蜃気楼

無邪気な棘

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蜃気楼

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この作品を、戦争により引き裂かれた、全ての恋人達に捧げる。

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ヤシマリヤ共和国はアマタロス教徒が人口の約85%の4,350万人余りを占め、残りの650万人が仏教徒(浄土本宗)であった。

多数派のアマタロス教徒は、ヤシマリヤの政治、経済、文化、教育、など、多岐に渡り影響力があり、強い権力を有していた。

一方、仏教徒側は、その影響下にあり、たとえば、進学や就職など、社会的に不利益を被る事が珍しくなく、差別的な待遇に甘んじる他なかった。

それで仏教徒はしばしば、公民権を求めて、抗議集会やデモ、或いは、場合によっては暴動を起こすなどの抵抗を見せる事も少なくなかった。

アマタロス教徒が多数を占める政府は、こうした動きを警察や軍の力で抑えつけ、弾圧を加えた。

対する仏教徒側もレジスタンス組織「正義の法輪」を結成し、政府側に武装闘争を挑み、抵抗した。

両者の溝は深まるばかりだった。

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空の青と海の紺が接する光る水平線を、一隻の白い小さな船が、宙に浮き、ゆらゆらと揺らめきながら、沖を進んでいた。

その蜃気楼を、他に誰もいない浜辺で、二人は逢瀬を重ねた。

「光の屈折でああ見えるんだよ。」

ヒロヤが言った。

二十歳の大学二年の男子、日に焼けた小麦色に逞しい身体、明るく、ユーモアがあり、またサッカーを嗜む成績優秀な文武両道の若者である。

彼はアマタロス教徒だった。

「蜃気楼の原理ぐらい知ってるわ。」

マヤが答えた。

マヤはヒロヤと同じ大学の同期。

黒く艶のある長い髪、透き通る様な黒い瞳、美しく光る肌と唇が魅力的な、同じく二十歳の女子、仏教徒だった。

二人は高校時代からの付き合いだ。

「いけないわ、もう時間。行かないと。」

マヤはそう言うと立ち上がり、白い浴衣の裾に付いた浜の砂を払った。

「ゲートまで送るよ。」

ヒロヤが言った。

二人は居住区のゲートまで来ると、誰も見ていない事を確認して、静かにそっと口付けをした。

「じゃあね。また明日。」

マヤはそう言うと、ゲートをくぐり、居住区の中へ消えて言った。

ヒロヤはマヤの姿が消えるのを確認すると、くるりと向きを変えて、ジーンズのポケットに手を突っ込んで、家路に着いた。

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仏教徒側は限られた居住区で生活する事を義務付けられており、居住区のゲートが開放される午前7時から午後8時の間だけ、外部との行き来が可能だった。

万が一、時間外において、居住区外での活動が確認された場合、その身柄を当局に拘束される決まりがあり、場合によっては、射殺される危険性もあった。

つまり、ゲートが開放されている時間内に外部での必要な活動を行う事が求められる。

従って、例えば、仏教徒の学生が、勉学の為に外部の教育機関を利用したくても、長時間の利用が困難であり、また、外部に仕事で出掛けたとしても、帰宅を急ぐ必要があり、残業が出来ない。

元々、給料に格差を付けられている事も相まって、収入が少なく、貧しい生活に甘んじざる負えなかったのである。

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マヤが居住区の一角にある集合住宅にある自宅に戻ると、父と母が「お帰り。」と声を掛けた。

