1 / 30
第1章「静かな違和感」(1)
しおりを挟む
「シン、早くしないと門が閉まる!」
「わかってるけど……定期入れが、どこにも……」
「お前、ほんと何回目だよ。新学期くらいシャキッとしろっての!」
朝の春風が柔らかく吹き抜ける校門前。
濃い茶髪の御影コウタは、制服のネクタイを緩めたまま、白山シンの背を押して駆け込んでいた。
コウタはスポーツ万能そうな体格と、いつもにぎやかな笑みを浮かべる“お調子者”キャラとして周囲を盛り上げる存在だ。
一方、シンは黒髪短めのやや細身で、きちんと制服を着こなしているが、今朝は「定期入れが見つからない」「教科書どこやったっけ」と頭を抱えっぱなしだ。
前髪が少し長めで表情に柔らかさはあるが、その落ち着きのなさが“天然キャラ”の印象を強めている。
「あ、そうだ、教科書も……やばい、カバンに入れたはずなのに……」
「はあ!? 教科書まで忘れたのかよ。もう知らんっ! ほら、さっさと昇降口へ行くぞ!」
校舎脇には満開の桜並木が続き、朝日を浴びた花びらが舞っている。
通りを行き交う生徒たちは新学期の期待に胸を膨らませ、誰もがにぎやかに笑っている。
そんな中で、シンだけが軽い頭痛を覚えるほど焦っていた。
石段を駆け上がり、昇降口の掲示板に貼られた二年生のクラス分け表を見ると、そこには「白山シン」「御影コウタ」「風間ナツミ」の名前が二年B組に並んでいた。
「おっ、ナツミも一緒じゃんか。これで俺ら三人、揃ったな」
「よかった、見知った顔がいるだけで安心するよ……あれ、ここに“黒江ユキ”って見慣れない名前があるんだけど……」
「黒江……ユキ? 別のクラスにいたか、俺は知らねえな」
二人は納得のいかないまま小走りで教室を目指し、階段を二段飛びで駆け上がる。
シンの頭には「定期はどこへ消えた?」という疑問がへばりつき、遅刻の可能性に焦りながらも、脳裏に“黒江ユキ”という名前が微かにひっかかっていた。
「ここ二年B組……って、あ、ナツミがいたぞ、手振ってる」
「急げ急げ!」
バタバタと教室に入ると、風間ナツミが笑顔で待っていた。
ナツミはショートヘアで、明るいヘアピンをいくつかつけており、アクセサリー好きがうかがえる。
小柄な体格ながら元気いっぱいで、世話焼きキャラとして男女問わず人脈が広い。
彼女はシンとコウタに向かって大きく手を振る。
「やっぱり二人とも同じクラス! 良かったね、シン。何とか間に合ったみたいじゃん!」
「う、うん……ギリギリだけど。ナツミ、また面倒かけるかも……」
「いいのいいの、いつも通りね。はいはい、そろそろ先生が来るから座りなさいな」
「お前、母ちゃんかよ」とコウタが突っ込むと、ナツミはにやりと笑う。
「中学からの腐れ縁でしょうが。ていうかシン、何か他にも忘れてない? 教科書とか……」
「あ、それも……カバンに入れた記憶はあるんだけど、見当たらなくて……」
「またか。さすがにやばいって、それ本気で治そうよ?」
「そうしたい……ホントにそうしたいよ……」
ひそひそと話しているところへ、担任教師が入ってきた。
男性で背が高く、爽やかな笑みを浮かべるその姿に生徒たちは自然と注目する。
名前は青山。色合いを抑えたスーツに腕まくりしたワイシャツというラフなスタイルだ。
軽い自己紹介を済ませると、彼はにこやかに黒板を叩いた。
「二年B組のみんな、はじめまして。担任の青山だ。まずは軽く自己紹介タイムといこうか」
教室がざわめき始め、男子が何人か手を挙げる。
最初に名乗りを上げたのはコウタだった。
「御影コウタっす! 中学からの付き合いで、シンとナツミとはバカ騒ぎ仲間です。運動はわりと何でも好きで、あとはボケ担当なんでツッコミよろしく!」
「コウタがボケ? あたしとシンが振り回されてるだけでしょ!」とナツミがすかさず声をかけ、クラスが笑いに包まれる。
青山も笑顔を見せた。
続いてナツミが肩をすくめながら立ち上がる。
「風間ナツミです。料理とかお菓子作りが好きで、よく友達にあげたりします。クラス行事も大好きなんで、皆で楽しく盛り上げましょー! 困ったら声かけてね、世話焼くのは得意だから!」
