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「忘れ去られた記憶に捧げる」
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【ペットボトル】
「うーん、固いなぁ、開かないよ。」
志乃生(しのぶ)は、力一杯ペットボトルの蓋をひねったが、汗で滑って、なかなか開かない。
見兼ねた英介(えいすけ)が、そっと手を伸ばして、志乃生のペットボトルを引き寄せた。
「貸してみろよ、開けてやるから。」
英介の手が、少しだけ志乃生の手に触れた。
志乃生は少し、赤くなった。
志乃生は英介の幼馴染だ。同じ高校に通っている。
艶のある黒くて長い髪。透き通る様な白い肌。吸い込まれそうな瞳。そして、芳醇な唇。
英介は、その胸の内を、志乃生に明かせないでいた。「好きだよ。」と。
だが、それは志乃生も同じだった。
8月の青空に、大きく延びる入道雲が、海の遥か彼方の水平線を、優しく包み込む。
「最後の夏休みだね。」
志乃生がそう言うと英介は静かに答えた。
「うん。」
ペットボトルの蓋が開く。
英介はそれをそっと志乃生に手渡した。今度は志乃生に触れない様に。
本当は、触れかったのだが…。
若い二人の姿を、真夏の照り付ける太陽が見ていた。
【農園】
英介は海側から山側へと続く田舎道を、自宅に向かって歩いた。
サッカー部で鍛えただけあって、体力と脚力は抜群だ。
ただ、遂に補欠のままだったが。
それでも英介は諦めなかった。
自宅に着いた英介は、ジャージに着替えると、農園に向った。「喜多農園」だ。
英介の家は農園を経営しており、若い従業員も何人かいる。
「おお、英介。おかえり。」
父がにこやかに言う。日焼けした黒い顔に汗がにじむ。喜多家は代々この地の地頭の一族だ。
「父さん、何手伝おうか?」
英介は父親から指示を貰うと、作業に取り掛かった。野菜の間引きだ。
夕方。作業が終わる
「じゃあ父さん、俺、先にもどるね。」
英介はそう言うと、蛇口で、手と顔を洗い、家に戻った。
英介の姿が消えた後、父親は従業員の一人に声を掛けた。
「なぁ、あれ、調子どうだい?」
すると従業員が言う。
「順調ですよ。社長、見てみますか?」
そう言うと、二人は農園の奥にある、ある栽培品の畑に移動した。
そして、その栽培品を手で優しく触れながら、呟いた。
「うん、この調子なら、たくさん生成出荷できそうだ。」
その栽培品、植物は、ふっくら丸い果実部を持っており、切り込みを入れると、白い乳液が採取できた。
農園は、その乳液を加工・生成して、出荷する。
学名 Papaver somniferum(パパウェル・ソムニフェルム)
ケシだ。
【縫製工場】
カタカタカタカタッ、と、たくさんのミシンが軽快でリズミカルな音を奏でる。
従業員は楽しそうだ。給料も福利厚生も充実している。
志乃生の家は明治初期から続く縫製工場を経営していた。
髙﨑縫製だ。
帰宅した志乃生は、私服に着替えると、花柄のエプロンを身に着けて、工場に入った。
「あら、志乃生ちゃん、お帰り。」
パートのおばちゃんが、にっこり微笑む。
「お父さんは?」
志乃生がおばちゃんに聞くと、おばちゃんは少し、考えてから話した。
「社長?えーっと、たぶん、事務所だと思うよ。呼んでこようか?」
すると志乃生は申し訳なさそうに答えた。
「いいよ、いいよ。私、事務所に行くね。」
志乃生はそう言うと、工場の2階にある事務所に向かって、傾斜のキツい階段を軽やかに登った。
薙刀の道場で鍛えた足腰が、思わぬ所で役に立つ。
事務所に入ると父が声を掛けた。
「おっ!志乃生、待ってたよ。伝票整理して、ファイルに閉じてくれ。」
志乃生は伝票の束を日付やナンバー順に分けて、ファイリングしていく。
17時、作業終了。従業員が帰宅して行く。
志乃生は父に先に家に戻ると告げた。
「じゃあお父さん、私、先戻るから。」
父が返した。
「お疲れ、ありがとうな。」
志乃生を見送ると、父は総務の沢田さんと工場の倉庫を確認しに行った。
Abundant Hope(アバンダント・ホープ)は、世界中に店舗を構える、人気のブランドだ。
髙﨑縫製は、そのアパレル会社と契約しており、ブランドの衣類の製造を担っている。
「これが予定の出荷品ですね。」
総務の沢田さんが言う。すると志乃生の父が返した。
「ありがとうね、沢田君。で、非公式の方は?」
すると沢田さんは、倉庫の隅に積まれた段ボールを指さした。
父はその段ボールの中にある、パーカーとかトレーナーを取り出して、満足そうに話した。
「いや、本当に良く出来てる。まさかこれが、偽ブランドだなんて、誰も気付かんだろ。」
取り引き先の知らない秘密のカラクリがあって、予定生産数より、余分に生産されたAbundant Hopeを通常の半値以下で、闇の市場で売り捌く。
それにより組織には莫大な利益が転がり込むのだ。
それはもはや偽ブランドではなかった。
【バイト】
「なあ、正広、夏休みどうする?」
浩が聞いた。すると正広が提案する。
「バイトしようかなぁ。」
浩(ゆたか)と正広(まさひろ)は、志乃生や英介と同じ学校の一年で、小学生時代からの付き合いだ。
目立たない子達で、部活とかは、特にやってない。
「バイトってどんな?」
浩が聞いた。
「港の近くの運送屋が、倉庫整理のバイト募集してたよ。」
と、正広は説明した。
二人は早速、面接を受けに行った。
美波運輸は、地元では有名な運送会社だった。信頼ある会社だから、そこでのバイトは社会勉強になる。
二人の親はバイトを了承した。
面接は、そこの社長がしてくれた。その社長というのが、少しお腹の出た貫禄のある人で、無精髭を生やしたガテン系のおじさんで、正直見た目は怖かった。
「いや、助かるよ。若い子が手伝いに来てくれて。」
見た目によらず、社長は優しかった。
7月下旬。夏休み突入。
二人はバイトに勤しんだ。
倉庫の中は暑かったが、二人は新鮮な気持ちだった。
正広が、ある大きな荷物を見つけた。カーキ色した金属製の大きな箱だ。
「何だろ、これ?」
正広が言う。すると浩が正広に、呆れた様に言った。
「もうっ、喋ってないで動けよ。」
二人は、その大きな金属製の箱を所定の場所に移動しようとした。
が、その時、箱の蓋がズレて、倉庫の床に滑り落ちた。
ガラァン!!
