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第21話 ざわめきの理由
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一面に、空木の花。
入り口から一歩足をふみ入れると、華やかな木製の衝立が視界に飛び込むことだろう。
これは、訪問者と室のあるじをへだてるパーテーション。
じつはこの衝立、表側からは白い小花柄の置物にしか見えないが、その裏側からは向こう側をうかがうことができる、特殊な透かし彫りのほどこされた一品なのだそうだ。
「人魚さま……お、お夕食の支度がととのいました」
衝立の裏側から、入り口のほうを観察する。
ノック後に室へ入ってきたのは、赤茶色の髪をうしろでひとつに束ねた少女だった。
僕よりちょっと年上、十代後半くらいだろうか。もちろん知らない、見慣れないひとだ。
「あなたは……?」
「し、失礼しました! アル、とお呼びください……! 旦那さまから人魚さまのお世話をおおせつかりまして、お食事のご案内をと……」
アルさん、か……そっと話しかけたつもりなんだけど、びくぅっ! と肩を跳ねさせたかと思えば、うつむいちゃって。
そんなに恐縮されると、僕も反応に困っちゃうんですが。
「あの、僕のことは気にしないでください。ひとりお世話係をつけてもらえてるだけで、ありがたいですし」
「…………はっ?」
ぽかんと口をあけ、固まった一瞬後のこと。
なんと、ものすごい形相でダッと駆け出したアルさんが、衝立の向こうから回り込んでくるではないか。
「わわっ……! ど、どうしたんですか?」
なんの断りもなく、ほんとうに突然のことだった。
寝台に腰かけて縮こまる僕……ではなく、僕と向かい合った小麦色の髪の少年を食い入るように見つめる彼女は、みるみるうちに顔を茹で上がらせていく。
「なんであんたがここにいるのよ、スー!」
パァンッ、と乾いた音が響きわたり、頭上にかかる影が、視界からはじき飛ばされる。
よろめきながらも、ふみとどまる麦。
その左ほほは、赤く腫れあがっていて。アルさんから平手打ちを食らったのだと、遅れて理解した。
「また逃げ出して、いなくなったと思ったら人魚さまのお世話係ですって? フン、さぞかしそのずる賢い頭を使って媚を売ったんでしょうね! どう? わたしの役目を奪った気分は!」
「……」
「あぁ……まただわ、その目、他人をなんとも思ってない目!」
金切り声をあげて発狂するアルさんとは対照的に、麦は一切取り乱さない。
鼈甲飴色の瞳には光がなく、無感情に、アルさんを見つめている。
彼は、僕の知っている麦なんだろうか。
瞳をキラキラとかがやかせ、人懐っこく甘えてくれていた、あの麦なんだろうか。
「なんであんたのせいで、わたしがみじめな思いをしなくちゃならないの!? いい加減にしてよ!」
「待ってください、アルさん……」
「この疫病神ッ! 不吉で卑しい『四番目』ッ!!」
「アルさんっ!」
泣き叫ぶアルさん。ふり上げられた右手。
麦は押し黙ったまま、身じろぎひとつしない。
「麦ッ!!」
とっさのことだった。
気づいたら、からだが動いていた。
アルさんと麦のあいだに、夢中で割り込む。
「──っ!」
驚愕に見ひらかれる鼈甲飴色の瞳。
逃げようとしない麦を抱きしめて、きつく目をつむる。
……けれど、いつまでたっても、覚悟した痛みはやってこなかった。
そろそろ、とまぶたを押し上げて、ふり返る。
「申し訳ありません、お嬢さん。人魚さまを傷つけられては、ワタシの面目が立ちませんのでねェ」
麦をかばった僕の背後では、松君さんがアルさんの右手首をつかみ、拘束しているところだった。
そこでようやく、呆けたようなアルさんが「あっ!」と声をあげる。
「わ、わたし……あの、ごめんなさっ……!」
「おや、何事ですか?」
「……ひゃッ!」
あわあわと弁明をこころみるアルさんだったけど、ふいにきこえた声音に、過剰なほど肩をビクつかせた。
