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亡き藤田に捧げる。
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「誘拐」
「美しい神秘の島へようこそ。」
空港の正面玄関に飾らせた大きなポスターが、人々を歓迎した。
ここは佐久間県佐久間島。古の島。
初夏の陽気に包まれた、青々と茂る若葉の木のトンネルを子供達は楽しそうに「さようなら、また明日。」を告げた。
佐藤怜、10歳。大富豪・佐藤隆司のひとり息子は、その日も黒塗りの高級車で学校から帰宅する途中だった。
怜は小さく縮こまり、後部座席で窓の外をぼんやり眺めていた。両親はいつも忙しく、彼に目を向けることはほとんどなかった。
突然、車が急ブレーキをかけ、怜の体がシートに叩きつけられた。
窓の外で黒い影が動く。護衛の叫び声が響き、銃声が耳を劈く。
ドアが強引に開かれ、屈強な男たちが怜を引っ張り出した。
「動くな。」と低い声が唸り、怜は抵抗する間もなく黒いバンに放り込まれた。
目覚めた時、怜は何処かの廃墟ビルらしき場所にいた。
コンクリートの壁にはひびが入り、錆びた鉄骨が剥き出しになっている。目の前には巨漢の男が立っていた。
顔に深い傷が刻まれ、鋭い目が怜を射抜く。
「私が御父だ。君を私たちの家族にしてあげよう。」
彼は言った。
怜は震えながらも周囲を見回した。男たちが円になって彼を取り囲み、笑みを浮かべている。
御父が顎を振ると、一人がカメラを手に持った。
「10億。払わなければ、帰らない。」
ビデオメッセージが怜の両親、佐藤隆司とその妻に送られた。
怜は膝を抱え「パパ、ママが助けてくれる。」と小さく呟いた。
翌日、返事が届いた。怜は監禁部屋のスピーカーから漏れる両親の声を聞いた。
「金で屈するわけにはいかない。」と父が冷たく言い放ち、母が「代わりはいくらでも作れる。」と続けた。
怜の小さな胸が締め付けられ、涙が頬を伝った。
御父が部屋に入ってきて、怜の頭を優しく撫でた。
「聞こえたかい?君は捨てられたんだよ。」
そう低い声で囁いた。
期限が過ぎた。
御父の目は冷たく光いた。
「家族を裏切る者に情けは不要。」
そう吐き捨てた。
怜は最後の瞬間まで両親を信じていた。
「助けて!」と小さく叫んだ声は、ジャーティンの男たちの声にかき消された。
鈍い音が響き、怜の意識は闇に落ちた。
数日後、佐藤邸に小さな段ボール箱が宅配されて来た。
使用人が蓋を開けると、吐き気を催す臭気が広がった。
両親は箱を確認する。
隆司は膝から崩れ落ち、妻は初めて恐怖に顔を歪めた。
箱の中には、赤く染まった服の切れ端と共に、小さなメッセージカードが添えられていた。
「これが家族の絆だ。」
そして、小さな人形の様にして、四肢や首や胴体が、コンパクトに分離されたものが、真っ赤に染まり、同梱されていた。
廃墟ビルには、怜の小さな靴だけがぽつんと残されていた。
初夏の風が吹き抜け、静寂が全てを飲み込んだ。
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「着任」
県警本部に新たな指令が届いた。
警察庁から派遣された本部長、藤田誠一が着任する。
彼は長身で眼光鋭く、制服の襟を立てた姿で会議室に現れ、幹部たちを見渡した。
「ジャーティンを壊滅させる。それが私の任務だ」と力強く宣言した。
藤田は初日から動き出した。捜査資料を読み込み、ジャーティンの拠点の一つとされる雑居ビルを特定した。
機動隊を動員し、強制捜査の計画を立てた。
「彼らは家族を気取ってるが、所詮は犯罪者だ。一掃する。」
部下に言い聞かせ、夜遅くまで執務室で地図に赤ペンで線を引いた。
彼の情熱は、県警に緊張感をもたらした。だが、その動きは全てジャーティンに筒抜けだった。
会議室の端で静かにメモを取る警部補、田中剛。彼はジャーティンの正式なメンバーだった。
表向きは警察官として潜入しつつ、裏では御父に忠誠を誓う男だ。
藤田が作戦を説明するたび、田中はスマートフォンに短いメッセージを打ち込んだ。
「強制捜査、明後日午前5時、C棟。」
と。
その情報は即座に御父の手に渡った。
翌日、藤田は捜査会議で自信満々にプランを発表した。
「ジャーティンは我々の動きを読めない。奇襲で一網打尽にする。」
幹部たちは頷き、機動隊の準備が整った。
その夜、田中は御父に連絡を取り、詳細を伝えた。御父は薄暗い部屋で夕刊に目を通した。
彼は部下に命じた。
「荷物を纏め、C棟を空にしろ。」
と。
作戦当日、午前5時。
藤田が率いる機動隊が雑居ビルに突入した。
ドアを蹴破り、サブマシンガンに取り付けられたフラッシュライトの光が闇を切り裂いた。
だが、そこには誰もいなかった。
埃っぽい床に散らばるゴミと、使い捨てられたタバコの吸い殻だけが残されていた。
アジトはもぬけの殻だった。
藤田は拳を握り潰し、歯軋りしながら呟いた。
「どういう事だ?!」
田中は隊の後方で平静を装い、静かにその言葉を聞き流した。
本部に戻った藤田は、机に地図を叩きつけた。
「必ず尻尾を掴む。」
だが、田中はその一言すら御父に報告し、ジャーティンは新たなアジトへ移動した。
藤田の情熱は空を切り、壊滅への道はさらに遠ざかった。
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「家庭:Jiātíng」
ジャーティン(家庭:Jiātíng)の起源は18世紀に遡る。
香港出身の清の商人に仕えた日本人の傭兵隊がその始まりと言われる。
彼らは交易の保護や紛争の解決に力を貸して、やがて独立していく。
力を蓄えた彼らは、諸大名から領地の管理を任されるようになり、地方の治安維持や徴税を担う存在へと変貌した。
近代に入ると、ジャーティンは表向きの事業を展開し始めた。
商業、運輸、不動産など合法的な活動で資金を増やしつつ、裏では非合法な手段で勢力を拡大した。
戦後の混乱期を経て現代に至るまで、彼らは日本の地下経済を牛耳る巨大な存在となった。
その資金源は多岐に渡る。
窃盗、強盗、誘拐、恐喝、麻薬密売、武器密輸、詐欺、売春、人身売買など。
これらがジャーティンの経済的基盤を支えている。
ジャーティンの組織構造は、長い歴史の中で洗練されてきた。
各グループは「講」と呼ばれ、警察庁の調査によると、現在約50の講が存在する。
一つの講は「御父」を頂点とする厳格な階層制で成り立っている。
御父は絶対的な指導者であり、その下に「傅役」が補佐として控える。
傅役の下には5人程度の「児役」が配置され、各児役は約10人の「兵士」を統率する。
さらに、御父と傅役の間に「聞司」という相談役が置かれ、組織内の紛争や問題を調停する役割を担う。
この構造が、講ごとの独立性と全体の結束力を両立させ、ジャーティンを不倒の存在にしている。
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「債務不履行」
