偽りの道化師(パリアッチ)

あや

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エキシビション

24の奇想曲24番(ヴォルフィーEX)

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大会後のエキシビション。
リンクの上には、スポットライトと観客のざわめき。
だが、舞台裏の空気は、少し緊張していた。

 

「本当に、生演奏に合わせて滑るつもりですか?」
レメーニは、譜面を抱えたままヴォルフィーに尋ねた。
言葉は丁寧でも、その声色にはほんのわずかに不安が混じっていた。

「逆だろ? 演奏が俺に合わせてくれるんだよな?」 
「…………」
「冗談だって、ちゃんと合わせるよ」
にやりと笑ったヴォルフィーの顔には、いつも通りの余裕しかない。


レメーニは小さくため息をつくと、静かに言葉を重ねた。
「テンポは固定でお願いしますね。これは、即興ではありませんので」

「わかってるって」
軽く手をひらひらさせるヴォルフィー。その笑顔は、信用ならない。

 

そして、本番当日――

 

客席の照明が落ち、スポットライトが差した。
リンクサイドの暗がりから、レメーニが現れる。
黒のスーツに白いシャツ、胸元のボタンは控えめに開いている。
静かにヴァイオリンを構えると、あの旋律が――始まった。

パガニーニ《24の奇想曲》第24番。
観客の呼吸が止まったような一瞬の静寂。
その中、レメーニの指が舞い、音が跳ねる。

 

そして氷上に、ヴォルフィーが現れた。
どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ゆっくりとリンクを滑り出す。
その滑り出しは美しく、音と完璧にシンクロしていた。
レメーニも胸の内で安堵する。

「よし、この調子なら……」

 

……だが、その安堵は、長くは続かなかった。

 

変奏4に入ったあたりで、ヴォルフィーが予定にない助走を始めた。
そして――跳んだ。
予告もなく、タイミングも無視して、リンク中央でいきなりの4回転。

「……今、どこを滑ってるんですか……?」
思わずレメーニは演奏しながら目線を上げる。
氷上では、ヴォルフィーがドヤ顔でステップを刻み、スピンまで繰り出していた。
テンポは……完全に予定より早い。

「……もう、合わせるしか……っ」

 

レメーニの弓が跳ねる。
超絶技巧の早回しモードに突入。
左手ピチカート、重音、フラジオレット――何もかもフル稼働。

(ここまでテンポが変わるとは……まるで即興曲だ……)

 

そして迎えたラスト。
ヴォルフィーはスピンを決めたまま、最後に観客席に向かって投げキス。
氷上の彼の足が止まるのと、
ヴァイオリンの最後の音が伸びきるのが、ぴたりと同時だった。

 

――会場、大歓声。

「すごい!!」
「一糸乱れぬ共演だ……!!」

 

カーテンコール。
汗を滲ませながらも、レメーニはスーツの裾を直し、にこりと微笑んだ。
ヴォルフィーは隣で満面の笑み。

「な? ノリでいけるもんだろ?」

「……ええ。最高のスリルでしたよ」
口調はあくまで穏やかだったが、その視線は一切笑っていなかった。
むしろ、ほんの少しだけ弓の先で肩を突かれそうな気配すらあった。

 

そして、舞台裏。

廊下の空気がひんやりしている。
ヤンが遠くから様子をうかがうと、壁際でレメーニとヴォルフィーが向かい合っていた。

声は――ほとんど聞こえない。
だが、その低いトーンと、微動だにしないレメーニの視線だけで、
ただ事ではないと分かる。

 

ヴォルフィーが何か言い訳をしたらしい。
レメーニはわずかに眉を動かし、淡々と短い言葉を返す。
その一語一語が、氷の上を渡る風のように冷たく鋭い。

 

ヤンは思わず背筋を伸ばした。
(……内容は全然聞こえないけど……あれは怖い……)

数メートル離れた場所でさえ、二人の間に漂う張り詰めた空気が肌を刺すようだ。

 

やがて、ヴォルフィーが小さくうなずき、会話は終わった。
レメーニは何事もなかったかのように歩き去っていく。



しばらくして、控室。

「……大丈夫? 怒られてたね」
ヤンが話しかける。

「…まあな」
ヴォルフィーは肩をすくめたあと、ふっと笑った。

「でも、あの人……最後に“また弾いてもいい”って言ってたんだよな」

「レメーニさん、優しすぎるよ…」
ヤンは苦笑した。

 
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