あなたを破滅させます。お父様

青葉めいこ

文字の大きさ
61 / 113
第一部 ジョセフ

61 「愛人になれ」

しおりを挟む
 いつまでも玄関で話しているのもどうかという事で私達は居間に移動した。

 貴族の館ほどではないが庶民にしては広い家には家主であるウジェーヌとロザリーしか住んでいない。

 前世で《マッドサイエンティスト》のコードネームを持っていた彼は、今生でも人と交流するより閉じこもって興味のある事柄を研究するほうが好きだ。けれど、放っておくと家が汚れるし生きていくのに食事は必要だ。それで仕方なく以前は通いの家政婦を雇っていたが今はお祖母様の頼みでロザリーが住み込みの家政婦だ。

 家を継ぐ長男でこそないが国と民に命と人生を捧げる貴族として生まれて現在のウジェーヌの生き方は普通なら許されない。

 けれど、ウジェーヌは、この世界よりもずっと文明が進んだ世界の知識と天才的な頭脳を持つ転生者。自分が独り立ちできるだけでなく実家と領地が困らないくらいの資金も稼いだ後、家を出た。

「祥子」以外はどうでもいい彼でも幼い頃の自分を守り育ててくれた家族に恩を感じる心はあったらしい。いくら精神は大人(老人)で天才的な頭脳を持っていても体は生まれ落ちてしばらくは無力な子供だ。家族の庇護がなければ生きていけない。

 それでも家を出る際、「私を飼い殺そうと思ったら、どうなるか分かっているよな?」と家族を脅したらしいが。ウジェーヌの危惧は当然だと思う。彼ほどの知識と天才的頭脳ならば、血の繋がった家族だろうと飼い殺しにしようと考えるだろうから。

 幸いそうはならずウジェーヌは現在、悠々自適に暮らしている。

 そうできたのは、ウジェーヌが家を出た際脅したからだけではないだろう。今生彼の家族となったアルヴィエ子爵家の人達は分かっているのだと思う。彼を怒らせると自分達だけでなく周囲にも甚大な被害が出ると。

 今生の家族に恩を感じる心を持っていても、唯一の存在にしか価値を見出せない、その人の思想だけを唯一の正義とする、そんな人間がまともな訳ない。

 天才である事を抜きにしても、《バーサーカー》とは違う意味で彼もまた人間の範疇から大きく逸脱しているのだ。

「……私がどう思っているかより、あなたはどうなの?」

 私達のために用意した紅茶とお菓子をテーブルの置いたロザリーが対面のソファに座ると私は尋ねた。先程のロザリーの質問をはぐらかしてしまったが答えられないのだから仕方ない。

「ウジェーヌ様が望まれるのなら、どんな顔になってもいいと思いました」

 ロザリーは私のはぐらかしについては言及してこなかった。はぐらかしに気づいていないのか、気づいた上で言及しないでいてくれているのかは分からないが。

「……でも、その顔は」

「この顔がウジェーヌ様にとって唯一無二の方の顔なのは分かっていますわ。お嬢様」

 ウジェーヌは「話す義理はないだろう?」と言ったし、実際、その顔の女性について話してなどいないだろう。けれど、彼の様子などからロザリーもそれくらいは見抜いたのだ。

 それでも惚れたウジェーヌが望んだから彼にとって唯一無二の女性の顔になったのだ。

 けれど、もし、その顔が前世のわたしの顔だと知っていたら彼女は整形を承知しただろうか?

 その考えを私はすぐに振り払った。ロザリーが、私の今生の母親が、その顔になるのが嫌なら教えておくべきだったのに私は黙って彼女をウジェーヌの元に行かせた。こんな事は考えるべきじゃない。

 私はカップを手に取ると紅茶を一口飲んだ。懐かしい味に顔が綻ぶ。

 偶々たまたまなのか、そうしてくれたのか、使われている茶葉はいつも私が飲んでいる物、淹れたのはロザリーだ。「私」となる前からこの体ジョゼフィーヌが慣れ親しんだ紅茶の味だ。

 ロザリーがいなくなった後、他のメイドや自分で紅茶を淹れても彼女と同じようにはできなかった。お祖母様の言う通り彼女は有能なメイドで、いなくなっていろいろと困った事が多いが、何より、あの紅茶の味を二度と味わえなくなったのが一番残念だった。

「女として美しくなったのは嬉しいのですが……困った事が起きてしまいました」

 ロザリーが話そうとしているのは電話で言っていた「困った事」の詳細だろう。

 美しくなって「困った事」ならストーカーだろうか?