真夏の残酷な太陽が水平線の彼方へ消え去り、闇が地上を侵略する時、街の夜が目を覚ます。
夏の佐久間島の夜は天国と地獄が交差し、良夢と悪夢が戯れる。
色とりどりのネオンとLEDに飾られた数多の店の中にそれは今宵も生きていた。
海沿いの通りの一角に「楽栄遊戯場」は在った。
通りで最も人気のある店だ。
緑のテーブル、赤と黒のルーレット、色鮮やかなチップ、回り続けるスロット、花札だって出来る。
この賭博場(カジノ)は勿論、違法であるが、あるカラクリのお陰で経営が可能となっている。
この店だけではない。島の全ての賭博場が違法なのだ。
「社長、8番の客、トラブルです。」
店のスタッフが、仁田に無線で報告した。良くあるトラブルだ。
島へやってくる客は無論、賭け目的だ。彼らはそれが違法と分かっているのだ。
ただ厄介なのは、金持ちなら大したトラブルは起こらないが、さして金持ちではない客は始末が悪い。
今夜も一人、全財産をすって、カネを払えなくなった客がいる。
「了解した。現場に向かう。」
仁田が部下に無線で返した。
問題の客の元へ向かう。中年の男性だった。好奇心から賭けに手を出したのだろう。
仁田は41歳、妻と一人の息子がいる。この界隈では名の知れた経営者の一人であり、ジャーティンの講の御父である。
問題の客へ近付く仁田。
「お客様、ちょっと宜しいですか?」
仁田は問題の客を連れて店のバックヤードに消えて行く。
やがて店に講の兵士が二人やってきた。仁田は兵士に客の男を引き渡した。
「好きにしてやってくれ。」
そう言うと仁田は再び戻って行った。
「おっさん、じゃあ行こうか。」
そう言うと二人の兵士は客の中年の男を店の外へ連れ出し、車に押し込むと、夜の闇に消えて行った。
二人の兵士は車を走らせ、島の港の倉庫街にある、組織が管理している建屋の前で停車した。
「ほら、降りろや。」
そう言うと二人の兵士は男を引っ張り降ろし、建屋の中に入る。
建屋の中に二人の兵士の上司である児役の小見山が待機していた。
「何だよ、おっさんか。」
小見山がつまらなさそうに言う。
「これじゃあ、大した額にならねぇな。」
二人の兵士は提案した。
「中東の産油国の富豪が奴隷を欲しがってますよ。需要があります。」
すると小見山が答えた。
「こんな年寄りじゃ使えねぇ。大した額にはならねぇよ。せいぜい100万がいいとこだ。」
もう一人の兵士が言った。
「中身(臓器)抜きますか?」
すると小見山が返す。
「馬鹿野郎、若くて新鮮でなきゃ売れねぇよ。」
そこで小見山は考えた。
「そうだなぁ、あそこにするか。」
中年の客だった男は、ガタガタと震えている。建屋の床にさらさらと水の様なものが流れた。
男が恐怖で失禁したのだ。
「お、お願いです…。殺さないで…。た、助けて…。」
男が言うと小見山は冷たく返した。
「汚ぇおっさんだなぁ、あんたを生かすか殺すかは俺が決める。勝手に自分で決めるな。」
博打ですって巨額の借金を背負った者の末路は悲惨なものだ。
数日後、都内の科学博物館で「人体の不思議展」が催された。
本物の人体を加工して造られた解剖模型が、大きなガラスケースの中に並ぶ。
以外だったのは、あの客だった男のコーナーが最も人気だったということだ。
これにより、仁田の講は1,000万を売上げた。
ある夏の日の出来事だった。
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「殉職」
県警本部長、藤田誠一は、この巨悪を根絶するため、信頼できる部下たちを頼りにしていた。
その中でも特に信頼していたのが、警部補の山崎亮太だった。
山崎は30代半ば、冷静沈着で捜査能力に優れ、藤田の右腕とも呼べる存在だった。
この日、山崎は藤田の指示で情報収集に向かっていた。
ジャーティンの講の一つが新たな動きを見せているとの報告を受け、単独で裏付けを取る任務だ。
山崎は黒いセダンに乗り込み、夕暮れの街へと車を走らせた。
狭い路地を抜け、ビルが点在する区域に差し掛かった時だった。
突然、前方から黒いバンが現れ、山崎の進路を塞いだ。
窓が開き、カラシニコフの銃口がこちらを向く。
山崎がハンドルを切る間もなく、銃声が轟いた。けたたましい程のフルオート発射音が路地に響き渡り、セダンのフロントガラスが粉々に砕けた。
弾丸は山崎の胸と腹を貫き、彼はシートに沈み込んだ。血がステアリングを染める。
バンから降りた男たちは、ジャーティンの兵士たちだった。
児役の指示のもと、彼らは車に近づき、動かなくなった山崎に向かってさらにカラシニコフを撃ち込んだ。
銃口から吐き出される弾丸が車体を穿ち、シートを切り裂き、山崎の遺体を無残に引き裂いた。
金属と血の臭いが立ち込める中、兵士の一人が燃料缶を取り出し、セダンに液体を撒いた。
マッチが擦られ、炎が一気に車を包んだ。炎が上がる頃には、彼らはすでに姿を消していた。
翌朝、藤田は焼け焦げたセダンと山崎の無残な遺体を確認し、拳を握り潰した。
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「支配者」
県警本部長、藤田誠一は執務室で拳を握り潰した。
机の上には、焼け焦げたセダンから回収された山崎亮太の遺品。血に染まった警察手帳が置かれていた。
ジャーティンは市民の生活を支えていた。
病院や福祉施設を経営し、貧困層に食料を配り、仕事を提供する。
山崎の死が報じられた後、県内の市場で一人の老女が呟いた。
「無能な政府や行政よりも、ジャーティンは頼りになる。」
別の若者が言う。
「我々が豊かなのはジャーティンのおかげだ。」
と。
県丸ごとがジャーティンの支配下にあり、彼らは犯罪者であると同時に、市民にとっての恩人だった。
藤田は山崎の死後、県警の総力を挙げてジャーティンの講を追った。
ビルの強制捜査を計画し、機動隊を動員した。
だが、市民からの情報は途絶え、逆にジャーティンへの密告が相次いだ。
捜査の動きは事前に漏れ、アジトはいつも空だった。
ある日、藤田が街の視察に出た際、路地で若者たちに囲まれた。
「ジャーティンを潰す気か?俺たちの暮らしをどうしてくれるんだ!」
と怒鳴られ、石を投げつけられた。
警護が藤田を車に押し戻す中、彼は市民の敵意を肌で感じた。
県内の病院では、ジャーティンの資金で手術を受けた患者が感謝を口にし、福祉施設では子供たちが無邪気に笑う。
山崎の死は、ジャーティンにとって小さな波紋に過ぎなかった。
御父の耳には藤田の動きが届き、聞司が次の計画を調停する。
市民の支持という鉄壁に守られたジャーティンは、藤田の怒りを嘲笑うかのように、静かに力を増していた。
山崎の犠牲は、壊滅への道をさらに遠ざけただけだった。
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「不法投棄」
