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Injury
第42話 誰も殺してない
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2073年8月
さくら号
8月に入った。
“奴” ──コンドルからの連絡はまだ、来ない。
船のダークの後、あの怪しい鷲尾のブログをまさかりさんに調べさせたが『何もなかった』らしい。
俺にはネットやプログラミングの専門知識はない。まさかりさんがそう言うなら、信じるしかない。
……本当に、あの時の心配が杞憂であれば良いのだが。
貧乏シェアハウス。
温暖化が進み、日中の気温は40度を超える日が普通になって来た。
当然朝も暑い。
しかしさくら号は5人で電気代を割り勘している。ケチって朝はエアコンを付けないルールだ。
よって一台の扇風機がせわしなく働いているが、上のベッドで寝ている俺には関係ない。
冷気は全て、下の方へ集まる。それが自然の摂理。
「……」
暑い。ベッドの上に置いたUSBの小型扇風機からは熱風が出ている。
一度目が覚めてしまったからにはもう眠れない。
時計はまだ朝5時半を回ったところだ。
ベッドを下り、クローゼットを開けて、新しいシャツを取り出す。
汗ばんだ長袖のシャツを脱いで、新しいシャツを着ようとした。
「タカおはよ……」
「!」
ひかるが自分のベッドから、顔を覗かせていた。
「その傷……どうしたの?」
俺の左腕には、大きな切り傷がある。
ただしもう何年も前に受けたもので、既に跡になっている。
「……」
……ほら。干渉される。
俺は無言で長袖のシャツを着た。……傷を隠す様に。
「……そっか、だから半袖着たがらないんだ」
ひかるは納得したように、頷いただけだった。
……理由は聞かないんだな。
「お前は何で起きたんだ。こんな朝早くに」
「え? 朝食作るよ?」
「はぁ?」
ひかるはまだ片足で、松葉杖に頼らなければ動けない状態。
「大丈夫だよ。もう松葉杖慣れたし。料理に使うのは手だからね」
俺の言いたいことを察したひかるが、平然として言った。
「……どうしてそこまでするんだ」
え? と、ひかるは首を傾げた。
「朝早く起きて片足で立ち続けるなんて、転倒して更に大きな怪我をするリスクを背負うだけだろ」
「えぇ?」
するとひかるは、俺の意に反してニタリと笑った。
「心配してくれてるの~?」
「違う! そうじゃなくて……。そこまでして皆の為に飯を作って、何のメリットがある?」
「メリット?」
「お前は材料費しか集金してない。何故人件費は取らない? それとも、ただ皆に恩を売りたいだけか?」
「えー……、おれがそんな事考えてると思う?」
「……」
……思わない。
「メリットね……。強いて言うなら、みんなに『美味しい』って言ってもらえるのが、嬉しいからかな」
「は?」
「は? って。え、変かな?」
「……意味が分からない」
コイツと話すと、たまに宇宙人と話しているような感覚になる。
俺の問いに、想像の斜め上の答えを返してくる。
そもそも俺は“非合理的な動きをする”人間の事が一番理解出来ない。
ひかるはそれだ。
前はコイツの事をバカだと思っていたが、今は……不思議……に近い。
ポカンとする俺の顔を見て、ひかるは失笑した。
「何が意味が分からないのか、おれも分からないよ……」
「じゃあ俺の為に作るのは何故だ? 俺は一度も『美味しい』なんて言ったことはないが? それとも律儀に、『俺と組め』と言った約束を守ってるのか?」
「タカは確かに『美味しい』って口には出した事はないけど、顔には『美味しい』って書いてあるもん」
「っ、はぁ!?」
「ちょっと、大きい声出さないでよ。みんな起きちゃう」
ひかるは悪戯っぽく笑うと、そのままキッチンの方へ松葉杖を使って向かう。
「おい、待て」
その腕を掴んだ。
「やめろ、作るな」
「えぇ……っ、なんで……?」
「何も怪我してない俺たちが、大怪我のお前が必死に作った飯なんて気持ちよく食えない」
「……うーん、気にしなくていいのに」
俺は車椅子をひかるの元に持って来る。
「乗れよ」
「はい?」
「早く」
ひかるが渋々座ると、俺はそれを押して玄関から外に出た。
ひかるは驚いた様だったが、文句一つ言わないどころか、少しニヤけていた。
◆
夏の朝。
生ぬるい風がひかるの髪を揺らす。
車椅子を押して、川沿いをただひたすら歩いた。
自分でもどうしてこのような行動に出たのか、正直驚きだ。
まあでも、ひかるには話したいことがあった。
「お前、今月インターハイに出場予定だったな」
「え……?」
ひかるの表情が変わった。
「それでどうしても早く足を治したかった。……エリンギから聞いた。お前が必死にあの医者に治したいと言ったことを」
「……」
去年一年間、種目は違えど、同じ環境で部活をして来た。
……暑さの中、血へどを吐きそうなくらいひたすら走り続けた。
こいつが足が速いのは才能だけじゃないと……、俺は知っている。
「……」
「……」
俺には俯いているひかるの頭しか見えないので、表情は窺えなかった。
……やっぱり、言わなければよかった。
沈黙が重い。
「……い、いや、大丈夫だよ。お……おれまだ2年だし、まだ、来年があるから……」
ひかるはこちらを振り返って、目を泳がせて言った。
相変わらず嘘が下手すぎる……。
本当は悔しくてたまらないくせに。
泣き付かれても困るが、強がっても腹が立つ。
──何でコイツは俺を責めない?