大きな音が倉庫にこだまする。
二人はゆっくりと蓋の取れた箱を戻した。
見てはいけないものを見て、腰をぬかした。
SIG SAUER P220、ベレッタM92F、Cz75、コルトガバメント、オートマグⅢ、デザートイーグル、トカレフ、マカロフ、H&K USP、ベレッタM8000クーガー、357マグナム…。
浩はミリオタだったので直に分かった。
「おぉ!すげぇ!!」
浩の目が輝いた。すると正広が、それらの銃の下に、他の銃が隠れている事を発見した。
「何か大きなのもあるけど…。」
すると浩はそれらに手を伸ばした。
「すげぇ、MP5じゃん、こっちはUZI、Vz61、あっ、イングラムだ!おぉ、ベレッタM12もあるじゃん!」
拳銃に続き、サブマシンガンまで出てきた。
「これ、ニュースとかで見た事あるな。」
正広が言うと浩が教えた。
「マジか!カラシニコフだ!おぉ、こっちはM4カービン!しかもグレネードランチャー付いてるじゃん!!」
浩の興奮が止まらない。正広は少し怖かったが次第に慣れてきた。
「あっちゃーっ、見られちまったか。」
そこに社長が立っていた。
【箱】
浩と正広は、ガタガタ震えだした。
すると社長が二人にそっと近くと、穏やかに話し掛けた。
「見られちゃったら仕方が無い。でもまぁ、この街で生まれ、この街で育ち、この街で生きる奴なら、いつかは通る道だ。」
社長はそう言うと、銃を一丁手にとって、続けて言った。
「二人とも、これ、撃ってみたくないかい?」
その日を境にして、二人はバイトの後で、社長から道具(武器)の使い方を教わった。
彼らの街を中心にした、この地方一帯には「箱」というものが存在する。
その起源は古く、戦国時代初期に遡る。住民らが大名の支配に抵抗するために組織した自警団が原型と言われる。
「箱」は、リーダーの「頭目」を頂点として、その下に「頭目代」或いは「惣代」がいて、さらにその下に、大体、5人から10人の「角頭」がいる。
また、組織の揉め事を調停するための「目付」という役目もいる。
頭目、惣代、角頭、そして、目付らには、それぞれ5人程度の「兵」が付き従い、守りを固める。
かつて、領主から年貢の強引な取り立てを受けた「箱」は、収入源を得るために「裏稼業」を生業にしていた。
また、時として、支配者側に牙を剥き、暗殺や謀略も司った。
その血塗られた遺伝子は現代も健在である。
半年ほど前の話だが、街の商店街の一角で、雑貨店を経営する男性が、頭部を銃撃されて即死した事件があった。
バイクに乗った二人組の犯行だったそうな。犯人はまだ逮捕されていない。
というか、警察はそもそも犯人を逮捕する気が無い。「箱」の資金に汚染されているからだ。
市役所も例外ではない。「箱」の関係者の生活保護を出し渋った職員が、遺体で発見された事がある。
市役所の職員全員が、心当りが無いと言う。本当は、分かっていたのだが、ここも「箱」の資金で汚染されているのだ。
商店街の喫茶店に、山岡が入ってきた。ある「箱」の「角頭」を務める男だ。
喫茶店のマスターは、封筒を山岡に渡した。中身を確認する山岡。
20万入っていた。
「マスター、安心しなよ。きっちり守ってやるからよぉ。来月も頼むわ。雑貨店の親父みたいになりたくねぇよな?」
山岡はそう言うと、次の集金先に向った。
山岡が所属する「箱」は、みかじめ料が収入源だ。雑貨店の店主はそれを断ったのだ。
だが、住民は、その店主に誰も同情しなかった。それどころか「自業自得だ。」と吐き捨てたのだった。
【花火】
英介と志乃生は、いつもの様に、海岸の防波堤に腰掛けて、海を見ていた。
天高くそびえる入道雲が、真夏の青空一杯に広がった。
英介は、そっと志乃生の手に触れようとした、と、その時。
「先輩っ!お熱いですね~。」
浩と正広だ。
英介は慌てて伸ばした手を引っ込めた。
「何よ、暇人二人組っ!」
志乃生が浩と正広に言った。ちょっぴり、膨れっ面で。
「あんまりだなぁ、暇人だなんて。」
正広が言う。
「何の用だよ?」
英介が二人に聞いた。二人は答えた。
「先輩、今夜花火やりません?面白い花火があるんすよ。」
浩が言った。
そこで四人は、今夜8時に、この海岸で待ち合わせることにした。
美波運輸の敷地から、荷物を積んだ大型トラックが出て行った。港に向かって。
喜多農園で生成された阿片や髙﨑縫製が製造した限りなく本物に近い偽ブランド品を載せて。
美波運輸に五つの「箱」の頭目が集まっていた。
英介の父が率いる「喜多箱」、志乃生の父の「髙﨑箱」、取り立て屋の山岡が所属する「大原箱」、美波運輸の「美波箱」、そして、各箱の資金を預り、管理・運用する「林田箱」だ。
「喜多さんのブツは、価格は高いが、質が良いので、欧米で人気ですよ。今日の積み荷は予定通り、アムステルダムへ。」
美波社長が話した。
「うちのブランドもお陰様で大儲けですよ。」
髙﨑が話すと美波社長が返した。
「えぇ、新興国で人気ですね。消費も伸びてますし、特に、ジャカルタとかクアラルンプールで人気ですね。」
大原箱の大原が羨ましそうに話した。
「うちの箱もグローバルに対応できたらなぁ、今どき、みかじめ料じゃ、食ってくだけで精一杯だよ。」
すると、林田が答えた。
「大丈夫だよ。大原んとこの資金はしっかり運用してるから。」
林田は資金の運用状況を話した。
「香港と上海のマーケットに投じてる資産の一部を、シンガポールとウォール街に振り分けたよ。中国はリスクが高いからね。」
喜多が問い掛けた。
「うちのアガリはしっかり洗浄してくれよな。」
それを聞いた林田はにんまりすると、楽しそうに答えた。
「ケイマンやバージン諸島、リヒテンシュタインとモナコにそれぞれ突っ込んであるから心配ないよ。」
夜8時。英介、志乃生、浩、正広の四人は海岸に集まった。
浩と正広は、大きなバッグを持ってきた。「花火セット」が入っていると言うのだ。
浩は満面の笑みを浮かべると、バッグの中の「花火セット」を取り出した。
「じゃーん!すげぇでしょ?」
と、浩。
「何だ。クーガーじゃん。」
志乃生が答えた。
「えっ!志乃生先輩!もっと驚いて下さいよぉ!」
浩が言うと、志乃生が答える。
「だって、道具なら、うちのお父さん、一杯持ってるし…。」
英介がバッグを覗きこむ。
「あっ!Cz75だ!俺の親父のと一緒のやつだ。」
正広がガッカリしながら答える。
「えぇ!英介先輩も知ってたんだ。」
英介は二人の後輩に呆れた様に切り出した。
「あのなぁ、俺も志乃生も、家が箱なんだよ。小さい時から分かってるよ。」
そんな遣り取りの後、四人はそれぞれ好きな道具を手に取ると、海に向かって発砲した。
「いいぞ、浩!やっちゃえ!」
英介がそう言うと、浩は、月に照らされた水平線目掛けて、カラシニコフをフルオートした。
「俺も!」
と言って、正広がUZIを撃ち込んだ。
英介は、空き缶を拾うと、テトラポットにそれを置いて、離れた所からSIG SAUER P220を発砲した。
見事命中だ。
「じゃあ、私はこれ。」
そう言って志乃生はM4カービンに擲弾を装填すると、浅瀬に乗り上げて、動かなくなった、錆だらけの漁船に向けて発射した。
ダンッ!!
