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第2話 まずは美優を……
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最初は何が起こったのか、理解できなかった。
だが、詳細を聞いた瞬間、凛はその場に崩れ落ちた。
家族も、この事件の巻き添えを食らったのだ。
父・七瀬誠は霞が関の官僚だった。
だが、凛のスキャンダルが広まると、次第に省内での立場が危うくなり、突如として辞職を余儀なくされた。
母・七瀬千鶴は都内の一等地で高級フラワーブティックを経営し、セレブやブランドのレセプション装花を手掛けるほど成功していた。
しかし、凛が逮捕されると、マスコミは彼女だけでなく、その両親にも容赦なく牙を剝く。
『七瀬凛の父親は霞が関の高級官僚!』
『母親は高級フラワーショップ経営!』
『霞が関のエリート官僚が住む高級住宅街の豪邸。その資金源に黒い噂が浮上!!?』
そんな見出しが、あるゴシップ週刊誌の一面を飾った。
最初は小さな記事だった。
だが、記者たちは執拗に凛の両親を追い回し、凛の学校関係者や近隣住民にまで根掘り葉掘り取材を重ねる。
「そういえば、千鶴さんの店、若い男性の店員を雇っていたわね。娘がアレなら、母親だって何をしてるかわからないわ」
「七瀬さんの奥さん、結構派手だったし、遊び歩いてる感じだったわよ」
真偽不明の噂が、あたかも事実であるかのように記事にされ、煽り立てられた。やがて、そのスキャンダルはネットニュースにまで波及する。SNSやまとめサイトでは、煽情的な見出しが次々と拡散され、大炎上。そして、ゴシップ誌が火をつけたスキャンダルは、ワイドショーによって一気に広がった。
「これはもう、親の問題でもありますよね」
「お金持ちの家庭は感覚がズレているんですよ」
連日、コメンテーターたちは凛の両親を叩き、週刊誌の記者たちは得意げに「独自取材」の内容を語った。
そして――凛の両親の個人情報までもが、次々と暴かれていった。
自宅の住所、父親の役職、母親の店。
ネット上では凛の自宅が特定され、Googleマップのスクリーンショットまで拡散される。
ポストにはゴミや汚物が投げ込まれ、嫌がらせの電話が鳴り止まなかった。
そして、凛の両親は精神的に深く病み、自ら命を絶った。
すべてを話し終えた看守は、今度は優しく労るような声音で言った。
「自殺した両親は気の毒だったな。だからこそ、お前はしっかり反省し、更生しなければならない。亡くなった両親も、それを願っているはずだろう……ん? なんでそんなに詳しいのかって? うちのかみさんがゴシップ好きでな。こういう話は、俺が聞かなくても勝手に耳に入ってくるんだよ」
涙は出なかった。喪失感と怒りが渦巻き、ただ冷たい絶望が心に広がった。
その日から、凛は変わった。もう帰る家も家族もいないのだ。
――こうなったのは誰のせいなの? 私を嵌めたのは誰なの?
無意味な反抗はやめ、冷静に状況を分析し始めた。どうすれば生き延び、大きな力を手にできるのか——復讐のために。
◆◇◆
鉄格子の向こうに広がる夕焼けが、血のように赤かった。この景色を何度眺めたのだろうか。凛は数えなくなって久しい。
昔は夕焼けが好きだった。楽しい思い出がたくさんあったから。
でも今は、もう好きじゃない。
どの思い出にも、いつも両親の姿があった。
けれど、今はもう二人はいない。
だから、夕焼けを見るたびに、楽しかったはずの記憶が胸を締めつける。
出所間近になったある日、看守の荒々しい声が刑務所の廊下に響き渡った。
「七瀬、面会だ」
両親が亡くなった今、面会に来る人などいるはずがない。そう思いながらも、足が止まる。
最後に面会室に向かったのは、数ヶ月前のことだった。ガラス越しに座っていたのは、美優と翔だった。彼らは並んで椅子に腰掛け、まるで面白い映画を楽しむように微笑んでいた。
「私たち、付き合い始めたの」
わざわざ報告に来る必要があったのだろうか。凛は何も聞いていないのに、彼らはわざと見せつけるように話を進めた。凛は必死に訴えた。
