記憶を失う僕と、感情をなくす君が紡ぐ学園再生譚

暁ノ鳥

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第15章「失ったものと新たな一歩」(1)

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 白山シンは、ゆらゆらと揺れる視界の片隅で校舎の裏口を見つめていた。

 「……俺、なんでこんなところにいるんだっけ……」

 御影コウタは誰にともなく呟くシンの腕を引っ張る。

 「シン、しっかりしてくれよ! ここに長居するとヤバいんだって! 外に出ないと、研究所の連中に捕まる……!」

 コウタが荒い息のまま叫ぶ。
 シンには「研究所」という響きに聞き覚えがあるような、ないような。
 頭を抱え込みながら、必死に思考を巡らせるが、思い出のピースが抜け落ちていてどうにも繋がらない。

 「……研究所……? 分かんない……けど、逃げなきゃいけないのか……」

 風間ナツミはシンの隣を走るように進んでいた。

 「シン、あんた、ほんとに全部忘れちゃったわけ? もう……! 細かい説明してる暇ないんだよ! とにかくここを出るから、ついてきて!」
 「ああ……分かった。ごめん……」

 シンが力なく謝罪の言葉を漏らすと、ナツミは「謝んないでよ、今はそんな場合じゃないから!」と強く返す。
 続けて彼女は、小柄な体を懸命に動かしながら視線を後ろに投げる。

 「ユキは大丈夫!?」
 「……なんとか……歩ける……」

 黒江ユキはそう答えた。
 ユキは小声で「シンがこんなに記憶を失ってるのに……わたし、見てられない……」と返す。
 シンはユキの苦しそうな表情に目を留め、「……ごめん……俺……何で忘れてるのかも分からなくて……」と情けない声を出す。
 ユキは眉を曇らせながらも、「シンが謝らないで……あなたのせいじゃないんだから……」と苦笑を浮かべ、彼の腕をそっと引く。

 「そうだよ、シン。あんたのせいじゃない」

 ナツミが苛立たしげに言い放つ。

 「ひとまず裏口まで走れって! そこから外に出よう!」

 コウタが声を張り上げ、一行は文化祭の混雑をかき分けて校舎の奥にある非常階段を目指した。
 校内はステージ崩落の騒動で大混乱になっているが、結果的にそれがシンたちの逃げ道にもなっている。

 「……あれ……足音が……」

 ユキが立ち止まる。
 シンも立ち尽くすように動きを止め、鼓動が早鐘のように鳴るのを感じる。
 この感覚――何か恐ろしい存在が迫っているのだろうか。

 「おい、ユキ、どうした!?」

 コウタが焦って声をかける。
 ユキは読心のノイズで苦しそうに目を歪め、「……なんか……“必死さ”みたいな感情が、背後から……」と呟く。
 するとそこへ、足音とともに白衣の上にカーディガンを羽織った保健医――榎本真理が現れた。

 「あ、あなたたち……待って!」

 榎本は息を切らしながら声をかけてきた。
 しかし、コウタは明らかに敵意を向け、「来るなっ!」と咄嗟に叫ぶ。
 ユキもそれに呼応するように「先生、近寄らないでください……!」と拒否感をにじませる。
 榎本は苦しそうに唇を噛む。

 「待って……私だって助けたいの! 本当よ……!」
 「嘘だ! 先生は研究所とグルだったんだろう! シンやユキを追い詰めてきたの、あんただろうが!」

 コウタが厳しい声を出す。
 榎本は目を伏せ、「それは、最初はそうだった……でも……」と何かを言いかけるが、思いきりかき消すようにユキが続ける。

 「先生の“必死さ”は読めます……けど、もう信じられません……。あなたは、わたしたちをずっと実験サンプルとして観察してきた……」

 ユキの声は震えている。
 彼女の読心力は、本来なら榎本が本気で悔いていることを感じ取れるはずだが、今は混乱が大きすぎてうまく信じきれない。
 シンは「榎本先生……?」と首を傾げて眉をひそめるが、記憶が曖昧なままでは何も分からない。

 「……シンくん、覚えてないのね……私があなたを保健室で何度も診察していたことも……実験のデータを取っていたことも……でも、ほんとは後悔してるの……!」

 榎本はほとんど泣きそうな声でそう言うが、コウタは睨みつける。

「やめろよ……今さらそんなこと言われても、こっちはどうしていいか分かんねーんだよ!」
「……とにかく、先生と話してる時間はない。ここで足止めしてたら、研究員が来ちゃう!」

