レトロな事件簿

八雲 銀次郎

文字の大きさ
24 / 309
2章:想い

5 独学

しおりを挟む
 甘王を後にしたのは、一三時前くらいだった。流石にお昼過ぎとなると、お客さんの数も増えてくる。帰り際、彩から今度はれとろに来てくれると、約束してもらった。
 真っ直ぐ行けば、そんなに時間はかからない。だが、土曜日ともなるとそうはいかない。
 どうやら、事故があったらしく、なかなか進まない。
 「そういえば、香織ちゃんって、苦手なものとかある?」
 ハンドルにもたれかかりながら、聞いてきた。
 「どうしたんですか?急に。」
 「いや、さっきの彩ちゃんはコーヒーが苦手だったみたいだけど、香織ちゃんはどうなのかなぁと思ってね。」
 「私は辛い物が苦手ですね…。」
 「辛い物…。」
 「ある程度の物なら大丈夫です。例えば、マスタードとかワサビとか…。だけど、唐辛子とか和辛子はだめです…。」
 私は、なかなか動かない前の車を見つめながら答えた。

 「そっか、辛い物か…。」
 「ちなみに、九条さんは苦手なものは?」
 「僕は、酸っぱいものがダメだね…。梅干しとかレモンとか…。」
 「あ、だからあんみつにフルーツとか、乗せてなかったんですか?」
 「そうなんだよね。」
 「へぇ、じゃ、私からも質問良いですか?」
 ルームミラーに引っ掛けてある、イルカの小さいキーホルダーを指ではじきながら、“良いよ”と答えた。
 「コーヒーを美味しく淹れるコツって何ですか?
九条さんと同じやり方、同じ淹れ方でやっても何か違うような気がして…。サイフォンでやってもダメでした…。」
 「…修行が足りない…。」
 「へ?」

 ぼそっと言ったから聞こえなかったわけではない。ただ、それだけで済まされると思わなかったからだ…。
 「修行…ですか…。」
 聞き返した。
 「まぁそうだね、要は経験だよ。ちょっとゴメンね…。」
 そう言い、九条さんは手を伸ばし、私の座っている助手席側のグローブボックスを開けた。中には車検証以外に、何冊か雑誌があった。
 「雑誌好きですね…。」
 「はは、人並みにね…。まぁ、趣味ってやつだよ。」
 そう答えながら取り出したのは、二冊のコーヒー専門の雑誌だった。それを私の膝の上に置いた。
 「開けてみな。」
 九条さんは、ついでに取り出した自動車雑誌をぺらぺらとめくりだした。
 私も雑誌をめくった。中は目がチカチカするほどの蛍光色のマーカーのラインやページの余白の部分にこれでもかと書かれたメモ書きなどが書き込まれてあり、華やかだった。
 もっと驚くところは、この雑誌が先月末に発行されていること。要するに、最近まで、彼はコーヒーの勉強していることになる…。
 更に、「それだけじゃないよ。」と言い、彼は後部座席に置かれた自分のバッグから、これまた小さな黒い本を取り出した。表紙にはコーヒーカップのイラストと「Coffee」の文字が書かれていた。これも、さんざん読みつくしたのか、マーカやメモ書きなどが各ページに書き込まれていた。唯一分かったのは、本文もメモ書きも日本語じゃないことだけだった。
 「僕がコーヒーを勉強しだしたのは、僕がまだ中学生の時。ある喫茶店のコーヒーがすごい好きでね。たくさん勉強したよ。煎り方から、飲み方まで…。」
 「その喫茶店って、日本にあるんですか?」
 「鋭いね。中二の夏休みに親父の仕事の都合で一ヵ月間ドイツに行っててね。そこの宿の近所にあった。
 小さな木組み喫茶店でね…。店内は二、三人しか入れないほど狭く、そのくせ、客なんてほとんど来なかった。」
 九条さんが懐かしむように話す。

