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第21話
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『……おにいちゃんも、そんな風に優しかったみたい』
そうか。彼女は蜘蛛を得たから、それで記憶が戻ったのか。
「リリーは、どれくらい自分のことを思い出したんだ?」
「……自分のことはあまり思い出せなかった、かな」
唇に人差し指をあてながら、彼女が首を傾げた。
「――頭のなかに浮かんできたのは、おにいちゃんの影と、ねこちゅーちゃんをくれたってことと……わたしが、おにいちゃんを大好きだったってこと。それだけ」
「……そうか」
オレは左手に持っていたねこちゅーを見つめた。女子が好きそうなユルカワなぬいぐるみは、その『おにいちゃん』とやらがリリーのために与えたものだった。
だからこそ、表面の布地が汚れるくらい頻繁に持ち歩いていたのだろう。それくらい大切にしていた『お友達』だから。
「結局、自分がどこの誰かなんてところまでは全然わかってないの。当然、どんな悪いことをしたかなんて理由も。でもわたしは、それでよかったって思ってるよ。『スパイダー』やアンの話を聞くと、記憶を取り戻しても、結局後悔するだけなんでしょ。なら、今のポジティブな記憶だけ持ったまま死んでいきたい。だからこそ、蜘蛛集めはしないって決めたんだ」
『おにいちゃん』の存在や、ねこちゅーを貰った経緯に、もしかしたら悲しい思い出や辛い思い出が隠れている可能性もある。知らないまま終われるなら、そのほうがいいということなのだろう。
「わたしはそうやってもう割り切れてるけど……ユーキは?」
「オレ?」
「ユーキは昨日、最期を基地で迎えることにしたって言ってたけど……現世に戻ることに、まったく未練はないの?」
「…………」
一度心に決めたはずが、改めて問いかけられると即答はできなかった。
「意地悪な質問してごめんね。もとはといえば、わたしが誘ったのに」
リリーはオレの反応を予想していたみたいだった。やっぱり、というように微かに笑う。
「……いや」
「でも、ユーキとリタがわたしたちと一緒にいてくれることを選んでくれて、うれしかったよ。最期までよろしくね」
「オレのほうこそ」
リリーに誘ってもらわなかったら、オレは孤独という名の別の恐怖と戦うことになっていただろう。こうして、同じ危機に面した他の誰かと一緒に生活できることは、とてもありがたいことだった。
オレはねこちゅーをリリーに差し出した。彼女は愛おしそうにねこちゅーに頬ずりしながら、それを受け取る。
「――おにいちゃんの記憶について訊かれたから、ユーキには打ち明けようと思ったんだけど……わたし、蜘蛛のことを誰かに話したかったのかもしれない。聞いてくれてありがとう。少し気が楽になったよ」
まだ十代だろうリリーにとって、いきなり相手の存在を消してしまった出来事によって、その心に暗い影を落としているのだろう。天真爛漫で気ままに見える彼女も、この殺伐とした世界ではパンク寸前なのかもしれない。
「役に立てたんならよかった」
綺麗ごとではなく、純粋にそう思った。オレが話を聞くことで彼女が救われるなら、オレにとってもうれしいと。
「リリー、そろそろ池にいかないと。朝食に間に合わないかもしれない」
「あっ、そうだね!」
それに、アンとリタさんが起きたとき、ふたりともいなかったら心配をかけるかもしれない。
オレたちは廃屋を出ると、再び血の池に向かって歩き始めた。
「ねー。ユーキ、お魚全然いないよー!」
「だから言っただろ」
無事に血の池に到着したオレたちは、靴や靴下を脱いで池のなかに入り、辺りに落ちた木の枝を銛代わりにして魚の気配を探っていたのだけど……全く手ごたえがなかった。
「こんなに淀んだ水質じゃ魚も暮らせないってことだ」
何せ血のように真っ赤なのだ。さぞ生態系は暮らしにくい環境だろう。
足の裏が落ちた葉だか生えてる植物だかに触ってヌルヌルするから、捕まえたら一刻も早く出たいところだ。
池の深さは、縁の近くはオレの膝より少し下くらい。もっと進むと深くなりそうだけど、服がびしょびしょになるのは困るし、万が一溺れたりしたらシャレにならないから、浅い場所に的を絞ったのだ。
