【短編集】或るシングルマザーの憂鬱

ふうこジャスミン

文字の大きさ
16 / 35
【完結話】或るシングルマザーの憂鬱

#16 帰りたい送別会にて

しおりを挟む
今年を締めくくる社内大掃除も、昼までに終わってしまった。
社員一同、一生懸命手際よくやったからというわけではなく、みな適当に手を抜いて、見えるところだけをきれいにしたからである。

思いのほか早く終わってしまったので、夕方から始める予定だった山本さん送別会と野田歓迎会を、繰り上げて昼から始めることになった。

あたしとしては、そのほうがよかった。
早く始めると早く帰れる。

…が、この会社の人たちはノリが良過ぎるのだ。
人目が気にならない社内打ち上げ会なら、際限なく続いてしまうだろう。
途中で抜けるための適当な理由でも考えておかなければ。

今日から保育園が休みなので、実家から母が来てくれて圭吾を見てもらっているが、「保育園のお迎えの時間がきたので」と嘘をついて、17時には退出してしまおう。

会議室では二課の女の子たちが、楽しそうにテーブルセッティングしている。
お酒や食べ物の買出しも、二課の営業の人らが行てくれているので、一課のみんなは特別することもない。

程なくして準備が整い、皆が揃った。

殺風景な会議室の机が淡い水色のテーブルクロスをかけられて華やかに変わっている。
おいしそうなデパ地下のパーティセットやケータリングのお寿司、ワイン、ビール、日本酒などがところ狭しと並べられている。
すでにはしゃいでいる主賓の山本さんの乾杯の音頭で、会は始まった。


「今日は飲まないわ、わたし。デートだし」


三浦さんがローストビーフを摘みながらウフフと笑った。


「デートだからって、帰してくれますかね。こっそり出て行かないと」


「そうだねー。トイレに行くふりして帰るわ。」


三浦さんは財布だけ持って、バッグを下駄箱に隠し、そのときに備えた。

まだ酔っ払ってはいないのに、みんな大盛り上がりで騒ぎ立てている。
鮫島くんは二課の女の子たちと上機嫌におしゃべりしている。
たまにこちらを見て、楽しそうにしている自分を鼻にかけたようにせせら笑う。

野田とキュンキュン・ワールドに行って別れたときに、電話をかけ忘れていたあたしを、鮫島くんはひどく怒っていた。

あの日、あたしのスマホに不在着信が15件入っていて、どれも鮫島くんからの電話だった。
気づいたのは朝の目覚ましアラームを止めたときだった。

次の日、軽く「ごめん、ごめん。忘れていた」と謝ったら、


「こんなに心配していたのに!ぼくの気も知らないで」


と言い残し背を向けて去っていった。
鮫島くんとはそれきり口をきいていない。

野田も、翌日から一課に現れなくなった。

一度週末に、廊下で銀行マンと難しそうな話をしている姿を見たくらいで、丸一日顔を見ない日が続いた。

あたしへのちょっかい出しも、一度社外で会ったら気が済んだのだろう。

興味が薄れたのか、ひっそり成り行きを見守っているのか知らないが、一課の野田フィーバーも鳴りをひそめた。

気にして色々聞いてきたのは三浦さんだけだった。
「圭吾は楽しそうでした」とさめざめ答えると、「期待が外れた」とがっかりして、その話には触れなくなった。

身辺が静かになり、あたしは一安心したのだった。


15時になり、三浦さんがトイレに行くふりで帰りゆく作戦を無事成功させた。
あたしは他に親しく話す人もなく、入れ代わり立ち代わりする隣の席の人の陽気な話に、適当に相槌を打っていた。

「無礼講!」と言って、二課の若い男が上司に頭からお茶をかけている。
上司も怒ることなく、「洗ってくれ、洗い流してくれ、全てをー」などと叫んで、笑いをとっていた。

一課も負けじと始めたのは組体操だった。
タワーや二段ピラミッドを披露して、崩れる際に日本酒の瓶を数本割ってしまい、ひんしゅくをかっていた。
山本さんは両腕をあげて大笑いしている。

そういや、もう一人の主賓である野田を見ない。

どうでもいいけど、とドアに目をやったら、そこに野田が立っていた。

モジモジして、あたしを見ている。

いたのか、と思って目をそらしもう一度見たら、野田の後ろから圭吾の顔がのぞいた。


「圭吾!えっ、どうしたの。なんでここに?」


隣の人の話を遮って、あたしは立ち上がった。
怒られると思ったのか、圭吾は野田の足に抱きつき上目づかいでこちらを見ている。
歩み寄り、圭吾の目線に合わせてしゃがみ込んだ。


「なんで、誰と来たの?ママの会社がここだって、ちゃんとわかっていたの?」


「ばあちゃんときた。おれ、ママのかいしゃ、ちゃんとしっている」


「おばあちゃんとお留守番しておいてね、ってママ言ったよね。なのに、どうして会社に来たのよ。おばあちゃんは?」


「かえった」


圭吾は顔を野田のスラックスにうずめた。
呆れた。
母も母だ。
知らない野田に圭吾を任せて帰っていくなんて。

スマホを取り出し母に電話した。
騒がしい周りの雑音から逃れるため、野田の横をすり抜け廊下に出た。


「あ、もしもし、お母さん。ちょっと、圭吾が来ているんだけど。困るよ、会社に連れてくるなんてさ。しかもあたしじゃなく、他の人に圭吾を託して。もしその人が会社の人じゃなくて、圭吾をどこか放っておいたら、大変なことになるじゃん。他人に圭吾を任せないでよ」


電話がつながるや否や、矢継ぎ早にあたしに言葉を浴びせられた母は、うろたえて弁解してきた。


「わたしも会社に行くなんてダメって何度も言ったのだけど、きかなくて。奥から出てきてくれた男の人のことも、あたしは知らないよ。でも、でも圭吾が言うから」


「は?何を」


「...パパだ、って」


前につんのめってしまった。
圭吾が、なんと、なにを、そんなことを、言ったって?


「それを聞いて、あんたにいい人ができて、それがこの人なんだあと思ってさ。知らなかったよ。良かったねぇ。優しそうな人で圭吾も懐いているし」


母は電話の向こうで感慨深く、良かった良かったと繰り返している。


「冗談じゃない!なにを言っているの圭吾はまったく。違うから。とにかく、違うとだけ言っておくわ。じゃあね」




つづく
しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

処理中です...