「おー、頼もしいな」と誰かが拍手し、ナツミは得意げに笑う。
次にシンの番がきた。
少し緊張しながら机を離れ、前に向き直る。
「白山シンって言います。あ……なんか物忘れがひどくて今朝も定期を……ま、とにかく皆と仲良く頑張りたいです……よろしくお願いします……」
「シンくん、名前だけは忘れないでね!」
笑いが起こるなか、シンは頭をかきつつ席に戻る。
そうやって男子女子が順番に名乗っていくうち、シンは“黒江ユキ”という名前を耳に待ち構えていた。
ようやく教師が名簿を見て「じゃあ黒江ユキさん?」と呼ぶと、教室の後ろからすっと立ち上がる姿が見える。
そこにいたのは黒いセミロングの髪をストレートに伸ばし、前髪を小さく流した美少女。
体格は細身で白い肌がひときわ目立ち、制服の着こなしは至って真面目。
なにより、その瞳には生気が感じられないほどの静けさが宿っている。
「黒江ユキ……です。よろしく……」
それだけを呟くと、ユキは再び椅子に座る。
周囲からは「なんか近寄りがたい……」などの声が小さくささやかれるが、ユキ本人は表情を変えることなく席に座る。
シンは彼女の無表情さを見て、なぜか胸が痛んだ。
心臓がドキッと跳ねるような感覚ではなく、むしろ“何かを失っている”ような孤独を感じ取ってしまうのだ。
全員の自己紹介が終わるころ、担任はさらりとホームルームをまとめた。
「みんな、これからよろしく! クラス行事とか、いろいろあるだろうけど仲良くな。じゃあ時間もあれなんで、一旦休み時間にしよう!」
チャイムが鳴り、教室が一気に賑わう。
ナツミがすぐに「コウタ、シン、行くよ!」と声をかけ、三人で荷物をまとめようとするが、シンはまたカバンの中を探して「えっと、教科書がやっぱりなくて……」と困惑顔になる。
コウタがあきれ顔で肩をすくめる。
「お前、ほんと一日一回はこういうのあるな。何でそんなに忘れんだ?」
「自分でもわからないんだよ……。最近、特にひどい。ちょっとヤバいなって……」
「大丈夫? 何か悩みとかあるなら言いなよ?」とナツミが優しく尋ねると、シンは苦笑しながらも曖昧に笑う。
「いや、そんな大したこと……ないと思う。あはは……でも後で一緒に職員室行っていい?」
「いいわよ。どうせ購買行きたいし」
そんな三人のやり取りが続く一方、シンの視線はどうしても教室の隅に向かう。
そこにはユキが机で教科書を開き、ぼんやりとページをめくる姿があった。
女子数人が遠巻きに「あの子、めっちゃクールそう」「声かけたけど笑わないし……」とひそひそ話をしている。
コウタが小声で言った。
「なあ、あの黒江ユキって子……すごく無表情だな。お前、気になるの?」
「少しだけ。ほら、なんか……孤立してない?」
「確かに話しかけづらいよな。ナツミもさっき挨拶してみたんだろ?」
「うん、したけど『よろしく』で会話終了。言葉が続かなくて、ちょっと怖かった」
ナツミが微妙な顔をしつつも、「でも無理強いはよくないしね」と呟く。
シンはちらりとユキを見ながら胸のざわつきを抑えられない。
自分も“物忘れ”という問題を抱えており、どこか周囲とズレているという不安がある。
それゆえか、ユキの寂しそうな雰囲気を他人事と思えないのだ。
「ちょっとだけ……話しかけてみようかな」
「え、大丈夫か?」とコウタが驚きの目を向ける。
「わかんないけど、何もしないままってのも落ち着かなくてさ」
シンはスッと立ち上がり、意を決してユキの席へ向かう。
ユキは伏せたまぶたをほんの少しだけ動かして、シンの存在に気づいた素振りを見せる。
シンはドキドキしながら声をかけた。
「あの……黒江ユキ、さんだよね。俺は白山シンっていいます」
「白山……シン……?」
ユキは彼の名前を繰り返し、細いまつげを一度だけ瞬かせた。
口元に笑みらしきものは浮かばないが、どこか探るような視線を送ってくる。
シンはその眼差しに息が詰まりそうになりながらも、なんとか言葉をつないだ。
「うん、みんなからは“シン”って呼ばれてて……まあ、あの、ほんとに……何かあれば……」
