乾坤一擲

響 恭也

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小牧の戦い

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 天正15年9月。
 秀隆は小牧山に陣を構えた。信長は犬山に陣を置いている。お互いの手勢は5000。両軍は城を出て向かい合った。

「秀隆、謝るなら今のうちだぞ!」
「ざっけんなボケ兄貴! 絶対泣かすから待っていやがれ!」
「いい度胸だ! コテンパンにしてくれる!」
「はん、やれるもんならやってみろ!」

 子供の喧嘩のようなやり取りの後、ほぼ同時に攻撃命令が出た。
「「かかれえええええええええええいいい!!」」

 信長の陣から先陣のかかれ柴田がその名の如く、すさまじい勢いで突っ込んでくる。秀隆の陣からは嫡子たる六郎信秀が1000の手勢とともに迎撃した。しばらくもみ合った後、もろくも信秀の兵は中央を突破される。第二陣として佐久間信盛が迎撃に出てきた。
「半介か、久しいな。手加減せぬぞ!」
「ふん、年寄りの冷や水だろうが権六よ。そろそろ儂のように隠居せぬか!」
「それは儂を破ってから言うのだな! というか隠居とは名ばかりでこき使われておろうが!」
「ええい、やかましいわ!?」
 権六は改めて手勢に銘じる。いつものやつで行くぞ! と手勢に声をかけた。
「お!つ!や!あああああああああああああああああああ!!!!!!」
 権六の手勢は大将に従い、嫁や恋人、子供の名を叫んで突撃してくる。
「まともに受け止めるな! 受け流すのじゃ!」
 信盛は陣列を巧みに変更し、左翼を前進、右翼を下げ斜線陣に変更する。そして権六の兵を側面から叩き押し込む。だが右翼側から秀隆本陣に向け突撃を開始して…本陣前に掘られた落とし穴に落ちた。
「ぬわあああああああああああああああああ!!!」
 権六の断末魔が戦場に響く。これは秀隆軍の指揮を大いに上げ、信長軍は気圧される。
「デデーン、権六、討ち死に」
 穴に落ちて目を回している権六に秀隆の非常な一言が告げられた。
 観戦していた元親が根白坂の再現じゃと大笑いする。その時の事情を知らない周囲の者は元親に島津相手に勇戦した自身の武勇と秀隆の采配を誇らしげに熱弁をふるう。そしてその聴衆の中に正親町の帝の姿を見つけた元親は内心冷や汗をかきつつ、島津の武勇を語るのであった。

 権六をわざと突破させた信秀の手勢は兵を再編し一気に攻めあがる。信長軍は切り札である五郎秀信を繰り出す。試し合戦のため鉄砲は使えないが代わりに弩を配備している。前列に二段に構え、斉射しようとしてきた。そこに信秀の隊列から先駆けの前田利益が一騎駆けで突出し、弩兵を蹴散らそうとした。
「前田慶次郎利益! 推参!」
 そこに彼一人を狙って10を超える矢が放たれる。だが彼の駆る馬は名馬の中の名馬、松風。素晴らしい跳躍を見せ、兵の頭上を飛び越え、着地とともに落とし穴に落ちた。
「うぎゃああああああああああ!?」

「父上の慧眼は素晴らしい。これで六郎の部隊は打撃力を失った。一気に叩くぞ!」
 ほぼピンポイントで掘られた穴は信長の指示によるものだった。
 秀信が采を振るう。利益と互角に渡り合う剛の者、鬼武蔵が喊声を上げ突撃する。そしてそこに立ちふさがるは、井伊直政であった。
「ここは通さぬぞ」
「へっ、赤鬼殿か。鬼同志雌雄を決するかね?」
 長可の狙いは直政をひきつけることで部隊の指揮をさせないことだ。それゆえに直政は勝負を受けられない。だが直政の背後から薙刀を構えた武者が現れる。
「ではわたくしが相手をしましょう。鬼武蔵殿」
「へ?! あなたは…?」
「うちの可愛い万千代に手は出させません!」
「おふくろさんかい!?」
「たーーーーーー!」
 振り下ろされる薙刀は鋭く、油断していると斬られかねない勢いであった。そして素晴らしい連撃に長可は防戦一方となる。
「ちぃ、こいつは侮れねえ」
「井伊の女地頭を侮るでないわ!」
「うお!? ぬお!?」
「隙あり、とりゃああああああああ!」
「くっ!?」
 恐ろしいことに鬼武蔵を圧倒するほどの武勇を見せる直虎。その間に采を振るい、秀信の軍を押し込んでゆく。そこで権六の隊を無力化した信盛の兵が現れた。
「やりおるわ…是非に及ばず。続け!」
 愛馬ものかわにまたがり槍を手に信長が陣頭に立って押し込んできた。
「われこそは上総介信長じゃ! 出会え! であえええええええええい!」
 大音声で兵を鼓舞する。その姿を見た古参の織田家臣は若き日の信長を幻視して涙ぐむ。ついでに退場していた権六は号泣していた。

