[完結]龍神の嫁は身代わりの下女でした

青空一夏

文字の大きさ
2 / 6

 声に押され、雪乃はぎゅっと指先に力を込めた。次の瞬間、龍は畳を蹴る。天窓から夜空へ跳ね上がり、迷いもなく舞い上がっていく。川面に映った月光が一瞬、キラリと光った。
 風が耳を裂くように吹きつける。雪乃は怖くて目をぎゅっと閉じた。どれほど時間が経ったのか、自分でもわからない。

「着いたぞ」
 その声に、雪乃はぱちりと目を開いた。

「ここが私の住まいだ。そういえば、名はなんという?」
「雪乃です」
「では、雪乃。茜に早速、部屋へ案内させよう」

「今日から雪乃様のお世話をさせていただきます」
 茜と呼ばれた女性は、雪乃にペコリと頭を下げた。小柄でニコニコしている茜は、雪乃を部屋へと案内する。
 雪乃に与えられた部屋は、主であった梨花の部屋よりも、はるかに立派だった。畳は新しく、欄間らんまや柱には優美な彫りが入り、障子の紙は透かし模様で淡く光を含んでいた。
(わ、私……下女なのに、こんな立派なお部屋をいただいていいのかしら……)
 本来なら下働きのはずの雪乃が、この部屋の主になり側仕えを持つなど、下界にいた頃ではあり得ない。続きの間は龍神夫婦の寝所になっており、その向こうは龍神の部屋へと続いていた。どの部屋も庭に面しており、下界は冬だというのに、ここでは桜が咲き乱れ、春のように暖かだった。

 部屋で寛いでいると、茜がお茶と茶菓子を運んできた。
「竜王様の背に乗って来られたのなら、お疲れでしょう。肩を揉ませてくださいませ。夕食前には湯浴みのご用意もいたしますから……」

 茜に肩や足を揉まれ、生まれて初めて味わう心地よさに、雪乃は思わず小さく声を漏らした。
「ずいぶん凝っておいでですね。これからは毎日、私が揉んで差し上げますよ」
(ふぁぁ……なんて贅沢なの。まるで天国みたい)

 湯浴みなど、下界ではたまにできればいい方だったのに、ここでは当たり前のように温かい湯が用意される。湯浴み後、小花模様の小袖に着替えた雪乃は、龍神と共に用意された夕餉《ゆうげ》の席についた。温かい湯気が立ちのぼる椀や、彩りの良い野菜の煮物が並ぶ。雪乃が恐る恐る箸をつけると、どれも驚くほど上品な味だった。龍神は静かに食を進め、言葉少なげに雪乃の皿に焼き魚を取り分けたりした。

 食後、布団が敷かれた寝所へと向かう。雪乃は龍神と並んで横になった。互いの肩が触れるか触れないかという距離で、なんとも言えない沈黙が落ちる。
(ど、どうしたら……いいんだろ……)
 視線の置き場に困ってもじもじしていると、龍神がそっと手を伸ばした。雪乃の腕をやさしく引き寄せ、抱きしめるように胸元に収める。
 その途端、龍神の呼吸がふっと深くなり、幼子のようにすやすやと寝息を立て始めた。

(……えっ、寝た? 今?)
 拍子抜けして雪乃は瞬きを繰り返す。顔を覗くと、麗しい銀髪の龍神は安心しきったように微笑みすら浮かべて眠っていた。
 実際、龍神は何百年も人間界の負の気配や感情に晒され、まともに眠れなかった。けれど雪乃に触れた今、雑音が一切なくなり、うっかり深く眠ってしまったというのが真相だった。こうして、初夜とは名ばかりで、雪乃はただ龍神の胸に抱かれながら、静かな寝息を聞いていた。

 
 朝になると、龍神は目をぱちりと開け、驚いたように声を上げる。
「こんなにすっきりした目覚めは何百年ぶりだろう? ……なぁ、雪乃、私は眠っていたのだろうか?」
 妙なことを聞くものだと雪乃は思う。龍神が数百年もの間、寝不足だったことを雪乃は知らない。
感想 2

あなたにおすすめの小説

私は真実の愛を見つけたからと離婚されましたが、事業を起こしたので私の方が上手です

satomi
恋愛
私の名前はスロート=サーティ。これでも公爵令嬢です。結婚相手に「真実の愛を見つけた」と離婚宣告されたけど、私には興味ないもんね。旦那、元かな?にしがみつく平民女なんか。それより、慰謝料はともかくとして私が手掛けてる事業を一つも渡さないってどういうこと?!ケチにもほどがあるわよ。どうなっても知らないんだから!