「美優の財布の件も、数学の期末試験の問題用紙も、生徒会のお金も……なにも盗っていないわ。私は無実なのよ」
しかし、美優は勝ち誇ったような瞳を向け、翔は軽蔑するように顔を歪めた。
「状況証拠が揃っていたよな。そんな言い訳、誰が信じる?」
「一度でも好きになった相手でしょう? 彼女だった私をなぜ信じてくれなかったの?」
「なんでもできて優秀で、美人だったから付き合っただけさ。俺に釣り合う女だと思ったんだよ。まあ、今となっては最低の選択だったけどな。元カノが刑務所送りとか、人生の汚点だよ。こんな恥さらし、黒歴史どころの話じゃない。俺の評判まで下がるだろ、最悪だよ」
その瞬間、まるで全身の血が凍るような感覚に襲われた。何ヶ月も前の出来事なのに、今でも昨日のことのように鮮明に蘇る。思い出すたび、悔しさで体が震えるほどの怒りと悲しみが込み上げた。そんなことを思い出して、凛は足を止めたまま、しばらく動けなかった。
だが、考えても仕方がない。ゆっくりと息を吐き、無機質な床を踏みしめながら、刑務所の薄暗い廊下を歩き出す。足音だけが、冷たい空間に響いた。
面会室の分厚い防弾ガラスの向こうに、一人の男が座っていた。鋭い目つきに整えられた黒髪。スーツは完璧に仕立てられ、刑務所という空間にそぐわない気品を纏っている。
「初めまして、七瀬凛さん」
「……誰?」
男はゆっくりと名刺を差し出した。ガラス越しでは手に取ることはできない。ただ、そこに刻まれた文字を目で追う。
《高坂蓮》——裏社会で名の知れたフィクサーの名前だったが、凛はそれを後に知ることになる。
「君の冤罪の件、興味深いね。よく調べさせてもらった。君の求めているものは、復讐だろう? 君を陥れた人物を知りたいんだよね?」
淡々とした口調。凛は彼をじっと見つめる。
「えぇ、もちろん知りたいわ」
「担任の早瀬と佐伯美優だ」
「なぜ、二人が私を嵌めるの? 親身になって相談に乗ってくれる良い先生だったし、美優は親友だったわ。あの事件では二人とも私を犯人と決めつけていたけれど……そこまで私を憎んでいる理由がわからないのよ」
「さあね、人の心の内なんて俺にも分からない。目撃者によれば、早瀬と佐伯が君の鞄に何かを仕込んでいたそうだ。だが、当時は巻き込まれるのを恐れ、証言を避けたらしい。早瀬は学年主任で進路指導主任。学園内で強い影響力を持つ人物だ。佐伯美優の父親は、スキャンダラスな記事を売りにする東栄出版の社長。どちらも敵に回せば、人生を簡単に壊される厄介な相手だ」
「その目撃者の気持ちはわかるわ。あの当時、私の味方をする人は誰もいなかったもの。勇気を出して声をあげられなかったことを恨む気持ちはないわ」
高坂によれば、東栄出版は何度も凛や両親を執拗に攻撃する記事を掲載し、根拠のない噂を広めた張本人だという。
――東栄出版、許せないわね……
「なるほどね。つまり、復讐の相手は美優と早瀬か……翔も許せないわ」
「ああ、あいつは周囲に凛さんの悪口を言いふらしている。東栄週刊誌にも、話を盛って何度も提供しているよ。まるで『悪女に騙された悲劇の元カレ』気取りでな」
「となれば、復讐の相手は三人ね。美優と東栄出版社、翔、そして早瀬」
凛はニヤリと冷徹な笑みを浮かべた。この復讐は必ず達成する、必ずだ。
《10年後・東京・銀座》
煌びやかなシャンデリアが輝く高級レストラン。今夜は、業界の実力者たちが集う「ビジネスエリート交流パーティー」。円卓の中央でワインを手にし、優雅に微笑むのは黒木レイカ――かつての七瀬凛だった。
黒のドレスをまとい、洗練された社交界の一員として振る舞う。現在のレイカは、高級ブティックや投資会社を運営する実業家として日本のみならず海外の財界にも名を馳せている。しかし、この地位を手にするまでの道のりは平坦ではなかった。
刑務所を出た彼女は、高坂の支援を受け、裏社会の情報網に触れながら交渉術や投資の技術を学んだ。そしてすぐに、名字を変えるためだけの養女先を見つけ、七瀬凛から黒木レイカへと改名。過去の痕跡を消し、新たな地位を築くための足がかりとした。