「兄上が出張ってきたか。正念場じゃ。一豊、行くぞ!」
「はは!」
 山内一豊は長年秀隆の副官を勤め、実質的に兵を指揮していた。秀隆旗本の将である。そして堀尾茂助や、尾張衆であさひ経由で彼女の一族が仕官し、最近指揮官として登用された福島正則と加藤清正が槍を手に勇躍して飛び出してゆく。
 信長と秀隆の本隊が激しくぶつかり合った。互いの戦力は互角。互いに一歩も退かない戦いぶりである。策も知略もない、ただただ力のぶつけ合いであった。正親町天皇をはじめとする見物人たちは歓声を上げ、両軍を応援する。ちなみに掛札の売れ行きはやや信長が有利であった。さすがに今までの戦の実績が評価されたと思われる。だが何をしでかすかわからない秀隆の知略というか、常識外れの考え方が信長に迫る評価を与えている。
「叔父上、覚悟!」
「盛政か! ひよっこに討たれてはやれぬな!」
 さすがに個人的武勇では盛政に軍配が上がるが、信盛は巧みに手勢を指揮して盛政の戦力を削り落とす。秀隆旗本勢もここぞとばかりに勇躍していた。ちなみに、直虎と長可は相打ちの判定で引き分けである。直政と堀久太郎はお互い兵力を使いつくし、五郎と六郎も引き分けで退場した。
 両軍は大将が率いる部隊同士の叩きあいになるが、これが全く互角である。信長は自ら兵を率いて戦うことは久しくなく、秀隆も一部隊としての指揮官としては活躍したという印象がなかった。
 だがここまでの激戦を繰り広げる両者を見て、どちらかであっても戦って勝てるかと言われると、即答できるものはいなかった。むしろ勝てないと思うものの方が多かった。

 戦いは佳境に至り、信長と秀隆はお互い獲物を持って向かい合う。信長は手槍を投げつくし、木刀を構える。秀隆も同じく木刀を正眼に構えた。
「そういえば、お主と戦場で向き合うは初めてか」
「そりゃあ、ずっと一緒に戦ってきましたからなあ」
「ふむ、お主の突拍子もない考えに何度度肝を抜かれたかわからぬがな」
「お互い様ですよ。兄上」
「なれば」
「いざ」
「尋常に」
「「勝負!!」」
 カーーーン!
 互いの繰り出した木刀は一合でへし折れた。だがそこでお互いひるむことなく、組打ちに入る。信長は左拳を繰り出し、秀隆はそれを交わしざまに信長の側頭部を拳で打ち抜いた。
「おお、あれはくろすかうんたー!」
「直政、どういうことだ?」
「は、ちちう…殿が使う組打ちの技で、相手の力を利用して倍の打撃を与える技とか」
「ほほう、父上は組打ちも巧みなのか。初めて知ったぞ」
「というか、素手で渡り合ったら俺も勝てませんぜ?」
「なんだと?!」
「利益もか。実は俺も勝てなかった」
「まあ、あの殿はまだまだ隠し玉持ってそうですなあ」
「あの計り知れないところがいいのですよ。さすが我が夫」
「母上ェ…」
「直政よ、お主も苦労しておるな」
「殿、今更です」

 信長は一瞬意識を飛ばしながらも秀隆に組みつく。そして秀隆の同に手のひらを当てると、勢いよく地面を踏み抜き、その衝撃をらせん状に体に伝え肩の回転から掌を押し出した。
「ぐふっ!?」
 秀隆は吹き飛ばされ膝をつく。
「ほう、我が寸勁を耐えるとは…」
「どこの中国拳法だよ!?」
「ふん、ヌルハチに教わったのじゃ」
「本場もんかよ!」
 その後二人は技量の限りを尽くして殴り合う。ほかの兵たちも戦いをとめ、大将二人の殴り合いを観戦し始めた。
 二人は精根尽き果て、立っているのもやっとの状態となる。そして繰り出した拳は互いの顎を撃ち抜いた。見事な相打ちである。
「そこまで!」
 ここで初めて正親町天皇が声を出した。
「両名相打ちにつき、引き分け!」
 何のひねりもない、だがそれ以外にない決着が告げられる。

「そういえば両名、このいさかいのきっかけは何だったのじゃ?」
「は、このアホ兄が我が妻の作った卵焼きをけなしたのです」
「主上、卵焼きは飯のおかずにて、塩と出汁で味付けをするが常道。こやつの卵焼きは砂糖で味付けし、甘く仕上げてあったのです」
「主上、だし巻き卵は確かに美味しいのですが、妻の愛情がこもった甘い卵焼き。これこそ至上の味にございます」
「…貴様らはあほかああああああああああ!!!」
 正親町天皇の絶叫は尾張の地に響き渡った。
「とりあえず味見する故すぐに持ってくるのじゃ!」
「「はは!」」
 主上は二つの卵焼きを食してこう告げられた。
「甲乙つけがたし。これも引き分けとする」
「「はは!」」
「それにじゃ。これはお主らの妻がお主らを想って作ったのであろうが。なればその食べてもらう相手のために作るは当然。その好みもそれに伴うであろうが。よいのう、夫婦仲よきは美しきことなり。良き哉」
 主上のお言葉に寄り、争いは決着した。そしてその結果に顔色を青ざめさせるものが二人。
「藤吉郎よ、引き分けの場合どうするんじゃ?」
「そりゃああれじゃ又左。払い戻しじゃ」
「で、昨日いくら飲んだっけ?」
「うむ、よう覚えてないが、掛け金の半分くらいかの?」
「それは払い戻しができんということか?」
「まずいのう…逃げるか?」
「それじゃ!」
「そうはいかぬ。我の掛札はこれゆえにな」
「「主上!?」」
 正親町天皇の差し出した掛札にはこう書かれていた。引き分けと。
「これは我の一人勝ちかの? であれば我の総取りじゃなあ」
「「ははーー!」」
 二人は平伏し、後日掛け金は朝廷への献金とされたのだった。
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