「別に……何も……」
わずかな沈黙。
ユキは小さく息を吐き、目を伏せる。
その横顔はとても綺麗で、肌の白さが際立っているが、まるで感情の起伏がない。
シンは気まずい空気を感じつつも、どうにか踏み込もうとした。
「あ、そっか……ごめん、急に変なこと言って……。あ、でも、これから同じクラスだし、もし何か……いや、無理やりじゃないから、嫌なら全然……」
「そう……わかった……」
それだけ答えると、ユキはまた教科書へ視線を落とし、会話が完全に閉じられた。
シンは胸にチクリと刺さる痛みを抱えながら席に戻っていく。
コウタとナツミが苦笑混じりに迎えた。
「どう? 打ち解けられた?」
「全然。やっぱりどうにもならないっぽい……」
「ま、焦ってもしょうがないわよね。彼女だって気分があるだろうし」
教室に漂う明るい笑い声と、ユキが纏う静寂。
そのコントラストがあまりにも鮮明で、シンは戸惑いを禁じ得ない。
自分も物忘れという問題があり、そのせいで日々焦燥感を抱いている。
周りは笑ってフォローしてくれるが、いつか本当に大切なことを全部忘れてしまうのではないか――。
そんな不安が消えないのと同じように、ユキにも人に言えない悩みがあるのではないかと思えてならなかった。
「シン、あんたも大変なんだから無理しないでよ?」
「うん……でも、やっぱりあの子が気になって……なんていうか、放っておけない気がする」
その言葉にナツミは少しだけほほ笑んで、ポンとシンの肩を叩く。
コウタは「気をつけろよ、下手したら余計なお世話になるからさ」と苦言を呈するが、シンは短くうなずくに留まった。
桜の花びらが窓の外を舞い、にぎやかな春の新クラスとは対照的に、黒江ユキは硬い表情のまま教科書をめくっている。
シンの不安は相変わらず大きく、彼女に何を言えばいいのか見当がつかない。
けれど、このままでは気持ちがおさまらない――。
シンは、そう確信めいた思いが芽生えていたのだった。
「わかってるけど……定期入れが、どこにも……」
「お前、ほんと何回目だよ。新学期くらいシャキッとしろっての!」
朝の春風が柔らかく吹き抜ける校門前。
濃い茶髪の御影コウタは、制服のネクタイを緩めたまま、白山シンの背を押して駆け込んでいた。
コウタはスポーツ万能そうな体格と、いつもにぎやかな笑みを浮かべる“お調子者”キャラとして周囲を盛り上げる存在だ。
一方、シンは黒髪短めのやや細身で、きちんと制服を着こなしているが、今朝は「定期入れが見つからない」「教科書どこやったっけ」と頭を抱えっぱなしだ。
前髪が少し長めで表情に柔らかさはあるが、その落ち着きのなさが“天然キャラ”の印象を強めている。
「あ、そうだ、教科書も……やばい、カバンに入れたはずなのに……」
「はあ!? 教科書まで忘れたのかよ。もう知らんっ! ほら、さっさと昇降口へ行くぞ!」
校舎脇には満開の桜並木が続き、朝日を浴びた花びらが舞っている。
通りを行き交う生徒たちは新学期の期待に胸を膨らませ、誰もがにぎやかに笑っている。
そんな中で、シンだけが軽い頭痛を覚えるほど焦っていた。
石段を駆け上がり、昇降口の掲示板に貼られた二年生のクラス分け表を見ると、そこには「白山シン」「御影コウタ」「風間ナツミ」の名前が二年B組に並んでいた。
「おっ、ナツミも一緒じゃんか。これで俺ら三人、揃ったな」
「よかった、見知った顔がいるだけで安心するよ……あれ、ここに“黒江ユキ”って見慣れない名前があるんだけど……」
「黒江……ユキ? 別のクラスにいたか、俺は知らねえな」
二人は納得のいかないまま小走りで教室を目指し、階段を二段飛びで駆け上がる。
シンの頭には「定期はどこへ消えた?」という疑問がへばりつき、遅刻の可能性に焦りながらも、脳裏に“黒江ユキ”という名前が微かにひっかかっていた。
「ここ二年B組……って、あ、ナツミがいたぞ、手振ってる」
「急げ急げ!」
バタバタと教室に入ると、風間ナツミが笑顔で待っていた。
ナツミはショートヘアで、明るいヘアピンをいくつかつけており、アクセサリー好きがうかがえる。