閃光と爆音が静かな月の下の海辺に轟いた。釣り船が炎上している。
四人は、その赤々と燃えて、天に昇る火柱をいつまでも眺めていた。
【通過儀礼】
街には海水浴場が有るので、夏になると、家族連れなどの旅行客で賑わう。
ただ、街の裏側を知っている旅行客もいて、夜の旅館街では、公然と箱の兵が薬物を販売した。
厄介なことが起こった。隣の地区の豊原箱が進出してきて、土地の箱である前潟箱の縄張りを荒らした。
そこで、前潟箱は、勝手に縄張りで薬物を販売していた豊原箱の兵を始末(殺害)した。
豊原箱も黙ってはいなかった。
その日、三人の前潟箱の兵が、温泉旅館で湯に浸かっていた。
三人のうちの一人が先に湯から上がり、脱衣所で鏡に向かってドライヤーをかけていたところ、突然背後から後頭部を銃撃された。大量の血しぶきが鏡に飛び散り、その一人は即死だった。
外で銃声が聞こえたため、湯に浸かっていた他の二人が「何事か?」と顔を見合わせた時、浴場に殺し屋が入ってきて、その二人を射殺した。
大浴場が血の池となり、赤くなった。
豊原箱の狼藉は留まることを知らなかった。
その日、美波運輸、つまり美波箱の大型トラックが、交差点で停車した。前には乗用車が一台停車している。
やがて信号が青になるが、乗用車は動こうとしない。
トラックを運転していた美波箱の兵は、何度もクラクションを鳴らすが、乗用車は動かない。
遂に我慢の限界がきたその兵は、トラックをおりて、文句を言うために乗用車に近付いた。
だが、それが運の尽きだった。その兵は、乗用車の中から銃撃をうけた。
ベネリ M4 スーペル90の12ゲージのショットガンを至近距離から頭部に受けたため、頭が粉々になった。
犯人は豊原箱だった。
その後、犯人達はトラックの積み荷を強奪していった。
流石の美波社長も堪忍袋の緒が切れたようで、豊原箱に報復を誓った。
美波社長は若手を使うことにした。
その日もバイトが終わった後に浩と正広は、射撃の練習をしていた。そこへ社長が現れると、二人に言った。
「君らに頼みたい仕事があるんだ。君らを一人前の大人と見込んで。」
社長がそう言うと、浩と正広は、目を輝かせた。
一人前と認められた、大人の仲間入りだ。
翌日、二人は原付に二人乗りして、隣の地区に出掛けて行った。そして、到着すると、一件のゲーセンに入り、シューティングゲームを楽しんだ。
特殊部隊員を操作して、テロリストを掃討するゲームだ。
暫くすると、ゲーセンの向かいの床屋から、中年の男性が出てきた。
「おい、正広。奴が出て来たぞ。」
浩が言った。すると二人は、ズボンに挟んで、Tシャツで隠していた道具を取り出すと、素早くゲーセンの外に出ると、その男性に向けて発砲した。
男性がアスファルトに倒れ込む。二人は、倒れた男性に数発発砲すると、急いで原付に乗り、その場を立ち去った。
殺った相手の中年男性は豊原箱の頭目だった。
「浩!殺ったよ、俺、殺ったよ!」
原付を運転しながら、後に座る浩に、正広が興奮ぎみに言った。
二人は、遂に、ラインを越えたのだ。それは、この街の人間にとって、大人になるための通過儀礼であった。
【不和】
大原箱の山岡が、毎度の様に、各店舗を集金して回っていた。直ぐ側で、業者がゴミの回収をしていた。
すると業者の人間が、山岡に近付き、山岡の頭部に発砲した。山岡は即死だった。
数日遡る。
その日、林田箱の林田は、各箱から、資金を預り、それを綿密に計算し、どのマーケットに振り分けるかを考えていた。
ただ、いつもより、アガリが少ない。大原箱からの「納税」が無かったのだ。
そこで林田は、大原の所へ出向くと、大原に事情を聞いた。
「うちは、他の箱みたいに手広く事業してないから、もう、勘弁してくれないか?」
と言うのである。
林田は冷たく答えた。
「ああ、そうかい。あんた後悔するよ、必ず。」
そして、今回の山岡殺しが起きた訳だ。
大原箱の離反は、街の均衡を揺るがしてしまった。
英介の家の喜多箱は比較的穏健な態度を採り、大原箱に同情的であったが、志乃生の家の髙﨑箱は、非常に強硬的だった。
両者の間に亀裂が入る。
事態を決定付けたのは、髙﨑箱による、大原箱の殲滅だった。
ある日、大原箱のメンバーが、アジトでアガリの計算をしていた。すると、一台のバイクがやってきた。
大原箱のメンバーは、それにまったく気付いていない。
バイクに乗っていた男がアジトに踏み込むと、持っていた道具(拳銃)で大原箱のメンバーを一網打尽にしてしまう。
大原箱の頭目を始め、幹部数名が殺害され、箱は壊滅状態となった。
志乃生はいつもの様に父の仕事の手伝いをしていた。すると父が言った。
「志乃生、もう英介に会うな。」
と。
「え?何で?何でよ!!」
志乃生が声を強めて父に言う。
「大原の奴は箱の調和を乱した。そんな掟破りな奴を英介の親父は守ろうとした。残念だけど、喜多箱とは、もう縁切りだ。」
父が冷たく言う。
「嫌!嫌よ!絶対に嫌!」
そう言うと志乃生は事務所を飛び出した。
林田が美波社長に問う。
「喜多のシャブは確かに貴重な収入源だけど、ビジネスとしてはやり辛い。実際のところ、シャブなんて質より量だよ。」
すると美波社長が言う。
「髙﨑縫製のやべぇブランド品の方が確かに需要がある。そろそろ、そちらに軸足を移した方が良いかも知れない。」
「何処行くんだ。」
父が英介に問う。
「志乃生の所だよ。」
英介が言うと父が冷たく返す。
「英介、もう諦めろ。あの子とは、もう会うな。」
その夜も月が静かに輝き、海面を照らした。キラキラ光る波が浜辺に打ち寄せる。
英介と志乃生はこっそりと、会っていた。浜辺に座る二人を月だけが見ていた。
ただ何も言わず、二人は海を見ていた。