 今のロザリーの顔だった前世の私は何度かストーカーに遭った。前世の私は秘密結社の実行部隊員だったので苦もなく撃退できたが、ただの家政婦であるロザリーでは無理だろう。

 いくら愛せなくても今生の母親だ。彼女が殺されたりストーカー被害に遭う事態など考えたくもない。

「この顔になって近くの市場に買い物に行ったら、ジョセフ様に会ってしまいました」

「お父様に?」

 あの男は良くも悪くも貴族だ。庶民が生活必需品を調達する市場になど行かないと思っていたのに。

「あ、でも、顔を整形したのだから『ロザリー』だと気づかれなかったのでしょう?」

「ええ。ですが……いきなり私の手を摑むと『愛人になれ』と言ってきました」

「は?」

 手に持っていたカップを取り落とさなかった自分を褒めたい。私は慎重にテーブルにカップを置いた。

 人様の物なので壊す訳にはいかない。まして、前世では秘密結社の総帥トップ、今生では貴族令息であるウジェーヌの持ち物は高級品ばかりだ。このカップも高価なのは一目で分かる。貴族令嬢に転生したので舌と物を見る眼が無駄に鍛えられたのだ。

「……最初は何を言われたのか理解できなかったのですが」

 ロザリー同様、私も理解できない。というか、したくない。

 けれど、しなければ話が進まないので、私は仕方なく、本当に仕方なく確認した。

「……お父様が、あなたに、愛人になれ、と言った?」

 私は思わず少しずつ区切って訊いてしまった。

「……はい。その時は何とか振り切って逃げたのですが、それ以来、ジョセフ様は市場で私を待ち伏せして毎回『愛人になれ』と迫ってくるのです」

「……あなた、あいつの愛人になどならないわよね?」

「なりません!」

 恐る恐る訊いた私に、ロザリーは間髪を容れず、しかも、いつもおとなしい彼女にしては珍しく怒鳴った。

「初恋であなたの父親でも、あなたを疎んじるだけでなく暴力を振るう姿を見て気持ちが醒めたどころか大嫌いになりました。あいつの愛人になるくらいなら死んだほうがマシです」

 普段は「ジョセフ様」だが今は「あいつ」呼ばわりだ。心の中ではいつもそう呼んでいて、つい出てしまったのだろう。

 ロザリーは現在ウジェーヌに惚れている。けれど、それを抜きにしても彼女にとって「ジョセフの愛人」だけは忌避したい事なのだと気づいて私はほっとした。


















 




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

[完結]私を巻き込まないで下さい

シマ
恋愛
私、イリーナ15歳。賊に襲われているのを助けられた8歳の時から、師匠と一緒に暮らしている。 魔力持ちと分かって魔法を教えて貰ったけど、何故か全然発動しなかった。 でも、魔物を倒した時に採れる魔石。石の魔力が無くなると使えなくなるけど、その魔石に魔力を注いで甦らせる事が出来た。 その力を生かして、師匠と装具や魔道具の修理の仕事をしながら、のんびり暮らしていた。 ある日、師匠を訪ねて来た、お客さんから生活が変わっていく。 え?今、話題の勇者様が兄弟子?師匠が王族?ナニそれ私、知らないよ。 平凡で普通の生活がしたいの。 私を巻き込まないで下さい! 恋愛要素は、中盤以降から出てきます 9月28日 本編完結 10月4日 番外編完結 長い間、お付き合い頂きありがとうございました。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

心が折れた日に神の声を聞く

木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。 どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。 何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。 絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。 没ネタ供養、第二弾の短編です。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

処理中です...