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第二部 祐
105 氷人形(アイスドール)は怒っている(レオン視点)
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ジョゼが消えた。
それに気づいたのは国王がヴェルディエ侯爵邸を辞去して、しばらく経ってからだった。
ブルノンヴィル辺境伯家に仕える者達、いわばジョゼの身内であっても国王がジョゼと二人きりで話をしたいというのなら無理矢理割り込む事もできず、僕達はそれぞれの部屋に待機していた。
ヴェルディエ侯爵邸の侍女が国王やジョゼが辞去した後の応接室を片付ける際、ジョゼの書き置きを見つけた。
それをアンディの元に持ってきて、彼がそれを僕達(僕、リリ、ウジェーヌ、ロザリーだ)に伝えた事で、ようやくジョゼが消えた事を知ったのだ。正確には、僕達に黙って(書き置きは残したけど)王宮に行ったのだけど。
今、僕達はアンディに宛がわれた部屋に集まっているのだが、部屋の主のせいで今現在ものすごく空気がぴりぴりして痛いほどだ。アンディは一見いつもと変わらず冷静沈着だが、ものすごく怒っている。
ジョゼが氷人形にたとえる整い過ぎた美貌と怜悧で酷薄な内面からにじみ出る雰囲気だけでも人を威圧するというのに、今は怒りが加わり、いつも以上の迫力だ。
出会った時から苦手だった。
それはジョゼが彼を最も信頼しているからだけではない。
出会いからしばらく経った頃、ジョゼがいない二人きりの時に言われたのだ。
「今度も、あなたが原因で彼女が死んだら前世の苦しみが生温いと思うほどの生き地獄を味わわせて差し上げます」と。
それを言った時のアンディの炯々とした眼光を忘れる事ができない。
前世は人格を否定され人としての尊厳を踏みにじられた人生だった。だから、大抵の事では動じない自信があった。けれど、そんな僕にさえ恐怖を与える凄味が、あの時のアンディにはあったのだ。
「優しい彼女は目の前でトラックに引かれそうな子供がいたら、あなたでなくても命の危険も顧みずに助けたでしょう。あなただから助けた訳じゃない」
アンディに言われるまでもない。
ジョゼは前世の僕に救えなかった姪の面影を見たから助けたのだと言った。
けれど、あの時、目の前でトラックに引かれそうな子供が僕でなかったとしても彼女は助けただろう。命の危険も顧みずに。
「彼女が勝手に、あなたを助けて死んだ。分かっている。それでも前世の彼女の死の原因となったあなたを私は許す事ができない」
そう言いながらアンディが僕がジョゼの傍にいる事を許しているのは、偏にジョゼが僕が自分の傍にいる事を許しているからだ。
アンディが怖いからジョゼに係わるのをやめるという選択肢は最初からなかった。
ジョゼは、彼女は、僕の命だけでなく心も救ってくれた人。
父の「おもちゃ」でしかなかった僕を人間にしてくれた人だ。
せっかく今生で出会えたのに係りをやめるなど、それは僕が僕でなくなるのと同じ事なのだ。
ジョゼの傍にいたければ、アンディの存在も許容しなければならない。ジョゼは絶対にアンディを手放さないからだ。
僕とアンディならジョゼは迷わずアンディを取るだろう。前世で気まぐれに助けたに過ぎない子供と前世から信頼していた人間なら比べるべくもない。
アンディに脅されるまでもない。
僕だって今生まで彼女が自分の命と引き換えに僕を助けるような事態など絶対に嫌だ。
「……国王も国王だ。何だってジョゼの無茶な頼みなど聞くんだ?」
アンディは忌々し気に呟いた。
アンディの発言は国王への不敬だが、この場で、それを気にする人間などいない。皆、口にこそ出さないが彼と同じ事を思っているからだ。
「お嬢様がなさった事は確かに無茶ですが、でもそれは私達を巻き込まないためで」
大の男であっても裸足で逃げ出したくなる今のアンディ相手に、おずおずとだが物申しているのはロザリーだ。普段は控えめな女性だがロザリーは今生の彼女を産んだ母親だ。ジョゼの行動が無茶だとアンディ同様思っていても母として娘を擁護せずにはいられないのだろう。
「そんな事は分かっている」
アンディはロザリーに冷たい一瞥をくれた。
ロザリーは今生の彼女を産んだ母親だが、アンディは前世から彼女と付き合い誰も入り込めないほど深い信頼関係がある。ロザリーに言われるまでもなく彼女がなぜそんな行動に出たのか分かっているのだ。
「アンディ。過ぎた事を悔やんでも仕方ない」
一見冷静だが内心深く憤っているアンディの肩に手を置きなだめているのは、これまた前世から彼やジョゼと付き合いがあるウジェーヌだ。
「では、私達も王宮に」
このまま本当に王宮に向かいそうなアンディにウジェーヌは呆れ顔になった。
「お前らしくないな。このまま王宮に行っても、せいぜいジョゼの盾になって、あいつに殺されるだけだぞ」
ジョゼがたった一人で王宮に行った事、たった一人で「ジョセフ」と対決しようとしている事が、アンディから普段の怜悧さや冷静さを奪っているようだ。
「私が訊くまでもないだろうが、お前達はジョゼのためなら命を棄てられるよな?」
「勿論だ」
「「勿論です」」
ウジェーヌの質問に、僕、リリ、ロザリーは何のためらいもなく頷いた。
「お前達だけでも王宮に行けるように取り計らってやる」
今生の僕の兄、リュシアンはジュール王子の従者なので彼を通して王宮に入り込む事も可能ではあるが、それでは時間がかかる。
ウジェーヌは僕と同じ子爵家の人間だが、前世の知識と天才的な頭脳で王侯貴族相手ですら対等に渡り合えるほどの商売をしている。彼にかかれば面倒な手続きもせずに平民や子爵令息を王宮に行かせるくらい訳ないのだろう。
「アンディと一緒に、あいつを殺せるだろう物を調達してくるから私達が戻るまで命に代えてもジョゼを守れよ」
「……あなた一人では駄目なのか?」
一刻も早くジョゼの元に行きたいアンディとしては、ウジェーヌに付き合わされるのは嫌なのだろう。珍しく表情にも声音にも、その感情が表れている。
「私が戻った時、お前があいつに殺されていたら、せっかく調達した物も意味がなくなるからな」
「……分かりました。お付き合いします」
アンディは仕方なさそうに頷いた。
それに気づいたのは国王がヴェルディエ侯爵邸を辞去して、しばらく経ってからだった。
ブルノンヴィル辺境伯家に仕える者達、いわばジョゼの身内であっても国王がジョゼと二人きりで話をしたいというのなら無理矢理割り込む事もできず、僕達はそれぞれの部屋に待機していた。
ヴェルディエ侯爵邸の侍女が国王やジョゼが辞去した後の応接室を片付ける際、ジョゼの書き置きを見つけた。
それをアンディの元に持ってきて、彼がそれを僕達(僕、リリ、ウジェーヌ、ロザリーだ)に伝えた事で、ようやくジョゼが消えた事を知ったのだ。正確には、僕達に黙って(書き置きは残したけど)王宮に行ったのだけど。
今、僕達はアンディに宛がわれた部屋に集まっているのだが、部屋の主のせいで今現在ものすごく空気がぴりぴりして痛いほどだ。アンディは一見いつもと変わらず冷静沈着だが、ものすごく怒っている。
ジョゼが氷人形にたとえる整い過ぎた美貌と怜悧で酷薄な内面からにじみ出る雰囲気だけでも人を威圧するというのに、今は怒りが加わり、いつも以上の迫力だ。
出会った時から苦手だった。
それはジョゼが彼を最も信頼しているからだけではない。
出会いからしばらく経った頃、ジョゼがいない二人きりの時に言われたのだ。
「今度も、あなたが原因で彼女が死んだら前世の苦しみが生温いと思うほどの生き地獄を味わわせて差し上げます」と。
それを言った時のアンディの炯々とした眼光を忘れる事ができない。
前世は人格を否定され人としての尊厳を踏みにじられた人生だった。だから、大抵の事では動じない自信があった。けれど、そんな僕にさえ恐怖を与える凄味が、あの時のアンディにはあったのだ。
「優しい彼女は目の前でトラックに引かれそうな子供がいたら、あなたでなくても命の危険も顧みずに助けたでしょう。あなただから助けた訳じゃない」
アンディに言われるまでもない。
ジョゼは前世の僕に救えなかった姪の面影を見たから助けたのだと言った。
けれど、あの時、目の前でトラックに引かれそうな子供が僕でなかったとしても彼女は助けただろう。命の危険も顧みずに。
「彼女が勝手に、あなたを助けて死んだ。分かっている。それでも前世の彼女の死の原因となったあなたを私は許す事ができない」
そう言いながらアンディが僕がジョゼの傍にいる事を許しているのは、偏にジョゼが僕が自分の傍にいる事を許しているからだ。
アンディが怖いからジョゼに係わるのをやめるという選択肢は最初からなかった。
ジョゼは、彼女は、僕の命だけでなく心も救ってくれた人。
父の「おもちゃ」でしかなかった僕を人間にしてくれた人だ。
せっかく今生で出会えたのに係りをやめるなど、それは僕が僕でなくなるのと同じ事なのだ。
ジョゼの傍にいたければ、アンディの存在も許容しなければならない。ジョゼは絶対にアンディを手放さないからだ。
僕とアンディならジョゼは迷わずアンディを取るだろう。前世で気まぐれに助けたに過ぎない子供と前世から信頼していた人間なら比べるべくもない。
アンディに脅されるまでもない。
僕だって今生まで彼女が自分の命と引き換えに僕を助けるような事態など絶対に嫌だ。
「……国王も国王だ。何だってジョゼの無茶な頼みなど聞くんだ?」
アンディは忌々し気に呟いた。
アンディの発言は国王への不敬だが、この場で、それを気にする人間などいない。皆、口にこそ出さないが彼と同じ事を思っているからだ。
「お嬢様がなさった事は確かに無茶ですが、でもそれは私達を巻き込まないためで」
大の男であっても裸足で逃げ出したくなる今のアンディ相手に、おずおずとだが物申しているのはロザリーだ。普段は控えめな女性だがロザリーは今生の彼女を産んだ母親だ。ジョゼの行動が無茶だとアンディ同様思っていても母として娘を擁護せずにはいられないのだろう。
「そんな事は分かっている」
アンディはロザリーに冷たい一瞥をくれた。
ロザリーは今生の彼女を産んだ母親だが、アンディは前世から彼女と付き合い誰も入り込めないほど深い信頼関係がある。ロザリーに言われるまでもなく彼女がなぜそんな行動に出たのか分かっているのだ。
「アンディ。過ぎた事を悔やんでも仕方ない」
一見冷静だが内心深く憤っているアンディの肩に手を置きなだめているのは、これまた前世から彼やジョゼと付き合いがあるウジェーヌだ。
「では、私達も王宮に」
このまま本当に王宮に向かいそうなアンディにウジェーヌは呆れ顔になった。
「お前らしくないな。このまま王宮に行っても、せいぜいジョゼの盾になって、あいつに殺されるだけだぞ」
ジョゼがたった一人で王宮に行った事、たった一人で「ジョセフ」と対決しようとしている事が、アンディから普段の怜悧さや冷静さを奪っているようだ。
「私が訊くまでもないだろうが、お前達はジョゼのためなら命を棄てられるよな?」
「勿論だ」
「「勿論です」」
ウジェーヌの質問に、僕、リリ、ロザリーは何のためらいもなく頷いた。
「お前達だけでも王宮に行けるように取り計らってやる」
今生の僕の兄、リュシアンはジュール王子の従者なので彼を通して王宮に入り込む事も可能ではあるが、それでは時間がかかる。
ウジェーヌは僕と同じ子爵家の人間だが、前世の知識と天才的な頭脳で王侯貴族相手ですら対等に渡り合えるほどの商売をしている。彼にかかれば面倒な手続きもせずに平民や子爵令息を王宮に行かせるくらい訳ないのだろう。
「アンディと一緒に、あいつを殺せるだろう物を調達してくるから私達が戻るまで命に代えてもジョゼを守れよ」
「……あなた一人では駄目なのか?」
一刻も早くジョゼの元に行きたいアンディとしては、ウジェーヌに付き合わされるのは嫌なのだろう。珍しく表情にも声音にも、その感情が表れている。
「私が戻った時、お前があいつに殺されていたら、せっかく調達した物も意味がなくなるからな」
「……分かりました。お付き合いします」
アンディは仕方なさそうに頷いた。
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