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第一部 ジョセフ
19 前世の最後の記憶
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夢を見た。前世の私の最期を――。
十歳の誕生日に目の前で両親を殺され、それ以来、復讐のために生きてきた前世の私、《ローズ》こと相原祥子。
念願叶い両親の死の元凶だった秘密結社|《アネシドラ》を壊滅させた。
けれど、胸に広がったのは歓喜ではなく虚しさ。
――貴女の思う通りに生きろ。
最期にそう言って私の腕の中で息絶えた《アイスドール》、武東夏生。
彼が死んで一ヶ月になっても何もする気になれなかった。
平成最後になるこの日は、私の三十歳の誕生日であるだけでなく家族の命日でもあった。
墓参りと復讐完遂の報告のため、ずっと籠っていた自宅から一ヶ月ぶりに外に出た。
これを機に、過去に囚われるのではなく未来に向かって歩いていくつもりだったのに――。
信号待ちをしていた時だった。
道路の向こう側、反対側で信号待ちをしている子供に気づいた。
長く真っ直ぐな漆黒の髪。象牙色の肌。桜桃のごとき唇。四、五歳くらいのとても綺麗な女の子だ。白いレースとリボンのついたワンピースがよく似合っている。
目に留まったのは、その子の美しさではない。
(……生きていれば、あの子も、このくらいになっていただろうな)
産まれてすぐに母親に床に叩きつけられて死んだ赤ん坊……私の姪。
生きていれば、今日で五歳になる。
最初はただ「あの子」に面影を重ねて見ていただけだった。
それだけなら、すぐに興味をなくして何事もなくすれ違っただけで済んだ。
――けれど、気づいてしまった。
その子は周囲を見ているようで見ていない。
髪と同じ漆黒の瞳にあるのは虚空。
何の感情も映していない瞳。
その美しさと相まって、お人形みたいだった。
けれど、生きている人間である以上、瞳には必ず感情の起伏が感じられるはずなのだ。特に、感情の起伏が激しい子供なら尚更。
あの《アイスドール》と呼ばれていた彼だとて、冷静沈着な言動の向こうには、ちゃんと人間らしい感情があるのだと親しくなるにつれ分かるようになった。
彼が本当に感情のない氷人形なら、私を庇って死んだりなどしなかった――。
どうにも気になって、その子に注目していた。
信号が青に変わった。
周囲の人間と一緒に子供も横断歩道を渡り始める。
そして――。
「あぶない!」
私なのか他の誰かなのか、悲鳴じみた声が上がった。
猛スピードで子供に迫るトラック。
私がいた位置からはトラックの運転手が見えた。運転手である中年の男性は、ハンドルに突っ伏していた。何らかの原因で意識が消失していたのだろう。
子供は自分に迫るトラックに一瞬だけ驚いた顔をしたが――微笑んだ。
そう、確かに子供は微笑んでいた。私が最初で最後に見た子供の子供らしい無邪気な微笑だった。
何も考えなかった。
気がついたら体が動いていた。
おそらく相原祥子の人生史上最速で駆け寄ると子供を抱き込んだ。
次にきたのは衝撃。
トラックにはねられ、子供と共に宙に舞い道路に叩きつけられた。
ドオンッ! という音を出し街路樹にぶつかって止まったトラック。
「……お、おねえさん?」
私の上で、すぐに子供が気づいた。
伊達に秘密結社の実行部隊の一員だった訳ではない。なるべく子供が怪我しないように、私の体がクッションになるように倒れたのだ。……咄嗟の事だったので自分の事までは気が回らなかったが。
お陰で、見たところ子供に怪我はないようだ。
「……ぶじ、ね。……よかった」
私は、ほっとして微笑んだ。
この子まで大怪我したら、私が咄嗟に動いた意味がない。
体から力が抜けていく。頭から血が流れているのが分かる。
秘密結社の実行部隊として数多くの人間を殺した。たくさんの死を見てきた。
だから、分かる。
私は死ぬのだと――。
不思議と怖くはなかった。
周囲の喧騒をよそに、私は目の前の子供だけを見つめていた。この子に伝えたい事があるのだ。
「……いきて」
あの子と私の分まで、どうか生きて――。
子供らしくない目をしているあなた。
それだけ、今あなたが生きる世界は、あなたにとって、つらいものなのかもしれない。
それでも――。
「……くるしみも……よろこびも……いきて……こそなの」
死を目前にしているからこそ実感している。
苦しみも喜びも生きてこそなのだと――。
「だから……いきて……しあわせに」
意識が遠のきそうになる。私のこの言葉は、ちゃんとあなたに伝わっただろうか?
「……いやだ。いやだ! 死なないで! お姉さん!」
子供の大きな瞳からは涙が流れていた。
その瞳は、もう虚空を映してなどない。
私が最初に見た綺麗なだけのお人形などではない。
ちゃんと感情のある一人の人間だった。
私に取りすがって泣き叫ぶ子供の顔を見たのが、相原祥子だった前世の私の最期の記憶――。
平成最後の日、三十歳の誕生日に、こうして私は死んだ。
そして、次に気がついた時には、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルになっていた。
相原祥子としての自我を保ったまま、新たな肉体を、人生を与えられたのだ。
今生こそ誰かや何かのためではなく自分のためだけに生きたい。
そして、今度こそ人生を謳歌してやる!
十歳の誕生日に目の前で両親を殺され、それ以来、復讐のために生きてきた前世の私、《ローズ》こと相原祥子。
念願叶い両親の死の元凶だった秘密結社|《アネシドラ》を壊滅させた。
けれど、胸に広がったのは歓喜ではなく虚しさ。
――貴女の思う通りに生きろ。
最期にそう言って私の腕の中で息絶えた《アイスドール》、武東夏生。
彼が死んで一ヶ月になっても何もする気になれなかった。
平成最後になるこの日は、私の三十歳の誕生日であるだけでなく家族の命日でもあった。
墓参りと復讐完遂の報告のため、ずっと籠っていた自宅から一ヶ月ぶりに外に出た。
これを機に、過去に囚われるのではなく未来に向かって歩いていくつもりだったのに――。
信号待ちをしていた時だった。
道路の向こう側、反対側で信号待ちをしている子供に気づいた。
長く真っ直ぐな漆黒の髪。象牙色の肌。桜桃のごとき唇。四、五歳くらいのとても綺麗な女の子だ。白いレースとリボンのついたワンピースがよく似合っている。
目に留まったのは、その子の美しさではない。
(……生きていれば、あの子も、このくらいになっていただろうな)
産まれてすぐに母親に床に叩きつけられて死んだ赤ん坊……私の姪。
生きていれば、今日で五歳になる。
最初はただ「あの子」に面影を重ねて見ていただけだった。
それだけなら、すぐに興味をなくして何事もなくすれ違っただけで済んだ。
――けれど、気づいてしまった。
その子は周囲を見ているようで見ていない。
髪と同じ漆黒の瞳にあるのは虚空。
何の感情も映していない瞳。
その美しさと相まって、お人形みたいだった。
けれど、生きている人間である以上、瞳には必ず感情の起伏が感じられるはずなのだ。特に、感情の起伏が激しい子供なら尚更。
あの《アイスドール》と呼ばれていた彼だとて、冷静沈着な言動の向こうには、ちゃんと人間らしい感情があるのだと親しくなるにつれ分かるようになった。
彼が本当に感情のない氷人形なら、私を庇って死んだりなどしなかった――。
どうにも気になって、その子に注目していた。
信号が青に変わった。
周囲の人間と一緒に子供も横断歩道を渡り始める。
そして――。
「あぶない!」
私なのか他の誰かなのか、悲鳴じみた声が上がった。
猛スピードで子供に迫るトラック。
私がいた位置からはトラックの運転手が見えた。運転手である中年の男性は、ハンドルに突っ伏していた。何らかの原因で意識が消失していたのだろう。
子供は自分に迫るトラックに一瞬だけ驚いた顔をしたが――微笑んだ。
そう、確かに子供は微笑んでいた。私が最初で最後に見た子供の子供らしい無邪気な微笑だった。
何も考えなかった。
気がついたら体が動いていた。
おそらく相原祥子の人生史上最速で駆け寄ると子供を抱き込んだ。
次にきたのは衝撃。
トラックにはねられ、子供と共に宙に舞い道路に叩きつけられた。
ドオンッ! という音を出し街路樹にぶつかって止まったトラック。
「……お、おねえさん?」
私の上で、すぐに子供が気づいた。
伊達に秘密結社の実行部隊の一員だった訳ではない。なるべく子供が怪我しないように、私の体がクッションになるように倒れたのだ。……咄嗟の事だったので自分の事までは気が回らなかったが。
お陰で、見たところ子供に怪我はないようだ。
「……ぶじ、ね。……よかった」
私は、ほっとして微笑んだ。
この子まで大怪我したら、私が咄嗟に動いた意味がない。
体から力が抜けていく。頭から血が流れているのが分かる。
秘密結社の実行部隊として数多くの人間を殺した。たくさんの死を見てきた。
だから、分かる。
私は死ぬのだと――。
不思議と怖くはなかった。
周囲の喧騒をよそに、私は目の前の子供だけを見つめていた。この子に伝えたい事があるのだ。
「……いきて」
あの子と私の分まで、どうか生きて――。
子供らしくない目をしているあなた。
それだけ、今あなたが生きる世界は、あなたにとって、つらいものなのかもしれない。
それでも――。
「……くるしみも……よろこびも……いきて……こそなの」
死を目前にしているからこそ実感している。
苦しみも喜びも生きてこそなのだと――。
「だから……いきて……しあわせに」
意識が遠のきそうになる。私のこの言葉は、ちゃんとあなたに伝わっただろうか?
「……いやだ。いやだ! 死なないで! お姉さん!」
子供の大きな瞳からは涙が流れていた。
その瞳は、もう虚空を映してなどない。
私が最初に見た綺麗なだけのお人形などではない。
ちゃんと感情のある一人の人間だった。
私に取りすがって泣き叫ぶ子供の顔を見たのが、相原祥子だった前世の私の最期の記憶――。
平成最後の日、三十歳の誕生日に、こうして私は死んだ。
そして、次に気がついた時には、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルになっていた。
相原祥子としての自我を保ったまま、新たな肉体を、人生を与えられたのだ。
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