英介は勇気を出して、そっと手を伸ばすと、志乃生の手に始めて触れた。
志乃生はにっこりと笑う。
「もう私達、会えないのかなぁ?」
志乃生の問い掛けたに英介は何も答えることが出来なかった。
【得女梨鳥巣(エメリトス)】
この地方を支配する箱の権力は、街々に暗い影を落とす。
街の大半の人間が、直接的にせよ、間接的にせよ、何らかの形で、箱と関係があった。
しかし、正式な箱のメンバーになることは、つまり「名誉職:emeritus(エメリトス)」に就くことを意味する。
それは美しい女、甘味な梨(果実)、を頂く、鳥の巣の様な存在。それらを得る者らこそが、一人前であり、支配者に相応しいのだ。
浩と正広は、原付に二人乗りすると、走り出した。
その日も非常に暑かった。夕方、四人の男達が車を走らせていた。喜多箱の兵達だった。
浩と正広は原付で、その車の横に付けて並走すると、後に座った浩が、車目掛けて、イングラムをフルオートで発砲した。
車の窓ガラスが砕け、何発かが運転手の頭に命中した。
コントロールを失った車は、堤防の低い箇所に乗り上げて、海に転落した。
知らせを聞いた英介の父、喜多箱の頭目は激怒した。
美波運輸に戻った浩と正広は、社長である美波の頭目に報告した。二人には特別に給料が支給された。
その日の夜、英介は父に切り出した。覚悟が決まったのだ。
「父さん、俺、家を継ぐよ。」
すると父が答えた。
「ありがとな、英介。だけど、条件がある。」
英介が、その条件を聞いた。
「志乃生ちゃんを…。あの子を殺せ。それが条件だ。」
英介は暫く黙り込むと、静かに頷いた。
その日、英介は「儀式」を経て、正式に組織の一員となった。
父は英介を角頭にした。そして五人の兵を付けた。
翌日。英介の得女梨鳥巣としての初仕事が始まる。先ずは、自分の箱の構成員を車ごと海に沈めた奴を血祭りに上げることだった。
犯人は分かっていた。
「二人とも…。ごめんな…。」
英介は角頭として、年上の部下らに命じて、標的を仕留めるための行動を起こした。
浩と正広は、海の家で、カレーとラーメンを食べていた。そこに、屈強な男が五人現れた。
男達は、浩と正広に容赦なく銃弾を浴びせた。
その後、二人の亡骸を浜辺に引き摺って行くと、予め、小型ショベルカーで掘っておいた、深く、大きな穴の中に、二人を放り込んで、再び、砂を被せた。
その頃、志乃生は、自宅の自室で塞ぎ込んでいたが、その日の夕飯の食卓で、父に聞いた。
「お父さんは辛くないの?今の(裏の)仕事?」
すると父が答えた。
「俺はな。組織の人間を食わせてやらなきゃいけないんだ。義務がある。」
それを聞いて志乃生は考え込んだ。箸が止まる。
「お父さん、私に…。(裏の)仕事を教えて。」
志乃生がそう言うと、父は静かに返した。
「覚悟は出来ているか?いったん足を踏み入れたら、二度と戻れないぞ。本当に良いんだな?」
志乃生は頷いた。
食後、志乃生の父は、組織の幹部を集めた。そして、紙に墨と筆で「誓志書」という文書を書くと、娘の志乃生に血判する様に言った。
志乃生は、父が用意した短刀の刃で、利き手の親指に軽く傷を付けた。
血が出てきた。
その後、誓志書の自分の名前が書かれている箇所に血判した。
すると父は、その誓志書を燃やして灰にすると、その灰を盃に入れた。そして、その盃に酒を注いだ。
先ずは頭目である父が飲み、次に惣代、目付、角頭、といった順に廻し飲みして、最後に志乃生が飲み干す。
それを飲めば、もう元の世界には戻れない。
志乃生は静かに目を閉じて、それを飲み干した。
その日を境に、英介と志乃生は話を交わさなくなった。
最後の夏休みが、悲しく幕を降ろした。
【卒業】
年が明けて三月。英介と志乃生は高校を卒業した。
卒業式の体育館で、仰げば尊し、が、静かに、哀しく、歌われる。
英介と志乃生は目を合わせなかった。
式が終り、帰宅した英介は着替えると、一人海に来ていた。銃を持って。
すると、小さな影が、英介に近付いた。志乃生だ。
波の音か二人を包み込んだ。
「殺れよ!遠慮するな!!」
英介はそう言うと、所持していた銃を海に投げた。
志乃生は静かに、手に持っていた短刀の鞘を抜いた。
「だめ…。出来ない…。こんなのって。」
志乃生の目から涙が零れ落ちる。
すると英介が、志乃生にそっと近付いた。そして、優しく志乃生を抱き寄せると、静かに口付けをした。
瞳を閉じる志乃生。
英介は唇を志乃生から離すと、志乃生の短刀を持つ方の手を掴み、そのまま、自らの脇腹に短刀を突き立てた。
英介の口から、血が滴り落ちる。
「卒業…。おめでとうな…。」
英介はそっと、崩れ落ちた。
志乃生はいつまでも泣き続けた。
(10年後)
「姉さん、喜多の頭目、お亡くなりになりました。」
髙﨑箱の惣代が言った。
喜多箱頭目、つまり、英介の父は癌で亡くなった。
あの卒業式の日、英介が死んだ後、各箱は手打ちをして、抗争は終結していた。
「そう。じゃあ、準備しなきゃね。」
志乃生が惣代に言った。
箱の頭目になった志乃生は父の表の仕事も裏の仕事も引き継いだ。
何度目かの夏がやってきた。
志乃生は浴衣姿に日傘を差して、浜辺に来た。波が静かに打ち寄せる。
ふと目を遣ると、黒焦げになり、朽ち果てた漁船があった。
志乃生はあの夏休みの夜の「花火」を思い出した。
今日も街は闇に覆われていた。真夏の太陽が燦々と照り付けるというのに。
(終)
「うーん、固いなぁ、開かないよ。」
志乃生(しのぶ)は、力一杯ペットボトルの蓋をひねったが、汗で滑って、なかなか開かない。
見兼ねた英介(えいすけ)が、そっと手を伸ばして、志乃生のペットボトルを引き寄せた。
「貸してみろよ、開けてやるから。」
英介の手が、少しだけ志乃生の手に触れた。