 ナツミがそう言いかけた刹那、裏門付近から「やっと見つけたぞ……」という冷たい声が響く。
 四人が振り返ると、スーツ姿の男がこちらへ歩み寄ってきた。
 固い表情と背筋を伸ばした佇まい、そして眼光の鋭さが際立っている。

 コウタが歯を食いしばり、ナツミは唇を噛む。
 シンは頭痛をこらえながら背筋を震わせる。
 ユキも「……すごい……冷たい怒りが伝わる……」と読心のせいで苦しげに眉を寄せる。

 男は静かにこちらを睨みながら、「白山シン、それに黒江ユキ……君たちのデータはまだ十分じゃない。悪いが来てもらおうか」と言い放つ。
 その声音は、まるで人を“モノ”扱いするかのように冷淡だ。

 「ふざけんな! 誰がお前らになんか従うかよ!」

 コウタが怒鳴って一歩前に出る。
 ナツミもユキの前に立ちはだかり、「あんたら研究所ってのは何なの!」と叫ぶ。
 スーツ男は肩をすくめ、「彼らが奇妙な力を使う以上、我々としてはしっかり研究しないといけないんでね」と鼻で笑う。

 「俺、行きたくない……」

 シンが低く呻き声を漏らす。
 記憶がないとはいえ、本能的にその男や研究所に対して嫌悪や恐怖を感じているのだろう。
 ユキはさらに体を震わせ、「あなたたちのせいで……私たちは……」と苦しい息を漏らす。

 「やめなさい!」

 ここで榎本が再び声を上げて研究員との間に割って入る。
 研究員は「おや、裏切る気か……?」と嘲笑し、榎本をあからさまに睨む。

 「私、もう耐えられないの……シンくんもユキさんも限界よ。これ以上の実験なんて絶対に許さない……!」

 榎本は声を震わせながら言い放つ。
 研究員は呆れたように首を振り、「馬鹿を言うな。上層部はさらなるデータを望んでいる。フェーズ2はまだ終わっていないんだ」と反論する。

 「終わりよ! あのステージでの出来事を見たでしょう。シンくんはもう記憶を失い、ユキさんも感情が壊れる寸前。ここまで追い詰められた被験体から、何をこれ以上絞り取るつもり……?」

 榎本が叫ぶ。
 男は苛立ちを隠さず、「データはまだ足りない。上が納得しないだろう?」と食い下がるが、榎本は唇を噛み、「納得させるわ。もしあなたたちが強引に連れ去るなら、私が研究所の実態をすべて公表する……!」と決死の表情で返す。

 男は一瞬たじろぐように声を詰まらせる。
 ユキは読心で榎本の“決意”を感じ取り、少しだけ表情を緩ませる。
 「先生……本気なんだ……」と震える声で言う。

 「黙れ、そんな脅しが通用するとでも思ってるのか……!」

 男は榎本を強く突き飛ばす。
 榎本は軽い悲鳴を上げて地面に倒れ込みそうになる。
 コウタとナツミが必死に受け止め、「先生……!」と声をかける。
 ユキは力なく目を閉じ、「先生……やめて、あなたまで危険に……」と呟くが、榎本は苦しい息のまま首を振る。

 「あなたたちを……苦しめるのはもう見たくない……だから……私はどんな手を使っても守る……!」

 研究員は忌々しそうに榎本とシンたちを見比べ、「下らない。なら力ずくで連れて行くまでだ」と低く宣言する。
 そう言うと男はユキに手を伸ばし、コウタとナツミが必死で割って入るが力の差で押し戻される。

 「くっそ……っ!」

 コウタが踏ん張るが体ごと押されて壁に当たり、ナツミは「あたしだって……!」と飛びかかろうとするも腕を払われて「痛っ……!」と膝をつく。
 ユキは「やめて!」と叫ぶが、体力も頭痛も限界でもう体が動かない。

 「いやだ……行きたくない……!」

 シンがぼんやりとした意識の中で声を上げる。
 そして彼の脳裏に、強烈な衝動が走る――「守らなきゃいけない……」という切実な思い。
 かつて文化祭ステージで念動力を使って大勢を救った“感覚”だけが蘇る。
 記憶は曖昧でも、体はその方法を覚えているのかもしれない。