高坂のコネクションを活かし、成功者たちと交流する中で、彼らの隠された弱点を見抜く術を磨く。偽りの友情、利害関係を利用しながら資産を増やし、企業を買収し、ついには一流の実業家として表舞台に立つまでになった。
だが、それは表向きの顔に過ぎない。
本当の彼女は、裏社会の情報網を駆使し、復讐を遂行する影の策士。成功者としての名声は、標的へ近づくための道具に過ぎなかった。
「レイカ様、相変わらずお美しいですね」
誰もがレイカを敬い、そして畏れる。
だが、彼女の目的はこの場の人間と親交を深めることではない。
この中に紛れ込んでいる「裏切り者」たちを狩るために――。
そのとき、佐伯美優が会場に姿を現した。
ーー久しぶりね……美優
レイカに気がつかない美優は、微笑みながらレイカに初対面の挨拶をしてきた。今のレイカは、栗色に染めた髪をふんわりとカールさせた、洗練された美女へと変貌していた。
柔らかなウェーブが揺れるたびに、優雅で親しみやすい雰囲気を醸し出す。微笑めば、どこか天然にも見える無邪気な空気は、あくまで演技だ。
「初めまして。お会いできて光栄ですわ」
「こちらこそ、ずっと会いたいと思っていました」
艶やかに微笑むレイカに、美優は首を傾げる。
「まあ、私、それほど有名かしら? 父の出版社のせいね」」
「東栄に狙われたら大変ですもの。怖い、怖い。仲良くしてくださいね」
「もちろんですわ。私、自分の取り巻きは大歓迎よ」
ーー取り巻き? ふふっ、この私があなたの取り巻き? どれだけうぬぼれれば気が済むの? スキャンダルでお下劣な記事しか書けないくせに……
その夜、レイカは静かに動き出した。美優のスキャンダルを暴くため、レイカは彼女の周囲を探り始める。美優は今、東栄出版社の編集長として成功を手にしている。父親が築いた出版社だ。だが、その実態は話題を独占するためのねつ造記事ばかりで、えん罪まで生み出していた。
美優は「刺激的な記事こそが読者を惹きつける」とし、記者たちに秘密裏に捏造を強要していた。ライバル芸能人からの依頼で対抗馬を貶めるスキャンダルを作り上げたり、罪のない人間を犯罪者に仕立て上げたりすることも珍しくなかった。
「話題になればいいのよ。犠牲になった人なんて、私には関係ないわ」
彼女は編集長室で、信頼する一部の部下たちにそう言い放ち、権力を振るっていた。
レイカは、美優の部下の中から、不満を抱えている者を見つけ出し、密かに接触した。彼らは、美優の強引な指示に疑問を抱きながらも従っていたが、いつか自分たちが責任を押し付けられることを恐れ、念のため録音していたのだ。レイカはその不安を巧みに煽り、確実な証拠を提供させた。
数日後、美優のオフィスに一通の匿名の封筒が届いた。
デスクに座ったまま、美優は何気なく封を切る。だが、次の瞬間、指先が止まった。文書に目を走らせた途端、背筋が凍る。そこには、彼女が部下に捏造記事を指示する音声データや悪事の証拠の存在を示す文章が書かれていた。
喉がひゅっと詰まり、心臓が嫌な音を立てる。額にじわりと汗が滲み、無意識に封筒を強く握りしめた。具体的な悪事の内容まで書かれていないことが、かえって不安を煽った。何を、どこまで知られているのか――それすら分からない。
「誰……? 誰がこんなことを……!?」
声に出してみても答えは出ない。脳裏に浮かぶのは、これまで自分が関わってきた数えきれない出来事。
冤罪を作り上げたこともあった。
枕営業を強要し、潰した女性記者もいる。
スキャンダルを煽って、死に追いやった者もいた。
そして、凛。
しかし、これが何に対するものなのか、まるで見当がつかない。
自分に恨みを持つ人間なら、山ほどいるはずだ。
ふと、もう一度書面に目を落とす。そして、そこに書かれた 戦慄の一文 に、血の気が引いた。
『因果応報。お前が犯した過去の罪は、これから裁かれる』
「ッ……!」
胸がぎゅっと締め付けられる。息苦しい。美優は椅子から崩れ落ちるように、力なく床に膝をついた。
過去の罪?