志乃生は少し、赤くなった。
志乃生は英介の幼馴染だ。同じ高校に通っている。
艶のある黒くて長い髪。透き通る様な白い肌。吸い込まれそうな瞳。そして、芳醇な唇。
英介は、その胸の内を、志乃生に明かせないでいた。「好きだよ。」と。
だが、それは志乃生も同じだった。
8月の青空に、大きく延びる入道雲が、海の遥か彼方の水平線を、優しく包み込む。
「最後の夏休みだね。」
志乃生がそう言うと英介は静かに答えた。
「うん。」
ペットボトルの蓋が開く。
英介はそれをそっと志乃生に手渡した。今度は志乃生に触れない様に。
本当は、触れかったのだが…。
若い二人の姿を、真夏の照り付ける太陽が見ていた。
【農園】
英介は海側から山側へと続く田舎道を、自宅に向かって歩いた。
サッカー部で鍛えただけあって、体力と脚力は抜群だ。
ただ、遂に補欠のままだったが。
それでも英介は諦めなかった。
自宅に着いた英介は、ジャージに着替えると、農園に向った。「喜多農園」だ。
英介の家は農園を経営しており、若い従業員も何人かいる。
「おお、英介。おかえり。」
父がにこやかに言う。日焼けした黒い顔に汗がにじむ。喜多家は代々この地の地頭の一族だ。
「父さん、何手伝おうか?」
英介は父親から指示を貰うと、作業に取り掛かった。野菜の間引きだ。
夕方。作業が終わる
「じゃあ父さん、俺、先にもどるね。」
英介はそう言うと、蛇口で、手と顔を洗い、家に戻った。
英介の姿が消えた後、父親は従業員の一人に声を掛けた。
「なぁ、あれ、調子どうだい?」
すると従業員が言う。
「順調ですよ。社長、見てみますか?」
そう言うと、二人は農園の奥にある、ある栽培品の畑に移動した。
そして、その栽培品を手で優しく触れながら、呟いた。
「うん、この調子なら、たくさん生成出荷できそうだ。」
その栽培品、植物は、ふっくら丸い果実部を持っており、切り込みを入れると、白い乳液が採取できた。
農園は、その乳液を加工・生成して、出荷する。
学名 Papaver somniferum(パパウェル・ソムニフェルム)
ケシだ。
【縫製工場】
カタカタカタカタッ、と、たくさんのミシンが軽快でリズミカルな音を奏でる。
従業員は楽しそうだ。給料も福利厚生も充実している。
志乃生の家は明治初期から続く縫製工場を経営していた。
髙﨑縫製だ。
帰宅した志乃生は、私服に着替えると、花柄のエプロンを身に着けて、工場に入った。
「あら、志乃生ちゃん、お帰り。」
パートのおばちゃんが、にっこり微笑む。
「お父さんは?」
志乃生がおばちゃんに聞くと、おばちゃんは少し、考えてから話した。
「社長?えーっと、たぶん、事務所だと思うよ。呼んでこようか?」
すると志乃生は申し訳なさそうに答えた。
「いいよ、いいよ。私、事務所に行くね。」
志乃生はそう言うと、工場の2階にある事務所に向かって、傾斜のキツい階段を軽やかに登った。
薙刀の道場で鍛えた足腰が、思わぬ所で役に立つ。
事務所に入ると父が声を掛けた。
「おっ!志乃生、待ってたよ。伝票整理して、ファイルに閉じてくれ。」
志乃生は伝票の束を日付やナンバー順に分けて、ファイリングしていく。
17時、作業終了。従業員が帰宅して行く。
志乃生は父に先に家に戻ると告げた。
「じゃあお父さん、私、先戻るから。」
父が返した。
「お疲れ、ありがとうな。」
志乃生を見送ると、父は総務の沢田さんと工場の倉庫を確認しに行った。
Abundant Hope(アバンダント・ホープ)は、世界中に店舗を構える、人気のブランドだ。
髙﨑縫製は、そのアパレル会社と契約しており、ブランドの衣類の製造を担っている。
「これが予定の出荷品ですね。」
総務の沢田さんが言う。すると志乃生の父が返した。
「ありがとうね、沢田君。で、非公式の方は?」
すると沢田さんは、倉庫の隅に積まれた段ボールを指さした。
父はその段ボールの中にある、パーカーとかトレーナーを取り出して、満足そうに話した。
「いや、本当に良く出来てる。まさかこれが、偽ブランドだなんて、誰も気付かんだろ。」
取り引き先の知らない秘密のカラクリがあって、予定生産数より、余分に生産されたAbundant Hopeを通常の半値以下で、闇の市場で売り捌く。
それにより組織には莫大な利益が転がり込むのだ。
それはもはや偽ブランドではなかった。
【バイト】
「なあ、正広、夏休みどうする?」
浩が聞いた。すると正広が提案する。
「バイトしようかなぁ。」
浩(ゆたか)と正広(まさひろ)は、志乃生や英介と同じ学校の一年で、小学生時代からの付き合いだ。
目立たない子達で、部活とかは、特にやってない。
「バイトってどんな?」
浩が聞いた。
「港の近くの運送屋が、倉庫整理のバイト募集してたよ。」
と、正広は説明した。
二人は早速、面接を受けに行った。
美波運輸は、地元では有名な運送会社だった。信頼ある会社だから、そこでのバイトは社会勉強になる。
二人の親はバイトを了承した。
面接は、そこの社長がしてくれた。その社長というのが、少しお腹の出た貫禄のある人で、無精髭を生やしたガテン系のおじさんで、正直見た目は怖かった。
「いや、助かるよ。若い子が手伝いに来てくれて。」
見た目によらず、社長は優しかった。
7月下旬。夏休み突入。
二人はバイトに勤しんだ。
倉庫の中は暑かったが、二人は新鮮な気持ちだった。
正広が、ある大きな荷物を見つけた。カーキ色した金属製の大きな箱だ。
「何だろ、これ?」
正広が言う。すると浩が正広に、呆れた様に言った。
「もうっ、喋ってないで動けよ。」
二人は、その大きな金属製の箱を所定の場所に移動しようとした。
が、その時、箱の蓋がズレて、倉庫の床に滑り落ちた。
ガラァン!!
