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第12話
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蜘蛛を奪うなら今しかない。
みんなが寝静まっているうちに、男のアンから順番に、蜘蛛を手に入れることができたなら――オレが何処の誰なのかがハッキリするかもしれない。
音を立てずに、一気に終わらせよう。
オレの指先がアンの喉元に触れるか触れないか――その瞬間。
「ちょっと衝動的すぎやしないか」
アンの口元が微かに動いて、そう呟いた。
全身に緊張感が走って、喉元に伸ばした手が止まる。
「っ……」
自分で仕掛けた割に、寝ているはずの彼が反応したことに驚いてしまう。オレは、声を洩らさないようにしながら彼を見下ろしていることしかできない。
「相手の蜘蛛の場所も調べずに奪おうとするなんて、考えなしにもほどがある。俺が抵抗して騒いでる間にリリーとリタが起きたら、追い出されて終わりでしょ? リリーなんかは怒り狂って、滝壺の下に突き落とそうとするかもね」
冗談っぽく言うアンの目は閉じられたままだ。
身の危険を感じているはずなのに、起き上がって応戦しようという気はないようだった。起こさないようにという、奥のふたりへの配慮なのだろう。同時に、この状況を悟られないようにという、オレに対する気遣いでもあるのかもしれない。
……そうだ。蜘蛛を奪おうとしたものの、オレはアンの蜘蛛が彼の身体の何処にあるかを知らない。それなのに彼を襲おうとしたのは早計だった。
そんな初歩的なことを相手に指摘されて気が付くなんて、よっぽど頭に血が上っていたのだろう。我に返って冷静さを取り戻すと、自分がいかに姑息なことをしようとしていたのかを思い知らされる。
「……ごめんなさい」
オレは蚊のなくような声で言った。
「ごめんなさい……でもオレ、自分自身を知らないまま死を待つなんて、それで本当にいいのかって……そう考えてしまって……だからって、アンの命を奪っちゃいけないのはわかってるんですけど……けど、こうするしか……」
強張っていた身体から一気に力が抜けた。両手を下ろして項垂れる。
自分で自分が怖くなった。もしアンが本当に眠っていたら、きっと行動に移していただろう。
この世界に戸惑うオレを助けてくれたアンに、恩を仇で返すようなことをするなんて……それこそ罪人じゃないか。
「混乱する気持ちはよくわかるよ。俺も最初は同じことを考えたから」
穏やかな口調。責められたり詰られたりされても当然なのに、アンはそうしなかった。目を閉じたまま、小さな声で続けた。
「自分が何者なのかわからないのは怖い。その恐怖から逃れるには、記憶を取り戻すしかない。でも、何度でも言うけど、俺たちは犯罪者だ。取り戻した記憶で安心感を得られるとは限らない。いや、逆にもっと絶望するんだ。断言する」
「……はい」
アンの言うように、衝動的に他人を手にかけようとするあたり、オレの本質は犯罪者なのだろう。そんなオレが記憶を取り戻したところで、自分を取り巻く状況が好転するとは思えない。
「これは俺たちに下された罰なんだよ。罰はきちんと受けないといけない。今ここで俺たちの蜘蛛を奪っても、その先にあるのは絶望だけだ。自ら不幸に飛び込んでいくなんて、おススメしないね」
まるで経験したのかと思うくらいに確信に満ちた物言いに、その通りだと頷きかけるも――オレは小さく首を横に振った。
「アンの言うことは、頭では理解できてるつもりです。でも、心の何処かで納得できてない」
視線を俯けると、一日動き回ったせいか土埃で汚れたジーンズが目に入る。その膝の上に握り拳を作った。
「――『蜘蛛の糸』は『クリミナル』に与えられた最後のチャンスだって、そう言ってましたよね。犯罪者である俺たちへの救済措置なわけでしょう」
「まぁ、そうだね」
「死にたくないって気持ちは、本能的なものです。理由なんてない。なら、そのチャンスにかけたいと思うのは……いけないこと、なんでしょうか」
オレがオレ自身の人生を取り戻したいと願うなら、『蜘蛛の糸』を掴むより他はない。
この世界のルールに則って自分自身を救おうと努力することが、そんなに罪なのか?
「…………」
アンは暫く考え込むように黙っていた。オレは反応を窺うように、彼の顔を見た。
長い睫毛を伏せたままの彼は、眠りに落ちているようにも見える。
「ユーキがそう思ったのなら、俺は否定しないよ」
本当に眠っているのでは、と思いかけたところで、アンが言った。
「でもね、此処の先輩として言わせて? 知らないことが辛いのは事実だけど、知らないほうが幸せでいられるのも事実だってこと。残された短い時間をどう使うかは、ふたつを天秤にかけて、よく考えて決めたらいいよ」
「アンも、自分のことを何か思い出したってことですか?」
彼の言い方は、周囲から聞きかじった情報をただアウトプットしているだけではないような気がする。それはさっきからずっと感じていたことで、直感に近い。
「――だからそう思えるってことなんですよね」
「…………」
問いへの返事はなかった。
……図星なんだろうか。
「今の間に起きたことは、俺の見た夢ってことにしとくよ。もちろん、リリーにもリタにも黙っておく。だから、ユーキも忘れていいよ」
アンは一度深呼吸をしてから、ようやく目を開けてオレの目を見つめた。そして、優しい言葉を放った後に目を細めて微笑む。
「どうしても蜘蛛を集めたいっていうなら止めないし、そうしてくれて構わない。でもその場合は、俺たちと別行動してもらうことになると思う」
「……わかりました」
オレが蜘蛛を奪うようになれば自分たちの身に危険が及ぶかもしれない。そうなるのは当然だ。
「これは、俺の都合のいい想像だけど……ユーキは結局、最期まで俺たちと一緒にいることになると思うけどね」
「…………」
そうなのだろうか。オレはやっぱり、自分が誰であるかもわからないまま、身が朽ちるのを待つしかないのだろうか。
「じゃ、そういうことでおやすみ。精神世界でも睡眠時間が短いとツラく感じるだろうから、きちんと寝ておいたほうがいいよ」
「お……おやすみ、なさい」
宣言とともに、アンはすぐに寝入ってしまった。すやすやと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
――しっかりしろ、オレ。どうにかしなければいけないにせよ、焦って行動を起こすのはよくない。
アンがオレを責めなかった代わりに、自分自身を戒める。
でも。だけど。どうしても確かめたくなったんだ。オレが誰であるか。何をしでかして此処にいるのか。その理由を。
一番奥に横たわるリタの姿に視線をやった。向こう側を向いているために顔を見ることはできないけれど、そのシルエットを縁どるように見つめる。
リタさんはオレに見覚えがないようだったけれど、オレは彼女に対して他の『クリミナル』とは違う、何か特別なものを感じている。彼女と出会った瞬間に頭のなかに流れ込んできたイメージがその根拠だ。
リタと……彼女と一緒にいれば、蜘蛛を手に入れずとも自分自身を取り戻すヒントを得ることができるのだろうか?
いや、でもタイムリミットは迫っているはずだ。先にオレ自身が消えてしまう可能性だってある。
どうすればいい。オレは、どうすれば……?
――わからない。考えれば考えるほど、頭のなかがぐちゃぐちゃになる。
オレは再び横になった。今のこの僅かな時間で、さらに疲れが増したような気がする。
眠りの世界に入ることにできたのは、もうしばらく経ってからだった。
みんなが寝静まっているうちに、男のアンから順番に、蜘蛛を手に入れることができたなら――オレが何処の誰なのかがハッキリするかもしれない。
音を立てずに、一気に終わらせよう。
オレの指先がアンの喉元に触れるか触れないか――その瞬間。
「ちょっと衝動的すぎやしないか」
アンの口元が微かに動いて、そう呟いた。
全身に緊張感が走って、喉元に伸ばした手が止まる。
「っ……」
自分で仕掛けた割に、寝ているはずの彼が反応したことに驚いてしまう。オレは、声を洩らさないようにしながら彼を見下ろしていることしかできない。
「相手の蜘蛛の場所も調べずに奪おうとするなんて、考えなしにもほどがある。俺が抵抗して騒いでる間にリリーとリタが起きたら、追い出されて終わりでしょ? リリーなんかは怒り狂って、滝壺の下に突き落とそうとするかもね」
冗談っぽく言うアンの目は閉じられたままだ。
身の危険を感じているはずなのに、起き上がって応戦しようという気はないようだった。起こさないようにという、奥のふたりへの配慮なのだろう。同時に、この状況を悟られないようにという、オレに対する気遣いでもあるのかもしれない。
……そうだ。蜘蛛を奪おうとしたものの、オレはアンの蜘蛛が彼の身体の何処にあるかを知らない。それなのに彼を襲おうとしたのは早計だった。
そんな初歩的なことを相手に指摘されて気が付くなんて、よっぽど頭に血が上っていたのだろう。我に返って冷静さを取り戻すと、自分がいかに姑息なことをしようとしていたのかを思い知らされる。
「……ごめんなさい」
オレは蚊のなくような声で言った。
「ごめんなさい……でもオレ、自分自身を知らないまま死を待つなんて、それで本当にいいのかって……そう考えてしまって……だからって、アンの命を奪っちゃいけないのはわかってるんですけど……けど、こうするしか……」
強張っていた身体から一気に力が抜けた。両手を下ろして項垂れる。