そんなもの、ありすぎて分からない。
これは、一体何のことなのか。
ただ一つだけ確かなのは、誰かが動き始めたということ。
その考えが頭をよぎった瞬間、美優の中に冷たい恐怖が広がっていった。
レイカの復讐はまだ始まったばかり……
•───⋅⋆⁺‧₊☽⛦☾₊‧⁺⋆⋅───•
※凛が改名して以降は、レイカで表記していきます。
だが、詳細を聞いた瞬間、凛はその場に崩れ落ちた。
家族も、この事件の巻き添えを食らったのだ。
父・七瀬誠は霞が関の官僚だった。
だが、凛のスキャンダルが広まると、次第に省内での立場が危うくなり、突如として辞職を余儀なくされた。
母・七瀬千鶴は都内の一等地で高級フラワーブティックを経営し、セレブやブランドのレセプション装花を手掛けるほど成功していた。
しかし、凛が逮捕されると、マスコミは彼女だけでなく、その両親にも容赦なく牙を剝く。
『七瀬凛の父親は霞が関の高級官僚!』
『母親は高級フラワーショップ経営!』
『霞が関のエリート官僚が住む高級住宅街の豪邸。その資金源に黒い噂が浮上!!?』
そんな見出しが、あるゴシップ週刊誌の一面を飾った。
最初は小さな記事だった。
だが、記者たちは執拗に凛の両親を追い回し、凛の学校関係者や近隣住民にまで根掘り葉掘り取材を重ねる。
「そういえば、千鶴さんの店、若い男性の店員を雇っていたわね。娘がアレなら、母親だって何をしてるかわからないわ」
「七瀬さんの奥さん、結構派手だったし、遊び歩いてる感じだったわよ」
真偽不明の噂が、あたかも事実であるかのように記事にされ、煽り立てられた。やがて、そのスキャンダルはネットニュースにまで波及する。SNSやまとめサイトでは、煽情的な見出しが次々と拡散され、大炎上。そして、ゴシップ誌が火をつけたスキャンダルは、ワイドショーによって一気に広がった。
「これはもう、親の問題でもありますよね」
「お金持ちの家庭は感覚がズレているんですよ」
連日、コメンテーターたちは凛の両親を叩き、週刊誌の記者たちは得意げに「独自取材」の内容を語った。
そして――凛の両親の個人情報までもが、次々と暴かれていった。
自宅の住所、父親の役職、母親の店。
ネット上では凛の自宅が特定され、Googleマップのスクリーンショットまで拡散される。
ポストにはゴミや汚物が投げ込まれ、嫌がらせの電話が鳴り止まなかった。
そして、凛の両親は精神的に深く病み、自ら命を絶った。
すべてを話し終えた看守は、今度は優しく労るような声音で言った。
「自殺した両親は気の毒だったな。だからこそ、お前はしっかり反省し、更生しなければならない。亡くなった両親も、それを願っているはずだろう……ん? なんでそんなに詳しいのかって? うちのかみさんがゴシップ好きでな。こういう話は、俺が聞かなくても勝手に耳に入ってくるんだよ」
涙は出なかった。喪失感と怒りが渦巻き、ただ冷たい絶望が心に広がった。
その日から、凛は変わった。もう帰る家も家族もいないのだ。
――こうなったのは誰のせいなの? 私を嵌めたのは誰なの?
無意味な反抗はやめ、冷静に状況を分析し始めた。どうすれば生き延び、大きな力を手にできるのか——復讐のために。
◆◇◆
鉄格子の向こうに広がる夕焼けが、血のように赤かった。この景色を何度眺めたのだろうか。凛は数えなくなって久しい。
昔は夕焼けが好きだった。楽しい思い出がたくさんあったから。
でも今は、もう好きじゃない。
どの思い出にも、いつも両親の姿があった。
けれど、今はもう二人はいない。
だから、夕焼けを見るたびに、楽しかったはずの記憶が胸を締めつける。
出所間近になったある日、看守の荒々しい声が刑務所の廊下に響き渡った。
「七瀬、面会だ」
両親が亡くなった今、面会に来る人などいるはずがない。そう思いながらも、足が止まる。
最後に面会室に向かったのは、数ヶ月前のことだった。ガラス越しに座っていたのは、美優と翔だった。彼らは並んで椅子に腰掛け、まるで面白い映画を楽しむように微笑んでいた。
「私たち、付き合い始めたの」
わざわざ報告に来る必要があったのだろうか。凛は何も聞いていないのに、彼らはわざと見せつけるように話を進めた。凛は必死に訴えた。