佐久間島の貿易港は西の大陸や半島からの荷物が南国へ行くため、また、その逆に、南国の荷物が大陸や半島に行くための中継地、いわば、交差点である。
この交差点を経由して、合法、非合法を問わず、汎ゆる物品が往来する。また、この港に降ろされ、逆に出荷されるものもある。
これは組織の人間だけではなく、税関や県の役所も知っていた。彼らは一蓮托生なのだ。
この港に加賀又が現れた。彼も組織の関係者だ。
加賀又は43歳。独身だ。ある資源ごみリサイクル会社を経営していた。
黒いスーツに身を包んだ加賀又は、ある積み荷を待っていた。
港に停泊している貨物船から、順番にクレーンによってコンテナが降ろされていく。
加賀又の目当ての荷物が降ろされた。
すると、彼の部下の社員が防護服を着て、コンテナの中に入って行く。それを見守る加賀又。
やがて部下が中から戻って来た。
「社長、間違いなく。我々の積み荷です。」
社員が防護服のマスクを外し、そう話すと、加賀又は頷き、側にいた税関職員の書類に受け取りのサインをした。
pH12.5以上の廃アルカリ。有毒な産業廃棄物だ。
コンテナの中身はたくさんのドラム缶で一杯であり、問題の液状の物質は、そのドラム缶の中である。
加賀又は取り引き先企業からそれらを引き取った。彼の会社は、これで25億円の収益を上げた。
コンテナはトラックに載せられると、一度、彼の会社に運ばれ、更に、中のドラム缶を専用のダンプに詰め込むと、目的地まで移動した。
佐久間島の山の麓に広い荒地がある。ダンプはそこへ移動する。
この荒地にドラム缶は放置される。そして、ある程度たまると、上から土を被せて順に埋め立てていく。
この産業廃棄物処理場は、最終的に埋め立てられ、新興住宅地になる予定である。
感の良い人なら直ぐに分かるが、これは完全なる違法行為である。
因みに、この荒地の埋め立て事業も加賀又の会社が落札し、新興住宅地建設は同じ系列の別の組織が受け持つ。
加賀又は、この事業を競り落とすために、3,000万を県の責任者に包んで渡していた。
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「尋問室」
藤田は諦めなかった。山崎の死後、内部の裏切り者を探るため、極秘で盗聴作戦を展開した。
県警の捜査員たちの電話や私物を監視し、わずかな手がかりを追った。
そして、ある夜、警部補・田中剛の携帯から漏れ出た会話が藤田の耳に届いた。
「児役の指示通り、捜査情報を渡した。C棟は空にしたよ。」
その声は、ジャーティンの講に属する児役としての田中を暴露した。
藤田は盗聴記録を証拠に、即座に田中を逮捕した。
取調室で、藤田は冷たく問い詰めた。
「何人の命を売った?ジャーティンの何を隠してる?」
だが、田中は黙秘を貫いた。
目を伏せ、口を閉ざしたまま、ただ静かに座っていた。
やがて、田中が口を開いた。
「組織の秘密を話すぐらいなら死んだほうがマシだ!」
その言葉が終わると同時に、彼は突然立ち上がり、歯を食いしばった。
次の瞬間、口から血が溢れ、田中は床に倒れた。舌を噛み切って自殺したのだ。
取調室は一瞬にして混乱に包まれ、藤田は呆然とその遺体を見つめた。
田中の死は、ジャーティンの秘密を闇に葬り、藤田に新たな打撃を与えた。
事件は上層部の耳に届き、藤田に責任が問われた。
「部下の管理不行き届き。」「取調べ中の自殺を防げなかった。」と非難が集中し、彼は一ヶ月間の職務停止を命じられた。
執務室を出る際、藤田は山崎の手帳を手に握りしめた。
だが、市民の支持に守られたジャーティンは揺るがず、御父の耳には田中の死と藤田の失脚が届いていた。
県内の病院や福祉施設では、ジャーティンの恩恵を受けた市民が日常を続け、藤田の戦いは一時、暗闇に沈んだ。
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「ミーティング」
スカイタワーは都心の一等地にある50階建てのオフィスビルだった。その42階にパシフィックホールディングスが入っていた。投資ファンドだ。
このファンドを率いていたのが、佐和山である。彼はジャーティンの講を統率する御父だった。
彼の役目は、各講から集められた資金を洗浄し、かつ、運用して増やす事にある。
ジュネーブ、リヒテンシュタイン、モナコ、ケイマン、バージン諸島に口座を持ち、香港、シンガポール、ニューヨークなどの主要な株式市場や先物市場に投資していた。
佐和山はリモートで佐久間島の御父達と会議を開いた。
佐久間島の古参の御父が口火を切った。
「我々の資産は増え続けている。病院、福祉施設、不動産。市民の支持を得るための投資は順調だ。」
東部の講を率いる若手の御父が手を挙げた。
「ドラッグの利益が伸びている。東南アジアからのルートを強化し、市場でのシェアを拡大すべきだ。資金を仮想通貨に変換すれば、追跡も困難になる。」
彼の声は鋭く、野心に満ちていた。だが、南部の講の御父が鼻を鳴らした。
「ドラッグはリスクが高い。市民の支持を失えば、我々の基盤が揺らぐ。俺は合法事業に注力する。県内の物流会社を買収し、表の利益を増やした方が賢明だ。」
彼の講は運輸業で巨額を稼いでおり、その慎重さが知られていた。
議論が熱を帯びる中、北部の講の御父が静かに口を開いた。
「アフリカへの武器輸出に目を向けるべきだ。紛争で需要が高まっている。リスクはあるが、利益はドラッグ以上だ。」
彼の提案に、幾人かの御父が頷いたが、西部の講の御父が反論した。
「武器は目立つ。市民が我々を『守護者』と見るためには、人身売買の方が安全だ。貧困層から労働力を確保し、海外に売れば、安定した収入になる。」
古参の御父が手を上げ、場を静めた。
「各講の意見は分かった。だが、我々の強みは市民の支持だ。病院や福祉への投資を減らしすぎれば、政府に隙を与える。資産運用の鍵は、表と裏のバランスだ。」
彼は傅役に目配せし、帳簿を配らせた。
「現在の総資産は2兆8,500億円。合法事業が6割、地下経済が4割だ。来年は仮想通貨と物流に重点を置きつつ、市民への支援を維持する。これで異議はあるか?」
沈黙が流れ、やがて全員が頷いた。
会議室の外では、ジャーティンの病院で治療を受ける患者の笑顔と、福祉施設で遊ぶ子供たちの声が響いていた。
御父たちの決定は、組織の未来をさらに固める一歩となった。
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「一斉摘発」
藤田誠一は一ヶ月の職務停止を終え、執務室に戻った。
山崎亮太の死と田中剛の自殺が彼の心に深い傷を残していたが、決意は揺るがなかった。
藤田はジャーティンの根を断つため、警察庁に直訴した。
「信頼できる捜査チームと特殊部隊を貸してくれ。ジャーティンを一掃する。」
警察庁は応じた。
選りすぐりの捜査官と、組織犯罪に特化した特殊部隊が佐久間島に派遣された。
藤田は彼らと数週間にわたり極秘で計画を練った。