 シンは眉間に力を込め、周囲の空気をねじ曲げるような集中を始める。
 ユキが「だめ、シン……!」と悲痛な声を上げるが、シンはすでに限界を超えた必死の形相で念動力を発動する。

 ――ゴゴゴ、と言わんばかりの空気の振動が伝わり、地面がわずかに揺れる。
 研究員は「なっ……」と一瞬動きを止め、「こいつ、まだこんな力が……」と驚きの目を見せる。
 シンは頭痛を耐えながら「嫌だ……こんなとこで連れ去られて……たまるか……!」と声を搾り出す。

 「ふん、もう限界なんだろう?」

 研究員が強がるように言葉を返すが、シンは「限界でも……守る……!」と念を押す。
 周りの空気が圧縮され、研究員の足元を弾き飛ばすほどの圧力が生じる。

 「ぐっ……」

 男はたまらず後退する。
 そこへユキが読心力を微かに研ぎ澄まし、「あなたも……怖いんでしょ……?」と低く呟く。
 彼女は頭痛で視界が霞む中、相手の“わずかな不安”を敏感に感じ取ったのだ。
 研究員は「くっ……馬鹿な」と目を反らそうとするが、一瞬彼の動きに綻びが生じる。
 その隙にコウタが榎本を助け起こし、ナツミがユキの腕を引き寄せる。
 研究員はうめき声を漏らし、「これ以上は危険だ……」と舌打ちし、ひとまず退却を決めるように後ずさった。

 「このままでは済まさんぞ……!」

 男は捨て台詞を残し、走り去っていく。
 それを見届けたナツミが「はあ……行った……逃げた……」と膝から崩れ落ちる。
 コウタも床に尻餅をつき、「まさか追い払えるとはな……」と苦笑いを零す。
 榎本は大きく肩で息をして、「大丈夫……? みんな……」と声をかける。
 ユキは「はあ、はあ……なんとか……でも、シンが……」と視線を向けると、シンは力を使い果たした反動で意識が飛びかけていた。

 「シン、しっかりっ……!」

 ユキが慌てて抱きとめる。
 シンはぐったりと力が抜けて、「あれ……」と虚ろな目で呟く。
 ユキは悲鳴にも似た声を上げかけ、「そんな……」と血の気が引く。
 コウタとナツミも「やばい、シン!」と慌てる。

 「先生……!」

 ナツミがパニックの声をあげる。
 榎本は急いでスマホを取り出し、「分かったわ……」と即座に言う。
 ユキはシンの頬をそっと叩き、「シン、目を開けて……お願い……!」と声を掛ける。
 シンは微かに目を開け、「泣いてるの……? ごめん……俺、何も思い出せないのに……」と儚い笑みを見せる。
 ユキは涙をこぼしそうになり、「謝らないで……あなたは悪くない……」と唇を噛む。

 そこへ校内の教師やクラスメイトが、遅れてやって来た。
 「おい、どうした!?」「大丈夫か!?」と口々に問いかける。
 榎本は「落ち着いてください、彼が倒れただけです。私が処置しますから!」と声を上げ、コウタとナツミもすかさず「だ、大丈夫です! 文化祭で張り切りすぎて過労で……」と言い訳をする。

 ユキはシンを抱きしめたまま、担架代わりの簡易ストレッチャーが持ち込まれ、そこへシンを乗せる。
 その間もシンは「ユキ……ユキ……」と苦しげに呼び、「あんたの名前、繰り返してるよ……」とナツミが切ない顔をする。

 「私のこと……覚えてないのに、名前だけ呼ぶなんて……どうしろっていうの……」
 ユキが涙声で呟くと、コウタが「まあ……でも、名前を呼べるだけマシだろ……」と気遣う。
 ナツミは「そうそう! ユキのこと忘れたわけじゃないのかも! 大丈夫だって、絶対」と励ましてみせる。

 「……うん……ありがと、ナツミ、コウタ……」

 ユキは顔を伏せて小さく微笑む。
 榎本が「では、運びましょう。文化祭は大混乱だけど、シンくんの体が最優先よ」と指示し、教師たちも「分かった。生徒会と実行委員に説明してくる!」と協力する流れになるのだった。
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