マヤも「ただいま。」を返した。

すると、自宅の奥の部屋から、タカヒロがやって来てマヤに冷たく囁いた。

「またあの男に会っていたのか?」

タカヒロはマヤの兄だ。

長身に鍛え抜かれた屈強な体付き。

表向きの仕事はトラックドライバーだが、実際は「正義の法輪」の関係者だった。

「兄さんには関係ないでしょ。」

そう言うとマヤは自室に閉じこもった。

ヒロヤが自宅に戻る。

彼の家は小さいながらも不動産屋を経営していた。

彼が帰宅すると、社長である父がヒロヤを問いただした。

「いつまであの娘と付き合うつもりだ?!別れろ!」

と。

しかし、ヒロヤはそれに答える事なく自室に入ると、ベッドにごろりと仰向けになり、部屋の天井を眺めた。

そして、そっと目を閉じて、マヤの姿を思い浮かべるのであった。

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半月の時が流れた。事件が起きる。

仏教徒居住区内において、警備に当たっていた国軍の兵士が、土地の仏教徒の少年を不審に思い道端で尋問した。

少年は反抗的な態度をとり、兵士に抵抗した。

すると兵士は所持していたM653カービン銃で、少年を射殺してしまった。

この事件をきっかけにして、あちこちの居住区で抗議デモが起こり、デモはやがて暴動に発展した。

自体を制圧する為に、政府は国軍の地上部隊を投入し、国中の居住区を一時閉鎖した。

国軍の地上部隊に対して「正義の法輪」を中心にして、武装した仏教徒の民兵達が、国軍と激しい銃撃戦を展開した。

民兵達のカラシニコフが火を吹き、RPG-7が国軍の軍用車両を容赦なく襲った。

ヒロヤの中の不安は頂点に達しようとしていた。

「マヤ、君は大丈夫なのか?会いたい。」

ヒロヤはそう思いながら、何も出来ない自分に苛立ちを覚えた。

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ヒロヤの不安を煽るニュースが飛び込む。

マヤの住む居住区内にある集合住宅地に国軍のF-16戦闘機が空爆を行ったというのである。

ヒロヤは家を飛び出し、居住区の近くまで、自転車を飛ばして走った。

だが、途中の道は国軍に完全に封鎖されていた。

ヒロヤは自転車を降り、封鎖されている警戒線に近付くと、

「頼む、通してくれ!居住区に愛する人がいるんだ!」

そう叫び、警備の兵士に抗議し、抵抗した。

彼は強引に突破しようとしたので、兵士が二人がかりで、ヒロヤを取り押さえ、そして、軍用車両に彼を押し込むと、そのまま連行した。

数時間後、ヒロヤの姿は警察署にあった。釈放される事になった。

すると、父が警察署に駆け付けた。

ヒロヤにゆっくりと近付くと父はヒロヤを殴った。

「このバカ者が!これ以上、恥をかかせるな!」

ヒロヤは何も答えず、ただ父を睨み返した。

ヒロヤは、あの蜃気楼を見た日から、一度もマヤに会えなくなった。

マヤと連絡が、まったく付かなくなり、大学にもマヤの姿はなかったのである。

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さらに数ヶ月の時が経過した。

ヒロヤは大学を休学した。国軍から召集令状が届いたのだ。

彼は軍に入隊した。

数ヶ月の基礎訓練の後、地上作戦部隊に配属された。

この部隊は政府が言うところのテロ組織「正義の法輪」との戦闘の最前線にいる様な部隊だった。

ヒロヤは、とある仏教徒居住区の警備に当たっていた。

あのマヤの居住区とは、まったく別の場所の居住区だった。

来る日も、来る日も、警備に当たったが、長らくの間、争いは起こらなかった。

ふと空を見上げる。雲一つない青空だった。

数日後、ヒロヤは警備の任務を解かれ、軍の基地の警備に着いた。

それは、ある良く晴れた日の事だった。

全国各地にある居住区の分離壁が、高性能爆薬で吹き飛ばされ、大きな穴が開いた。

その中から、外部に「正義の法輪」の民兵部隊が飛び出し、政府関連機関を急襲したのだ。

ヒロヤの所属する部隊に出動命令が下る。行き先は沿岸地域。

マヤの居住区のある方角だった。

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ヒロヤの所属する部隊は、戦車と歩兵戦闘車両を伴って、沿岸地域に向けて進軍した。

