4 / 9
第4章
しおりを挟む
地下二階。その空気は、地上のオフィスとは明らかに異質だった。
ひんやりと肌を刺すような冷気と、古い電子部品と埃が混じり合った、独特のカビ臭い匂い。
長い廊下の天井では、いくつかの蛍光灯が寿命を迎え、チカチカと不気味な明滅を繰り返している。
その頼りない光が、俺の不安をさらに煽った。
目的の「第三試作品保管庫」は、廊下の最も奥にあった。重々しい鉄製の扉に手をかけ、錆び付いたハンドルを力任せに回す。
ギィィィ……という、ホラー映画の効果音みたいな耳障りな音を立てて、扉がゆっくりと開いた。
中は、想像通りの光景だった。
金属製の無骨な棚が迷路のように立ち並び、その上には、日の目を見ることなく開発が中止された、無数の試作品の残骸が眠っている。
かつては最先端技術の結晶として、多くのエンジニアの情熱と希望を一身に背負っていたであろうそれらは、今や分厚い埃をかぶり、ただ静かに忘れ去られるのを待つだけのガラクタの山だ。
ここは、テクノロジアの夢の墓場だった。
「さてと……どこにあるかな」
俺はスマホのライトを頼りに、目的の資料が保管されているはずの区画へと進む。
プロジェクト名が書かれた段ボール箱を一つ一つ確認し、中を漁っていく。
古いケーブル、基盤が剥き出しのデバイス、分厚い設計図の束。
どれもこれも、俺が探しているものではなかった。
「クソ、なんでこんな面倒なこと……」
悪態をつきながら、棚の最上段に手を伸ばした時だった。
指先に、他の段ボールとは明らかに違う、滑らかな感触の箱が触れた。
プラスチック製だろうか。
埃もほとんど被っておらず、まるで最近ここに置かれたかのようだ。
不審に思いながらも、俺はその箱を棚から下ろしてみる。
それは、黒一色の、極めて洗練されたデザインのハードケースだった。
有名ブランドのロゴでも入っていそうな、高級感のある佇まい。
このガラクタの山の中では、あまりにも異質すぎる存在だ。
エンジニアとしての好奇心が、疲労と警戒心を上回った。
俺は、恐る恐るケースの留め具を外し、ゆっくりと蓋を開ける。
その瞬間、俺は息を呑んだ。
「……これは……」
ケースの中には、精密にくり抜かれた黒いウレタンフォームが敷き詰められ、その中央に、スマートグラスが鎮座していた。
「……なんだ、これ。こんなデザイン、見たことないぞ」
俺が知る限り、社内で開発中のどのデバイスとも違う。
世に出ているどの製品とも違う。
それは、無駄を一切削ぎ落とした、機能美の塊だった。
軽量なチタン合金と思しきフレーム、レンズと一体化した、ほとんど目立たない小型カメラ、そしてテンプル部分に刻印された文字。
【DOMINATOR】
ドミネーター。支配者、か。
大層な名前だ。
俺は、何かに憑かれたように、そのグラスをそっと手にとった。
驚くほど軽い。まるで、自分の体の一部になることを想定して作られたかのように、手にしっくりと馴染む。
気づけば、俺はそのグラスをかけていた。
次の瞬間、俺の視界の右上に、淡い青色の光が点滅した。
《SYSTEM BOOTING...》
《MODEL: DOMINATOR Ver. 7.0 Prototype》
《CALIBRATING RETINAL SCAN... COMPLETE》
目の前に、半透明のヘッドアップディスプレイが浮かび上がる。
まるでSF映画の世界、いや、それ以上だ。
視界を邪魔しない絶妙な透過率、目の動きに寸分の狂いもなく追従するポインター。
これは、俺が理想として追い求めてきた、究極のマンマシンインターフェースそのものだった。
視界の端に、いくつかのメニューアイコンが並んでいるのが見える。
【PSYCHO-SCAN - OFFLINE】
【INFO-HUNTER - STANDBY】
【WEAKNESS-ANALYZER - INACTIVE】
【MIND-CONTROL - LOCKED】
「……え……?」
思わず、間抜けな声が漏れた。
サイコスキャン? インフォハンター? マインドコントロール……だと?
