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11章 虚しさ
5 不安
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病院に着いてからの事は、よく覚えている。忙しなく医師や看護師たちが動き回っており、終いには、警察まで出てきた。
結果、母は小さい箱に押し込まれた。親戚付き合いがなく、頼れる人が居なかったため、この時ばかり、顧問の先生の助言を貰いながら、ひっそりと火葬だけ行った。
費用は母がもしもの時のためにと、貯めていた箪笥預金を切り崩し、何とかなった。
それからしばらく、惰性で学校に通いつつ、母が遺した内職の仕事をこなしていたが、年が明け、世間のお正月ムードが抜け始めた頃、何となく、心が折れた。
内職の仕事は、難しくない分、単価が低い。一日数百円稼いだところで、食費やその他雑費に消える為、ほとんど意味がない。
更に困るのは学費だった。幾ら奨学制度を利用しているとはいえ、全額免除というわけには行かない。
まして、最近は部活にすら顔を出せていない為、強制退部させられることだってある。
そうなれば、奨学制度の話も白紙になってしまう。
だから、バイトなんてもっての外…。
母が倒れた時点で、私に選ぶ道なんて、なかった。
私は翌日、生徒課に出向き、自主退学を申し出た。だが、意外にも先生たちはそれを止めてくれた。
事情が事情だからという事と、私に『時期日本代表選手』という肩書があったから…。
とりあえず、考え直してほしいと言われ、その日は帰された。
お金がない以上、学校に通う事すら不可能なのに、どうしろというのか…。
時期日本代表と言われたときは、確かに嬉しかったが、これ程までに大きくて重い足枷になるとは思っても居なかった。
いずれ、今住んでいる所も出て行かなければならない。
それに、あと少しとは言え、借金の件もある。
不安で堪らなかった。優しい人は居る。ただそれは味方ではない。頼れる人もいない…。
俗に言う、『詰んだ』とは、こういうことを言うのだろう…。
元凶の彼奴の事は、確かに憎かったが、敢えて考えない様にした。
私にも彼奴の血が半分流れている。不安が、憎しみに変われば、機嫌が悪い時の彼奴みたいになってしまう。そんな気がしてならなかった。
その日は、真っ直ぐ家には帰らず、街から少し外れた、海岸沿いを歩いた。考えごとをしたいときは、よくここを通った。砂浜もなくは無いのだが、近くには漁業関連の施設や港があるため、今の時間、人通りはそれほど多くない。
特別海が好きなわけでもないが、静かで風もあり、ここ程落ち着く場所は、家以外にはなかった。
いつもの防波堤の上に足を投げて座り、暫くボーっとした。
そうしないと、色々な感情が爆発してしまう。ただ、ひたすら、水平線を見つめた。
1月という事もあり、吹き付ける風は、冷たかった。それでも、兎に角無心に徹した。
「何か見えるのかい?」
背後からそう声が聞こえ、思わず振り向いた。声の主は、煙草をふかした、30代前後の男性だった。
「…別に、何も…。」
感情的になるまいと、ぶっきら棒にそう呟いた。
男性は、ふーんと頷き、防波堤に肘を掛け、私と同じ方向を眺めた。
男性が、何者かは分からなかったが、何故か煙たい筈の煙草の匂いが、その時だけ、心が落ち着く気がした。
「おじさんは何してる人?」
「おじさんはねぇ、ただのトラック乗り。今はすぐそこの漁業組合に用事があって、たまたま通り掛かっただけ。
お嬢ちゃんは?」
「私は…考え事してただけ…。」
話すかどうか迷ったが、今の不安材料を吐き出した。名前も知らない男性は黙って話を聞いていた。
全て話し終えた頃には、日も沈み始め、近くの街灯も点き始めていた。
その時、私の腹が鳴った。最近、碌な物を口にしていなかった…。
「腹はいつでも呑気なだな。」
男性はそう言うと、吸い殻を携帯灰皿に仕舞、私を防波堤から降りる様に言った。
「飯、食わしてやる。ただ、働かざる者、食うべからずだ。」