「美優の財布の件も、数学の期末試験の問題用紙も、生徒会のお金も……なにも盗っていないわ。私は無実なのよ」
しかし、美優は勝ち誇ったような瞳を向け、翔は軽蔑するように顔を歪めた。
「状況証拠が揃っていたよな。そんな言い訳、誰が信じる?」
「一度でも好きになった相手でしょう? 彼女だった私をなぜ信じてくれなかったの?」
「なんでもできて優秀で、美人だったから付き合っただけさ。俺に釣り合う女だと思ったんだよ。まあ、今となっては最低の選択だったけどな。元カノが刑務所送りとか、人生の汚点だよ。こんな恥さらし、黒歴史どころの話じゃない。俺の評判まで下がるだろ、最悪だよ」
その瞬間、まるで全身の血が凍るような感覚に襲われた。何ヶ月も前の出来事なのに、今でも昨日のことのように鮮明に蘇る。思い出すたび、悔しさで体が震えるほどの怒りと悲しみが込み上げた。そんなことを思い出して、凛は足を止めたまま、しばらく動けなかった。
だが、考えても仕方がない。ゆっくりと息を吐き、無機質な床を踏みしめながら、刑務所の薄暗い廊下を歩き出す。足音だけが、冷たい空間に響いた。
面会室の分厚い防弾ガラスの向こうに、一人の男が座っていた。鋭い目つきに整えられた黒髪。スーツは完璧に仕立てられ、刑務所という空間にそぐわない気品を纏っている。
「初めまして、七瀬凛さん」
「……誰?」
男はゆっくりと名刺を差し出した。ガラス越しでは手に取ることはできない。ただ、そこに刻まれた文字を目で追う。
《高坂蓮》——裏社会で名の知れたフィクサーの名前だったが、凛はそれを後に知ることになる。
「君の冤罪の件、興味深いね。よく調べさせてもらった。君の求めているものは、復讐だろう? 君を陥れた人物を知りたいんだよね?」
淡々とした口調。凛は彼をじっと見つめる。
「えぇ、もちろん知りたいわ」
「担任の早瀬と佐伯美優だ」
「なぜ、二人が私を嵌めるの? 親身になって相談に乗ってくれる良い先生だったし、美優は親友だったわ。あの事件では二人とも私を犯人と決めつけていたけれど……そこまで私を憎んでいる理由がわからないのよ」
「さあね、人の心の内なんて俺にも分からない。目撃者によれば、早瀬と佐伯が君の鞄に何かを仕込んでいたそうだ。だが、当時は巻き込まれるのを恐れ、証言を避けたらしい。早瀬は学年主任で進路指導主任。学園内で強い影響力を持つ人物だ。佐伯美優の父親は、スキャンダラスな記事を売りにする東栄出版の社長。どちらも敵に回せば、人生を簡単に壊される厄介な相手だ」
「その目撃者の気持ちはわかるわ。あの当時、私の味方をする人は誰もいなかったもの。勇気を出して声をあげられなかったことを恨む気持ちはないわ」
高坂によれば、東栄出版は何度も凛や両親を執拗に攻撃する記事を掲載し、根拠のない噂を広めた張本人だという。
――東栄出版、許せないわね……
「なるほどね。つまり、復讐の相手は美優と早瀬か……翔も許せないわ」
「ああ、あいつは周囲に凛さんの悪口を言いふらしている。東栄週刊誌にも、話を盛って何度も提供しているよ。まるで『悪女に騙された悲劇の元カレ』気取りでな」
「となれば、復讐の相手は三人ね。美優と東栄出版社、翔、そして早瀬」
凛はニヤリと冷徹な笑みを浮かべた。この復讐は必ず達成する、必ずだ。
《10年後・東京・銀座》
煌びやかなシャンデリアが輝く高級レストラン。今夜は、業界の実力者たちが集う「ビジネスエリート交流パーティー」。円卓の中央でワインを手にし、優雅に微笑むのは黒木レイカ――かつての七瀬凛だった。
黒のドレスをまとい、洗練された社交界の一員として振る舞う。現在のレイカは、高級ブティックや投資会社を運営する実業家として日本のみならず海外の財界にも名を馳せている。しかし、この地位を手にするまでの道のりは平坦ではなかった。
刑務所を出た彼女は、高坂の支援を受け、裏社会の情報網に触れながら交渉術や投資の技術を学んだ。そしてすぐに、名字を変えるためだけの養女先を見つけ、七瀬凛から黒木レイカへと改名。過去の痕跡を消し、新たな地位を築くための足がかりとした。
高坂のコネクションを活かし、成功者たちと交流する中で、彼らの隠された弱点を見抜く術を磨く。偽りの友情、利害関係を利用しながら資産を増やし、企業を買収し、ついには一流の実業家として表舞台に立つまでになった。