なんだ、これは?
俺の脳が、エンジニアとしての本能が、猛烈な速度で思考を始める。
これらの名前が意味する機能を推測し、その恐るべき可能性に思い至った瞬間、全身の血が沸騰するような興奮が、背筋を駆け上がった。
夢中でデバイスを調べていると、ふと、保管庫の外、長い廊下の向こうの暗闇で、何かが動いたような気がした。
「……!?」
俺は弾かれたように顔を上げ、ドミネーターを外す。
心臓が、警鐘のようにドクン、ドクンと激しく脈打つ。
気のせいか? こんな深夜に、俺以外の誰かがいるはず……。
俺は息を殺し、開いたままの鉄の扉の隙間から、廊下の暗闇を睨みつけた。
遠い。遠すぎて、はっきりとは見えない。
だが、そこに確かに、誰かが立っていた。
非常灯のぼんやりとした逆光で、黒いシルエットだけが浮かび上がっている。
すらりとした、長身の……女?
スタイリッシュなビジネススーツを着ているように見える。
その人影は、ただ静かに、こちらを――俺を見ているようだった。
まるで、俺がこのデバイスを見つけるのを、ずっと待っていたかのように。
全身に、悪寒が走った。
見られている。
これは、偶然じゃないのか?
俺が恐怖で身動きできずにいると、その人影はすっと身を翻し、音もなく、廊下の闇の中へと溶けるように消えていった。
……今の、は……誰だ?
いや、考えるな。
疲れているんだ。幻覚だ。そうに違いない。
俺は、震える手でドミネーターを慎重にケースに戻すと、それを自分のビジネスバッグの奥深くに押し込む。
そして、本来の目的だった古い仕様書を数枚ひっつかむと、まるで何かから逃げるように、その不気味な保管庫を後にしたのだった。
ひんやりと肌を刺すような冷気と、古い電子部品と埃が混じり合った、独特のカビ臭い匂い。
長い廊下の天井では、いくつかの蛍光灯が寿命を迎え、チカチカと不気味な明滅を繰り返している。
その頼りない光が、俺の不安をさらに煽った。
目的の「第三試作品保管庫」は、廊下の最も奥にあった。重々しい鉄製の扉に手をかけ、錆び付いたハンドルを力任せに回す。
ギィィィ……という、ホラー映画の効果音みたいな耳障りな音を立てて、扉がゆっくりと開いた。
中は、想像通りの光景だった。
金属製の無骨な棚が迷路のように立ち並び、その上には、日の目を見ることなく開発が中止された、無数の試作品の残骸が眠っている。
かつては最先端技術の結晶として、多くのエンジニアの情熱と希望を一身に背負っていたであろうそれらは、今や分厚い埃をかぶり、ただ静かに忘れ去られるのを待つだけのガラクタの山だ。
ここは、テクノロジアの夢の墓場だった。
「さてと……どこにあるかな」
俺はスマホのライトを頼りに、目的の資料が保管されているはずの区画へと進む。
プロジェクト名が書かれた段ボール箱を一つ一つ確認し、中を漁っていく。
古いケーブル、基盤が剥き出しのデバイス、分厚い設計図の束。
どれもこれも、俺が探しているものではなかった。
「クソ、なんでこんな面倒なこと……」
悪態をつきながら、棚の最上段に手を伸ばした時だった。
指先に、他の段ボールとは明らかに違う、滑らかな感触の箱が触れた。
プラスチック製だろうか。
埃もほとんど被っておらず、まるで最近ここに置かれたかのようだ。
不審に思いながらも、俺はその箱を棚から下ろしてみる。
それは、黒一色の、極めて洗練されたデザインのハードケースだった。
有名ブランドのロゴでも入っていそうな、高級感のある佇まい。
このガラクタの山の中では、あまりにも異質すぎる存在だ。
エンジニアとしての好奇心が、疲労と警戒心を上回った。
俺は、恐る恐るケースの留め具を外し、ゆっくりと蓋を開ける。
その瞬間、俺は息を呑んだ。