ひかるが『あの時タカが警察を待てなんて言わなかったら、おれは撃たれなかったのに!』と憤れば、俺は返す言葉もなく謝れるのに。
「……ひかる」
「うん?」
「一つ、相談に乗ってもらえるか」
「え?」
「いや、相談と言うより、聞きたいことと言うか」
「おれに?」
何となく、話を大きく逸らしてみる。
ひかるは驚いたが、しかし嬉しそうに微笑んだ。
「なぁに?」
「……パワフル」
「パワフル?」
「あいつは信頼に値する人物か?」
ひかるは首を傾げた。
さくら号の大家・パワフル。
恐らく、どうして今パワフルなんだろうと疑問に思っている筈だ。
「……別に悪い人じゃないし、むしろ気が利いていい人だと思う」
「気が利く?」
「うん。ほら、たまに掃除しに来るじゃん、さくら号に。その時ちゃんと布団まで直してくれたりさ、ちゃっかり冷蔵庫の中身補充してくれたりするんだよね。おれは仲いいんだけど……」
「俺はアイツに、さくら号から出て行けと言われた」
「え、えぇ!? 何で?」
「さぁな、『俺の事が嫌いだから』らしい。そんな幼稚な理由だから、無視して今も居座ってる訳だが」
「何でそんなに嫌われてるんだろ? 心当たりはある?」
「ない。でも……このままじゃまずい」
「まずい?」
俺は無言で頷いた。
「俺はあいつに用があるから、さくら号に入居したんだよ」
「さくら号に住まなきゃいけない程の……用?」
「……親父に手紙を託された」
「手紙? パワフル宛?」
「そう。多分」
「渡すだけじゃ……?」
何か訳があると悟ったひかるは、おそるおそる聞いた。
「親父が死ぬまでに残した手紙、というより遺書は2通あって、俺ともう1人別々に宛てられたものだった。俺の方に『もう一方の手紙は絶対に読むな』と書かれていて……」
俺は、親父の意思に背く事はできない。だから手紙の中身は見れない。
『本当に一人で生きて行くのが辛くなったのなら、もう一方の封筒をそこの住所の人物に渡せ。きっとその人が、俺の嘘を全部話してくれるだろう』
掻い摘むと、そう記してあった。
俺はこの〝親父の嘘〟を知る為に、この住所の住人──パワフルの元を訪ねたわけだが。
……ただ、書き忘れだろうか……。
肝心の名前が書いてなかった。うっかりやらかしそうな親父の事だ、それに意図はない気はする。
「そのもう一人の宛先が、パワフル……?」
「住所に間違いがなければそうだ。パワフルが親父の何かを知ってるとは思えないから……。さくら号に住み込んでアイツが信頼に値するかを見極めてから、遺書を渡すか否か決めようと思った」
「そうだったんだ……」
「だからまだ、とても渡す気になれない」
ひかるは何度も相槌を打ちながら、真剣に聞いてくれた。
ほんの少し、気が晴れた気がした。
「うーん、まず何でパワフルに嫌われてるかが分かんないとね……。おれが聞いてみようか?」
「いや、いい……。どうせはぐらかされるだけだろ」
ひかるは少し考え込んで、ポツリと言った。
「……タカのお父さんってさ、どんな人だったの?」
「え……」
「いや、パワフルの事知ってるって、何かヒントになるかなーって……。タカのお父さんが凄く良い人だった事、おれは知ってるよ」
「は? 何で?」
「あ、電車の中で盗み聞き……、じゃなくて! ゆ、優輝先輩から、聞いたから、です、うん……」
「……」
俺は少し、躊躇った。
親父のことを語るのは、優輝以外にはした事がない。
しかもコイツにとって親父は、……殺人犯だ。
しかし、何故だろう。
河川敷は風が吹き抜け、川面はキラキラ光り、ひかるの口調は穏やかで、気持ちの良い朝だった。
俺の気持ちは今、明るかった。
だから親父の顔を思い出して、ぽつりぽつりと言葉を発した。
「……一言で言うと、アホだ」
「え!?」
「でも、……それが良いんだ」
「あ……、ふふ、そうなんだ」
「呆れる程お人好しで」
「うん」
「誰とでも仲良くなれて」
「うん」
「よく笑う人で」
「うん」
「虫も殺さぬ様な温厚な男で……」
「うんうん」
「だから、誰も、殺してない」
ひかるは思わず、息を止めて俺を見た。
「え……?」
そして、俺の顔を窺う。
冗談なのか、本当ならばそれ以上聞いていいのか……。それを迷う様な顔で。
「……いや、忘れてくれ」
何で、言ってしまっただろうか……。
何故あれ程干渉されたく無かったのに、自ら曝け出してしまったのか。
「……うん」
ひかるはそれ以上、何も聞かずに川を眺めていた。
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