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第26話
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「おかえりー。ザクロの場所、問題なかったでしょ?」
基地に戻ると、アンが呑気な声でそう言いながら出迎えてくれた。
ところが、オレもリリーも手ぶらで帰ってきたと知ると、怪訝そうに眉を潜める。
「あれっ。持ってきてないじゃん。もう誰かに取られちゃってたとか?」
「……いや」
適当な理由を告げれなければいけないのに、何も思い浮かばなかった。リリーの表情を盗み見るみたいにして、様子を窺ってみる。
「もう飽きちゃったから、一日くらい食べなくてもいいかなと思って。ね、ユーキ?」
「……あ、ああ」
無理やり作った笑顔が痛々しい。いつもよりもワントーン声が明るく感じたのは、さっき耳にした頼りなく落ち込んだ声音のせいかもしれない。
『わたし……もうすぐ消滅しちゃうんだと思う……』
とても冗談を言っているようには見えなかった。
リリーがもうすぐ消滅する? そんな、そんなことって……。
「えー、貴重な水分補給なんだけどなー」
「いーじゃない、どうせ実体なんてないんだから、食べなくたって支障ないでしょっ。一日くらいお休みを挟めば、また美味しく感じたりしてー」
「はいはい。ま、どうだかね」
彼女は普段通りの天真爛漫な振る舞いで、不満そうなアンを言いくるめている。けれど、本当はそんな理由で持ち帰らなかったわけじゃない。ただ単に、ザクロの木に辿り着くまで、体力が保たなかったのだ。
基地に帰って来るのだって、オレが身体を支えてやっとだった。
なのに、リリーはアンにもリタにも、このことは黙っておいてほしいと懇願してきた。本人が口にしていたように、まだ認めたくないのだろう。自分の存在が消滅してしまうという事実を。
「あーあ。早起きしすぎて眠くなっちゃった。わたし、少し休むね」
リリーは至って明るい調子で、寝床の支度を始めた。弱みを見せたくないと言い切っていた彼女だけれど、きっともう限界なのだろう。
「リリー……大丈夫? 調子悪いの?」
それまで黙ってやり取りを見守っていたリタさんが口を挟むけれど、リリーは何も問題ないという仕草で緩く首を振って見せた。
「ううん、全然。ちょっと眠いだけ。……じゃっ、おやすみっ」
これ以上突っ込まれないよう、会話を強制終了させる勢いで床につく彼女の不自然さに、オレ以外のふたりも気が付いているようだった。
「ユーキ、ちょっと」
リリーが眠ったのを見届けてから、アンが小声でオレを手招き、外に連れ出した。
「……リリーはもう、保たないんだろ」
基地の入り口に立ち尽くしたオレたちは、しばらくそこに覆いかぶさるかのごとく流れ落ちる滝を眺めていた。長い沈黙のあと、アンが呟く。
「やっぱり気付いてたんですか」
やっぱり、と付けたのは、昨日のアンの言葉を思い出していたからだ。
『リリーのこと、ちょっと気にしててくれないか?』
あの言葉は、それを予測していたということなのだろう。
「急に弱ったように見えたから、気になって」
「タイムリミットが迫った『クリミナル』は、人間が死ぬときと同じように弱っていくって……顔見知りの『スパイダー』に聞いたと、そう言ってました」
「俺もね、ユーキ。目の前で何人もの『クリミナル』が消滅していくのを見てきたよ。みんな同じだった。みんなリリーみたいに横になる時間が増えて、次第に起き上がれなくなって……消えてしまった。まるで、最初から存在していないみたいに」
「……リリーが助かる方法はないんですか?」
縋る思いで訊ねる。俺よりもこの狂った世界に詳しいアンなら、得策を知っているかもしれないという一縷の望みをかけたのだ。
「あるとすれば、ひとつだけだ。蜘蛛を三匹集めて『蜘蛛の糸』を掴み、蘇ること。でもそれは、リリー自身が望んでいない」
それはオレも彼女の口からはっきりと聞いた。きっとこの先リリーが蜘蛛集めをすることはないだろう。たとえそれが消滅を回避できる唯一の方法だとしても。
「じゃあ……じゃあリリーは、このまま終わりのときが来るのを待つしかないってことですか?」
「……そうなるね」
アンは深く重たい息を吐いて言った。
「オレたちは、彼女が消えていくのを黙って見てるしかない。そうなんですね?」
「…………」
オレよりもよっぽどリリーと長く一緒にいるアンはもっと辛いのかもしれない。言葉でこそ答えなかったものの、静かに目を伏せて肯定する。
「そんな……そんなことって……」
『クリミナル』はタイムリミットを迎えたときに消滅する。最初からわかっていたことだ。
頭で理解できていても、心がついていかない。
リリーは無邪気に笑うし、頬を膨らませて怒るし、冗談も言ったりする。
明るい彼女は、オレたち不可侵条約グループのムードメーカーだ。
その彼女がもうすぐ消えてしまうなんて――信じられない。信じたくない。
「今後は、いつそのときが訪れるかわからないから、リリーをひとりにしないようにしよう。別の『クリミナル』に弱っている姿を見られたりしたら、襲われかねないから」
「……はい」
今朝、まさにそんな出来事があったばかりだ。アンには正直に話すべきかとも思ったけれど、そうするとリリーの身体に二匹の蜘蛛が棲んでいたことまで打ち明けてしまわなければいけなくなる。
蜘蛛の話は、彼が知らなくてもいいことだろう。それについてはやはり黙っておくことにした。
「ユーキ、リタにもこの話を伝えておいてもらっていいかな。彼女も理解しておくべきだと思う」