「……これは……」
ケースの中には、精密にくり抜かれた黒いウレタンフォームが敷き詰められ、その中央に、スマートグラスが鎮座していた。
「……なんだ、これ。こんなデザイン、見たことないぞ」
俺が知る限り、社内で開発中のどのデバイスとも違う。
世に出ているどの製品とも違う。
それは、無駄を一切削ぎ落とした、機能美の塊だった。
軽量なチタン合金と思しきフレーム、レンズと一体化した、ほとんど目立たない小型カメラ、そしてテンプル部分に刻印された文字。
【DOMINATOR】
ドミネーター。支配者、か。
大層な名前だ。
俺は、何かに憑かれたように、そのグラスをそっと手にとった。
驚くほど軽い。まるで、自分の体の一部になることを想定して作られたかのように、手にしっくりと馴染む。
気づけば、俺はそのグラスをかけていた。
次の瞬間、俺の視界の右上に、淡い青色の光が点滅した。
《SYSTEM BOOTING...》
《MODEL: DOMINATOR Ver. 7.0 Prototype》
《CALIBRATING RETINAL SCAN... COMPLETE》
目の前に、半透明のヘッドアップディスプレイが浮かび上がる。
まるでSF映画の世界、いや、それ以上だ。
視界を邪魔しない絶妙な透過率、目の動きに寸分の狂いもなく追従するポインター。
これは、俺が理想として追い求めてきた、究極のマンマシンインターフェースそのものだった。
視界の端に、いくつかのメニューアイコンが並んでいるのが見える。
【PSYCHO-SCAN - OFFLINE】
【INFO-HUNTER - STANDBY】
【WEAKNESS-ANALYZER - INACTIVE】
【MIND-CONTROL - LOCKED】
「……え……?」
思わず、間抜けな声が漏れた。
サイコスキャン? インフォハンター? マインドコントロール……だと?
なんだ、これは?
俺の脳が、エンジニアとしての本能が、猛烈な速度で思考を始める。
これらの名前が意味する機能を推測し、その恐るべき可能性に思い至った瞬間、全身の血が沸騰するような興奮が、背筋を駆け上がった。
夢中でデバイスを調べていると、ふと、保管庫の外、長い廊下の向こうの暗闇で、何かが動いたような気がした。
「……!?」
俺は弾かれたように顔を上げ、ドミネーターを外す。
心臓が、警鐘のようにドクン、ドクンと激しく脈打つ。
気のせいか? こんな深夜に、俺以外の誰かがいるはず……。
俺は息を殺し、開いたままの鉄の扉の隙間から、廊下の暗闇を睨みつけた。
遠い。遠すぎて、はっきりとは見えない。
だが、そこに確かに、誰かが立っていた。
非常灯のぼんやりとした逆光で、黒いシルエットだけが浮かび上がっている。
すらりとした、長身の……女?
スタイリッシュなビジネススーツを着ているように見える。
その人影は、ただ静かに、こちらを――俺を見ているようだった。
まるで、俺がこのデバイスを見つけるのを、ずっと待っていたかのように。
全身に、悪寒が走った。
見られている。
これは、偶然じゃないのか?
俺が恐怖で身動きできずにいると、その人影はすっと身を翻し、音もなく、廊下の闇の中へと溶けるように消えていった。
……今の、は……誰だ?
いや、考えるな。
疲れているんだ。幻覚だ。そうに違いない。
俺は、震える手でドミネーターを慎重にケースに戻すと、それを自分のビジネスバッグの奥深くに押し込む。
そして、本来の目的だった古い仕様書を数枚ひっつかむと、まるで何かから逃げるように、その不気味な保管庫を後にしたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる