腐女子令嬢は再婚する

青葉めいこ

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意外な訪問者

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 エウリは今まで忘れていた過去の夢を見ていた。

 ――生きるんだ! あの方の分まで!

 海賊に頭を殴られ、海に放り出される寸前、「彼」は叫んだ。

 なぜ、今まで忘れていたのだろう?

 三歳で死に別れた母との思い出は驚くほど憶えているのに。

 母だけが幼いエウリを、アネモネを愛してくれていたのだと思っていた。

 けれど、本当にそうだったのだろうか?




「お祖母様は『お籠り』なのよ」

 ティーリュンス公爵家に遊びにきたデイアは、そう言った。

 デイアが言っていた「お籠り」とは、義母が自分名義で買った家に籠って小説を書く事らしい。

 いくら侯爵家に忠誠を誓っている使用人達とはいえ人の口には戸が立てられない。いつどこで彼らから秘密がもれるとも限らない。義母は作家活動ペイア・ラーキをする時は自分名義で買った家で小説を書いているのだという。

「家に帰っても今は使用人達しかいなくて。約束もなしに押しかけたのは申し訳なかったけれど」

 皇宮で皇太子妃の勉強をした後、「家族が誰もいない家には帰りたくないから」という理由でデイアはエウリに会いにきたのだ。

「それは構いませんが……何かあったのですか?」

 ティーリュンス公爵の館の居間でエウリはデイアと向き合っている。

 館の主であるパーシーは帝国情報局で仕事。同居人のアンはカシオペアが暴走した騒動の後、再び諜報員として帝国内外を飛び回っている。「エウリの結婚式までには必ず帰る」と言っていたが。

 何となくだがデイアが自分に会いに来た理由が、ただ単に「家族がいない家に帰りたくない」だけとはエウリには思えないのだ。

「……皇太子殿下に叱られたの」

「え?」

「……わたくしをこっそり護衛していた殿下の部下が一昨日の騒動を殿下に一部始終報告してくれてね」

 デイアのその言葉の端々から「余計な事をしてくれて」という思いがにじみ出ている。

 デイアは皇太子の婚約者、将来の皇太子妃だ。当然、常に護衛がつくはずだが「そんなの要らない」と一蹴して勝手に一人で行動している。エウリ同様、行動を制限されるのが嫌なのだ。

 婚約者の皇太子、舅となる皇帝、父親のオルフェは「そんな訳にはいかない」とデイアには分からないように彼女を護衛する部下を配置している。

 結果、馬車に連れ込まれたエウリにデイアが引っついていた場面も当然見られた。

 実はアンはエウリとデイアが攫われたあの本屋にいた。エウリを攫うのはパーシーの部下。エウリに万が一の危険などない。それでも不測の事態に対処できるように、こっそりと尾行していたのだ。まさか本当に不測の事態、デイアが自ら巻き込まれにくるとは思いもせずに。

 デイアを護衛していた皇太子の部下達は将来の皇太子妃の危機に慌てて彼らの主皇太子を呼ぼうとした。はっきりいってミュケーナイ侯爵家の身内のいざこざだ。皇太子殿下に、しゃしゃり出てこられては大事おおごとになる。

 皇太子の部下達をなだめるのに時間がかかったから、あの時エウリを助けに来るのが遅れたのだと、後になってアンから聞いた。

「……将来の皇太子妃ともあろう者が無鉄砲すぎるって、殿下に叱られたの」

 不機嫌そうなデイアには悪いけれど、皇太子は何ひとつ間違った事は言っていない。エウリもあの時、皇太子と同じ事を思ったからだ。

「後になって冷静に考えれば殿下の仰る通りだわ。……武術の心得がないわたくしが動いたところで足手まといにしかならない。たくさんの方に、ご迷惑とご心配をおかけしたのも分かっている。それでも、あの状況に置かれれば、きっと、わたくしは同じ事をするわ」

「……デイア様を巻き込んでしまった私が言うのもなんですが、皇太子殿下が仰る事は間違っていませんわ。聡明なあなたなら、お分かりのはずです。叱られて不機嫌になるのは分かりますが、殿下は、あなたを心配して、あえて、きつい事を仰ったのだと思います。そんな殿下のお気持ちをくむべきではありませんか?」

 正論であっても叱られれば嫌な気持ちになる。まして、叱ったのが何とも思っていない婚約者なら尚更だ。

 デイアは慰めてほしくてエウリの許に来たのかもしれないが、義理とはいえ娘になる上、皇太子妃にもなる彼女に甘い言葉をかけるつもりはない。

 以前は、オルフェとは本当の意味で夫婦になる訳ではない。そんな自分が彼の娘デイアに踏み込んだ事は言えないという遠慮があった。だが、今は、夫婦としてはともかく、彼を含めたミュケーナイ侯爵一家と本物の家族になる。だから、あえて、きつい言葉も言わせてもらう。言われなければ分からない事もあるからだ。