きっとリタさんもショックを受けるだろう。オレは静かに頷いた。
基地に戻ると、アンが呑気な声でそう言いながら出迎えてくれた。
ところが、オレもリリーも手ぶらで帰ってきたと知ると、怪訝そうに眉を潜める。
「あれっ。持ってきてないじゃん。もう誰かに取られちゃってたとか?」
「……いや」
適当な理由を告げれなければいけないのに、何も思い浮かばなかった。リリーの表情を盗み見るみたいにして、様子を窺ってみる。
「もう飽きちゃったから、一日くらい食べなくてもいいかなと思って。ね、ユーキ?」
「……あ、ああ」
無理やり作った笑顔が痛々しい。いつもよりもワントーン声が明るく感じたのは、さっき耳にした頼りなく落ち込んだ声音のせいかもしれない。
『わたし……もうすぐ消滅しちゃうんだと思う……』
とても冗談を言っているようには見えなかった。
リリーがもうすぐ消滅する? そんな、そんなことって……。
「えー、貴重な水分補給なんだけどなー」
「いーじゃない、どうせ実体なんてないんだから、食べなくたって支障ないでしょっ。一日くらいお休みを挟めば、また美味しく感じたりしてー」
「はいはい。ま、どうだかね」
彼女は普段通りの天真爛漫な振る舞いで、不満そうなアンを言いくるめている。けれど、本当はそんな理由で持ち帰らなかったわけじゃない。ただ単に、ザクロの木に辿り着くまで、体力が保たなかったのだ。
基地に帰って来るのだって、オレが身体を支えてやっとだった。
なのに、リリーはアンにもリタにも、このことは黙っておいてほしいと懇願してきた。本人が口にしていたように、まだ認めたくないのだろう。自分の存在が消滅してしまうという事実を。
「あーあ。早起きしすぎて眠くなっちゃった。わたし、少し休むね」
リリーは至って明るい調子で、寝床の支度を始めた。弱みを見せたくないと言い切っていた彼女だけれど、きっともう限界なのだろう。
「リリー……大丈夫? 調子悪いの?」
それまで黙ってやり取りを見守っていたリタさんが口を挟むけれど、リリーは何も問題ないという仕草で緩く首を振って見せた。
「ううん、全然。ちょっと眠いだけ。……じゃっ、おやすみっ」
これ以上突っ込まれないよう、会話を強制終了させる勢いで床につく彼女の不自然さに、オレ以外のふたりも気が付いているようだった。
「ユーキ、ちょっと」
リリーが眠ったのを見届けてから、アンが小声でオレを手招き、外に連れ出した。
「……リリーはもう、保たないんだろ」
基地の入り口に立ち尽くしたオレたちは、しばらくそこに覆いかぶさるかのごとく流れ落ちる滝を眺めていた。長い沈黙のあと、アンが呟く。
「やっぱり気付いてたんですか」
やっぱり、と付けたのは、昨日のアンの言葉を思い出していたからだ。
『リリーのこと、ちょっと気にしててくれないか?』
あの言葉は、それを予測していたということなのだろう。
「急に弱ったように見えたから、気になって」
「タイムリミットが迫った『クリミナル』は、人間が死ぬときと同じように弱っていくって……顔見知りの『スパイダー』に聞いたと、そう言ってました」
「俺もね、ユーキ。目の前で何人もの『クリミナル』が消滅していくのを見てきたよ。みんな同じだった。みんなリリーみたいに横になる時間が増えて、次第に起き上がれなくなって……消えてしまった。まるで、最初から存在していないみたいに」
「……リリーが助かる方法はないんですか?」
縋る思いで訊ねる。俺よりもこの狂った世界に詳しいアンなら、得策を知っているかもしれないという一縷の望みをかけたのだ。
「あるとすれば、ひとつだけだ。蜘蛛を三匹集めて『蜘蛛の糸』を掴み、蘇ること。でもそれは、リリー自身が望んでいない」
それはオレも彼女の口からはっきりと聞いた。きっとこの先リリーが蜘蛛集めをすることはないだろう。たとえそれが消滅を回避できる唯一の方法だとしても。
「じゃあ……じゃあリリーは、このまま終わりのときが来るのを待つしかないってことですか?」
「……そうなるね」
アンは深く重たい息を吐いて言った。
「オレたちは、彼女が消えていくのを黙って見てるしかない。そうなんですね?」
「…………」
オレよりもよっぽどリリーと長く一緒にいるアンはもっと辛いのかもしれない。言葉でこそ答えなかったものの、静かに目を伏せて肯定する。
「そんな……そんなことって……」
『クリミナル』はタイムリミットを迎えたときに消滅する。最初からわかっていたことだ。
頭で理解できていても、心がついていかない。
リリーは無邪気に笑うし、頬を膨らませて怒るし、冗談も言ったりする。
明るい彼女は、オレたち不可侵条約グループのムードメーカーだ。
その彼女がもうすぐ消えてしまうなんて――信じられない。信じたくない。
「今後は、いつそのときが訪れるかわからないから、リリーをひとりにしないようにしよう。別の『クリミナル』に弱っている姿を見られたりしたら、襲われかねないから」
「……はい」
今朝、まさにそんな出来事があったばかりだ。アンには正直に話すべきかとも思ったけれど、そうするとリリーの身体に二匹の蜘蛛が棲んでいたことまで打ち明けてしまわなければいけなくなる。
蜘蛛の話は、彼が知らなくてもいいことだろう。それについてはやはり黙っておくことにした。
「ユーキ、リタにもこの話を伝えておいてもらっていいかな。彼女も理解しておくべきだと思う」
きっとリタさんもショックを受けるだろう。オレは静かに頷いた。
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