市民の支持がジャーティンの盾である以上、内通者を排除し、一斉摘発で一気に畳みかけるしかなかった。
盗聴と監視で各講の動きを把握し、主要な御父たちの居場所を特定する。
藤田の目は冷たく光り呟いた。
「今度は逃がさない。」
摘発の夜が訪れた。
午前3時、県内各地で同時作戦が開始された。
特殊部隊が街のビルや、隠された講のアジトを急襲した。
スタングレネードの閃光と爆音が闇を切り裂き、破砕槌が建物の扉を突き破った。
佐藤怜を殺害した、田中の御父。
カジノの仁田。
山崎を殺害した講の御父。
資源ごみリサイクル会社の加賀又。
島から離れた都内では、ファンドの佐和山が逮捕された。
一夜にして、主要な御父30人余りが拘束された。
傅役や児役も数十人逮捕され、兵士たちは抵抗する間もなく制圧された。
ジャーティンの病院や福祉施設は一時閉鎖され、資産は凍結された。
藤田は県警本部の屋上で朝焼けを見ながら、山崎の手帳を握り締めた。
「終わったわけじゃない。だが、やっと一歩だ。」
逮捕された御父たちは裁判を待つ身となった。市民の間には動揺が広がった。
「ジャーティンがいなけりゃ誰が俺たちを助けるんだ。」
と嘆く声。
「あいつらは犯罪者だ」
と非難する声。
様々だった。
県を覆うジャーティンの影は薄れたが、その根は市民の心に残り続けていた。
藤田の戦いは、新たな局面を迎えた。
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「家族」
作戦終了後、藤田は県警本部の執務室に戻った。
机には山崎の手帳が置かれ、窓の外には朝焼けが広がっていた。
疲れ切った体を椅子に沈め、彼はポケットから携帯電話を取り出した。
家族に電話をかけるのは久しぶりだった。
呼び出し音が数回鳴り、妻の声が聞こえた。
「誠一?お疲れ様、無事で良かった。」
その声に、藤田の表情がわずかに緩んだ。
「ああ、なんとか終わったよ。子供たちは?」
妻が電話を渡すと、8歳の娘、美咲の明るい声が響いた。
「パパ!テレビで警察がいっぱい出てたよ。パパがやったの?」
藤田は苦笑した。
「そうだよ。悪い奴らを捕まえたんだ。」
と答えた。続いて、5歳の息子、翔太が割り込んできた。
「パパ、かっこいい!でも、いつ帰ってくるの?」
その無邪気な質問に、藤田の胸が締め付けられた。
「もう少しだよ。落ち着いたら帰るから、いい子にしててくれ。」
妻が再び電話を取った。
「無理しないでね。子供たちも私も待ってるから。」
妻は優しく言った。藤田は目を閉じ、呟いた。
「分かってる。ありがとう、愛してるよ。」
電話を切った後、彼はしばらく黙って朝焼けを見つめた。
ジャーティンの影は薄れたが、市民の支持という根は残っている。
家族の声が、疲れた心に一筋の光をもたらした。
「まだ終わってない。だが、やっと一歩だ。」
藤田は山崎の手帳を手に握り、再び立ち上がる力を感じていた。
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「高速道路」
県警本部長、藤田誠一はジャーティン壊滅に一歩近づいていた。
警察庁から呼び寄せた捜査チームと特殊部隊による一斉摘発で、遂にジャーティンを追い詰めた。
そして裁判当日が訪れた。
藤田は執務室で山崎の手帳を手に握り、妻と子供たちとの電話での会話を思い出した。
「まだ終わってない。だが、やっと一歩だ。」
彼は決意を新たに、スーツの襟を正して車に乗り込んだ。
裁判所へ向かうため、藤田の車列は県警本部を出発した。
黒い装甲車に挟まれた藤田のセダンを、前後に護衛車両が固める厳重な体制だった。
高速道路に乗り、車列は順調に進んだ。
窓の外を流れる景色を眺めながら、藤田はジャーティンの市民からの支持を思い返していた。
「無能な政府よりジャーティンが頼りになる。」との声が、彼の戦いを複雑なものにしていた。
だが、今日、裁きが下されれば一つの区切りとなるはずだった。
高速道路を抜け、海沿いのルートに入った。と、その瞬間、
それは起こった。
轟音とともに車列の中央が吹き飛び、激しい炎が空を焦がした。
藤田のセダン直下で何かが爆発した。
衝撃波が護衛車両を弾き飛ばし、アスファルトに金属の残骸が散乱した。
爆音が海に響き渡り、黒煙が立ち上る中、車列は一瞬にして壊滅した。
それは、ジャーティンが仕掛けたセムテックス(旧チェコスロバキア製プラスチック爆弾)だった。
唯一生き残った護衛が、よろめきながら残骸に近づいた。
藤田のセダンは原型を留めず、炎に包まれた鉄の塊と化していた。
護衛が叫び声を上げながら瓦礫を掻き分けると、藤田の姿が見えた。
シートに沈み、血と煤にまみれた彼は即死だった。護衛は膝をつき、無線で本部に報告した。
「本部長、殉職…。ジャーティンの仕業だ…。」
講は、市民の支持を盾にしながらも、藤田の執念が組織に与えた打撃を忘れていなかった。
裁判を前に、御父たちの報復が実行されたのだ。
海沿いの道に静寂が戻り、遠くで波の音が響く中、藤田の戦いは終わりを迎えた。
ジャーティンの影はなお県に広がり続けていた。
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「永遠の眠り」
藤田の戦いは終わりを迎えた。
後日、彼の葬儀が小さな斎場で執り行われた。曇天の下、黒い服に身を包んだ妻と二人の子供。
8歳の美咲と5歳の翔太だけが棺の前に立っていた。
美咲は母の手を握り、涙をこらえながら呟いた。
「パパ、かっこよかったよね…。」
翔太は小さな手を棺に伸ばした。
「パパ、帰ってきてよ。」
と泣きじゃくった。
妻は目を赤く腫らし、ただ黙って夫の遺影を見つめていた。
藤田の家族以外に参列者は一人もいなかった。
県警の同僚も、上層部も姿を見せなかった。
島の住民は知らん顔を決め込んだ。
街角では「藤田?誰だっけ?」と呟く者もいれば「ジャーティンがいなきゃ困るよ。」と平然と言う者もいた。
病院で治療を受け、福祉施設で暮らす人々は、藤田の死を遠い出来事のように扱った。
「無能な政府よりジャーティンが頼りになる。」との声が、葬儀の静寂を嘲笑うかのようだった。
斎場の外では、風が枯れ葉を巻き上げ、寂しげに音を立てていた。
藤田の妻が棺に花を置き、最後の別れを告げた。
「誠一、あなたの戦いは無駄じゃなかったよね…。」
だが、その言葉に答える声はなく、家族三人だけが肩を寄せ合って斎場を後にした。
ジャーティンの講は、市民の支持を盾に静かに動きを再開し、藤田の犠牲は県の記憶から薄れていった。
「美しい神秘の島へようこそ。」
空港の正面玄関に飾らせた大きなポスターが、人々を歓迎した。
ここは佐久間県佐久間島。古の島。
そして、最も黄泉に近い場所。
(終)
「美しい神秘の島へようこそ。」
空港の正面玄関に飾らせた大きなポスターが、人々を歓迎した。
ここは佐久間県佐久間島。古の島。
初夏の陽気に包まれた、青々と茂る若葉の木のトンネルを子供達は楽しそうに「さようなら、また明日。」を告げた。
