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第3滑走
Vesti la giubba (衣装をつけろ)②
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音楽が静かに止まり、リンクに拍手が響く。
観客席には、ただ驚きと沈黙の余韻が漂っていた。
彼らが今見たものは、演技というにはあまりにも“むきだし”だった。
──まるで、心が剥がれてしまったように。
ヤンはリンクの中央で一礼し、背筋を伸ばしたまま、キス&クライに向かって歩いていった。
ステップも、スピンも、ジャンプも、すべてこなしたはずなのに、
自分でも何を滑ったのか、よくわからなかった。
ただ……胸の奥に、ぽっかりと穴が開いたような静けさだけが残っていた。
キス&クライの椅子に腰掛け、
ルイがとなりに無言で座る。
やがて、スクリーンに数字が表示される。
技術点(TES): 48.65
構成点(PCS): 44.10
減点: 0
合計: 92.75
──自己ベスト更新。
会場から、再び大きな拍手が湧いた。
けれど、ヤンは驚くでも、誇るでもなかった。
ただ、自分が「ちゃんと滑れた」とわかったことが、少しだけ救いだった。
ルイがそっと口を開く。
「……よく、やったな」
その声に、ヤンは少し目を伏せて、無言で頷いた。
⸻
控室。
スケート靴を脱ぎ、タオルで汗を拭いていたヤンの前に、ひょこっと姿を現したのは――エリーだった。
手には、水のボトル。
「……お疲れさま」
「……ありがとう」
エリーは少しだけ息を飲み込んでから、口を開く。
「さっきの……すごかった。びっくりした」
「……そう?」
ヤンは笑おうとしたが、表情がうまく作れなかった。
「なんか……本当に、舞台を観てるみたいだった」
「悲しいのに、笑ってて。でも、目が全然笑ってなくて……あれ、演技、なんだよね?」
ヤンは少し視線を逸らし、苦笑した。
「演技……だったんだと思う」
「でも……もしかしたら、ほんとに、ちょっとカニオみたいになってたのかもしれない」
「カニオ?」
「『道化師』の主人公。……嫉妬して、怒って、泣いて、でも笑わなきゃいけなくて……」
エリーが、そっと口元に手を当てた。
何かを言いかけて、けれどすぐには続かなかった。
「……ヤンって、そういう気持ちも、演技にできちゃうんだね」
「……できちゃうっていうか、出ちゃったっていうか」
思わず漏らした言葉に、エリーがくすっと笑った。
「うん。でも、すごく伝わってたよ。」
不意に照れくさくなって、ヤンは視線をそらす。
少しだけ静かになった空気の中で、
二人の距離は、ほんの少しだけ近づいた。
⸻
一方、その様子を別の場所から見ていた男がいた。
ヴォルフィーは、廊下の柱にもたれたまま、腕を組みながら小さく笑っていた。
「……いいじゃん、ヤン」
誰に言うでもなく、ひとりごとのようにそう呟いた。
「そういう顔、できるんだな。
俺の前じゃ、ずっと仮面つけてたのに」
そして、ふっと目を細める。
「さて……次は俺の番か。
“道化”の後に笑わせられる奴が、どれだけいるかな」
氷の上では誰にも負けない――そう信じていた。
けれど今日ばかりは、あの演技に、ほんの少しだけ、心を動かされた。
ヴォルフィーはゆっくりと背を離し、次の準備へと向かった。
その背中には、勝負師としての気迫がにじんでいた。
──本当の戦いは、ここからだ。
観客席には、ただ驚きと沈黙の余韻が漂っていた。
彼らが今見たものは、演技というにはあまりにも“むきだし”だった。
──まるで、心が剥がれてしまったように。
ヤンはリンクの中央で一礼し、背筋を伸ばしたまま、キス&クライに向かって歩いていった。
ステップも、スピンも、ジャンプも、すべてこなしたはずなのに、
自分でも何を滑ったのか、よくわからなかった。
ただ……胸の奥に、ぽっかりと穴が開いたような静けさだけが残っていた。
キス&クライの椅子に腰掛け、
ルイがとなりに無言で座る。
やがて、スクリーンに数字が表示される。
技術点(TES): 48.65
構成点(PCS): 44.10
減点: 0
合計: 92.75
──自己ベスト更新。
会場から、再び大きな拍手が湧いた。
けれど、ヤンは驚くでも、誇るでもなかった。
ただ、自分が「ちゃんと滑れた」とわかったことが、少しだけ救いだった。
ルイがそっと口を開く。
「……よく、やったな」
その声に、ヤンは少し目を伏せて、無言で頷いた。
⸻
控室。
スケート靴を脱ぎ、タオルで汗を拭いていたヤンの前に、ひょこっと姿を現したのは――エリーだった。
手には、水のボトル。
「……お疲れさま」
「……ありがとう」
エリーは少しだけ息を飲み込んでから、口を開く。
「さっきの……すごかった。びっくりした」
「……そう?」
ヤンは笑おうとしたが、表情がうまく作れなかった。
「なんか……本当に、舞台を観てるみたいだった」
「悲しいのに、笑ってて。でも、目が全然笑ってなくて……あれ、演技、なんだよね?」
ヤンは少し視線を逸らし、苦笑した。
「演技……だったんだと思う」
「でも……もしかしたら、ほんとに、ちょっとカニオみたいになってたのかもしれない」
「カニオ?」
「『道化師』の主人公。……嫉妬して、怒って、泣いて、でも笑わなきゃいけなくて……」
エリーが、そっと口元に手を当てた。
何かを言いかけて、けれどすぐには続かなかった。
「……ヤンって、そういう気持ちも、演技にできちゃうんだね」
「……できちゃうっていうか、出ちゃったっていうか」
思わず漏らした言葉に、エリーがくすっと笑った。
「うん。でも、すごく伝わってたよ。」
不意に照れくさくなって、ヤンは視線をそらす。
少しだけ静かになった空気の中で、
二人の距離は、ほんの少しだけ近づいた。
⸻
一方、その様子を別の場所から見ていた男がいた。
ヴォルフィーは、廊下の柱にもたれたまま、腕を組みながら小さく笑っていた。
「……いいじゃん、ヤン」
誰に言うでもなく、ひとりごとのようにそう呟いた。
「そういう顔、できるんだな。
俺の前じゃ、ずっと仮面つけてたのに」
そして、ふっと目を細める。
「さて……次は俺の番か。
“道化”の後に笑わせられる奴が、どれだけいるかな」
氷の上では誰にも負けない――そう信じていた。
けれど今日ばかりは、あの演技に、ほんの少しだけ、心を動かされた。
ヴォルフィーはゆっくりと背を離し、次の準備へと向かった。
その背中には、勝負師としての気迫がにじんでいた。
──本当の戦いは、ここからだ。
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