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第1章
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「クソッ……なんで俺が、こんな……」
月曜の朝。
憂鬱を具現化したような灰色の空の下、俺、佐藤健一は、もはや生存確認のための儀式と化した圧殺通勤電車に揺られている。
ぎゅうぎゅう詰めの車内は、湿った他人の呼気と、誰のかも分からない安物の香水の匂い、そして微かな諦めの臭気が混じり合って、吐き気を催す化学反応を起こしていた。
ガラス窓に映る自分の顔は、生気を吸い取られた魚のように死んでいる。
痩せこけた頬、隈の刻まれた目元、覇気のない口元。
これが、大手IT企業「テクノロジア株式会社」でシステムエンジニアとして働く、俺の成れの果てだ。
電車が大きく揺れるたびに、隣のサラリーマンの湿ったコートが腕に触れ、不快指数が跳ね上がる。
吊り革を握る指は、連日の残業で満足に動かない。
耳に突き刺さるアナウンスの無機質な声が、「次は渋谷、渋谷」と、俺の処刑場への到着を告げている。
ちくしょう、せめて隕石でも降ってこないものか。
この電車も、会社も、世界も、全部まとめて木っ端微塵になればいいのに。
そんな非現実的な妄想だけが、俺の唯一の精神安定剤だった。
渋谷駅のホームにゾンビのように吐き出され、人波という名の濁流に身を任せる。
スクランブル交差点の巨大ビジョンには、最新のスマホを宣伝するキラキラしたアイドルの笑顔。
その笑顔が、まるで俺の惨めな人生を嘲笑っているようで、無性に腹が立った。
重い足取りで会社のビルに到着し、社員証を無感情なゲートにかざす。
ウィーン、と音を立てて開くガラスの扉は、まるで俺を飲み込む巨大な捕食者の顎のようだ。
エレベーターに乗り込むと、乗り合わせた数人の同僚たちが、俺の存在などないかのように、当たり障りのない週末の思い出話に花を咲かせている。
俺はその輪に加わることもできず、ただ階数表示のデジタル数字が上がっていくのを、壁の染みでも見つめるように眺めていた。
次世代デバイス開発部のフロア。
そこは、最新技術の粋を集めたインテリジェントな空間のはずが、俺にとっては息苦しいだけの檻でしかない。
サーバーの低い唸り、空調の乾いた風、そしてフロア中に響き渡る、無慈悲なキーボードの打鍵音。
自席にたどり着き、荷物を置くか置かないかの刹那、背後から地雷が爆発した。
「佐藤! おい、佐藤健一ッ!」
振り返るまでもない。このフロアで最も不快な周波数を持つ、田中部長のダミ声だ。
頭頂部が哀しいことになっているその頭皮と同じくらい、彼の性格も枯れ果てている。
「はい、田中部長。おはようございます」
俺は、飼い主に怯える犬のように、作り物の笑顔を顔に貼り付けた。
「おはようじゃねえんだよ、このタコが! 昨日のバグ修正、てめえ、まだ終わってねえのか!? クライアントから催促の電話があっただろうが! どうしてくれるんだ、ああ!?」
怒声とともに、腐ったニンニクのような口臭と唾が飛んでくる。
俺は内心で「うわ、きたねえ」と悪態をつきながら、必死に平静を装って事実を述べる。
「すいません、昨日終業間際にいただいた仕様変更のせいで、修正箇所が当初の三倍以上に増えておりまして。影響範囲の特定と再設計に時間が……現在、最優先で対応しておりますが――」
俺の言葉を遮り、田中はデスクの端を拳で叩いた。
バンッ、という乾いた破壊音が、フロアの注目を一斉に集める。
公開処刑の始まりだ。
「言い訳すんじゃねえ! この技術力のねえ穀潰しが! 仕様変更なんざ、てめえら技術屋がちょちょいと徹夜すりゃ済む話だろうが! だからお前はいつまで経っても三流なんだよ! 給料分の働きもできねえのか!」
技術力がない、ね。反吐が出る。
あんたが承認したクソみたいな要件定義のせいで、どれだけの人間が地獄を見てると思ってるんだ。