佐藤怜、10歳。大富豪・佐藤隆司のひとり息子は、その日も黒塗りの高級車で学校から帰宅する途中だった。
怜は小さく縮こまり、後部座席で窓の外をぼんやり眺めていた。両親はいつも忙しく、彼に目を向けることはほとんどなかった。
突然、車が急ブレーキをかけ、怜の体がシートに叩きつけられた。
窓の外で黒い影が動く。護衛の叫び声が響き、銃声が耳を劈く。
ドアが強引に開かれ、屈強な男たちが怜を引っ張り出した。
「動くな。」と低い声が唸り、怜は抵抗する間もなく黒いバンに放り込まれた。
目覚めた時、怜は何処かの廃墟ビルらしき場所にいた。
コンクリートの壁にはひびが入り、錆びた鉄骨が剥き出しになっている。目の前には巨漢の男が立っていた。
顔に深い傷が刻まれ、鋭い目が怜を射抜く。
「私が御父だ。君を私たちの家族にしてあげよう。」
彼は言った。
怜は震えながらも周囲を見回した。男たちが円になって彼を取り囲み、笑みを浮かべている。
御父が顎を振ると、一人がカメラを手に持った。
「10億。払わなければ、帰らない。」
ビデオメッセージが怜の両親、佐藤隆司とその妻に送られた。
怜は膝を抱え「パパ、ママが助けてくれる。」と小さく呟いた。
翌日、返事が届いた。怜は監禁部屋のスピーカーから漏れる両親の声を聞いた。
「金で屈するわけにはいかない。」と父が冷たく言い放ち、母が「代わりはいくらでも作れる。」と続けた。
怜の小さな胸が締め付けられ、涙が頬を伝った。
御父が部屋に入ってきて、怜の頭を優しく撫でた。
「聞こえたかい?君は捨てられたんだよ。」
そう低い声で囁いた。
期限が過ぎた。
御父の目は冷たく光いた。
「家族を裏切る者に情けは不要。」
そう吐き捨てた。
怜は最後の瞬間まで両親を信じていた。
「助けて!」と小さく叫んだ声は、ジャーティンの男たちの声にかき消された。
鈍い音が響き、怜の意識は闇に落ちた。
数日後、佐藤邸に小さな段ボール箱が宅配されて来た。
使用人が蓋を開けると、吐き気を催す臭気が広がった。
両親は箱を確認する。
隆司は膝から崩れ落ち、妻は初めて恐怖に顔を歪めた。
箱の中には、赤く染まった服の切れ端と共に、小さなメッセージカードが添えられていた。
「これが家族の絆だ。」
そして、小さな人形の様にして、四肢や首や胴体が、コンパクトに分離されたものが、真っ赤に染まり、同梱されていた。
廃墟ビルには、怜の小さな靴だけがぽつんと残されていた。
初夏の風が吹き抜け、静寂が全てを飲み込んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「着任」
県警本部に新たな指令が届いた。
警察庁から派遣された本部長、藤田誠一が着任する。
彼は長身で眼光鋭く、制服の襟を立てた姿で会議室に現れ、幹部たちを見渡した。
「ジャーティンを壊滅させる。それが私の任務だ」と力強く宣言した。
藤田は初日から動き出した。捜査資料を読み込み、ジャーティンの拠点の一つとされる雑居ビルを特定した。
機動隊を動員し、強制捜査の計画を立てた。
「彼らは家族を気取ってるが、所詮は犯罪者だ。一掃する。」
部下に言い聞かせ、夜遅くまで執務室で地図に赤ペンで線を引いた。
彼の情熱は、県警に緊張感をもたらした。だが、その動きは全てジャーティンに筒抜けだった。
会議室の端で静かにメモを取る警部補、田中剛。彼はジャーティンの正式なメンバーだった。
表向きは警察官として潜入しつつ、裏では御父に忠誠を誓う男だ。
藤田が作戦を説明するたび、田中はスマートフォンに短いメッセージを打ち込んだ。
「強制捜査、明後日午前5時、C棟。」
と。
その情報は即座に御父の手に渡った。
翌日、藤田は捜査会議で自信満々にプランを発表した。
「ジャーティンは我々の動きを読めない。奇襲で一網打尽にする。」
幹部たちは頷き、機動隊の準備が整った。
その夜、田中は御父に連絡を取り、詳細を伝えた。御父は薄暗い部屋で夕刊に目を通した。
彼は部下に命じた。
「荷物を纏め、C棟を空にしろ。」
と。
作戦当日、午前5時。
藤田が率いる機動隊が雑居ビルに突入した。
ドアを蹴破り、サブマシンガンに取り付けられたフラッシュライトの光が闇を切り裂いた。
だが、そこには誰もいなかった。
埃っぽい床に散らばるゴミと、使い捨てられたタバコの吸い殻だけが残されていた。
アジトはもぬけの殻だった。
藤田は拳を握り潰し、歯軋りしながら呟いた。
「どういう事だ?!」
田中は隊の後方で平静を装い、静かにその言葉を聞き流した。
本部に戻った藤田は、机に地図を叩きつけた。
「必ず尻尾を掴む。」
だが、田中はその一言すら御父に報告し、ジャーティンは新たなアジトへ移動した。
藤田の情熱は空を切り、壊滅への道はさらに遠ざかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「家庭:Jiātíng」
ジャーティン(家庭:Jiātíng)の起源は18世紀に遡る。
香港出身の清の商人に仕えた日本人の傭兵隊がその始まりと言われる。
彼らは交易の保護や紛争の解決に力を貸して、やがて独立していく。
力を蓄えた彼らは、諸大名から領地の管理を任されるようになり、地方の治安維持や徴税を担う存在へと変貌した。
近代に入ると、ジャーティンは表向きの事業を展開し始めた。
商業、運輸、不動産など合法的な活動で資金を増やしつつ、裏では非合法な手段で勢力を拡大した。
戦後の混乱期を経て現代に至るまで、彼らは日本の地下経済を牛耳る巨大な存在となった。
その資金源は多岐に渡る。
窃盗、強盗、誘拐、恐喝、麻薬密売、武器密輸、詐欺、売春、人身売買など。
これらがジャーティンの経済的基盤を支えている。
ジャーティンの組織構造は、長い歴史の中で洗練されてきた。
各グループは「講」と呼ばれ、警察庁の調査によると、現在約50の講が存在する。
一つの講は「御父」を頂点とする厳格な階層制で成り立っている。
御父は絶対的な指導者であり、その下に「傅役」が補佐として控える。
傅役の下には5人程度の「児役」が配置され、各児役は約10人の「兵士」を統率する。
さらに、御父と傅役の間に「聞司」という相談役が置かれ、組織内の紛争や問題を調停する役割を担う。
この構造が、講ごとの独立性と全体の結束力を両立させ、ジャーティンを不倒の存在にしている。
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「債務不履行」
真夏の残酷な太陽が水平線の彼方へ消え去り、闇が地上を侵略する時、街の夜が目を覚ます。
夏の佐久間島の夜は天国と地獄が交差し、良夢と悪夢が戯れる。
色とりどりのネオンとLEDに飾られた数多の店の中にそれは今宵も生きていた。
海沿いの通りの一角に「楽栄遊戯場」は在った。
通りで最も人気のある店だ。
緑のテーブル、赤と黒のルーレット、色鮮やかなチップ、回り続けるスロット、花札だって出来る。