破棄ですか?私は構いませんよ?

satomi
恋愛
なんだかよくわからない理由で王太子に婚約破棄をされたミシェル=オーグ公爵令嬢。王太子のヴレイヴ=クロム様はこの婚約破棄を国王・王妃には言ってないらしく、サプライズで敢行するらしい。サプライズ過ぎです。 その後のミシェルは…というかオーグ家は…

本日をもって

satomi
恋愛
俺はこの国の王弟ステファン。ずっと王妃教育に王宮に来ているテレーゼ嬢に片思いしていたが、甥の婚約者であるから届かない思いとして封印していた。 だというのに、甥のオーウェンが婚約破棄をテレーゼ嬢に言い渡した。これはチャンス!俺は速攻でテレーゼ嬢に求婚した。

馬小屋の令嬢

satomi
恋愛
産まれた時に髪の色が黒いということで、馬小屋での生活を強いられてきたハナコ。その10年後にも男の子が髪の色が黒かったので、馬小屋へ。その一年後にもまた男の子が一人馬小屋へ。やっとその一年後に待望の金髪の子が生まれる。女の子だけど、それでも公爵閣下は嬉しかった。彼女の名前はステラリンク。馬小屋の子は名前を適当につけた。長女はハナコ。長男はタロウ、次男はジロウ。 髪の色に翻弄される彼女たちとそれとは全く関係ない世間との違い。 ある日、パーティーに招待されます。そこで歯車が狂っていきます。

急に王妃って言われても…。オジサマが好きなだけだったのに…

satomi
恋愛
オジサマが好きな令嬢、私ミシェル=オートロックスと申します。侯爵家長女です。今回の夜会を逃すと、どこの馬の骨ともわからない男に私の純潔を捧げることに!ならばこの夜会で出会った素敵なオジサマに何としてでも純潔を捧げましょう!…と生まれたのが三つ子。子どもは予定外だったけど、可愛いから良し!

婚約者が他の令嬢に微笑む時、私は惚れ薬を使った

葵 すみれ
恋愛
ポリーヌはある日、婚約者が見知らぬ令嬢と二人きりでいるところを見てしまう。 しかも、彼は見たことがないような微笑みを令嬢に向けていた。 いつも自分には冷たい彼の柔らかい態度に、ポリーヌは愕然とする。 そして、親が決めた婚約ではあったが、いつの間にか彼に恋心を抱いていたことに気づく。 落ち込むポリーヌに、妹がこれを使えと惚れ薬を渡してきた。 迷ったあげく、婚約者に惚れ薬を使うと、彼の態度は一転して溺愛してくるように。 偽りの愛とは知りながらも、ポリーヌは幸福に酔う。 しかし幸せの狭間で、惚れ薬で彼の心を縛っているのだと罪悪感を抱くポリーヌ。 悩んだ末に、惚れ薬の効果を打ち消す薬をもらうことを決意するが……。 ※小説家になろうにも掲載しています

ワザと醜い令嬢をしていた令嬢一家華麗に亡命する

satomi
恋愛
醜く自らに魔法をかけてケルリール王国王太子と婚約をしていた侯爵家令嬢のアメリア=キートウェル。フェルナン=ケルリール王太子から醜いという理由で婚約破棄を言い渡されました。    もう王太子は能無しですし、ケルリール王国から一家で亡命してしまう事にしちゃいます!

あっ、追放されちゃった…。

satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。 母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。 ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。 そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。 精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。