自分で自分が怖くなった。もしアンが本当に眠っていたら、きっと行動に移していただろう。
この世界に戸惑うオレを助けてくれたアンに、恩を仇で返すようなことをするなんて……それこそ罪人じゃないか。
「混乱する気持ちはよくわかるよ。俺も最初は同じことを考えたから」
穏やかな口調。責められたり詰られたりされても当然なのに、アンはそうしなかった。目を閉じたまま、小さな声で続けた。
「自分が何者なのかわからないのは怖い。その恐怖から逃れるには、記憶を取り戻すしかない。でも、何度でも言うけど、俺たちは犯罪者だ。取り戻した記憶で安心感を得られるとは限らない。いや、逆にもっと絶望するんだ。断言する」
「……はい」
アンの言うように、衝動的に他人を手にかけようとするあたり、オレの本質は犯罪者なのだろう。そんなオレが記憶を取り戻したところで、自分を取り巻く状況が好転するとは思えない。
「これは俺たちに下された罰なんだよ。罰はきちんと受けないといけない。今ここで俺たちの蜘蛛を奪っても、その先にあるのは絶望だけだ。自ら不幸に飛び込んでいくなんて、おススメしないね」
まるで経験したのかと思うくらいに確信に満ちた物言いに、その通りだと頷きかけるも――オレは小さく首を横に振った。
「アンの言うことは、頭では理解できてるつもりです。でも、心の何処かで納得できてない」
視線を俯けると、一日動き回ったせいか土埃で汚れたジーンズが目に入る。その膝の上に握り拳を作った。
「――『蜘蛛の糸』は『クリミナル』に与えられた最後のチャンスだって、そう言ってましたよね。犯罪者である俺たちへの救済措置なわけでしょう」
「まぁ、そうだね」
「死にたくないって気持ちは、本能的なものです。理由なんてない。なら、そのチャンスにかけたいと思うのは……いけないこと、なんでしょうか」
オレがオレ自身の人生を取り戻したいと願うなら、『蜘蛛の糸』を掴むより他はない。
この世界のルールに則って自分自身を救おうと努力することが、そんなに罪なのか?
「…………」
アンは暫く考え込むように黙っていた。オレは反応を窺うように、彼の顔を見た。
長い睫毛を伏せたままの彼は、眠りに落ちているようにも見える。
「ユーキがそう思ったのなら、俺は否定しないよ」
本当に眠っているのでは、と思いかけたところで、アンが言った。
「でもね、此処の先輩として言わせて? 知らないことが辛いのは事実だけど、知らないほうが幸せでいられるのも事実だってこと。残された短い時間をどう使うかは、ふたつを天秤にかけて、よく考えて決めたらいいよ」
「アンも、自分のことを何か思い出したってことですか?」
彼の言い方は、周囲から聞きかじった情報をただアウトプットしているだけではないような気がする。それはさっきからずっと感じていたことで、直感に近い。
「――だからそう思えるってことなんですよね」
「…………」
問いへの返事はなかった。
……図星なんだろうか。
「今の間に起きたことは、俺の見た夢ってことにしとくよ。もちろん、リリーにもリタにも黙っておく。だから、ユーキも忘れていいよ」
アンは一度深呼吸をしてから、ようやく目を開けてオレの目を見つめた。そして、優しい言葉を放った後に目を細めて微笑む。
「どうしても蜘蛛を集めたいっていうなら止めないし、そうしてくれて構わない。でもその場合は、俺たちと別行動してもらうことになると思う」
「……わかりました」
オレが蜘蛛を奪うようになれば自分たちの身に危険が及ぶかもしれない。そうなるのは当然だ。
「これは、俺の都合のいい想像だけど……ユーキは結局、最期まで俺たちと一緒にいることになると思うけどね」
「…………」
そうなのだろうか。オレはやっぱり、自分が誰であるかもわからないまま、身が朽ちるのを待つしかないのだろうか。
「じゃ、そういうことでおやすみ。精神世界でも睡眠時間が短いとツラく感じるだろうから、きちんと寝ておいたほうがいいよ」
「お……おやすみ、なさい」
宣言とともに、アンはすぐに寝入ってしまった。すやすやと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
――しっかりしろ、オレ。どうにかしなければいけないにせよ、焦って行動を起こすのはよくない。
アンがオレを責めなかった代わりに、自分自身を戒める。
でも。だけど。どうしても確かめたくなったんだ。オレが誰であるか。何をしでかして此処にいるのか。その理由を。
一番奥に横たわるリタの姿に視線をやった。向こう側を向いているために顔を見ることはできないけれど、そのシルエットを縁どるように見つめる。
リタさんはオレに見覚えがないようだったけれど、オレは彼女に対して他の『クリミナル』とは違う、何か特別なものを感じている。彼女と出会った瞬間に頭のなかに流れ込んできたイメージがその根拠だ。
リタと……彼女と一緒にいれば、蜘蛛を手に入れずとも自分自身を取り戻すヒントを得ることができるのだろうか?
いや、でもタイムリミットは迫っているはずだ。先にオレ自身が消えてしまう可能性だってある。
どうすればいい。オレは、どうすれば……?
――わからない。考えれば考えるほど、頭のなかがぐちゃぐちゃになる。
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