アーキテクチャの基本も理解してない素人が、口だけは達者なんだから笑わせてくれる。
喉元まで出かかった正論を、奥歯で噛み砕いて飲み込む。
ここで正しさを説いたところで、この男には理解できない。
権力という名の棍棒で、一方的に殴られるだけだ。
チラリ、と周囲に視線を泳がせる。
同期の山田は、俺から目を逸らし、わざとらしくモニターのコードをいじっている。
隣のチームの先輩女子エンジニアたちは、資料で口元を隠しているが、その目が明らかに俺を嘲笑っていた。
「あーあ、また佐藤くんが怒られてるよ」「本当、仕事できないよね」そんな声が聞こえてくるようだ。
誰も、助けてはくれない。
誰も、俺の味方ではない。
ここは、そういう場所なのだ。
俺という生贄を差し出すことで、一時的な平和を保っている、腐りきった村社会。
「……大変、申し訳ありません。本日、午前中には必ず第一報を……」
「当たり前だ! もし遅れたらどうなるか、分かってんだろうな! テクノロジアの看板に泥を塗るような真似しやがって!」
フロアは水を打ったように静まり返る。
田中は満足げに鼻を鳴らすと、自分の個室へと消えていった。
嵐が去った後の静寂。
だが、俺の心は暴風雨の真っ只中だった。
(クソが……見てろよ……)
怒りを通り越して、冷え切った殺意に近い感情が、腹の底から静かに湧き上がってくる。
いつか必ず、俺の技術を、俺の存在を、心の底から侮辱したその罪を、骨の髄まで味わわせてやる。
キーボードに置いた指が、怒りでカタカタと震える。
ディスプレイに映し出された、何千行にも及ぶ美しいコードの羅列。
それは、俺が魂を込めて紡いだロジックの結晶だ。
こいつらは裏切らない。嘘もつかない。
俺が与えた命令を、寸分の狂いもなく実行してくれる、唯一無二の忠実な僕。
それに比べて、人間ときたら、どうだ。
平気で嘘をつき、他人を貶め、自分の利益のためなら誰かを平気で踏み台にする。
(許さない……絶対に、許さない……)
俺は燃え盛る復讐心を、密かに抱くのだった。
月曜の朝。
憂鬱を具現化したような灰色の空の下、俺、佐藤健一は、もはや生存確認のための儀式と化した圧殺通勤電車に揺られている。
ぎゅうぎゅう詰めの車内は、湿った他人の呼気と、誰のかも分からない安物の香水の匂い、そして微かな諦めの臭気が混じり合って、吐き気を催す化学反応を起こしていた。
ガラス窓に映る自分の顔は、生気を吸い取られた魚のように死んでいる。
痩せこけた頬、隈の刻まれた目元、覇気のない口元。
これが、大手IT企業「テクノロジア株式会社」でシステムエンジニアとして働く、俺の成れの果てだ。
電車が大きく揺れるたびに、隣のサラリーマンの湿ったコートが腕に触れ、不快指数が跳ね上がる。
吊り革を握る指は、連日の残業で満足に動かない。
耳に突き刺さるアナウンスの無機質な声が、「次は渋谷、渋谷」と、俺の処刑場への到着を告げている。
ちくしょう、せめて隕石でも降ってこないものか。
この電車も、会社も、世界も、全部まとめて木っ端微塵になればいいのに。
そんな非現実的な妄想だけが、俺の唯一の精神安定剤だった。
渋谷駅のホームにゾンビのように吐き出され、人波という名の濁流に身を任せる。
スクランブル交差点の巨大ビジョンには、最新のスマホを宣伝するキラキラしたアイドルの笑顔。
その笑顔が、まるで俺の惨めな人生を嘲笑っているようで、無性に腹が立った。
重い足取りで会社のビルに到着し、社員証を無感情なゲートにかざす。
ウィーン、と音を立てて開くガラスの扉は、まるで俺を飲み込む巨大な捕食者の顎のようだ。
エレベーターに乗り込むと、乗り合わせた数人の同僚たちが、俺の存在などないかのように、当たり障りのない週末の思い出話に花を咲かせている。
俺はその輪に加わることもできず、ただ階数表示のデジタル数字が上がっていくのを、壁の染みでも見つめるように眺めていた。
次世代デバイス開発部のフロア。