この賭博場(カジノ)は勿論、違法であるが、あるカラクリのお陰で経営が可能となっている。
この店だけではない。島の全ての賭博場が違法なのだ。
「社長、8番の客、トラブルです。」
店のスタッフが、仁田に無線で報告した。良くあるトラブルだ。
島へやってくる客は無論、賭け目的だ。彼らはそれが違法と分かっているのだ。
ただ厄介なのは、金持ちなら大したトラブルは起こらないが、さして金持ちではない客は始末が悪い。
今夜も一人、全財産をすって、カネを払えなくなった客がいる。
「了解した。現場に向かう。」
仁田が部下に無線で返した。
問題の客の元へ向かう。中年の男性だった。好奇心から賭けに手を出したのだろう。
仁田は41歳、妻と一人の息子がいる。この界隈では名の知れた経営者の一人であり、ジャーティンの講の御父である。
問題の客へ近付く仁田。
「お客様、ちょっと宜しいですか?」
仁田は問題の客を連れて店のバックヤードに消えて行く。
やがて店に講の兵士が二人やってきた。仁田は兵士に客の男を引き渡した。
「好きにしてやってくれ。」
そう言うと仁田は再び戻って行った。
「おっさん、じゃあ行こうか。」
そう言うと二人の兵士は客の中年の男を店の外へ連れ出し、車に押し込むと、夜の闇に消えて行った。
二人の兵士は車を走らせ、島の港の倉庫街にある、組織が管理している建屋の前で停車した。
「ほら、降りろや。」
そう言うと二人の兵士は男を引っ張り降ろし、建屋の中に入る。
建屋の中に二人の兵士の上司である児役の小見山が待機していた。
「何だよ、おっさんか。」
小見山がつまらなさそうに言う。
「これじゃあ、大した額にならねぇな。」
二人の兵士は提案した。
「中東の産油国の富豪が奴隷を欲しがってますよ。需要があります。」
すると小見山が答えた。
「こんな年寄りじゃ使えねぇ。大した額にはならねぇよ。せいぜい100万がいいとこだ。」
もう一人の兵士が言った。
「中身(臓器)抜きますか?」
すると小見山が返す。
「馬鹿野郎、若くて新鮮でなきゃ売れねぇよ。」
そこで小見山は考えた。
「そうだなぁ、あそこにするか。」
中年の客だった男は、ガタガタと震えている。建屋の床にさらさらと水の様なものが流れた。
男が恐怖で失禁したのだ。
「お、お願いです…。殺さないで…。た、助けて…。」
男が言うと小見山は冷たく返した。
「汚ぇおっさんだなぁ、あんたを生かすか殺すかは俺が決める。勝手に自分で決めるな。」
博打ですって巨額の借金を背負った者の末路は悲惨なものだ。
数日後、都内の科学博物館で「人体の不思議展」が催された。
本物の人体を加工して造られた解剖模型が、大きなガラスケースの中に並ぶ。
以外だったのは、あの客だった男のコーナーが最も人気だったということだ。
これにより、仁田の講は1,000万を売上げた。
ある夏の日の出来事だった。
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「殉職」
県警本部長、藤田誠一は、この巨悪を根絶するため、信頼できる部下たちを頼りにしていた。
その中でも特に信頼していたのが、警部補の山崎亮太だった。
山崎は30代半ば、冷静沈着で捜査能力に優れ、藤田の右腕とも呼べる存在だった。
この日、山崎は藤田の指示で情報収集に向かっていた。
ジャーティンの講の一つが新たな動きを見せているとの報告を受け、単独で裏付けを取る任務だ。
山崎は黒いセダンに乗り込み、夕暮れの街へと車を走らせた。
狭い路地を抜け、ビルが点在する区域に差し掛かった時だった。
突然、前方から黒いバンが現れ、山崎の進路を塞いだ。
窓が開き、カラシニコフの銃口がこちらを向く。
山崎がハンドルを切る間もなく、銃声が轟いた。けたたましい程のフルオート発射音が路地に響き渡り、セダンのフロントガラスが粉々に砕けた。
弾丸は山崎の胸と腹を貫き、彼はシートに沈み込んだ。血がステアリングを染める。
バンから降りた男たちは、ジャーティンの兵士たちだった。
児役の指示のもと、彼らは車に近づき、動かなくなった山崎に向かってさらにカラシニコフを撃ち込んだ。
銃口から吐き出される弾丸が車体を穿ち、シートを切り裂き、山崎の遺体を無残に引き裂いた。
金属と血の臭いが立ち込める中、兵士の一人が燃料缶を取り出し、セダンに液体を撒いた。
マッチが擦られ、炎が一気に車を包んだ。炎が上がる頃には、彼らはすでに姿を消していた。
翌朝、藤田は焼け焦げたセダンと山崎の無残な遺体を確認し、拳を握り潰した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「支配者」
県警本部長、藤田誠一は執務室で拳を握り潰した。
机の上には、焼け焦げたセダンから回収された山崎亮太の遺品。血に染まった警察手帳が置かれていた。
ジャーティンは市民の生活を支えていた。
病院や福祉施設を経営し、貧困層に食料を配り、仕事を提供する。
山崎の死が報じられた後、県内の市場で一人の老女が呟いた。
「無能な政府や行政よりも、ジャーティンは頼りになる。」
別の若者が言う。
「我々が豊かなのはジャーティンのおかげだ。」
と。
県丸ごとがジャーティンの支配下にあり、彼らは犯罪者であると同時に、市民にとっての恩人だった。
藤田は山崎の死後、県警の総力を挙げてジャーティンの講を追った。
ビルの強制捜査を計画し、機動隊を動員した。
だが、市民からの情報は途絶え、逆にジャーティンへの密告が相次いだ。
捜査の動きは事前に漏れ、アジトはいつも空だった。
ある日、藤田が街の視察に出た際、路地で若者たちに囲まれた。
「ジャーティンを潰す気か?俺たちの暮らしをどうしてくれるんだ!」
と怒鳴られ、石を投げつけられた。
警護が藤田を車に押し戻す中、彼は市民の敵意を肌で感じた。
県内の病院では、ジャーティンの資金で手術を受けた患者が感謝を口にし、福祉施設では子供たちが無邪気に笑う。
山崎の死は、ジャーティンにとって小さな波紋に過ぎなかった。
御父の耳には藤田の動きが届き、聞司が次の計画を調停する。
市民の支持という鉄壁に守られたジャーティンは、藤田の怒りを嘲笑うかのように、静かに力を増していた。
山崎の犠牲は、壊滅への道をさらに遠ざけただけだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「不法投棄」
佐久間島の貿易港は西の大陸や半島からの荷物が南国へ行くため、また、その逆に、南国の荷物が大陸や半島に行くための中継地、いわば、交差点である。
この交差点を経由して、合法、非合法を問わず、汎ゆる物品が往来する。また、この港に降ろされ、逆に出荷されるものもある。
これは組織の人間だけではなく、税関や県の役所も知っていた。彼らは一蓮托生なのだ。
この港に加賀又が現れた。彼も組織の関係者だ。
加賀又は43歳。独身だ。ある資源ごみリサイクル会社を経営していた。
黒いスーツに身を包んだ加賀又は、ある積み荷を待っていた。