大きな音が倉庫にこだまする。
二人はゆっくりと蓋の取れた箱を戻した。
見てはいけないものを見て、腰をぬかした。
SIG SAUER P220、ベレッタM92F、Cz75、コルトガバメント、オートマグⅢ、デザートイーグル、トカレフ、マカロフ、H&K USP、ベレッタM8000クーガー、357マグナム…。
浩はミリオタだったので直に分かった。
「おぉ!すげぇ!!」
浩の目が輝いた。すると正広が、それらの銃の下に、他の銃が隠れている事を発見した。
「何か大きなのもあるけど…。」
すると浩はそれらに手を伸ばした。
「すげぇ、MP5じゃん、こっちはUZI、Vz61、あっ、イングラムだ!おぉ、ベレッタM12もあるじゃん!」
拳銃に続き、サブマシンガンまで出てきた。
「これ、ニュースとかで見た事あるな。」
正広が言うと浩が教えた。
「マジか!カラシニコフだ!おぉ、こっちはM4カービン!しかもグレネードランチャー付いてるじゃん!!」
浩の興奮が止まらない。正広は少し怖かったが次第に慣れてきた。
「あっちゃーっ、見られちまったか。」
そこに社長が立っていた。
【箱】
浩と正広は、ガタガタ震えだした。
すると社長が二人にそっと近くと、穏やかに話し掛けた。
「見られちゃったら仕方が無い。でもまぁ、この街で生まれ、この街で育ち、この街で生きる奴なら、いつかは通る道だ。」
社長はそう言うと、銃を一丁手にとって、続けて言った。
「二人とも、これ、撃ってみたくないかい?」
その日を境にして、二人はバイトの後で、社長から道具(武器)の使い方を教わった。
彼らの街を中心にした、この地方一帯には「箱」というものが存在する。
その起源は古く、戦国時代初期に遡る。住民らが大名の支配に抵抗するために組織した自警団が原型と言われる。
「箱」は、リーダーの「頭目」を頂点として、その下に「頭目代」或いは「惣代」がいて、さらにその下に、大体、5人から10人の「角頭」がいる。
また、組織の揉め事を調停するための「目付」という役目もいる。
頭目、惣代、角頭、そして、目付らには、それぞれ5人程度の「兵」が付き従い、守りを固める。
かつて、領主から年貢の強引な取り立てを受けた「箱」は、収入源を得るために「裏稼業」を生業にしていた。
また、時として、支配者側に牙を剥き、暗殺や謀略も司った。
その血塗られた遺伝子は現代も健在である。
半年ほど前の話だが、街の商店街の一角で、雑貨店を経営する男性が、頭部を銃撃されて即死した事件があった。
バイクに乗った二人組の犯行だったそうな。犯人はまだ逮捕されていない。
というか、警察はそもそも犯人を逮捕する気が無い。「箱」の資金に汚染されているからだ。
市役所も例外ではない。「箱」の関係者の生活保護を出し渋った職員が、遺体で発見された事がある。
市役所の職員全員が、心当りが無いと言う。本当は、分かっていたのだが、ここも「箱」の資金で汚染されているのだ。
商店街の喫茶店に、山岡が入ってきた。ある「箱」の「角頭」を務める男だ。
喫茶店のマスターは、封筒を山岡に渡した。中身を確認する山岡。
20万入っていた。
「マスター、安心しなよ。きっちり守ってやるからよぉ。来月も頼むわ。雑貨店の親父みたいになりたくねぇよな?」
山岡はそう言うと、次の集金先に向った。
山岡が所属する「箱」は、みかじめ料が収入源だ。雑貨店の店主はそれを断ったのだ。
だが、住民は、その店主に誰も同情しなかった。それどころか「自業自得だ。」と吐き捨てたのだった。
【花火】
英介と志乃生は、いつもの様に、海岸の防波堤に腰掛けて、海を見ていた。
天高くそびえる入道雲が、真夏の青空一杯に広がった。
英介は、そっと志乃生の手に触れようとした、と、その時。
「先輩っ!お熱いですね~。」
浩と正広だ。
英介は慌てて伸ばした手を引っ込めた。
「何よ、暇人二人組っ!」
志乃生が浩と正広に言った。ちょっぴり、膨れっ面で。
「あんまりだなぁ、暇人だなんて。」
正広が言う。
「何の用だよ?」
英介が二人に聞いた。二人は答えた。
「先輩、今夜花火やりません?面白い花火があるんすよ。」
浩が言った。
そこで四人は、今夜8時に、この海岸で待ち合わせることにした。
美波運輸の敷地から、荷物を積んだ大型トラックが出て行った。港に向かって。
喜多農園で生成された阿片や髙﨑縫製が製造した限りなく本物に近い偽ブランド品を載せて。
美波運輸に五つの「箱」の頭目が集まっていた。
英介の父が率いる「喜多箱」、志乃生の父の「髙﨑箱」、取り立て屋の山岡が所属する「大原箱」、美波運輸の「美波箱」、そして、各箱の資金を預り、管理・運用する「林田箱」だ。
「喜多さんのブツは、価格は高いが、質が良いので、欧米で人気ですよ。今日の積み荷は予定通り、アムステルダムへ。」
美波社長が話した。
「うちのブランドもお陰様で大儲けですよ。」
髙﨑が話すと美波社長が返した。
「えぇ、新興国で人気ですね。消費も伸びてますし、特に、ジャカルタとかクアラルンプールで人気ですね。」
大原箱の大原が羨ましそうに話した。
「うちの箱もグローバルに対応できたらなぁ、今どき、みかじめ料じゃ、食ってくだけで精一杯だよ。」
すると、林田が答えた。
「大丈夫だよ。大原んとこの資金はしっかり運用してるから。」
林田は資金の運用状況を話した。
「香港と上海のマーケットに投じてる資産の一部を、シンガポールとウォール街に振り分けたよ。中国はリスクが高いからね。」
喜多が問い掛けた。
「うちのアガリはしっかり洗浄してくれよな。」
それを聞いた林田はにんまりすると、楽しそうに答えた。
「ケイマンやバージン諸島、リヒテンシュタインとモナコにそれぞれ突っ込んであるから心配ないよ。」
夜8時。英介、志乃生、浩、正広の四人は海岸に集まった。
浩と正広は、大きなバッグを持ってきた。「花火セット」が入っていると言うのだ。
浩は満面の笑みを浮かべると、バッグの中の「花火セット」を取り出した。
「じゃーん!すげぇでしょ?」
と、浩。
「何だ。クーガーじゃん。」
志乃生が答えた。
「えっ!志乃生先輩!もっと驚いて下さいよぉ!」
浩が言うと、志乃生が答える。
「だって、道具なら、うちのお父さん、一杯持ってるし…。」
英介がバッグを覗きこむ。
「あっ!Cz75だ!俺の親父のと一緒のやつだ。」
正広がガッカリしながら答える。
「えぇ!英介先輩も知ってたんだ。」
英介は二人の後輩に呆れた様に切り出した。
「あのなぁ、俺も志乃生も、家が箱なんだよ。小さい時から分かってるよ。」
そんな遣り取りの後、四人はそれぞれ好きな道具を手に取ると、海に向かって発砲した。
「いいぞ、浩!やっちゃえ!」
英介がそう言うと、浩は、月に照らされた水平線目掛けて、カラシニコフをフルオートした。
「俺も!」
と言って、正広がUZIを撃ち込んだ。
英介は、空き缶を拾うと、テトラポットにそれを置いて、離れた所からSIG SAUER P220を発砲した。
見事命中だ。
「じゃあ、私はこれ。」
そう言って志乃生はM4カービンに擲弾を装填すると、浅瀬に乗り上げて、動かなくなった、錆だらけの漁船に向けて発射した。
ダンッ!!