 「店員もおじいちゃん一人しかいなくて、もはや趣味でやってる様な感じだったなぁ…。
 でも、コーヒーの味は絶品だった。特別苦いわけでも、飛び切り香りが良いわけでもない。豆も市販されてるものを使っていた。なのに、あれだけ深いコクは、八年間ずっと、勉強しても再現できない…。」
 やっと進み始めた。

 「じゃぁ、逆に、香織ちゃんはどうして、そこまでコーヒーに拘りがあるの?」
 「私は…。」
 それ以上続けられなかった。そこを話すと、全て話さなきゃいけなくなる…。
 「嫌なら無理にとは言わないよ。」
 九条さんが優しく、諭すように言った。
 「九条さんは強いですもんね…。」
 「…前も言ったように、強さは人それぞれだと思うよ、酸っぱいものが食べられない僕からすれば、フルーツが食べられる君は、僕よりは強い。それと、一緒…。」
 「…。」
 俯いたまま、何もしゃべれなかった。九条さんは励ましてくれているつもりだろうが、その優しさが私にとっては苦しかった。
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

やさしいキスの見つけ方

神室さち
恋愛
 諸々の事情から、天涯孤独の高校一年生、完璧な優等生である渡辺夏清(わたなべかすみ)は日々の糧を得るために年齢を偽って某所風俗店でバイトをしながら暮らしていた。  そこへ、現れたのは、天敵に近い存在の数学教師にしてクラス担任、井名里礼良(いなりあきら)。  辞めろ辞めないの押し問答の末に、井名里が持ち出した賭けとは?果たして夏清は平穏な日常を取り戻すことができるのか!?  何て言ってても、どこかにある幸せの結末を求めて突っ走ります。  こちらは2001年初出の自サイトに掲載していた小説です。完結済み。サイト閉鎖に伴い移行。若干の加筆修正は入りますがほぼそのままにしようと思っています。20年近く前に書いた作品なのでいろいろ文明の利器が古かったり常識が若干、今と異なったりしています。 20年くらい前の女子高生はこんな感じだったのかー くらいの視点で見ていただければ幸いです。今はこんなの通用しない! と思われる点も多々あるとは思いますが、大筋の変更はしない予定です。 フィクションなので。 多少不愉快な表現等ありますが、ネタバレになる事前の注意は行いません。この表現ついていけない…と思ったらそっとタグを閉じていただけると幸いです。 当時、だいぶ未来の話として書いていた部分がすでに現代なんで…そのあたりはもしかしたら現代に即した感じになるかもしれない。

結婚する事に決めたから

KONAN
恋愛
私は既婚者です。 新たな職場で出会った彼女と結婚する為に、私がその時どう考え、どう行動したのかを書き記していきます。 まずは、離婚してから行動を起こします。 主な登場人物 東條なお 似ている芸能人 ○原隼人さん 32歳既婚。 中学、高校はテニス部 電気工事の資格と実務経験あり。 車、バイク、船の免許を持っている。 現在、新聞販売店所長代理。 趣味はイカ釣り。 竹田みさき 似ている芸能人 ○野芽衣さん 32歳未婚、シングルマザー 医療事務 息子1人 親分(大島) 似ている芸能人 ○田新太さん 70代 施設の送迎運転手 板金屋(大倉) 似ている芸能人 ○藤大樹さん 23歳 介護助手 理学療法士になる為、勉強中 よっしー課長 似ている芸能人 ○倉涼子さん 施設医療事務課長 登山が趣味 o谷事務長 ○重豊さん 施設医療事務事務長 腰痛持ち 池さん 似ている芸能人 ○田あき子さん 居宅部門管理者 看護師 下山さん(ともさん) 似ている芸能人 ○地真央さん 医療事務 息子と娘はテニス選手 t助 似ている芸能人 ○ツオくん(アニメ) 施設医療事務事務長 o谷事務長異動後の事務長 ゆういちろう 似ている芸能人 ○鹿央士さん 弟の同級生 中学テニス部 高校陸上部 大学帰宅部 髪の赤い看護師 似ている芸能人 ○田來未さん 准看護師 ヤンキー 怖い

処理中です...