港に停泊している貨物船から、順番にクレーンによってコンテナが降ろされていく。
加賀又の目当ての荷物が降ろされた。
すると、彼の部下の社員が防護服を着て、コンテナの中に入って行く。それを見守る加賀又。
やがて部下が中から戻って来た。
「社長、間違いなく。我々の積み荷です。」
社員が防護服のマスクを外し、そう話すと、加賀又は頷き、側にいた税関職員の書類に受け取りのサインをした。
pH12.5以上の廃アルカリ。有毒な産業廃棄物だ。
コンテナの中身はたくさんのドラム缶で一杯であり、問題の液状の物質は、そのドラム缶の中である。
加賀又は取り引き先企業からそれらを引き取った。彼の会社は、これで25億円の収益を上げた。
コンテナはトラックに載せられると、一度、彼の会社に運ばれ、更に、中のドラム缶を専用のダンプに詰め込むと、目的地まで移動した。
佐久間島の山の麓に広い荒地がある。ダンプはそこへ移動する。
この荒地にドラム缶は放置される。そして、ある程度たまると、上から土を被せて順に埋め立てていく。
この産業廃棄物処理場は、最終的に埋め立てられ、新興住宅地になる予定である。
感の良い人なら直ぐに分かるが、これは完全なる違法行為である。
因みに、この荒地の埋め立て事業も加賀又の会社が落札し、新興住宅地建設は同じ系列の別の組織が受け持つ。
加賀又は、この事業を競り落とすために、3,000万を県の責任者に包んで渡していた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「尋問室」
藤田は諦めなかった。山崎の死後、内部の裏切り者を探るため、極秘で盗聴作戦を展開した。
県警の捜査員たちの電話や私物を監視し、わずかな手がかりを追った。
そして、ある夜、警部補・田中剛の携帯から漏れ出た会話が藤田の耳に届いた。
「児役の指示通り、捜査情報を渡した。C棟は空にしたよ。」
その声は、ジャーティンの講に属する児役としての田中を暴露した。
藤田は盗聴記録を証拠に、即座に田中を逮捕した。
取調室で、藤田は冷たく問い詰めた。
「何人の命を売った?ジャーティンの何を隠してる?」
だが、田中は黙秘を貫いた。
目を伏せ、口を閉ざしたまま、ただ静かに座っていた。
やがて、田中が口を開いた。
「組織の秘密を話すぐらいなら死んだほうがマシだ!」
その言葉が終わると同時に、彼は突然立ち上がり、歯を食いしばった。
次の瞬間、口から血が溢れ、田中は床に倒れた。舌を噛み切って自殺したのだ。
取調室は一瞬にして混乱に包まれ、藤田は呆然とその遺体を見つめた。
田中の死は、ジャーティンの秘密を闇に葬り、藤田に新たな打撃を与えた。
事件は上層部の耳に届き、藤田に責任が問われた。
「部下の管理不行き届き。」「取調べ中の自殺を防げなかった。」と非難が集中し、彼は一ヶ月間の職務停止を命じられた。
執務室を出る際、藤田は山崎の手帳を手に握りしめた。
だが、市民の支持に守られたジャーティンは揺るがず、御父の耳には田中の死と藤田の失脚が届いていた。
県内の病院や福祉施設では、ジャーティンの恩恵を受けた市民が日常を続け、藤田の戦いは一時、暗闇に沈んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ミーティング」
スカイタワーは都心の一等地にある50階建てのオフィスビルだった。その42階にパシフィックホールディングスが入っていた。投資ファンドだ。
このファンドを率いていたのが、佐和山である。彼はジャーティンの講を統率する御父だった。
彼の役目は、各講から集められた資金を洗浄し、かつ、運用して増やす事にある。
ジュネーブ、リヒテンシュタイン、モナコ、ケイマン、バージン諸島に口座を持ち、香港、シンガポール、ニューヨークなどの主要な株式市場や先物市場に投資していた。
佐和山はリモートで佐久間島の御父達と会議を開いた。
佐久間島の古参の御父が口火を切った。
「我々の資産は増え続けている。病院、福祉施設、不動産。市民の支持を得るための投資は順調だ。」
東部の講を率いる若手の御父が手を挙げた。
「ドラッグの利益が伸びている。東南アジアからのルートを強化し、市場でのシェアを拡大すべきだ。資金を仮想通貨に変換すれば、追跡も困難になる。」
彼の声は鋭く、野心に満ちていた。だが、南部の講の御父が鼻を鳴らした。
「ドラッグはリスクが高い。市民の支持を失えば、我々の基盤が揺らぐ。俺は合法事業に注力する。県内の物流会社を買収し、表の利益を増やした方が賢明だ。」
彼の講は運輸業で巨額を稼いでおり、その慎重さが知られていた。
議論が熱を帯びる中、北部の講の御父が静かに口を開いた。
「アフリカへの武器輸出に目を向けるべきだ。紛争で需要が高まっている。リスクはあるが、利益はドラッグ以上だ。」
彼の提案に、幾人かの御父が頷いたが、西部の講の御父が反論した。
「武器は目立つ。市民が我々を『守護者』と見るためには、人身売買の方が安全だ。貧困層から労働力を確保し、海外に売れば、安定した収入になる。」
古参の御父が手を上げ、場を静めた。
「各講の意見は分かった。だが、我々の強みは市民の支持だ。病院や福祉への投資を減らしすぎれば、政府に隙を与える。資産運用の鍵は、表と裏のバランスだ。」
彼は傅役に目配せし、帳簿を配らせた。
「現在の総資産は2兆8,500億円。合法事業が6割、地下経済が4割だ。来年は仮想通貨と物流に重点を置きつつ、市民への支援を維持する。これで異議はあるか?」
沈黙が流れ、やがて全員が頷いた。
会議室の外では、ジャーティンの病院で治療を受ける患者の笑顔と、福祉施設で遊ぶ子供たちの声が響いていた。
御父たちの決定は、組織の未来をさらに固める一歩となった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「一斉摘発」
藤田誠一は一ヶ月の職務停止を終え、執務室に戻った。
山崎亮太の死と田中剛の自殺が彼の心に深い傷を残していたが、決意は揺るがなかった。
藤田はジャーティンの根を断つため、警察庁に直訴した。
「信頼できる捜査チームと特殊部隊を貸してくれ。ジャーティンを一掃する。」
警察庁は応じた。
選りすぐりの捜査官と、組織犯罪に特化した特殊部隊が佐久間島に派遣された。
藤田は彼らと数週間にわたり極秘で計画を練った。
市民の支持がジャーティンの盾である以上、内通者を排除し、一斉摘発で一気に畳みかけるしかなかった。
盗聴と監視で各講の動きを把握し、主要な御父たちの居場所を特定する。
藤田の目は冷たく光り呟いた。
「今度は逃がさない。」
摘発の夜が訪れた。
午前3時、県内各地で同時作戦が開始された。
特殊部隊が街のビルや、隠された講のアジトを急襲した。
スタングレネードの閃光と爆音が闇を切り裂き、破砕槌が建物の扉を突き破った。
佐藤怜を殺害した、田中の御父。
カジノの仁田。
山崎を殺害した講の御父。
資源ごみリサイクル会社の加賀又。
島から離れた都内では、ファンドの佐和山が逮捕された。
