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花嫁編

231.家族の思い出

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 時間を少しだけ遡る。
 トウヤとの訓練を終えたイズチは、一足先に訓練場を出て行った。

「ネコマタの様子でも見てくる」

 そう言って向かったのは、訓練場の裏手にある建物だ。
 ネコマタのために新しく建てられた木造建築。
 三階建ての家をくり貫き、大きなネコマタでも跳び回ったり出来るように造ってある。
 入り口はシェルターのようになっていて、ボタン一つで開閉可能。
 ただし、ネコマタは押せないようになっている。
 今のところ人を襲ったりしないが、大きな身体で街を自由に動き回られると、不安になる者たちがいるだろう。
 そういう配慮から、誰かが一緒のとき意外は、この家の中にいるようになっている。
 ちなみに人が入るときは、横手にある人用の入り口を使う。

 トントン

 ノックをして人用の入り口を通ると――

「イズチさん、おはようございます!」

 イズチが見つけるより先に、ロトンが彼に気付いて挨拶をした。
 イズチが目を向けると、子供のネコマタと戯れているロトンがいた。
 親の大きなネコマタは、少し離れた所で伏せている。
 どちらもロトンに気を許している。
 イズチにはまだ、若干の警戒心を残しているようだが……

「おはよう、ロトン」

 イズチが近寄っていく。
 すると、子供のネコマタがロトンの手をすり抜け、親の方へと駆けて行く。
 親ネコマタの腹まで近づいたあと、スリスリと身体を擦り付けてから同じように伏せた。
 その光景を眺めながら、二人はクスリと笑う。

「訓練はもう良いんですか?」

「ああ、一段落ついた所だ」

「そうなんですね。ニーナさんがそちらへ行ったと思いますが」

「来ていたよ。その時に、ロトンが待っているって話もされた」

「そ、そうだったんですね」

 ロトンは恥ずかしそうに顔を赤くする。
 イズチに会いたかったのだろう、ということが表情から明らかだった。
 イズチはそれが微笑ましくて、和むようにホッとした気持ちになる。
 それから二人は、近くにあるベンチへ腰掛けて話し出す。

「今日も朝早くから散歩に行っていたのか?」
 
「はい! さっき戻ってきた所です」

「そうか」

 誰かがいないと外に出られないネコマタを、ロトンは毎朝散歩に連れて行っている。
 早朝のまだ日も昇りきっていない時間帯。
 人通りも少なく、比較的安全と言える時間を選び、二匹を連れている。
 それがここ最近の、ロトンの日課になっていた。

「なぁロトン、毎朝大変じゃないか?」

「そんなことないですよ? 楽しいです」

 ロトンは笑いながらそう答えた。
 無邪気な笑顔からは、嘘は感じられない。

「なら良い。だけど、身体には気をつけるんだぞ?」

「はい! ありがとうございます」

 返事をしたとき、ロトンの尻尾が左右に揺れていた。
 獣人は感情の変化が尻尾の動きに出やすい。
 大人になるにつれ、ある程度はコントロールできるのだが、ロトンはまだ子供だ。
 心配されて嬉しいと言う感情が、尻尾によく出ている。
 本人は無自覚だから、余計に可愛らしいと、イズチも思っていることだろう。
 それからしばらく二人で話していると、不意にロトンの視線がネコマタの親子へ向く。

「幸せそうですねぇ」

「そうだな」

 ネコマタの子供は、親の腹にすっぽりと顔を埋めていた。
 親ネコマタは、子供を包み込むように丸くなる。
 何とも微笑ましい光景だろう。
 ただ時折、ロトンが悲しい目をすることがある。
 このときもそうだった。
 いつも気になりつつも、聞くことが出来なかったイズチだが――

「ロトンは時々、悲しい顔をするよな」

「へっ?」

「もしかして無意識か? あの親子を見ているとき、偶に泣きそうな顔をしているぞ?」

「ほ、本当ですか?」

 イズチはこくりと頷く。
 すると、ロトンは意外そうに驚いていた。
 どうやら本当に無自覚だったようだ。
 それでも心当たりがあったのか、理由をポリツポリツと話し始める。

「たぶん……羨ましかったんだと思います」

 そう言いながら、ロトンはイズチと目を合わせる。

「前に少し話しましたよね? ボクには両親の記憶がありません……顔も名前もわからない。だから、家族との思い出がないんです」

 今度はネコマタの親子へ視線を向ける。
 このときのロトンは、時折見せるのと同じ、悲しい顔をしていた。

「やっぱり……寂しいのか?」

「そんなことないですよ! ウィル様に助けていただいてからは、毎日がとっても楽しいです。皆さん優しくて、暖かい……家族だとも言ってくれました」

 ウィルが言ったのだろう。
 彼は自分に仕えてくれるメイドたちを、心の底から家族だと思っている。
 それはちゃんと、ロトンにも伝わっているようだ。

「でも……時々思っちゃうんです。本当のお父さんとお母さんは、どんな人だったんだろうって」

 子供だからこそ純粋で、遠慮してしまうことがある。
 ロトンの場合は、それが当てはまっている。
 今の生活を心地よいと思いながらも、家族に対する期待を捨てきれない。
 もう会えないと、理解しているつもりでも、やはり寂しいのだろう。

「ご、ごめんなさい! ボク変な話しちゃいましたね」

「いや、そんなことは――」

「ボクは大丈夫です! さぁ、仕事に戻らないと!」

 そう言って、ロトンはピコッと立ち上がった。
 明らかに空元気だとわかったイズチも、慰める言葉しか出てこなくて、何も言えなかった。
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