途中、敵の民兵と激しい戦火を交えながら。

敵のカラシニコフのフルオート発射音が轟き、PK汎用機関銃が、ヒロヤ達を襲った。

ヒロヤ達の部隊は携えたM16A2自動小銃と7.62x51mm NATO弾を使用するミニミ軽機関銃で応戦した。

敵のRPG-7の攻撃を受けて、戦車が一両撃破されたれ、味方が四名戦死した。

しかしそれでも進軍は続き、ヒロヤは何とか、仲間達と共に沿岸地域に到達した。

敵である「正義の法輪」のアジトが、ある居住区内に存在するという情報が部隊に入る。

それは、あの、マヤの居住区だった。

ヒロヤ達は、居住区に侵入した。そして、建物を一つ一つ、部屋を一部屋一部屋、捜索した。

途中、敵が、汎ゆる建物の中から、汎ゆる物陰から、ドラグノフ銃で、ヒロヤ達を狙撃した。

仲間が次々と凶弾に倒れる。

ヒロヤは死を覚悟した。時折、部隊は空爆を要請した。

空をF-16が飛び回り、目標の建物をピンポイントで爆弾を投下した。

居住区内はたちどころに瓦礫の山と化した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

居住区の一角にある集合住宅に到着した。

部隊は銃を構えながら、内部に突入した。一階から五階までの全ての部屋を捜索する必要がある。

一つの部屋へ踏み込み、安全を確認したら、また、次の部屋へ向かう。それを繰り返す。

まだ敵は現れない。

三階に到達した。階段の手前から、ゆっくりと各部屋へ踏み込む。異常はない。

五つ目の部屋の扉の前に立った部隊は、その扉を蹴破り、中へ突入した。

銃を構え、部屋の中を確認する。

すると、その部屋のリビングで、年老いた夫婦が、手を上げて、抵抗の意思が無い事を示した。

と、突然、リビングの奥につながるドアが勢い良く開く。

「待って!両親は民兵とは関係ないわ!」

と、若い女性が叫びながらリビングに入って来た。

驚いた部隊の仲間が、その女性に発砲してしまう。

銃声を聞き、ヒロヤがリビングに駆け付ける。

「嘘だろ?!そんな!嘘だと言ってくれよ!!」

マヤが血を流し倒れていた。

ヒロヤはその場所で止血を試み、部隊の仲間に衛生兵を呼ぶ様に頼むと、持てる知識をフル活用して、携帯していた救急キットで応急処置を施した。

やがて衛生兵が駆け付け、マヤを運び出そうとした。

しかし、衛生兵は手を止めた。

「おい!何やってる!さっさと運び出せ!」

ヒロヤがそう言うと、衛生兵は首を振った。

マヤは息を引き取った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

戦闘は終わった。ヒロヤは言葉を失った。

集合住宅の前には部隊の軍用車両がひしめいていたが、もう敵からの攻撃はない。

兵士達は笑いながら、持ってきたクーラーボックスからコーラを出すと、乾杯をして、喉に流し込んだ。

仲間の兵士がヒロヤに近付くと、コーラの瓶を渡そうとしたが、ヒロヤは首を振った。

それから彼は、住民の遺体を収容する救急車両に近付いた。

荷台には、もう目覚める事のないマヤが、静かに目を閉じていた。

すると、その時、再び銃声が建物の間にこだました。

敵の残党が残っていたのだ。

その残党の民兵部隊を率いるのがマヤの兄であるタカヒロだとは、ヒロヤは知る由もなかった。

仲間と共に物陰に隠れたヒロヤの首が突如として、火炎の様に熱くなった。

ヒロヤの身体を鮮血が滴り落ちる。

狙撃されたのだ。

ヒロヤは倒れ、目を開けたまま、二度と立ち上がる事はなかった。

戦闘は続いた。

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遠くに見える、光る水平線を、一隻の白い小さな船が、宙に浮き、ゆらゆらと揺らめきながら、沖を進んでいた。

二人は共に幻となった。

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