声のぬしは、氾さんだ。いつの間に室へ入ってきたんだろうか。うしろには艶麗さんのすがたもある。
「ようやく外出先での用事がおわり、人魚さまとお食事でも、と足早に帰ってきたのですが、扉があいたままで……これはどういった状況でしょうか?」
「ち、ちがうんです旦那さま! わたしは!」
「アル。説明を」
「っ……あ……ぅ」
氾さんに視線を向けられたアルさんは、とたんに顔面蒼白になる。口はぱくぱくと開閉するだけで、ろれつはろくに回っていない。
緊張の一瞬。
「これはこれは氾さま! お帰りなさいませ。ごらんのとおり組み手ごっこをしていたところなのですが、それがなにか?」
沈黙をやぶったのは、陽気な松君さんのひと言だった。
「組み手ごっこ、ですか?」
「えぇ、えぇ! このところ雨続きで、お外で駆け回ることもできませんでしたからねェ。うずうずしていた少年少女らが、取っ組み合いのじゃれあいを始めたのですよ」
満面の笑みでつむがれる言葉は、すらすらと淀みがない。
「いやはや、若いっていいですねェ。ほほ笑ましいのなんの。ワタシも年甲斐なくついつい参加してしまいました」
「ネ?」と松君さんに笑いかけられたアルさんが、拘束された手をはじかれたように引っ込め、うつむいた。
「氾さま、こどものたわむれです。なにを案ずることがございましょうや」
それまで静観していた艶麗さんのひと言が、トドメだった。
「よろしい。アル、もう下がりなさい」
これ以上の追及は必要なしと判断したのか。氾さんはそう告げると、一変して、にこり。
「では、おまえが人魚さまのお食事のお世話をするように。さぁ支度なさい、スー」
商人らしい和やかな笑みが向けられた先は、麦。
「…………」
麦はおもむろに、僕をふり返る。
ふい、と氾さんから逸らされた鼈甲飴色のまなざしが、僕を、僕だけを見つめていて。
──すぐに、もどるね。
ぎゅ、と手をにぎった麦が、そう語りかけてきたような気がした。
麦の長いまつげが伏せられ、名残惜しげに離される指先。
「……麦……」
足早に駆け出す背中を見つめながら、理由のわからない胸のざわめきに、僕は困惑するだけだった。
入り口から一歩足をふみ入れると、華やかな木製の衝立が視界に飛び込むことだろう。
これは、訪問者と室のあるじをへだてるパーテーション。
じつはこの衝立、表側からは白い小花柄の置物にしか見えないが、その裏側からは向こう側をうかがうことができる、特殊な透かし彫りのほどこされた一品なのだそうだ。
「人魚さま……お、お夕食の支度がととのいました」
衝立の裏側から、入り口のほうを観察する。
ノック後に室へ入ってきたのは、赤茶色の髪をうしろでひとつに束ねた少女だった。
僕よりちょっと年上、十代後半くらいだろうか。もちろん知らない、見慣れないひとだ。
「あなたは……?」
「し、失礼しました! アル、とお呼びください……! 旦那さまから人魚さまのお世話をおおせつかりまして、お食事のご案内をと……」
アルさん、か……そっと話しかけたつもりなんだけど、びくぅっ! と肩を跳ねさせたかと思えば、うつむいちゃって。
そんなに恐縮されると、僕も反応に困っちゃうんですが。
「あの、僕のことは気にしないでください。ひとりお世話係をつけてもらえてるだけで、ありがたいですし」
「…………はっ?」
ぽかんと口をあけ、固まった一瞬後のこと。
なんと、ものすごい形相でダッと駆け出したアルさんが、衝立の向こうから回り込んでくるではないか。
「わわっ……! ど、どうしたんですか?」
なんの断りもなく、ほんとうに突然のことだった。
寝台に腰かけて縮こまる僕……ではなく、僕と向かい合った小麦色の髪の少年を食い入るように見つめる彼女は、みるみるうちに顔を茹で上がらせていく。
「なんであんたがここにいるのよ、スー!」
パァンッ、と乾いた音が響きわたり、頭上にかかる影が、視界からはじき飛ばされる。
よろめきながらも、ふみとどまる麦。
その左ほほは、赤く腫れあがっていて。アルさんから平手打ちを食らったのだと、遅れて理解した。
