クモノイト〜消滅か復活か。罪人たちは最期に足掻く〜

ichigo/小日向江麻

文字の大きさ
7 / 29

第6話

しおりを挟む
 延々と続く岩棚の横を、リリーと共に歩き続ける。
「……なあ、まだか?」
「うん、あともう少し」
 三分くらい前――オレの時間の感覚が合っていれば、だけど――に訊いたときも同じ返答だったのだが。オレはついジトっと目を細めた。
「あっ、今『コイツ、道間違えてるんじゃないか?』って思ったでしょ!」
「いや、別に」
「ウソっ。絶対そういう目で見てた!」
 リリーがオレと繋いだ手をぶんぶん振りながら拗ねた口調で言い、一呼吸置いてから続ける。
「……間違えてないよ、安心して。あのね、この辺りには洞窟が多くて『クリミナル』が潜んでいることが多いんだ。私もアンも争いごとって好きじゃないから、なるべく離れたところで、他人の寄りつかなそうなところを探したんだよ」
「なるほどね」
 リリーが話す通り、周囲には先ほどのように大きく口を開いたものや、子ども一人通れるかどうかくらいのものまで、大小様々な洞穴があった。
 地表から下に伸びている風だったり、岩棚にくっついているようだったり、形態も様々。「そもそもこの手の洞窟って、どういう原理で出来てるんだ?」という程度の認識しかないオレは、洞窟それ自体に興味津々だったのだが、一つ一つゆっくり覗いている暇もなければ度胸もない。
 自然って凄いんだなとざっくりした感想だけ心に刻んで、ひたすら足場の悪い地面を踏みしめていから、時間の経過を遅く感じていたのかもしれない。だからついこうして同じ質問を重ねてしまうのだ――まだ着かないのか、と。
「それにしてもしつこいよ。もう少しって言ってるのに」
「だって最初の『もう少し』から結構経ってるからさ」
「失礼しちゃーう、本当にもう少しだもん。……ほらほら、あれ。岩棚の終わりが見えてきたでしょ?」
 リリーがねこちゅーを持った手で前方を示したので、オレは顔を上げた。
 五十メートルくらい先に岩棚の終わり――というか、あれは行き止まりだな――を確認する。岩棚が緩い弧を描きつつ大きな壁となって立ちはだかり、その上からは、式典のときに見掛けるレッドカーペットを垂らしたみたいに、赤く色づいた水がダバダバと落ちてきていて――
「っていうかリリー、アレは何だ? 滝か?」
「正解ー。ここから先は滝壷に近づいてくから、足元に気をつけてね」
 明るく言ってのけたけど……え、滝?
「滝なんて行ってどーすんだよ。『基地』に向かうんだろ?」
「そうだよ」
 会話の合間にも、リリーはオレの手を引きながら滝壷に近づいていく。
 少し前からホワイトノイズに似たサーっという音が耳についていたのは、こういうことだったのか。スニーカーの靴底からぐにゃりとした柔らかさが消え、岩の角ばった感触に切り替わっていく。
「言ったでしょ。私もアンも争い事が好きじゃないから、他人の寄りつかなそうなところを選んだんだって」
 いや、だからって――
「ふふ、今『だからって滝壷では暮らせないだろ』って思ったでしょ?」
 滝壷の手前で立ち止まると、リリーはそう尋ねながらテカテカ光るエナメルの靴の表面に付いた土の汚れを払うため、上体を屈めた。
 図星だったので彼女が起き上がるのを待って顔を覗くと、得意気に鼻を鳴らして言った。
「さて、第二問。私たちの『基地』は何処でしょーか?」
「は?」
 いつの間にクイズ形式……とツッコむことも忘れ、オレは目の前の滝や滝壷をまじまじと観察する。
 岩棚は四、五メートルくらい高さで、岩棚そのものが洞窟であるように抉れている。その中央が窪んでいて滝が緩やかに流れ落ちているという図。
 水の色は、平原にあった池と同じく真っ赤。重力に従い飛沫に変われば白みを帯びるけれど、滝壷に着地した瞬間、血のように毒々しい色彩に戻る。
 既に一度目にしているとはいえ、改めて真の当たりにするとインパクトがありすぎだ。もともと曇り空ではあったけど、岩棚の形状のせいで更に薄暗く、余計に不気味に感じる。
「何処でしょうって言われてもさ、何にもないじゃん」
「なくないよー。もっとよーく見てー?」
 もっとよく見る――これ以上?
 周囲は岩棚に囲まれているし、針葉樹林の群れも途絶えている。足場にはデコボコした岩場しかないし、目に付くものは赤い滝だけなんだけど。
「よく見た。でもやっぱり何もないぞ」
「ふふ、降参?」
 ……そんな嬉しそうな顔で訊くな。
 不本意ながら頷きを返すと、リリーは満足げに微笑んだ。
「正解は――」
「あっ、おい」
 彼女は再びオレの手を取ったと思ったら――何と、滝壷に向かって前進し始めた。
「危ないぞ、落ちたりしたら……!」
 オレが止めるのも聞かずに、彼女は滝壷の横から岩棚の抉れた部分を足場にして、滝の裏を示す。
「滝の向こう側、でしたー」
 ……なるほど。滝の裏側もまた、洞窟になっているということか。
「どう、凄いでしょ! アンと二人で見つけたのー。此処なら一見分かり辛いし、隠れるには最適でしょ?」
 そうかもしれない。外の光は届きにくいかもしれないけれど、身を隠して居る分には丁度いい。
「ただなぁ、明かりがないと不便じゃないか?」
「ふふん、それは中に入ってみてから言ってよね!」
 リリーは自信ありげに言うと、細かな砂利や石を踏みしめながら滝の裏側の洞穴に入って行く。
 滝と岩棚の間にはある程度の隙間があり、服や身体を濡らさずに入ることが出来た。、
 洞窟の内部は意外にも、中の様子をきちんと見渡せるくらいに明るい。どちらかと言えば縦に長く、六畳から八畳くらいと思われる空間が存在し、奥には細く暗い通路が続いているようだった。
 それにしてもこの明かりの正体は何なのだろう?
 疑問は直ぐに解決した。かがり火だ。オレの目線よりも少し上あたり、デコボコした岩壁の数か所に点々と置かれたかがり火が、洞窟の中を照らしている。
 そしてその明かりの下――ゆらりと動く人影を捉える。その人影は、洞窟の奥に壁に背を預けて座りこんでいたけれど、オレたちがやってきたことに気がつくなり、サッと立ち上がった。
「リタ、ただいまー!」
 リリーが朗らかに声を掛ける。
「お帰りなさい、リリー」
 リタと呼ばれた人物は、ホッとしたみたいな口調で言った。もしかしたら一瞬、別の『クリミナル』がやってきたと勘違いしたのかもしれない。
 こんな逃げ場のなさそうな洞窟で独り、侵入者に遭遇したらさぞかし心細いだろう。
「あのね、リタ。早速新しい仲間を連れてきたの」
「仲間?」
「そう。仲間は多い方が心強いでしょ?」
 リリーはリタに呼びかけながら、オレの手を引いて彼女へと距離を詰める。一歩、二歩。近づくごとに、彼女の容貌が鮮明になる。
 袖が透けるネイビーのボウタイブラウスにベージュのショートパンツを合わせた彼女は、ほんの少し広がった裾から伸びた脚には黒いタイツを纏い、それを辿ると同色で細かいラメの入ったワンストラップのパンプスに行きつく。
 女性にしては背が高い方だ。おそらく百六十センチ後半くらいはある。リリーと並んだら身長差は歴然となるだろう。身体の線は細く、シルエットの緩いブラウスを着ていてもスレンダーであるのは一目で分かった。
 オレたちは触れ合うことのできる距離で向かい合う。
「で、はいっ。この子がさっきから話してたリタだよ!」
「……あの、はじめまして」
 リリーはオレの手を放すと、オレとリタの間に立って言った。それに合わせてリタが頭を下げる。かがり火の照明に透ける髪はほんの少しオレンジみを帯びた茶色で、肩上までの品のいいボブスタイル。彼女が再び顔を上げると、パーマのかかった軽い毛先が顎周りでゆらりと揺れた。
「――――」
 リタの顔を真正面から捉えたオレは、身体中の血液が逆流したみたいな、奇妙な感覚に囚われた。
 ……何だ? この感じ。
 寒いような、熱いような、苦しいような、むず痒いような……上手く言い表せないけれど。
「ほーら、あ・い・さ・つ!」
 黙ったままのオレにリリーが強い口調で促す。けど、今は言葉を紡ぐ余裕なんてなかった。
 やや面長な顔立ちに、綺麗な曲線を描く優しげな眉。下唇がやや厚めの唇。彼女に会うのは初めての筈なのに、何処か懐かしく、見覚えがある。
 特にその目。丸みのある愛らしい瞳はいつも何処か寂しげで、物憂げな印象。それは笑っているときでさえも――

 『ユーキくんたら、男の子らしくないな。そういうときこそ、名前通り勇気出さなきゃ』

「っ!!」
 オレの中で、ザワザワと騒ぎ立てる何か。
 ユーキという名を思い出したときに浮かび上がった女のシルエットが、色彩を持ち、陰影を持ち、表情を持ち――やがてリタの姿に重なっていく。
 言葉通りにオレを元気づけてくれる、ふわりとした優しい微笑み。
 それはまるで、綺麗な花が開く瞬間のような……
 ――っ、何だっ……あ、頭が割れるように痛い!
 オレはリタに釘付けになったまま、突然襲ってきた激痛を封じ込めようと両手で頭を抱えた。
「ちょ、ちょっとっ、どうしたのっ??」
 リリーはオレの様子がおかしいことを察したようだ。慌ててオレの肩を叩く。
 その衝撃にすら耐えられなくて、オレは片膝をついた。
「あっ……あの、リリー? この人、どうしたの……?」
「わ、わかんないっ。おかしいなぁ、さっきまではピンピンしてたんだけどっ」
 二人の声がどんどん遠くなる。
「ねえねえっ、何、頭が痛いの?」
 リリーが柄にもなく、真剣な声音でオレに呼びかける。
 そう、頭が痛い。でも、それだけじゃなくて。
 ……何でだろう。まるで、悲しい物語を読んだあとみたいに胸も痛むんだ。
「…………」
 困惑気味にオレを見下ろすリタの瞳に、心の内で問い掛ける。
 ――君は、一体何者なんだ?
 ――オレはどうして、君を知っているんだ?
 縋るように彼女へと片手を伸ばしながら、オレは気を失ってしまったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

処理中です...