閃光と爆音が静かな月の下の海辺に轟いた。釣り船が炎上している。
四人は、その赤々と燃えて、天に昇る火柱をいつまでも眺めていた。
【通過儀礼】
街には海水浴場が有るので、夏になると、家族連れなどの旅行客で賑わう。
ただ、街の裏側を知っている旅行客もいて、夜の旅館街では、公然と箱の兵が薬物を販売した。
厄介なことが起こった。隣の地区の豊原箱が進出してきて、土地の箱である前潟箱の縄張りを荒らした。
そこで、前潟箱は、勝手に縄張りで薬物を販売していた豊原箱の兵を始末(殺害)した。
豊原箱も黙ってはいなかった。
その日、三人の前潟箱の兵が、温泉旅館で湯に浸かっていた。
三人のうちの一人が先に湯から上がり、脱衣所で鏡に向かってドライヤーをかけていたところ、突然背後から後頭部を銃撃された。大量の血しぶきが鏡に飛び散り、その一人は即死だった。
外で銃声が聞こえたため、湯に浸かっていた他の二人が「何事か?」と顔を見合わせた時、浴場に殺し屋が入ってきて、その二人を射殺した。
大浴場が血の池となり、赤くなった。
豊原箱の狼藉は留まることを知らなかった。
その日、美波運輸、つまり美波箱の大型トラックが、交差点で停車した。前には乗用車が一台停車している。
やがて信号が青になるが、乗用車は動こうとしない。
トラックを運転していた美波箱の兵は、何度もクラクションを鳴らすが、乗用車は動かない。
遂に我慢の限界がきたその兵は、トラックをおりて、文句を言うために乗用車に近付いた。
だが、それが運の尽きだった。その兵は、乗用車の中から銃撃をうけた。
ベネリ M4 スーペル90の12ゲージのショットガンを至近距離から頭部に受けたため、頭が粉々になった。
犯人は豊原箱だった。
その後、犯人達はトラックの積み荷を強奪していった。
流石の美波社長も堪忍袋の緒が切れたようで、豊原箱に報復を誓った。
美波社長は若手を使うことにした。
その日もバイトが終わった後に浩と正広は、射撃の練習をしていた。そこへ社長が現れると、二人に言った。
「君らに頼みたい仕事があるんだ。君らを一人前の大人と見込んで。」
社長がそう言うと、浩と正広は、目を輝かせた。
一人前と認められた、大人の仲間入りだ。
翌日、二人は原付に二人乗りして、隣の地区に出掛けて行った。そして、到着すると、一件のゲーセンに入り、シューティングゲームを楽しんだ。
特殊部隊員を操作して、テロリストを掃討するゲームだ。
暫くすると、ゲーセンの向かいの床屋から、中年の男性が出てきた。
「おい、正広。奴が出て来たぞ。」
浩が言った。すると二人は、ズボンに挟んで、Tシャツで隠していた道具を取り出すと、素早くゲーセンの外に出ると、その男性に向けて発砲した。
男性がアスファルトに倒れ込む。二人は、倒れた男性に数発発砲すると、急いで原付に乗り、その場を立ち去った。
殺った相手の中年男性は豊原箱の頭目だった。
「浩!殺ったよ、俺、殺ったよ!」
原付を運転しながら、後に座る浩に、正広が興奮ぎみに言った。
二人は、遂に、ラインを越えたのだ。それは、この街の人間にとって、大人になるための通過儀礼であった。
【不和】
大原箱の山岡が、毎度の様に、各店舗を集金して回っていた。直ぐ側で、業者がゴミの回収をしていた。
すると業者の人間が、山岡に近付き、山岡の頭部に発砲した。山岡は即死だった。
数日遡る。
その日、林田箱の林田は、各箱から、資金を預り、それを綿密に計算し、どのマーケットに振り分けるかを考えていた。
ただ、いつもより、アガリが少ない。大原箱からの「納税」が無かったのだ。
そこで林田は、大原の所へ出向くと、大原に事情を聞いた。
「うちは、他の箱みたいに手広く事業してないから、もう、勘弁してくれないか?」
と言うのである。
林田は冷たく答えた。
「ああ、そうかい。あんた後悔するよ、必ず。」
そして、今回の山岡殺しが起きた訳だ。
大原箱の離反は、街の均衡を揺るがしてしまった。
英介の家の喜多箱は比較的穏健な態度を採り、大原箱に同情的であったが、志乃生の家の髙﨑箱は、非常に強硬的だった。
両者の間に亀裂が入る。
事態を決定付けたのは、髙﨑箱による、大原箱の殲滅だった。
ある日、大原箱のメンバーが、アジトでアガリの計算をしていた。すると、一台のバイクがやってきた。
大原箱のメンバーは、それにまったく気付いていない。
バイクに乗っていた男がアジトに踏み込むと、持っていた道具(拳銃)で大原箱のメンバーを一網打尽にしてしまう。
大原箱の頭目を始め、幹部数名が殺害され、箱は壊滅状態となった。
志乃生はいつもの様に父の仕事の手伝いをしていた。すると父が言った。
「志乃生、もう英介に会うな。」
と。
「え?何で?何でよ!!」
志乃生が声を強めて父に言う。
「大原の奴は箱の調和を乱した。そんな掟破りな奴を英介の親父は守ろうとした。残念だけど、喜多箱とは、もう縁切りだ。」
父が冷たく言う。
「嫌!嫌よ!絶対に嫌!」
そう言うと志乃生は事務所を飛び出した。
林田が美波社長に問う。
「喜多のシャブは確かに貴重な収入源だけど、ビジネスとしてはやり辛い。実際のところ、シャブなんて質より量だよ。」
すると美波社長が言う。
「髙﨑縫製のやべぇブランド品の方が確かに需要がある。そろそろ、そちらに軸足を移した方が良いかも知れない。」
「何処行くんだ。」
父が英介に問う。
「志乃生の所だよ。」
英介が言うと父が冷たく返す。
「英介、もう諦めろ。あの子とは、もう会うな。」
その夜も月が静かに輝き、海面を照らした。キラキラ光る波が浜辺に打ち寄せる。
