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第1章/1-36
35-1 ▽裏切り・前編▽
しおりを挟む準備は整った。全て。
ニキータから、クロノスが僕の計画について賛同し協力してくれる趣旨の報告が届いた。入念に計画は練ったつもりだったが、実際にどこまでうまくいくかは正直不安だったけど、これなら上出来だと思う。
ついに来た。ここまで。
▽ ▽ ▽
「ルシーダ」
僕は領主執務室でルシーダに提案する。
「…君もずっと気になっていたと思うけど。リコリス皇鉱石を、君に見せたい」
「おお!」
ルシーダは椅子から立ち上がる。嬉しそうだ。
「なんだ、今までさんざんもったいぶって。やっと教える気になってくれたのか」
「まあね」
僕は微笑む。ちなみに僕は今まで作り笑いを人に指摘されたことは一度もない。
「どこにあるんだ?」
「レンブルフォート鉱山は知ってるよね?」
「鉱山…」
レンブルフォート鉱山は帝都から少し離れた所にある、レンブルフォートで最も高い山だ。昔は鉄鉱石の採掘が盛んだった。標高の高い部分は一年中雪に覆われている。登山は平易で、今の季節なら多少雪が標高の低い所まで届いているが、危険は低い。
「そこにリコリス皇鉱石があるのか?」
「ある」
「…分かった。すぐ準備する」
「ちょっと待って。詳しい旅程はまた後で説明するけど、すごく分かりにくい所にあるから、僕が一緒に行って案内しないと無理だよ」
「まあそれは…」
「君と僕と、あとニキータも一緒にいいかな?」
「あのチャラ男か。本当に仲いいよなお前ら…ちょっと嫉妬するよ」
「ハハ…あと、エレノアさんとエリオットさんは、いつも君と一緒にいるみたいだけど、今回は同行するのは見送ってもらってもいいかな?」
「なんでだ?」
僕はそのまま笑顔を維持する。下手に説明するのは面倒くさい。ここは空気を読んでくれないかな。
「…まあ、分かったよ。アナスタシアがそう言うなら」
「オーケー。一緒にいく護衛のメンバーが決まったら、事前に僕に教えてね」
▽ ▽ ▽
「…わあ! いい毛皮だね!」
僕はルシーダが用意してくれた毛皮のコートを手に取って思わず声を上げる。
「標高の高い所まで行くって聞いたからな。雪もあるし、寒いだろうから特別に用立てた」
「すごく上等な毛皮だね…さすが領主様」
本物の毛皮だ。触り心地が違う。幸せ。
「まあな…せっかくリコリス皇鉱石とご対面できるんだからな。こんな特別な瞬間ぐらい、贅沢させてもらってもいいかな、ってね」
特別な瞬間、か。全くもってそうだ。君と僕、二人だけの最高に美しい瞬間のために、君は最高の物を用意してくれた。
「ふふ…なんだか申し訳ないね。こんないい毛皮着たことないよ。一度着てみたかったんだ」
「それはよかった」
▽ ▽ ▽
登山当日。運命の日。僕らは鉱山の麓に到着し、準備をして、登山を開始する。メンバーは、ルシーダと僕、ニキータ、あと僕の息のかかった護衛の兵。彼らは事前にルシーダからリストを入手して、ニキータに頼んで買収済みだ。ここまで来ればもう誰も邪魔する者はいない。
天候は生憎の模様。
「…上の方へ行くと、おそらく雪が降っているでしょうね」
護衛の1人が話す。ルシーダも困ったという表情。
「…吹雪くとやっかいだな。下手すると下山することになりかねない」
僕は彼らに微笑む。
「大丈夫だよ。頂上まで行こうってわけじゃないんだから」
「ああ…じゃあ案内頼むよ」
僕とルシーダは毛皮のコートを着る。僕を先頭にして、僕らは雪山を登り始める。
▽ ▽ ▽
「…やっぱり降ってんな。これ以上進んで大丈夫か?」
少し進んだ所で、ニキータが不安そうに言う。山の上はやはり雪がちらついている。視界が悪く、無理な進行は危険に繋がるので、慎重に判断しなくてはならない。
「大丈夫。危険は場所には進まないから」
遭難してしまっては元も子もない。なるべく負担にならないルートを選ぼう。どうせどこでもいいんだ。人目につかない所まで行けば。どこでも。
上空を見上げる。灰色の厚い雲が空一面に垂れ込めている。確かにどこか不安になる、憂鬱な空だ。
…ルシーダ、君個人に恨みは無い。だがどうしようもない。君が他ならぬアイリス皇族だから。
殺された僕の家族。
僕は愛していた。
全て奪われた。アイリス皇族に。なぜ僕だけ生かしたのだろう。死んだ方がはるかにましだったのに。今まで生きてきた中で、何度も繰り返し問いかけてきたことだ。
ルシーダ、僕の意思は固い。この覚悟はもう揺るがない。もう引き返さない。もう引き返せない。君は自分の生まれを呪え。そして地獄で僕を恨めばいいさ。こんな罪を犯せば、僕も遠からず、そっちへ行くことになるだろうから。楽しみだよ。君と再会するのが。
僕はアイリス皇族を許さない。必ず復讐を遂げる。あとは君だけだ。ルシーダ。
他にどうしろというのだ? あるいは僕と君の関係次第では、何か他の結末があったとでもいうのか?
ありえないな。
僕の憎しみの深さを、今から君に嫌というほど分からせてあげよう。君のその白く無垢な体に、深く、深く刻み込んでやる。死んでも消えないくらいに、強く。何度も。何度も。君の涙で、少しは僕のこの黒い心も慰められるかもしれない。だがそれでも君の一族の罪がそれで償われるわけではない。
大罪の印。僕の右肩にある焼印。本当に僕にお似あいだ。僕にとっては、これは本来の意味のそれではなく、誤解された、落下する鳥の象徴で問題無い。それが僕にとっての大罪の印だ。
飛べない鳥だ。僕は。僕の翼は、折られてしまった。
▽ ▽ ▽
さらに進んで来た。僕は立ち止まり、振り返る。
「…さて。ここからは神聖な領域なんだ。レンブルフォート皇族以外立ち入ることは許されない」
その場にいた全員に説明する。
「いえ、しかし…」
護衛の1人が、ルシーダに怪しまれないために芝居を打つ。
「ここからは、僕とルシーダの二人きりで進むよ」
「それでは危険ではないですか?」
「大丈夫。ここの地理は僕はよく知っている。リコリス皇鉱石がある場所だよ? 僕と一緒にいれば安全なんだ。君たちは、悪いけどここでしばらく待っていてくれないか」
僕はルシーダを見る。
「…そういうことなんだ。いいかな、ルシーダ?」
「…」
ルシーダが少し逡巡する。何か思うところがあるのだろうか?
「…分かった」
ルシーダが了承の返事をする。どこか覚悟を決めたというような、強い意思のこもった声だ。
「…ありがとう」
僕はルシーダに微笑む。
「じゃ、ニキータ、ここは頼むよ」
「…気をつけてな」
「うん」
ニキータの顔を見ると、少し悲しそうな表情をしている。僕はニキータに歩み寄る。
「…どうしたの、ニキータ?」
「いや…本当に、いいのか?」
「どうして? もちろんさ」
「そうか…」
僕はルシーダのところまで戻り、いつもの調子で話しかける。
「じゃ、ルシーダ、行こうか」
復讐を遂げたら、神に感謝して祈ろう。
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