「えー、ヤダ! あきらめたくないっ。今朝は絶対お魚を食べるって決めてるんだからっ」
「そう言われても……」
いないものはいないのだ。だいたい――
「魚が食べたいなら、リリーももっと探してくれよ」
「お洋服が汚れたらイヤだもん。ユーキは濡れても平気そうな服だからいいじゃない?」
「あのなぁ……」
上体を屈めながら枝先を池の底に付けて積極的に魚を追うオレに対し、リリーは三段ティアードのスカートを濡れないように両手で抱え、水面を見つめるだけだ。
確かにオレはジーンズだし、膝まで捲り上げてしまえば濡れることもないのだけど、魚を食べたいと騒ぐ張本人が何もしないのはいかがなものか。
「それに、男の子のほうがこういうのは得意なんじゃないの?」
「そんなの、人によるだろ――っと……!」
纏わりつく植物に足をとられたオレは、バランスを崩してその場に転倒してしまう。
「ユーキ!」
リリーが小さく叫ぶ。……あぁ、最悪だ。
慌てて起き上がったけどもう遅かった。Tシャツもミニタリーシャツもジーンズも、大方濡れてしまったあとだ。
「勘弁してくれよ……」
ひとまず一回上がろう。そう思って、池の縁まで移動して外に出る。シャツやらジーンズやらから滴る赤い水を絞ったところで、ジーンズの左ポケットにしまったままだったスマホを取り出した。
「……もともと壊れてるから、関係ないか」
液晶画面が割れていて、使えないものだから拭いたりする必要もないだろう。
「ユーキ、大丈夫?」
リリーは自身も転ばないよう、両手にスカートを抱えたままゆっくりと縁までやってきた。彼女も上がりたそうだったので、手を貸すことにする。
「災難だったね――あれ、これ何?」
池から上がったリリーがオレが手にしていたスマホの、そこについたストラップを見て言った。
「多分オレの携帯。ポケットに入ってたから」
「あーほんとだー、YUKIってネームが入ってる」
肩に下げたポシェットからタオルハンカチを取り出すと、足を丁寧に拭きながら「あ」と小さく発声した。
「……このストラップ、どこかで」
「え?」
リリーが示したのは、オレのストラップについてるキャラクターモノのチャームだった。
そうか。彼女は蜘蛛を得たから、それで記憶が戻ったのか。
「リリーは、どれくらい自分のことを思い出したんだ?」
「……自分のことはあまり思い出せなかった、かな」
唇に人差し指をあてながら、彼女が首を傾げた。
「――頭のなかに浮かんできたのは、おにいちゃんの影と、ねこちゅーちゃんをくれたってことと……わたしが、おにいちゃんを大好きだったってこと。それだけ」
「……そうか」
オレは左手に持っていたねこちゅーを見つめた。女子が好きそうなユルカワなぬいぐるみは、その『おにいちゃん』とやらがリリーのために与えたものだった。
だからこそ、表面の布地が汚れるくらい頻繁に持ち歩いていたのだろう。それくらい大切にしていた『お友達』だから。
「結局、自分がどこの誰かなんてところまでは全然わかってないの。当然、どんな悪いことをしたかなんて理由も。でもわたしは、それでよかったって思ってるよ。『スパイダー』やアンの話を聞くと、記憶を取り戻しても、結局後悔するだけなんでしょ。なら、今のポジティブな記憶だけ持ったまま死んでいきたい。だからこそ、蜘蛛集めはしないって決めたんだ」
『おにいちゃん』の存在や、ねこちゅーを貰った経緯に、もしかしたら悲しい思い出や辛い思い出が隠れている可能性もある。知らないまま終われるなら、そのほうがいいということなのだろう。
「わたしはそうやってもう割り切れてるけど……ユーキは?」
「オレ?」
「ユーキは昨日、最期を基地で迎えることにしたって言ってたけど……現世に戻ることに、まったく未練はないの?」
「…………」
一度心に決めたはずが、改めて問いかけられると即答はできなかった。
「意地悪な質問してごめんね。もとはといえば、わたしが誘ったのに」
リリーはオレの反応を予想していたみたいだった。やっぱり、というように微かに笑う。
「……いや」
「でも、ユーキとリタがわたしたちと一緒にいてくれることを選んでくれて、うれしかったよ。最期までよろしくね」
「オレのほうこそ」