小柄な体格ながら元気いっぱいで、世話焼きキャラとして男女問わず人脈が広い。
彼女はシンとコウタに向かって大きく手を振る。
「やっぱり二人とも同じクラス! 良かったね、シン。何とか間に合ったみたいじゃん!」
「う、うん……ギリギリだけど。ナツミ、また面倒かけるかも……」
「いいのいいの、いつも通りね。はいはい、そろそろ先生が来るから座りなさいな」
「お前、母ちゃんかよ」とコウタが突っ込むと、ナツミはにやりと笑う。
「中学からの腐れ縁でしょうが。ていうかシン、何か他にも忘れてない? 教科書とか……」
「あ、それも……カバンに入れた記憶はあるんだけど、見当たらなくて……」
「またか。さすがにやばいって、それ本気で治そうよ?」
「そうしたい……ホントにそうしたいよ……」
ひそひそと話しているところへ、担任教師が入ってきた。
男性で背が高く、爽やかな笑みを浮かべるその姿に生徒たちは自然と注目する。
名前は青山。色合いを抑えたスーツに腕まくりしたワイシャツというラフなスタイルだ。
軽い自己紹介を済ませると、彼はにこやかに黒板を叩いた。
「二年B組のみんな、はじめまして。担任の青山だ。まずは軽く自己紹介タイムといこうか」
教室がざわめき始め、男子が何人か手を挙げる。
最初に名乗りを上げたのはコウタだった。
「御影コウタっす! 中学からの付き合いで、シンとナツミとはバカ騒ぎ仲間です。運動はわりと何でも好きで、あとはボケ担当なんでツッコミよろしく!」
「コウタがボケ? あたしとシンが振り回されてるだけでしょ!」とナツミがすかさず声をかけ、クラスが笑いに包まれる。
青山も笑顔を見せた。
続いてナツミが肩をすくめながら立ち上がる。
「風間ナツミです。料理とかお菓子作りが好きで、よく友達にあげたりします。クラス行事も大好きなんで、皆で楽しく盛り上げましょー! 困ったら声かけてね、世話焼くのは得意だから!」
「おー、頼もしいな」と誰かが拍手し、ナツミは得意げに笑う。
次にシンの番がきた。
少し緊張しながら机を離れ、前に向き直る。
「白山シンって言います。あ……なんか物忘れがひどくて今朝も定期を……ま、とにかく皆と仲良く頑張りたいです……よろしくお願いします……」
「シンくん、名前だけは忘れないでね!」
笑いが起こるなか、シンは頭をかきつつ席に戻る。
そうやって男子女子が順番に名乗っていくうち、シンは“黒江ユキ”という名前を耳に待ち構えていた。
ようやく教師が名簿を見て「じゃあ黒江ユキさん?」と呼ぶと、教室の後ろからすっと立ち上がる姿が見える。
そこにいたのは黒いセミロングの髪をストレートに伸ばし、前髪を小さく流した美少女。
体格は細身で白い肌がひときわ目立ち、制服の着こなしは至って真面目。
なにより、その瞳には生気が感じられないほどの静けさが宿っている。
「黒江ユキ……です。よろしく……」
それだけを呟くと、ユキは再び椅子に座る。
周囲からは「なんか近寄りがたい……」などの声が小さくささやかれるが、ユキ本人は表情を変えることなく席に座る。
シンは彼女の無表情さを見て、なぜか胸が痛んだ。
心臓がドキッと跳ねるような感覚ではなく、むしろ“何かを失っている”ような孤独を感じ取ってしまうのだ。
全員の自己紹介が終わるころ、担任はさらりとホームルームをまとめた。
「みんな、これからよろしく! クラス行事とか、いろいろあるだろうけど仲良くな。じゃあ時間もあれなんで、一旦休み時間にしよう!」
チャイムが鳴り、教室が一気に賑わう。
ナツミがすぐに「コウタ、シン、行くよ!」と声をかけ、三人で荷物をまとめようとするが、シンはまたカバンの中を探して「えっと、教科書がやっぱりなくて……」と困惑顔になる。
コウタがあきれ顔で肩をすくめる。
「お前、ほんと一日一回はこういうのあるな。何でそんなに忘れんだ?」
「自分でもわからないんだよ……。最近、特にひどい。ちょっとヤバいなって……」
「大丈夫? 何か悩みとかあるなら言いなよ?」とナツミが優しく尋ねると、シンは苦笑しながらも曖昧に笑う。
「いや、そんな大したこと……ないと思う。あはは……でも後で一緒に職員室行っていい?」
