に見えて、実際問題どうなのかという事を問われると魂は、見えないだけに……何が正解なのかさっぱりわからない事だけは理解出来る。
シコクとは、世界の理としては見えない『魂』の調和を司っている重要な装置の事なのだ、とエルドロゥは言う。
魂とは『一つ』なのだと云う。
この世界では、一つだけでは成り立たない様になっていて最低限『二つ』が必要なのだそうだ。
しかし『二つ』では不安定で、基本的に多くのモノは『三つ』で成り立っているという話については……何かで聞いた事があるような、と思う程度だろうか。
*** *** ***
「とこロがピーターはコの『一つ』ヲ見る事ガ出来ル、ト言ったらどウ思うかネ」
「……魂が、見える?」
「実際『見えて』いルかとイう問題には、チと難しイ説明をせネばなラぬのでナ。お前ハあまリその事ヲ考えない方が良イ。一番正しい言イ方をスるならバ、ピーターは魂ノ知覚が出来ルのだ」
見えないものが、見える。
とはいえ、私の脳裏に浮かんだ事は墓地で見たと騒がれたりする『人魂』であったりする。あれは魂が飛んでいるのだと云われるが、ようするに発光するなんらかの『物体』に依存してはじめて『目』に『見える』様になった、死霊の一種ではないだろうか。
こんな理屈っぽい考え方をしたのは多分、初めてだな。
つまり……ピーター女史は、そういう一切の受肉をしていない魂そのものを『観る』事が出来る?
「ピーターの死霊召喚術はねぇ、すごいんだよ。死霊化出来る魂と、それに与える肉体との結合が手に取る様に理解出来るんだもんそりゃぁ当然だよね。僕が死霊召喚したら、近場に居る起き上がれる肉体を持った魂を強引に呼び出すだけだもんなぁ」
「……?」
「死霊召喚とイうのは魔導式においテも色々手続きガ面倒なモの。彼女ほド手短に行エる者なド世におラんだロう位にハ卓越しタ存在であロうな。高位殿もソこハ得意であったかラ現在はアの姿ダが」
高位殿、というのはレッド殿の事だったな。
「あ、知らないって顔だね。レッドも今は大体僕らと同じようなモンだから飲食できないんだよ。僕は人形、エルは旧規格の魔王、レッドは死霊だから」
レッド殿が、死霊?
呆けているだろう、私に向けてやはり魔法使い系は心を読むのだろう。
「そーだよ、でなきゃあんな自由に空間転位ほいほい出来る訳無いでしょ。あれ、肉体が殆ど無いからだよ」
そんな事云われても、こちらは魔法とか魔導式などほどんど知らない門外漢だぞ。不貞腐れてしまった私に向けて、インティは反省したように大きなため息を漏らす。
「ダメだ、この話はちょっと難しかった。……ほらね、やっぱり僕じゃ説明無理だよ」
「ふむ。インティの話ハ一時忘れヨ。とにカくピーターは、自然と重キ魂を集めル場とシてのシコクではナく、半バ強制的に『魂』ヲ『世に均す』装置を作ろうロしていル訳だ」
浄化装置。魂の、浄化装置か。
それが彼女の一つの理想。目指していた到着点。
「ようするに、巨大な強制調伏装置って事?」
インティの言葉に、エルドロゥが呆れた声色で答えた。
「重キ魂はそうそウと世ニ迷い出ルものでハなイ。端的ニ言えバ、彼女が作ろうトしてイるのハ強制死霊発生調伏装置だ」
「強制死霊、発生、調伏、装置?」
一つずつ単語を区切って考えるとすれば。死霊をあえて作って、解体する?
「……それがどうして浄化装置になりうるんだ?」
「経験値を与り多く均しテ世に還スからなノだが、……ソこは端折っタ所でなぁ、そうすル事が『善い』のだトお前ハ理解出来まイ」
いや、笑ってごまかそうとしないでくれ。元魔王八逆星とかいう、謎の存在が二人笑うのに私は流される訳にはいかない。
「理解した、エヴェスから借りたいと言っていたのはそこで亡くなった人の魂という事か。それを……死霊化させる?強制的に?」
それは、余りにも冒涜的な事ではないのか。
「でもお兄ちゃんの事だから、ちゃんとお弔いして来た訳でしょ?」
ああ、レギオン軍にも手伝ってもらって一応の祈りは済ませてから死体の処理をした。半分くらいは私が手を下した者達なのだから、当然の所作であろうと思う……が、こういう所に私のなじみ過ぎた宗教観が出るな。
「なら、肉体と魂の縁は切れてる訳で、死霊化はちゃんと防がれてるよ」
「じゃぁどうやって彼女は強制的に死霊を作るというんだ」
「だから、元来の縁は切れてるんだからこの場合の魂は、ようするにただの経験値、ピーターが作る死霊の原材料になっているだけじゃん」
どこの小麦が混じっているともわからない、パンを焼くみたいなもんだよ……と、云われて私の思考が停止する。
今まさに、パン菓子を口に入れようかと思った所だったのもある。
祈られて、縁が切れて……肉体から解き放たれ、『魂』が……消えていく。
それは、物質である肉から切り離されたからこそ、もう二度と目には見えないからこそ消え失せて行く。
「死霊トいうモノのは基本、縁にヨって起キ上がル。縁ガ切れレば起き上がりハ無いガ、切ル縁がなイ場合強引に縁ヲ結んで切ルのが調伏。死霊召喚は途切レた縁ヲ再び強引に繋ぐもノ。勿論、彼女の手ニ掛かれバ元の縁を結ぶ事モ出来よウが、肉体と離さレすぎレばそうもイかぬだロう。とすレば、どうすルか」
魂は、経験値だというエルドロゥの話を受け入れるならば。
「調伏の儀式と同じく、適当な肉体を用意して強引に、縁を結ぶ?」
「そレが出来る死霊術師はそウそう居ナい。そんナ事が出来るトいうナら、参界接合などという中途な技術が禁忌として徹底排除されてはおるまいよ。ピーターの魔導は……使イ方を選べバ人をモ還すゾ」
死者を、生き返らせる?
死者蘇生……もちろん、ありえない事だというのは分かっている。それはいくら魔法という万能の力があっても、叶わない事だからこそ、現実的に死者蘇生を罰する法が存在しないんだ。
「……魔導都市では死者蘇生技術は法に触れるのか?」
エルドロゥはまたしても盛大に馬の顔二つで嗤った。
「数十世紀の前よリ求め続けル愚かな技法よ。故に、そレに手を伸ばそうトすればアる程度法ニは触れル様にナっておルかな」
「では、彼女が行おうとしている新しいシコク、魂の浄化装置としての……ええと、強制死者蘇生……じゃないな」
私は口に出す事で間違いに気が付き、再び頭を悩ます事になる。
「強制の死霊発生、調伏装置?」
インティの例えを思い出している。
材料から適切に作られたパンの様に、もはや縁は無く『経験値』として利用され、捏ねられ作られた死霊とは、何だ?
そこだ、そこを笑ってごまかされたのだと思い出す。
「なんでピーターはそんなものを作るのだ?」
「だかラ、端折った事ナがら。ソうやって世ニ均す魂は、世界にとっテは滋養の高イものデあるかラだ。シコクではいカんせんコれに時間が掛かリすぎルものでナ、とハいえ我々の様な存在にハ時間の経過なドもはヤどうでモ良い事でハあるのだガね。手っ取り早い方法をト、考エ出さレたのがピーターの術式とイう事だ。もちロん、ピーターはコの術式ガ死を覆す事を理解シている、一般化すレば危うイ事は十二分に、な」
「だからだよ、お兄ちゃん」
インティが何を言いたいのか、私は……少し考えて理解が及んだ。
だからピーターは私に、歯切れの悪い返事をしたのか。
悪い事が起きうる、その可能性はある。そういう技術を試そうとしている。それを十二分に理解していて、嘘を吐かずに、彼女は私に答えたというわけか。
何とも言えない事だ、と
*** *** ***
結果として、新しい形のシコク、というものは残念ながら、未完成のままだ。
あの小さな本の内容は、書いたという本人から解説されたのだからちゃんと読んだ事になったと思う。
私は、一人イースターに戻りそこで、魔導式の調整を続けているピーター女史を尋ねる事にした。
高い城壁に、ぐるりと囲まれた町だ。式を敷くならあの城壁の上だろうとインティが言っていた通り。真っ白いローブと、ふわふわ舞う綿毛の様な毛を纏う彼女は城壁の上で、手に持つ杖を爪弾きながら風に煽られていた。
流石に一発で調整が利くほど簡単な事を追及はしてないのだ、とのピーター女史の談だ。私がすぐ後ろに来た事にもすぐに気づき、そう言った。
元々多くの死が積もっていたイースターには、死霊となりうる媒体がそもそも多すぎる。その縁をどうにもインティは、やや強引な火で燃やしたが、それでも断ち切れない因果にあの城壁の町は塗れていたのだという。
それがあの、何か嫌な気配だったのかもしれない。
肉体を強引に消し飛ばされ、適当な肉と縁を結べない様に障りのある火で汚染された土地に……目には見えない、感じる事も出来ない『魂』が閉じ込められている。
彼女は、城壁の上でわずかな音を鳴らす弦を爪弾き続ける。
色々説明されたがやっぱり正直良く分かっていない。
彼女の特別な術式とは音に関係するのか……と、聞いてみたが、正しくはないと不機嫌に言われてしまった。
「ヒトの耳が拾えるのが音だ、お前達が知らない波形が世には満ちているのだよ」
勿論私には聞こえないが、どうにも彼女の鳴らすその『波形』とやらが、今もこの地の魂に向けて、呼びかけている。
魂にだけに、肉体になど依らず、経験値として在るだけの『一つ』の存在へ。
強制的に死霊を作り、解体して、世に均す。
何度も調整を重ねながら、いつかこの地に目的の……浄化装置を働かせる為の『調べ』を生み出す事が彼女の望みだ。
「この装置が完成すれば、いずれ庭の王の解体にも一役立つ筈だ」
成る程、そういう都合もあったのか。素直に関心するも、つまりそれはどいう事なのだろうか、ちょっと想像が付かない。
「その音で、王を害する事が出来るんですか」
「その前に、物理的な事はお前達に任る事になると思うがね」
死したものが、二度と起き上がって来ない様に。
消えゆく英知を還す為の旋律が、今日も完成には程遠く微かに響いている。
終
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