それが、ジンさんとの出会いだった。
結局あの後、金銭面と経済的な意味で、学校は退学せざるを得なかった。でも、ジンさんや、漁業組合の人達の協力もあって、仕事は何とか見つけられた。
結果、母は小さい箱に押し込まれた。親戚付き合いがなく、頼れる人が居なかったため、この時ばかり、顧問の先生の助言を貰いながら、ひっそりと火葬だけ行った。
費用は母がもしもの時のためにと、貯めていた箪笥預金を切り崩し、何とかなった。
それからしばらく、惰性で学校に通いつつ、母が遺した内職の仕事をこなしていたが、年が明け、世間のお正月ムードが抜け始めた頃、何となく、心が折れた。
内職の仕事は、難しくない分、単価が低い。一日数百円稼いだところで、食費やその他雑費に消える為、ほとんど意味がない。
更に困るのは学費だった。幾ら奨学制度を利用しているとはいえ、全額免除というわけには行かない。
まして、最近は部活にすら顔を出せていない為、強制退部させられることだってある。
そうなれば、奨学制度の話も白紙になってしまう。
だから、バイトなんてもっての外…。
母が倒れた時点で、私に選ぶ道なんて、なかった。
私は翌日、生徒課に出向き、自主退学を申し出た。だが、意外にも先生たちはそれを止めてくれた。
事情が事情だからという事と、私に『時期日本代表選手』という肩書があったから…。
とりあえず、考え直してほしいと言われ、その日は帰された。
お金がない以上、学校に通う事すら不可能なのに、どうしろというのか…。
時期日本代表と言われたときは、確かに嬉しかったが、これ程までに大きくて重い足枷になるとは思っても居なかった。
いずれ、今住んでいる所も出て行かなければならない。
それに、あと少しとは言え、借金の件もある。
不安で堪らなかった。優しい人は居る。ただそれは味方ではない。頼れる人もいない…。
俗に言う、『詰んだ』とは、こういうことを言うのだろう…。
元凶の彼奴の事は、確かに憎かったが、敢えて考えない様にした。
私にも彼奴の血が半分流れている。不安が、憎しみに変われば、機嫌が悪い時の彼奴みたいになってしまう。そんな気がしてならなかった。
その日は、真っ直ぐ家には帰らず、街から少し外れた、海岸沿いを歩いた。考えごとをしたいときは、よくここを通った。砂浜もなくは無いのだが、近くには漁業関連の施設や港があるため、今の時間、人通りはそれほど多くない。
特別海が好きなわけでもないが、静かで風もあり、ここ程落ち着く場所は、家以外にはなかった。
いつもの防波堤の上に足を投げて座り、暫くボーっとした。
そうしないと、色々な感情が爆発してしまう。ただ、ひたすら、水平線を見つめた。
1月という事もあり、吹き付ける風は、冷たかった。それでも、兎に角無心に徹した。
「何か見えるのかい?」
背後からそう声が聞こえ、思わず振り向いた。声の主は、煙草をふかした、30代前後の男性だった。
「…別に、何も…。」
感情的になるまいと、ぶっきら棒にそう呟いた。
男性は、ふーんと頷き、防波堤に肘を掛け、私と同じ方向を眺めた。
男性が、何者かは分からなかったが、何故か煙たい筈の煙草の匂いが、その時だけ、心が落ち着く気がした。
「おじさんは何してる人?」
「おじさんはねぇ、ただのトラック乗り。今はすぐそこの漁業組合に用事があって、たまたま通り掛かっただけ。
お嬢ちゃんは?」
「私は…考え事してただけ…。」
話すかどうか迷ったが、今の不安材料を吐き出した。名前も知らない男性は黙って話を聞いていた。
全て話し終えた頃には、日も沈み始め、近くの街灯も点き始めていた。
その時、私の腹が鳴った。最近、碌な物を口にしていなかった…。
「腹はいつでも呑気なだな。」
男性はそう言うと、吸い殻を携帯灰皿に仕舞、私を防波堤から降りる様に言った。
「飯、食わしてやる。ただ、働かざる者、食うべからずだ。」
それが、ジンさんとの出会いだった。
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