英介と志乃生はこっそりと、会っていた。浜辺に座る二人を月だけが見ていた。
ただ何も言わず、二人は海を見ていた。
英介は勇気を出して、そっと手を伸ばすと、志乃生の手に始めて触れた。
志乃生はにっこりと笑う。
「もう私達、会えないのかなぁ?」
志乃生の問い掛けたに英介は何も答えることが出来なかった。
【得女梨鳥巣(エメリトス)】
この地方を支配する箱の権力は、街々に暗い影を落とす。
街の大半の人間が、直接的にせよ、間接的にせよ、何らかの形で、箱と関係があった。
しかし、正式な箱のメンバーになることは、つまり「名誉職:emeritus(エメリトス)」に就くことを意味する。
それは美しい女、甘味な梨(果実)、を頂く、鳥の巣の様な存在。それらを得る者らこそが、一人前であり、支配者に相応しいのだ。
浩と正広は、原付に二人乗りすると、走り出した。
その日も非常に暑かった。夕方、四人の男達が車を走らせていた。喜多箱の兵達だった。
浩と正広は原付で、その車の横に付けて並走すると、後に座った浩が、車目掛けて、イングラムをフルオートで発砲した。
車の窓ガラスが砕け、何発かが運転手の頭に命中した。
コントロールを失った車は、堤防の低い箇所に乗り上げて、海に転落した。
知らせを聞いた英介の父、喜多箱の頭目は激怒した。
美波運輸に戻った浩と正広は、社長である美波の頭目に報告した。二人には特別に給料が支給された。
その日の夜、英介は父に切り出した。覚悟が決まったのだ。
「父さん、俺、家を継ぐよ。」
すると父が答えた。
「ありがとな、英介。だけど、条件がある。」
英介が、その条件を聞いた。
「志乃生ちゃんを…。あの子を殺せ。それが条件だ。」
英介は暫く黙り込むと、静かに頷いた。
その日、英介は「儀式」を経て、正式に組織の一員となった。
父は英介を角頭にした。そして五人の兵を付けた。
翌日。英介の得女梨鳥巣としての初仕事が始まる。先ずは、自分の箱の構成員を車ごと海に沈めた奴を血祭りに上げることだった。
犯人は分かっていた。
「二人とも…。ごめんな…。」
英介は角頭として、年上の部下らに命じて、標的を仕留めるための行動を起こした。
浩と正広は、海の家で、カレーとラーメンを食べていた。そこに、屈強な男が五人現れた。
男達は、浩と正広に容赦なく銃弾を浴びせた。
その後、二人の亡骸を浜辺に引き摺って行くと、予め、小型ショベルカーで掘っておいた、深く、大きな穴の中に、二人を放り込んで、再び、砂を被せた。
その頃、志乃生は、自宅の自室で塞ぎ込んでいたが、その日の夕飯の食卓で、父に聞いた。
「お父さんは辛くないの?今の(裏の)仕事?」
すると父が答えた。
「俺はな。組織の人間を食わせてやらなきゃいけないんだ。義務がある。」
それを聞いて志乃生は考え込んだ。箸が止まる。
「お父さん、私に…。(裏の)仕事を教えて。」
志乃生がそう言うと、父は静かに返した。
「覚悟は出来ているか?いったん足を踏み入れたら、二度と戻れないぞ。本当に良いんだな?」
志乃生は頷いた。
食後、志乃生の父は、組織の幹部を集めた。そして、紙に墨と筆で「誓志書」という文書を書くと、娘の志乃生に血判する様に言った。
志乃生は、父が用意した短刀の刃で、利き手の親指に軽く傷を付けた。
血が出てきた。
その後、誓志書の自分の名前が書かれている箇所に血判した。
すると父は、その誓志書を燃やして灰にすると、その灰を盃に入れた。そして、その盃に酒を注いだ。
先ずは頭目である父が飲み、次に惣代、目付、角頭、といった順に廻し飲みして、最後に志乃生が飲み干す。
それを飲めば、もう元の世界には戻れない。
志乃生は静かに目を閉じて、それを飲み干した。
その日を境に、英介と志乃生は話を交わさなくなった。
最後の夏休みが、悲しく幕を降ろした。
【卒業】
年が明けて三月。英介と志乃生は高校を卒業した。
卒業式の体育館で、仰げば尊し、が、静かに、哀しく、歌われる。
英介と志乃生は目を合わせなかった。
式が終り、帰宅した英介は着替えると、一人海に来ていた。銃を持って。
すると、小さな影が、英介に近付いた。志乃生だ。
波の音か二人を包み込んだ。
「殺れよ!遠慮するな!!」
英介はそう言うと、所持していた銃を海に投げた。
志乃生は静かに、手に持っていた短刀の鞘を抜いた。
「だめ…。出来ない…。こんなのって。」
志乃生の目から涙が零れ落ちる。
すると英介が、志乃生にそっと近付いた。そして、優しく志乃生を抱き寄せると、静かに口付けをした。
瞳を閉じる志乃生。
英介は唇を志乃生から離すと、志乃生の短刀を持つ方の手を掴み、そのまま、自らの脇腹に短刀を突き立てた。
英介の口から、血が滴り落ちる。
「卒業…。おめでとうな…。」
英介はそっと、崩れ落ちた。
志乃生はいつまでも泣き続けた。
(10年後)
「姉さん、喜多の頭目、お亡くなりになりました。」
髙﨑箱の惣代が言った。
喜多箱頭目、つまり、英介の父は癌で亡くなった。
あの卒業式の日、英介が死んだ後、各箱は手打ちをして、抗争は終結していた。
「そう。じゃあ、準備しなきゃね。」
志乃生が惣代に言った。
箱の頭目になった志乃生は父の表の仕事も裏の仕事も引き継いだ。
何度目かの夏がやってきた。
志乃生は浴衣姿に日傘を差して、浜辺に来た。波が静かに打ち寄せる。
ふと目を遣ると、黒焦げになり、朽ち果てた漁船があった。
志乃生はあの夏休みの夜の「花火」を思い出した。
今日も街は闇に覆われていた。真夏の太陽が燦々と照り付けるというのに。
(終)
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