「……わたくしが落ち込んでいるのは叱られた事ではないの」

 エウリは(おや?)と思った。

「あなたが仰る通り、殿下のお言葉は正論よ。それに怒りはしないわ。ただ、それに対して、わたくしが言ってしまった言葉が問題なの」

「何を仰ったのですか?」

「『こんな無謀で無鉄砲な女が将来の皇太子妃で不安なら別の方に替えてはいかがですか?』」

「……それは、ちょっと」

「デイア以外の皇太子妃は認めない」と公言した皇太子だ。

 ――殿下はデイアだから妻に、皇太子妃にしたいんだろう。

 ハークのその言葉からしても皇太子はデイアを愛しているのだ。

 デイアのほうは皇太子自身にも皇太子妃となる事にも何の魅力も感じていないのは丸わかりだ。それどころか重荷に思っている。

「どんなに、わたくしが嫌がっても、家同士で決まった事。貴族の娘に生まれた以上、政略の道具になる覚悟もしているわ。でも、つい、殿下を前すると、『わたくし以外の女性を皇太子妃に替えてください』と訴えてしまうのよ」

 エウリは園遊会や夜会で遠目で見かけるくらいで、皇太子について、あまり知らない。外見は皇帝によく似た超絶美形だ。デイア同様、エウリも彼で時折BL妄想している。

「……えっと、皇太子殿下がお嫌いですか?」

「……外見は一番好きよ」

 BL妄想するくらいだ。観賞用としては最高なのだろう。以前のエウリがオルフェに対して抱いていた感情だ。

「……嫌いというか……苦手なの」

「君以外を妻にする気はない」と断言する男性に同じ想いを返せない心苦しさ故に「苦手」だと思ってしまうのだろうか?

「……デイアの気持ちは分からなくもないが」

 言いながら入ってきたのは、この館の主、パーシーことパーシアス・ティーリュンス公爵だった。

 パーシーの後からオルフェと、もう一人、長身痩躯の男性がいた。

「はっきり言って、エルから逃げるのは無理だ。皇太子妃の重責はつらいだろうが、エルは夫としてデイアを大切にするのは確実だから他人から見れば充分幸せだろう」

 パーシーのデイアに向ける言葉は投げやりに聞こえなくもない。だが、家のために結婚する貴族の中で夫に愛されて大切にされるのは彼の言う通り幸せではあるのだ。

 皇太子はパーシーにとって甥というだけでなく唯一無二の至上の存在である皇帝によく似た彼の息子だ。勿論デイアもパーシーの大切な姪には違いないが、どうしても彼女より皇太子の肩を持ってしまうのだろう。

「……逃げる気はありません。後の事を考えると面倒ですから」

 ただ苦手だというだけで家同士で決めた婚約を解消できるはずがない。それこそ皇太子の手の届かない所に逃げるしかないだろう。だが、それはデイア自身が言っているように「後が面倒になる」。何より「デイアしか妻にしない」と公言している皇太子から逃げられるとは思えない。パーシーが「無理だ」と断言するくらいだし。

「わたくしの事よりも、どうしてここにポリュのお父様がいらしているの?」

 デイアは父親オルフェの傍らにいる長身痩躯の男性に視線を向けた。

 ポリュとはポリュボイア、今年十五になるデイアのはとこでクレイオの孫娘だ。帝国が世界に誇るピアニストで義弟とも何度か共演した。エウリも彼女の独演会の時だけはクレイオと一緒に何度か聴きに行った。

 ポリュの父親だという男性は、なぜか、じっとエウリを凝視していた。男性には、つい構えてしまうエウリだ。これだけ凝視されると不快感を覚えるはずだが不思議とそういう気持ちにならないのは、彼が持つ柔和な雰囲気と情欲がまるでない、まるで我が子を見るような慈愛に満ちた視線のお陰だろう。

 最初は、この顔に見惚れているのだと思った。初対面では男女問わず凝視されるからだ。

 年の頃は四十前後。白にも銀にも見える淡い金髪。青紫の瞳。ほどほど整った顔立ち。

(……あれ? この方、どこかで見た事がある?)

 ……「あの男」に似た髪と瞳の色を持つ彼を忘れるはずがないのに。

 BLの妄想できない男性の顔など憶える気は全くないエウリの唯一の例外が「あの男」を思わせる要素を持つ男性だ。

「エウリ、この男に見覚えがあるか?」

 パーシーが声をかけてきた。

「……どこかでお会いしたような気がするのだけど」

「……私の息子ハークと違って記憶の片隅に引っかかってもらえていたようだな。よかったな」

 オルフェは言葉とは裏腹な冷たい眼差しをポリュの父親に向けた。

 オルフェは息子ハークと違って感情が表情に表れにくい。それは整い過ぎた美貌と相まって近づきがたい印象になってしまう。だが、彼が誰よりも温かく優しい人だとエウリはもう知っている。こんな風に露骨に他人に対して冷たく接する人ではないのに。

 エウリだけでなくデイアも驚いた顔でオルフェを見ていた。

 そんな二人と違いオルフェの態度を気にする事なくポリュの父親はエウリにこう言った。

「……私はパイエオン・イオニア、貴女の母君の主治医だった男です。姫様」

 エウリは目を瞠った。












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