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sideカイル
かつてのアルマード男爵邸は、リリアが暮らしていた頃と全く変わらず、屋敷の中も庭園も美しく手入れされていた。
その庭園の一部、鍛錬場で、私は俊敏な動きで剣を振っている。
この一年かけて、医者も匙を投げた右手のリハビリに励み、ようやく以前のように動かせるようになっていた。
アルマード男爵邸を売らなかったのは、リリアがもし何かあった時、帰る場所を失わせたくなかったからだ。
振られた身とはいえ、私はリリアのことを生涯、遠くからでも見守りたいと決めていた。
譲り受けたアルマード商会は今も変わらず利益を上げ、私の心の中もまた、あの頃と変わらずリリアを想い続けている。
私にとってリリアは、初恋の相手と言っていい。
ただひたすら騎士としての高みを目指していた私に、この国の大富豪アルマード男爵がこう告げた――
「この世で一番大切なものを、君に託したい」と。
あの時の言葉は、今も鮮明に覚えている。
剣の腕があり、頭の切れる者――それは当たり前の条件だ。
本当に問われるのは、自分の命以上にリリアを大切にする覚悟があるか、一生をかけて彼女を守り抜く覚悟があるかどうか。
その問いに「イエス」と答えられる者だけが、大富豪の一人娘と結婚する資格を得る――そう突きつけられた。
対面の前に、私は何度かリリアを見に行く機会を与えられた。
アルマード男爵の招きで屋敷を訪れた日、リリアは広い庭園の一角、噴水のそばで幼い子どもたちに絵本を読み聞かせていた。孤児院の子どもたちを屋敷に招き、ひとときの安らぎを与えていたのだ。
子どもたちの笑い声に混じって、彼女の柔らかな声が風に乗って届く。
蜜色の髪が陽光を受けて揺れ、同じ色の瞳が優しく細められた。
その日を境に、私は何度もリリアに会いに行くようになった。
庭の花壇で世話をする姿を見つけては、声をかけることもできず、ただ立ち尽くし、遠くから見守る。
庭師の老人を手伝い、泥のついた手を気にもせず笑う彼女。繊細でありながら、どこかに芯の強さを感じさせる笑顔だった。
使用人たちに驕ることなく、貧しい者にも分け隔てなく微笑みかける。
純粋で、穢れを知らぬ存在だった。
(この人を守りたい)
その思いが、胸の奥で確かな形を持っていく。
破格の金額も提示され、私は王太子付き近衛騎士団を自ら辞めた。
だが、惹かれたのは金ではない。近衛騎士団にいても十分な高給を得ていたし、母や弟のために医療費が必要だったとしても、自分の信念を曲げてまで選ぶことはしなかっただろう。
リリアという存在――その人を守り抜こうと思ったからこそ。
心から愛せると確信したからこそ、リリアの婿になる決意を固めたのだ。
しかし、無様にもリリアには他に好きな男ができた。
私は彼女の幸せを願うしかなかった。
あれからもうすぐ一年。右手の後遺症も克服し、ようやく全快した今、どうしても確かめたいことがある。
最愛のリリア――彼女が幸せに暮らしているかを、この目で見届けたいのだ。
アルマード男爵との約束を果たすためにも。
そして何より、自分自身がリリアの幸せを見守り続けると誓ったからこそ、毎年必ずその姿を確かめようと決めていた。
かつてのアルマード男爵邸は、リリアが暮らしていた頃と全く変わらず、屋敷の中も庭園も美しく手入れされていた。
その庭園の一部、鍛錬場で、私は俊敏な動きで剣を振っている。
この一年かけて、医者も匙を投げた右手のリハビリに励み、ようやく以前のように動かせるようになっていた。
アルマード男爵邸を売らなかったのは、リリアがもし何かあった時、帰る場所を失わせたくなかったからだ。
振られた身とはいえ、私はリリアのことを生涯、遠くからでも見守りたいと決めていた。
譲り受けたアルマード商会は今も変わらず利益を上げ、私の心の中もまた、あの頃と変わらずリリアを想い続けている。
私にとってリリアは、初恋の相手と言っていい。
ただひたすら騎士としての高みを目指していた私に、この国の大富豪アルマード男爵がこう告げた――
「この世で一番大切なものを、君に託したい」と。
あの時の言葉は、今も鮮明に覚えている。
剣の腕があり、頭の切れる者――それは当たり前の条件だ。
本当に問われるのは、自分の命以上にリリアを大切にする覚悟があるか、一生をかけて彼女を守り抜く覚悟があるかどうか。
その問いに「イエス」と答えられる者だけが、大富豪の一人娘と結婚する資格を得る――そう突きつけられた。
対面の前に、私は何度かリリアを見に行く機会を与えられた。
アルマード男爵の招きで屋敷を訪れた日、リリアは広い庭園の一角、噴水のそばで幼い子どもたちに絵本を読み聞かせていた。孤児院の子どもたちを屋敷に招き、ひとときの安らぎを与えていたのだ。
子どもたちの笑い声に混じって、彼女の柔らかな声が風に乗って届く。
蜜色の髪が陽光を受けて揺れ、同じ色の瞳が優しく細められた。
その日を境に、私は何度もリリアに会いに行くようになった。
庭の花壇で世話をする姿を見つけては、声をかけることもできず、ただ立ち尽くし、遠くから見守る。
庭師の老人を手伝い、泥のついた手を気にもせず笑う彼女。繊細でありながら、どこかに芯の強さを感じさせる笑顔だった。
使用人たちに驕ることなく、貧しい者にも分け隔てなく微笑みかける。
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