だが、それは表向きの顔に過ぎない。
本当の彼女は、裏社会の情報網を駆使し、復讐を遂行する影の策士。成功者としての名声は、標的へ近づくための道具に過ぎなかった。
「レイカ様、相変わらずお美しいですね」
誰もがレイカを敬い、そして畏れる。
だが、彼女の目的はこの場の人間と親交を深めることではない。
この中に紛れ込んでいる「裏切り者」たちを狩るために――。
そのとき、佐伯美優が会場に姿を現した。
ーー久しぶりね……美優
レイカに気がつかない美優は、微笑みながらレイカに初対面の挨拶をしてきた。今のレイカは、栗色に染めた髪をふんわりとカールさせた、洗練された美女へと変貌していた。
柔らかなウェーブが揺れるたびに、優雅で親しみやすい雰囲気を醸し出す。微笑めば、どこか天然にも見える無邪気な空気は、あくまで演技だ。
「初めまして。お会いできて光栄ですわ」
「こちらこそ、ずっと会いたいと思っていました」
艶やかに微笑むレイカに、美優は首を傾げる。
「まあ、私、それほど有名かしら? 父の出版社のせいね」」
「東栄に狙われたら大変ですもの。怖い、怖い。仲良くしてくださいね」
「もちろんですわ。私、自分の取り巻きは大歓迎よ」
ーー取り巻き? ふふっ、この私があなたの取り巻き? どれだけうぬぼれれば気が済むの? スキャンダルでお下劣な記事しか書けないくせに……
その夜、レイカは静かに動き出した。美優のスキャンダルを暴くため、レイカは彼女の周囲を探り始める。美優は今、東栄出版社の編集長として成功を手にしている。父親が築いた出版社だ。だが、その実態は話題を独占するためのねつ造記事ばかりで、えん罪まで生み出していた。
美優は「刺激的な記事こそが読者を惹きつける」とし、記者たちに秘密裏に捏造を強要していた。ライバル芸能人からの依頼で対抗馬を貶めるスキャンダルを作り上げたり、罪のない人間を犯罪者に仕立て上げたりすることも珍しくなかった。
「話題になればいいのよ。犠牲になった人なんて、私には関係ないわ」
彼女は編集長室で、信頼する一部の部下たちにそう言い放ち、権力を振るっていた。
レイカは、美優の部下の中から、不満を抱えている者を見つけ出し、密かに接触した。彼らは、美優の強引な指示に疑問を抱きながらも従っていたが、いつか自分たちが責任を押し付けられることを恐れ、念のため録音していたのだ。レイカはその不安を巧みに煽り、確実な証拠を提供させた。
数日後、美優のオフィスに一通の匿名の封筒が届いた。
デスクに座ったまま、美優は何気なく封を切る。だが、次の瞬間、指先が止まった。文書に目を走らせた途端、背筋が凍る。そこには、彼女が部下に捏造記事を指示する音声データや悪事の証拠の存在を示す文章が書かれていた。
喉がひゅっと詰まり、心臓が嫌な音を立てる。額にじわりと汗が滲み、無意識に封筒を強く握りしめた。具体的な悪事の内容まで書かれていないことが、かえって不安を煽った。何を、どこまで知られているのか――それすら分からない。
「誰……? 誰がこんなことを……!?」
声に出してみても答えは出ない。脳裏に浮かぶのは、これまで自分が関わってきた数えきれない出来事。
冤罪を作り上げたこともあった。
枕営業を強要し、潰した女性記者もいる。
スキャンダルを煽って、死に追いやった者もいた。
そして、凛。
しかし、これが何に対するものなのか、まるで見当がつかない。
自分に恨みを持つ人間なら、山ほどいるはずだ。
ふと、もう一度書面に目を落とす。そして、そこに書かれた 戦慄の一文 に、血の気が引いた。
『因果応報。お前が犯した過去の罪は、これから裁かれる』
「ッ……!」
胸がぎゅっと締め付けられる。息苦しい。美優は椅子から崩れ落ちるように、力なく床に膝をついた。
過去の罪?
そんなもの、ありすぎて分からない。
これは、一体何のことなのか。
ただ一つだけ確かなのは、誰かが動き始めたということ。
その考えが頭をよぎった瞬間、美優の中に冷たい恐怖が広がっていった。
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