そこは、最新技術の粋を集めたインテリジェントな空間のはずが、俺にとっては息苦しいだけの檻でしかない。
サーバーの低い唸り、空調の乾いた風、そしてフロア中に響き渡る、無慈悲なキーボードの打鍵音。
自席にたどり着き、荷物を置くか置かないかの刹那、背後から地雷が爆発した。
「佐藤! おい、佐藤健一ッ!」
振り返るまでもない。このフロアで最も不快な周波数を持つ、田中部長のダミ声だ。
頭頂部が哀しいことになっているその頭皮と同じくらい、彼の性格も枯れ果てている。
「はい、田中部長。おはようございます」
俺は、飼い主に怯える犬のように、作り物の笑顔を顔に貼り付けた。
「おはようじゃねえんだよ、このタコが! 昨日のバグ修正、てめえ、まだ終わってねえのか!? クライアントから催促の電話があっただろうが! どうしてくれるんだ、ああ!?」
怒声とともに、腐ったニンニクのような口臭と唾が飛んでくる。
俺は内心で「うわ、きたねえ」と悪態をつきながら、必死に平静を装って事実を述べる。
「すいません、昨日終業間際にいただいた仕様変更のせいで、修正箇所が当初の三倍以上に増えておりまして。影響範囲の特定と再設計に時間が……現在、最優先で対応しておりますが――」
俺の言葉を遮り、田中はデスクの端を拳で叩いた。
バンッ、という乾いた破壊音が、フロアの注目を一斉に集める。
公開処刑の始まりだ。
「言い訳すんじゃねえ! この技術力のねえ穀潰しが! 仕様変更なんざ、てめえら技術屋がちょちょいと徹夜すりゃ済む話だろうが! だからお前はいつまで経っても三流なんだよ! 給料分の働きもできねえのか!」
技術力がない、ね。反吐が出る。
あんたが承認したクソみたいな要件定義のせいで、どれだけの人間が地獄を見てると思ってるんだ。
アーキテクチャの基本も理解してない素人が、口だけは達者なんだから笑わせてくれる。
喉元まで出かかった正論を、奥歯で噛み砕いて飲み込む。
ここで正しさを説いたところで、この男には理解できない。
権力という名の棍棒で、一方的に殴られるだけだ。
チラリ、と周囲に視線を泳がせる。
同期の山田は、俺から目を逸らし、わざとらしくモニターのコードをいじっている。
隣のチームの先輩女子エンジニアたちは、資料で口元を隠しているが、その目が明らかに俺を嘲笑っていた。
「あーあ、また佐藤くんが怒られてるよ」「本当、仕事できないよね」そんな声が聞こえてくるようだ。
誰も、助けてはくれない。
誰も、俺の味方ではない。
ここは、そういう場所なのだ。
俺という生贄を差し出すことで、一時的な平和を保っている、腐りきった村社会。
「……大変、申し訳ありません。本日、午前中には必ず第一報を……」
「当たり前だ! もし遅れたらどうなるか、分かってんだろうな! テクノロジアの看板に泥を塗るような真似しやがって!」
フロアは水を打ったように静まり返る。
田中は満足げに鼻を鳴らすと、自分の個室へと消えていった。
嵐が去った後の静寂。
だが、俺の心は暴風雨の真っ只中だった。
(クソが……見てろよ……)
怒りを通り越して、冷え切った殺意に近い感情が、腹の底から静かに湧き上がってくる。
いつか必ず、俺の技術を、俺の存在を、心の底から侮辱したその罪を、骨の髄まで味わわせてやる。
キーボードに置いた指が、怒りでカタカタと震える。
ディスプレイに映し出された、何千行にも及ぶ美しいコードの羅列。
それは、俺が魂を込めて紡いだロジックの結晶だ。
こいつらは裏切らない。嘘もつかない。
俺が与えた命令を、寸分の狂いもなく実行してくれる、唯一無二の忠実な僕。
それに比べて、人間ときたら、どうだ。
平気で嘘をつき、他人を貶め、自分の利益のためなら誰かを平気で踏み台にする。
(許さない……絶対に、許さない……)
俺は燃え盛る復讐心を、密かに抱くのだった。
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