一夜にして、主要な御父30人余りが拘束された。
傅役や児役も数十人逮捕され、兵士たちは抵抗する間もなく制圧された。
ジャーティンの病院や福祉施設は一時閉鎖され、資産は凍結された。
藤田は県警本部の屋上で朝焼けを見ながら、山崎の手帳を握り締めた。
「終わったわけじゃない。だが、やっと一歩だ。」
逮捕された御父たちは裁判を待つ身となった。市民の間には動揺が広がった。
「ジャーティンがいなけりゃ誰が俺たちを助けるんだ。」
と嘆く声。
「あいつらは犯罪者だ」
と非難する声。
様々だった。
県を覆うジャーティンの影は薄れたが、その根は市民の心に残り続けていた。
藤田の戦いは、新たな局面を迎えた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「家族」
作戦終了後、藤田は県警本部の執務室に戻った。
机には山崎の手帳が置かれ、窓の外には朝焼けが広がっていた。
疲れ切った体を椅子に沈め、彼はポケットから携帯電話を取り出した。
家族に電話をかけるのは久しぶりだった。
呼び出し音が数回鳴り、妻の声が聞こえた。
「誠一?お疲れ様、無事で良かった。」
その声に、藤田の表情がわずかに緩んだ。
「ああ、なんとか終わったよ。子供たちは?」
妻が電話を渡すと、8歳の娘、美咲の明るい声が響いた。
「パパ!テレビで警察がいっぱい出てたよ。パパがやったの?」
藤田は苦笑した。
「そうだよ。悪い奴らを捕まえたんだ。」
と答えた。続いて、5歳の息子、翔太が割り込んできた。
「パパ、かっこいい!でも、いつ帰ってくるの?」
その無邪気な質問に、藤田の胸が締め付けられた。
「もう少しだよ。落ち着いたら帰るから、いい子にしててくれ。」
妻が再び電話を取った。
「無理しないでね。子供たちも私も待ってるから。」
妻は優しく言った。藤田は目を閉じ、呟いた。
「分かってる。ありがとう、愛してるよ。」
電話を切った後、彼はしばらく黙って朝焼けを見つめた。
ジャーティンの影は薄れたが、市民の支持という根は残っている。
家族の声が、疲れた心に一筋の光をもたらした。
「まだ終わってない。だが、やっと一歩だ。」
藤田は山崎の手帳を手に握り、再び立ち上がる力を感じていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「高速道路」
県警本部長、藤田誠一はジャーティン壊滅に一歩近づいていた。
警察庁から呼び寄せた捜査チームと特殊部隊による一斉摘発で、遂にジャーティンを追い詰めた。
そして裁判当日が訪れた。
藤田は執務室で山崎の手帳を手に握り、妻と子供たちとの電話での会話を思い出した。
「まだ終わってない。だが、やっと一歩だ。」
彼は決意を新たに、スーツの襟を正して車に乗り込んだ。
裁判所へ向かうため、藤田の車列は県警本部を出発した。
黒い装甲車に挟まれた藤田のセダンを、前後に護衛車両が固める厳重な体制だった。
高速道路に乗り、車列は順調に進んだ。
窓の外を流れる景色を眺めながら、藤田はジャーティンの市民からの支持を思い返していた。
「無能な政府よりジャーティンが頼りになる。」との声が、彼の戦いを複雑なものにしていた。
だが、今日、裁きが下されれば一つの区切りとなるはずだった。
高速道路を抜け、海沿いのルートに入った。と、その瞬間、
それは起こった。
轟音とともに車列の中央が吹き飛び、激しい炎が空を焦がした。
藤田のセダン直下で何かが爆発した。
衝撃波が護衛車両を弾き飛ばし、アスファルトに金属の残骸が散乱した。
爆音が海に響き渡り、黒煙が立ち上る中、車列は一瞬にして壊滅した。
それは、ジャーティンが仕掛けたセムテックス(旧チェコスロバキア製プラスチック爆弾)だった。
唯一生き残った護衛が、よろめきながら残骸に近づいた。
藤田のセダンは原型を留めず、炎に包まれた鉄の塊と化していた。
護衛が叫び声を上げながら瓦礫を掻き分けると、藤田の姿が見えた。
シートに沈み、血と煤にまみれた彼は即死だった。護衛は膝をつき、無線で本部に報告した。
「本部長、殉職…。ジャーティンの仕業だ…。」
講は、市民の支持を盾にしながらも、藤田の執念が組織に与えた打撃を忘れていなかった。
裁判を前に、御父たちの報復が実行されたのだ。
海沿いの道に静寂が戻り、遠くで波の音が響く中、藤田の戦いは終わりを迎えた。
ジャーティンの影はなお県に広がり続けていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「永遠の眠り」
藤田の戦いは終わりを迎えた。
後日、彼の葬儀が小さな斎場で執り行われた。曇天の下、黒い服に身を包んだ妻と二人の子供。
8歳の美咲と5歳の翔太だけが棺の前に立っていた。
美咲は母の手を握り、涙をこらえながら呟いた。
「パパ、かっこよかったよね…。」
翔太は小さな手を棺に伸ばした。
「パパ、帰ってきてよ。」
と泣きじゃくった。
妻は目を赤く腫らし、ただ黙って夫の遺影を見つめていた。
藤田の家族以外に参列者は一人もいなかった。
県警の同僚も、上層部も姿を見せなかった。
島の住民は知らん顔を決め込んだ。
街角では「藤田?誰だっけ?」と呟く者もいれば「ジャーティンがいなきゃ困るよ。」と平然と言う者もいた。
病院で治療を受け、福祉施設で暮らす人々は、藤田の死を遠い出来事のように扱った。
「無能な政府よりジャーティンが頼りになる。」との声が、葬儀の静寂を嘲笑うかのようだった。
斎場の外では、風が枯れ葉を巻き上げ、寂しげに音を立てていた。
藤田の妻が棺に花を置き、最後の別れを告げた。
「誠一、あなたの戦いは無駄じゃなかったよね…。」
だが、その言葉に答える声はなく、家族三人だけが肩を寄せ合って斎場を後にした。
ジャーティンの講は、市民の支持を盾に静かに動きを再開し、藤田の犠牲は県の記憶から薄れていった。
「美しい神秘の島へようこそ。」
空港の正面玄関に飾らせた大きなポスターが、人々を歓迎した。
ここは佐久間県佐久間島。古の島。
そして、最も黄泉に近い場所。
(終)
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入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
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支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
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快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
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