「いいわよ。どうせ購買行きたいし」
そんな三人のやり取りが続く一方、シンの視線はどうしても教室の隅に向かう。
そこにはユキが机で教科書を開き、ぼんやりとページをめくる姿があった。
女子数人が遠巻きに「あの子、めっちゃクールそう」「声かけたけど笑わないし……」とひそひそ話をしている。
コウタが小声で言った。
「なあ、あの黒江ユキって子……すごく無表情だな。お前、気になるの?」
「少しだけ。ほら、なんか……孤立してない?」
「確かに話しかけづらいよな。ナツミもさっき挨拶してみたんだろ?」
「うん、したけど『よろしく』で会話終了。言葉が続かなくて、ちょっと怖かった」
ナツミが微妙な顔をしつつも、「でも無理強いはよくないしね」と呟く。
シンはちらりとユキを見ながら胸のざわつきを抑えられない。
自分も“物忘れ”という問題を抱えており、どこか周囲とズレているという不安がある。
それゆえか、ユキの寂しそうな雰囲気を他人事と思えないのだ。
「ちょっとだけ……話しかけてみようかな」
「え、大丈夫か?」とコウタが驚きの目を向ける。
「わかんないけど、何もしないままってのも落ち着かなくてさ」
シンはスッと立ち上がり、意を決してユキの席へ向かう。
ユキは伏せたまぶたをほんの少しだけ動かして、シンの存在に気づいた素振りを見せる。
シンはドキドキしながら声をかけた。
「あの……黒江ユキ、さんだよね。俺は白山シンっていいます」
「白山……シン……?」
ユキは彼の名前を繰り返し、細いまつげを一度だけ瞬かせた。
口元に笑みらしきものは浮かばないが、どこか探るような視線を送ってくる。
シンはその眼差しに息が詰まりそうになりながらも、なんとか言葉をつないだ。
「うん、みんなからは“シン”って呼ばれてて……まあ、あの、ほんとに……何かあれば……」
「別に……何も……」
わずかな沈黙。
ユキは小さく息を吐き、目を伏せる。
その横顔はとても綺麗で、肌の白さが際立っているが、まるで感情の起伏がない。
シンは気まずい空気を感じつつも、どうにか踏み込もうとした。
「あ、そっか……ごめん、急に変なこと言って……。あ、でも、これから同じクラスだし、もし何か……いや、無理やりじゃないから、嫌なら全然……」
「そう……わかった……」
それだけ答えると、ユキはまた教科書へ視線を落とし、会話が完全に閉じられた。
シンは胸にチクリと刺さる痛みを抱えながら席に戻っていく。
コウタとナツミが苦笑混じりに迎えた。
「どう? 打ち解けられた?」
「全然。やっぱりどうにもならないっぽい……」
「ま、焦ってもしょうがないわよね。彼女だって気分があるだろうし」
教室に漂う明るい笑い声と、ユキが纏う静寂。
そのコントラストがあまりにも鮮明で、シンは戸惑いを禁じ得ない。
自分も物忘れという問題があり、そのせいで日々焦燥感を抱いている。
周りは笑ってフォローしてくれるが、いつか本当に大切なことを全部忘れてしまうのではないか――。
そんな不安が消えないのと同じように、ユキにも人に言えない悩みがあるのではないかと思えてならなかった。
「シン、あんたも大変なんだから無理しないでよ?」
「うん……でも、やっぱりあの子が気になって……なんていうか、放っておけない気がする」
その言葉にナツミは少しだけほほ笑んで、ポンとシンの肩を叩く。
コウタは「気をつけろよ、下手したら余計なお世話になるからさ」と苦言を呈するが、シンは短くうなずくに留まった。
桜の花びらが窓の外を舞い、にぎやかな春の新クラスとは対照的に、黒江ユキは硬い表情のまま教科書をめくっている。
シンの不安は相変わらず大きく、彼女に何を言えばいいのか見当がつかない。
けれど、このままでは気持ちがおさまらない――。
シンは、そう確信めいた思いが芽生えていたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜
遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった!