リリーに誘ってもらわなかったら、オレは孤独という名の別の恐怖と戦うことになっていただろう。こうして、同じ危機に面した他の誰かと一緒に生活できることは、とてもありがたいことだった。
オレはねこちゅーをリリーに差し出した。彼女は愛おしそうにねこちゅーに頬ずりしながら、それを受け取る。
「――おにいちゃんの記憶について訊かれたから、ユーキには打ち明けようと思ったんだけど……わたし、蜘蛛のことを誰かに話したかったのかもしれない。聞いてくれてありがとう。少し気が楽になったよ」
まだ十代だろうリリーにとって、いきなり相手の存在を消してしまった出来事によって、その心に暗い影を落としているのだろう。天真爛漫で気ままに見える彼女も、この殺伐とした世界ではパンク寸前なのかもしれない。
「役に立てたんならよかった」
綺麗ごとではなく、純粋にそう思った。オレが話を聞くことで彼女が救われるなら、オレにとってもうれしいと。
「リリー、そろそろ池にいかないと。朝食に間に合わないかもしれない」
「あっ、そうだね!」
それに、アンとリタさんが起きたとき、ふたりともいなかったら心配をかけるかもしれない。
オレたちは廃屋を出ると、再び血の池に向かって歩き始めた。
「ねー。ユーキ、お魚全然いないよー!」
「だから言っただろ」
無事に血の池に到着したオレたちは、靴や靴下を脱いで池のなかに入り、辺りに落ちた木の枝を銛代わりにして魚の気配を探っていたのだけど……全く手ごたえがなかった。
「こんなに淀んだ水質じゃ魚も暮らせないってことだ」
何せ血のように真っ赤なのだ。さぞ生態系は暮らしにくい環境だろう。
足の裏が落ちた葉だか生えてる植物だかに触ってヌルヌルするから、捕まえたら一刻も早く出たいところだ。
池の深さは、縁の近くはオレの膝より少し下くらい。もっと進むと深くなりそうだけど、服がびしょびしょになるのは困るし、万が一溺れたりしたらシャレにならないから、浅い場所に的を絞ったのだ。
「えー、ヤダ! あきらめたくないっ。今朝は絶対お魚を食べるって決めてるんだからっ」
「そう言われても……」
いないものはいないのだ。だいたい――
「魚が食べたいなら、リリーももっと探してくれよ」
「お洋服が汚れたらイヤだもん。ユーキは濡れても平気そうな服だからいいじゃない?」
「あのなぁ……」
上体を屈めながら枝先を池の底に付けて積極的に魚を追うオレに対し、リリーは三段ティアードのスカートを濡れないように両手で抱え、水面を見つめるだけだ。
確かにオレはジーンズだし、膝まで捲り上げてしまえば濡れることもないのだけど、魚を食べたいと騒ぐ張本人が何もしないのはいかがなものか。
「それに、男の子のほうがこういうのは得意なんじゃないの?」
「そんなの、人によるだろ――っと……!」
纏わりつく植物に足をとられたオレは、バランスを崩してその場に転倒してしまう。
「ユーキ!」
リリーが小さく叫ぶ。……あぁ、最悪だ。
慌てて起き上がったけどもう遅かった。Tシャツもミニタリーシャツもジーンズも、大方濡れてしまったあとだ。
「勘弁してくれよ……」
ひとまず一回上がろう。そう思って、池の縁まで移動して外に出る。シャツやらジーンズやらから滴る赤い水を絞ったところで、ジーンズの左ポケットにしまったままだったスマホを取り出した。
「……もともと壊れてるから、関係ないか」
液晶画面が割れていて、使えないものだから拭いたりする必要もないだろう。
「ユーキ、大丈夫?」
リリーは自身も転ばないよう、両手にスカートを抱えたままゆっくりと縁までやってきた。彼女も上がりたそうだったので、手を貸すことにする。
「災難だったね――あれ、これ何?」
池から上がったリリーがオレが手にしていたスマホの、そこについたストラップを見て言った。
「多分オレの携帯。ポケットに入ってたから」
「あーほんとだー、YUKIってネームが入ってる」
肩に下げたポシェットからタオルハンカチを取り出すと、足を丁寧に拭きながら「あ」と小さく発声した。
「……このストラップ、どこかで」
「え?」
リリーが示したのは、オレのストラップについてるキャラクターモノのチャームだった。
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