「また逃げ出して、いなくなったと思ったら人魚さまのお世話係ですって? フン、さぞかしそのずる賢い頭を使って媚を売ったんでしょうね! どう? わたしの役目を奪った気分は!」
「……」
「あぁ……まただわ、その目、他人をなんとも思ってない目!」
金切り声をあげて発狂するアルさんとは対照的に、麦は一切取り乱さない。
鼈甲飴色の瞳には光がなく、無感情に、アルさんを見つめている。
彼は、僕の知っている麦なんだろうか。
瞳をキラキラとかがやかせ、人懐っこく甘えてくれていた、あの麦なんだろうか。
「なんであんたのせいで、わたしがみじめな思いをしなくちゃならないの!? いい加減にしてよ!」
「待ってください、アルさん……」
「この疫病神ッ! 不吉で卑しい『四番目』ッ!!」
「アルさんっ!」
泣き叫ぶアルさん。ふり上げられた右手。
麦は押し黙ったまま、身じろぎひとつしない。
「麦ッ!!」
とっさのことだった。
気づいたら、からだが動いていた。
アルさんと麦のあいだに、夢中で割り込む。
「──っ!」
驚愕に見ひらかれる鼈甲飴色の瞳。
逃げようとしない麦を抱きしめて、きつく目をつむる。
……けれど、いつまでたっても、覚悟した痛みはやってこなかった。
そろそろ、とまぶたを押し上げて、ふり返る。
「申し訳ありません、お嬢さん。人魚さまを傷つけられては、ワタシの面目が立ちませんのでねェ」
麦をかばった僕の背後では、松君さんがアルさんの右手首をつかみ、拘束しているところだった。
そこでようやく、呆けたようなアルさんが「あっ!」と声をあげる。
「わ、わたし……あの、ごめんなさっ……!」
「おや、何事ですか?」
「……ひゃッ!」
あわあわと弁明をこころみるアルさんだったけど、ふいにきこえた声音に、過剰なほど肩をビクつかせた。
声のぬしは、氾さんだ。いつの間に室へ入ってきたんだろうか。うしろには艶麗さんのすがたもある。
「ようやく外出先での用事がおわり、人魚さまとお食事でも、と足早に帰ってきたのですが、扉があいたままで……これはどういった状況でしょうか?」
「ち、ちがうんです旦那さま! わたしは!」
「アル。説明を」
「っ……あ……ぅ」
氾さんに視線を向けられたアルさんは、とたんに顔面蒼白になる。口はぱくぱくと開閉するだけで、ろれつはろくに回っていない。
緊張の一瞬。
「これはこれは氾さま! お帰りなさいませ。ごらんのとおり組み手ごっこをしていたところなのですが、それがなにか?」
沈黙をやぶったのは、陽気な松君さんのひと言だった。
「組み手ごっこ、ですか?」
「えぇ、えぇ! このところ雨続きで、お外で駆け回ることもできませんでしたからねェ。うずうずしていた少年少女らが、取っ組み合いのじゃれあいを始めたのですよ」
満面の笑みでつむがれる言葉は、すらすらと淀みがない。
「いやはや、若いっていいですねェ。ほほ笑ましいのなんの。ワタシも年甲斐なくついつい参加してしまいました」
「ネ?」と松君さんに笑いかけられたアルさんが、拘束された手をはじかれたように引っ込め、うつむいた。
「氾さま、こどものたわむれです。なにを案ずることがございましょうや」
それまで静観していた艶麗さんのひと言が、トドメだった。
「よろしい。アル、もう下がりなさい」
これ以上の追及は必要なしと判断したのか。氾さんはそう告げると、一変して、にこり。
「では、おまえが人魚さまのお食事のお世話をするように。さぁ支度なさい、スー」
商人らしい和やかな笑みが向けられた先は、麦。
「…………」
麦はおもむろに、僕をふり返る。
ふい、と氾さんから逸らされた鼈甲飴色のまなざしが、僕を、僕だけを見つめていて。
──すぐに、もどるね。
ぎゅ、と手をにぎった麦が、そう語りかけてきたような気がした。
麦の長いまつげが伏せられ、名残惜しげに離される指先。
「……麦……」
足早に駆け出す背中を見つめながら、理由のわからない胸のざわめきに、僕は困惑するだけだった。
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