木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。
「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」
そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。
女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語
kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。
率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。
一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。
己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。
が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。
志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。
遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。
その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。
しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
【完結】好きって言ってないのに、なぜか学園中にバレてる件。
東野あさひ
恋愛
「好きって言ってないのに、なんでバレてるんだよ!?」
──平凡な男子高校生・真嶋蒼汰の一言から、すべての誤解が始まった。
購買で「好きなパンは?」と聞かれ、「好きです!」と答えただけ。
それなのにStarChat(学園SNS)では“告白事件”として炎上、
いつの間にか“七瀬ひよりと両想い”扱いに!?
否定しても、弁解しても、誤解はどんどん拡散。
気づけば――“誤解”が、少しずつ“恋”に変わっていく。
ツンデレ男子×天然ヒロインが織りなす、SNS時代の爆笑すれ違いラブコメ!
最後は笑って、ちょっと泣ける。
#誤解が本当の恋になる瞬間、あなたもきっとトレンド入り。
負けヒロインに花束を!
遊馬友仁
キャラ文芸
クラス内で空気的存在を自負する立花宗重(たちばなむねしげ)は、行きつけの喫茶店で、クラス委員の上坂部葉月(かみさかべはづき)が、同じくクラス委員ので彼女の幼なじみでもある久々知大成(くくちたいせい)にフラれている場面を目撃する。
葉月の打ち明け話を聞いた宗重は、後日、彼女と大成、その交際相手である名和立夏(めいわりっか)とのカラオケに参加することになってしまう。
その場で、立夏の思惑を知ってしまった宗重は、葉月に彼女の想いを諦めるな、と助言して、大成との仲を取りもとうと行動しはじめるが・・・。
あの日、幼稚園児を助けたけど、歳の差があり過ぎてその子が俺の運命の人になるなんて気付くはずがない。
NOV
恋愛
俺の名前は鎌田亮二、18歳の普通の高校3年生だ。
中学1年の夏休みに俺は小さい頃から片思いをしている幼馴染や友人達と遊園地に遊びに来ていた。
しかし俺の目の前で大きなぬいぐるみを持った女の子が泣いていたので俺は迷子だと思いその子に声をかける。そして流れで俺は女の子の手を引きながら案内所まで連れて行く事になった。
助けた女の子の名前は『カナちゃん』といって、とても可愛らしい女の子だ。
無事に両親にカナちゃんを引き合わす事ができた俺は安心して友人達の所へ戻ろうとしたが、別れ間際にカナちゃんが俺の太ももに抱き着いてきた。そしてカナちゃんは大切なぬいぐるみを俺にくれたんだ。
だから俺もお返しに小学生の頃からリュックにつけている小さなペンギンのぬいぐるみを外してカナちゃんに手渡した。
この時、お互いの名前を忘れないようにぬいぐるみの呼び名を『カナちゃん』『りょうくん』と呼ぶ約束をして別れるのだった。
この時の俺はカナちゃんとはたまたま出会い、そしてたまたま助けただけで、もう二度とカナちゃんと会う事は無いだろうと思っていたんだ。だから当然、カナちゃんの事を運命の人だなんて思うはずもない。それにカナちゃんの初恋の相手が俺でずっと想ってくれていたなんて考えたことも無かった……
7歳差の恋、共に大人へと成長していく二人に奇跡は起こるのか?
NOVがおおくりする『タイムリープ&純愛作品第三弾(三部作完結編)』今ここに感動のラブストーリーが始まる。
※この作品だけを読まれても普通に面白いです。
関連小説【初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺】
【幼馴染の彼に好きって伝える為、幼稚園児からやり直す私】
自称未来の妻なヤンデレ転校生に振り回された挙句、最終的に責任を取らされる話
水島紗鳥
青春
成績優秀でスポーツ万能な男子高校生の黒月拓馬は、学校では常に1人だった。
そんなハイスペックぼっちな拓馬の前に未来の妻を自称する日英ハーフの美少女転校生、十六夜アリスが現れた事で平穏だった日常生活が激変する。
凄まじくヤンデレなアリスは拓馬を自分だけの物にするためにありとあらゆる手段を取り、どんどん外堀を埋めていく。
「なあ、サインと判子欲しいって渡された紙が記入済婚姻届なのは気のせいか?」
「気にしない気にしない」
「いや、気にするに決まってるだろ」
ヤンデレなアリスから完全にロックオンされてしまった拓馬の運命はいかに……?(なお、もう一生逃げられない模様)
表紙はイラストレーターの谷川犬兎様に描いていただきました。
小説投稿サイトでの利用許可を頂いております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる