17 / 70
本編
*16* 瑠璃唐草の花吹雪
しおりを挟む
嵐のようなモネちゃんが過ぎ去り、何とも言えない沈黙を破ったのは、肩をすくめたヴィオさんの嘆息だ。
「改めて、謝罪に伺わせます」
「あっ、お気遣いなくー」
あたしのところへ押しかけるだけ押しかけて名乗らずに去って行ったモネちゃんに、ヴィオさんはたいそうお怒りらしい。美人が怒るとガチで怖い。
「綺麗なヴィオさんには笑顔が一番ですよっ! はい、にーっ!」
包み込んだ両頬を揉みほぐしてみた。
そうしたら、いつかのブタコウモリを一刀両断したときみたいに殺気立っていたヴィオさんの表情が、ふわり、嘘みたいに笑顔をほころばせる。
「おおせのままに。ネモも、顔を上げなさい」
「でも、でも……」
「いいから。それがセリ様のお望みだ」
ヴィオさんに背を支えられるようにして、やっと上体を起こすネモちゃん。
ぐしゃぐしゃな瑠璃空の前髪から覗いたペリドットには、水の膜が張ってる。
ぷっくりと目尻にふくらんだ雫が、まばたきの度に今にもこぼれ落ちてしまいそう。
思わず伸ばしかけた手を引っ込める。
へらりと笑って誤魔化そうとして、物憂げに伏せられる濡れたペリドットに、手遅れであることを悟った。
「……昔から、力の加減が上手くできないんです。ふれられるのは、決して嫌じゃない。でも……私がふれると、あなたが怪我をしてしまうかもしれないから……」
華奢な腕からは想像もできない怪力。ネモちゃんが吐露しているのは、彼女自身の体質のこと。
「……目を隠すんです。見たりしなきゃ、鼓動が乱れることもない。だけど見てしまったら……目と目が合ってしまったら、恥ずかしくて、恥ずかしくて、制御がきかなくなる……あなたみたいな人を簡単に壊してしまう、破壊兵器になってしまうんです」
「……そっか」
長らく思い悩んでいたことなんだろう。ネモちゃんの言い分は最もだ。そして、ごめん。
「ネモちゃんは、ネモちゃんでしょ」
俯いた少女がびくりと肩を揺らす。知ったことか。
何も知らない部外者だけど、傲慢にも、反論させてもらおう。
「忘れちゃった? 言ったでしょ、『お話しできて、よかった』って。ネモちゃんがいい子なのは初対面でバレてるので、後から色々言われたって関係ないですから!」
所詮は部外者の戯言だ。全部を受け止める必要もないから。
言いたいことは、それだけ。
「てか、これでも毎日地道に走り込みしてたのよ? それでも一発KOされたあたしがひ弱なせいじゃない?」
「うふふっ」
「え、なんですかリアンさん」
「ネモは、ヴィオに次ぐウィンローズ騎士団の実力者なんですよ」
「そうなんだ!? そういや副団長だって聞いた気もするわ! すごいね!」
「そうなの。ネモの一撃を受けてへっちゃらだったら、あなたは岩でできたゴーレムだって素手で倒せちゃうわよ、セリ」
「なるほど、天才瓦割り少女みたいなもんか……」
ヴィオさんといいリアンさんといい、ここにはつくづく優秀な人材が当たり前のようにいるな。尊敬の念しかない。
相対的にモネちゃんへの親近感が増した。
いや待て、ああ見えてお姉ちゃんたち同様、とんでもない実力の持ち主なのかもしれない。たぶん……おそらく……メイビー。
「ネモちゃん」
「っ……は、い」
「つまるところはさ、ネモちゃんが思うより、あたしは気にしてないってことだよ。熱烈ハグされて、嬉しくなりはしてもね」
嫌じゃない──その言葉を、あたしも信じてみる。
指を伸ばし、瑠璃空色にふれる。ぐしゃぐしゃに絡んだ髪も、何度か梳くうちに凝り固まったわだかまりをさらりとほどけさせた。
ぱちり。呆けたようなまばたきに、ペリドットからひと雫が伝い落ちた。
それを、女の子らしくふっくらと丸みを帯びたやわらかい頬で、指の背に拭い取る。
それから心音の速度で、瑠璃空のてっぺんに拍子を刻んだ。
「……はーち、きゅーう、じゅーう」
「あの……?」
「10秒。最高記録更新だね。っはは、そんなに見つめられたら、照れちゃうなぁ」
見開かれたペリドットの煌めきが、にじんだ雫に乱反射する。
突風が吹き抜けたような気がした。
でも閉ざされた窓は、ガラス越しに朝陽を受け入れるばかり。
首をひねって向き直ったあたしは、次の瞬間、信じられない光景を目の当たりにした。
パンッとくす玉を割ったみたいに、突然の紙吹雪に見舞われたんだ。
いや……紙吹雪じゃない。視界を一色に染め上げる、晴れた日の空の色をしたこれは。
「……ネモフィラ?」
可憐な青い小花。鮮やかな瑠璃唐草。
作り物じゃない、本物だ。無数の花吹雪が、どういうわけか頭上から絶え間なく降り注いでいる。
「あらあら、ネモったら。これはお掃除のし甲斐がありますわね、うふふ」
青の花弁に埋もれながら拾ったリアンさんの声音は、嘆息するような口調とは裏腹に微笑ましげだったろうか。
「ごめんなさい、どうしたらいいの、止められないの……ごめんなさい……うっ、ひくっ……」
「だだだ大丈夫ネモちゃん!?」
上ずった嗚咽が聞こえ始め、脊髄反射でベッドを飛び降りた。
ネモフィラの花吹雪を掻き分け、カーペットに座り込んだ女の子を探し出すと、華奢な肩をつかむ。
そしたら、視界を埋め尽くす花びらがいっそう舞い狂うという。
「ほんとどうしちゃったの!? ヴィオさん、リアンさん、オリーヴ! ネモちゃんの様子がおかしいんですけど!?」
「ふふっ、それはまぁ」
「セリ様のせいと言いますか」
「というかセリのせいね」
「あたしのせいなの!?」
なんてこった。みんな口をそろえる上に、全然手を貸してくれない。こっちは何が何だかなんですけど!?
「ねぇ具合でも悪いの? 大丈夫?」
「……だいじょうぶじゃ、ない、ですぅ……」
「だよね、手品じゃないよねこのお花。こんなに乱発しちゃダメなんじゃない!?」
「だって、だって……止められないんだもん~!」
あたしもばかじゃないから、どこからともなく現れたこのネモフィラが、ネモちゃんの魔法によるものだってことくらいわかるよ。
もしかしなくても、パニックで魔力が暴走しちゃってる。
一刻も早く止めなきゃなのに、肝心のお母様やお姉様方は何も口出しをしてこないという。
「ごめんなさい、ネモが馬鹿力で馬鹿魔力で不器用なのろまだから……っ」
「そんなことないよ! ネモちゃんいい子! めっっっちゃいい子! 目に入れても痛くないくらい!」
「うそだぁ! 目に入れたら痛いもん~!」
「身も蓋もないマジレス!!」
こんなに必死でフォローするのははじめてかもしれない。
励まそうとして、余計号泣させてしまった。比例して花吹雪量も増える。
待って、呼吸ができなくなってきた……
えぐえぐと泣きじゃくるネモちゃんの背をさすりながら、途方に暮れる。
「どうしよっかな……あたし、何してあげたらいい?」
「ひくっ…………じゃ………なら……」
「え、なに?」
「ぐすっ……なら…………て……さい……」
「ごめんネモちゃん、もうひと息!」
「……ネモのこと、きらいじゃ、ないなら……ぎゅってして、ください……っ!」
「よしきた! これでオッケー!?」
「きゃあああぁあああ!!!」
「あぶぶぶ……いき、いきできな……」
言われるがままにぎゅっとハグしたら、もはや悲鳴のような絶叫が響き渡る。
決死の覚悟で花吹雪の中へ突っ込んだあたしは、そのまま飲み込まれてしまった。
「……き……」
そうした混乱の最中だった。
「好き……すきすきすきすき……」
何やらこれまでと様子が違うぞと、気がついたのは。
「ちっちゃくてかわいい、お人形さんみたい……やわらかくてあったかい……おひさまの香りがする……」
「あの……」
「すき……セリさま、すきぃ……」
「ぐえ……」
次第に、花吹雪は鳴りをひそめる。その代わりにあたしを抱き返した細腕の拘束は強く、熱に浮かされたような少女の声が近くなる。
「もっとネモのこと、見てください……もっとぎゅっとしてください」
朱に染まった頬が、あたしのそれに繰り返し擦り寄せられる。
「ん……ずっと、こうしていたいなぁ」
思考停止してしまったあたしを、ほぼゼロ距離で覗き込むペリドット。
瑠璃唐草に埋め尽くされた部屋で、あたしと彼女しかいないような錯覚に陥ってしまう。
「だいすき……」
一音一音を噛みしめるようにそっと言葉を紡いだ少女は、雨上がりのように晴れやかな笑顔であたしを抱きしめて、離そうとはしなかった。
「改めて、謝罪に伺わせます」
「あっ、お気遣いなくー」
あたしのところへ押しかけるだけ押しかけて名乗らずに去って行ったモネちゃんに、ヴィオさんはたいそうお怒りらしい。美人が怒るとガチで怖い。
「綺麗なヴィオさんには笑顔が一番ですよっ! はい、にーっ!」
包み込んだ両頬を揉みほぐしてみた。
そうしたら、いつかのブタコウモリを一刀両断したときみたいに殺気立っていたヴィオさんの表情が、ふわり、嘘みたいに笑顔をほころばせる。
「おおせのままに。ネモも、顔を上げなさい」
「でも、でも……」
「いいから。それがセリ様のお望みだ」
ヴィオさんに背を支えられるようにして、やっと上体を起こすネモちゃん。
ぐしゃぐしゃな瑠璃空の前髪から覗いたペリドットには、水の膜が張ってる。
ぷっくりと目尻にふくらんだ雫が、まばたきの度に今にもこぼれ落ちてしまいそう。
思わず伸ばしかけた手を引っ込める。
へらりと笑って誤魔化そうとして、物憂げに伏せられる濡れたペリドットに、手遅れであることを悟った。
「……昔から、力の加減が上手くできないんです。ふれられるのは、決して嫌じゃない。でも……私がふれると、あなたが怪我をしてしまうかもしれないから……」
華奢な腕からは想像もできない怪力。ネモちゃんが吐露しているのは、彼女自身の体質のこと。
「……目を隠すんです。見たりしなきゃ、鼓動が乱れることもない。だけど見てしまったら……目と目が合ってしまったら、恥ずかしくて、恥ずかしくて、制御がきかなくなる……あなたみたいな人を簡単に壊してしまう、破壊兵器になってしまうんです」
「……そっか」
長らく思い悩んでいたことなんだろう。ネモちゃんの言い分は最もだ。そして、ごめん。
「ネモちゃんは、ネモちゃんでしょ」
俯いた少女がびくりと肩を揺らす。知ったことか。
何も知らない部外者だけど、傲慢にも、反論させてもらおう。
「忘れちゃった? 言ったでしょ、『お話しできて、よかった』って。ネモちゃんがいい子なのは初対面でバレてるので、後から色々言われたって関係ないですから!」
所詮は部外者の戯言だ。全部を受け止める必要もないから。
言いたいことは、それだけ。
「てか、これでも毎日地道に走り込みしてたのよ? それでも一発KOされたあたしがひ弱なせいじゃない?」
「うふふっ」
「え、なんですかリアンさん」
「ネモは、ヴィオに次ぐウィンローズ騎士団の実力者なんですよ」
「そうなんだ!? そういや副団長だって聞いた気もするわ! すごいね!」
「そうなの。ネモの一撃を受けてへっちゃらだったら、あなたは岩でできたゴーレムだって素手で倒せちゃうわよ、セリ」
「なるほど、天才瓦割り少女みたいなもんか……」
ヴィオさんといいリアンさんといい、ここにはつくづく優秀な人材が当たり前のようにいるな。尊敬の念しかない。
相対的にモネちゃんへの親近感が増した。
いや待て、ああ見えてお姉ちゃんたち同様、とんでもない実力の持ち主なのかもしれない。たぶん……おそらく……メイビー。
「ネモちゃん」
「っ……は、い」
「つまるところはさ、ネモちゃんが思うより、あたしは気にしてないってことだよ。熱烈ハグされて、嬉しくなりはしてもね」
嫌じゃない──その言葉を、あたしも信じてみる。
指を伸ばし、瑠璃空色にふれる。ぐしゃぐしゃに絡んだ髪も、何度か梳くうちに凝り固まったわだかまりをさらりとほどけさせた。
ぱちり。呆けたようなまばたきに、ペリドットからひと雫が伝い落ちた。
それを、女の子らしくふっくらと丸みを帯びたやわらかい頬で、指の背に拭い取る。
それから心音の速度で、瑠璃空のてっぺんに拍子を刻んだ。
「……はーち、きゅーう、じゅーう」
「あの……?」
「10秒。最高記録更新だね。っはは、そんなに見つめられたら、照れちゃうなぁ」
見開かれたペリドットの煌めきが、にじんだ雫に乱反射する。
突風が吹き抜けたような気がした。
でも閉ざされた窓は、ガラス越しに朝陽を受け入れるばかり。
首をひねって向き直ったあたしは、次の瞬間、信じられない光景を目の当たりにした。
パンッとくす玉を割ったみたいに、突然の紙吹雪に見舞われたんだ。
いや……紙吹雪じゃない。視界を一色に染め上げる、晴れた日の空の色をしたこれは。
「……ネモフィラ?」
可憐な青い小花。鮮やかな瑠璃唐草。
作り物じゃない、本物だ。無数の花吹雪が、どういうわけか頭上から絶え間なく降り注いでいる。
「あらあら、ネモったら。これはお掃除のし甲斐がありますわね、うふふ」
青の花弁に埋もれながら拾ったリアンさんの声音は、嘆息するような口調とは裏腹に微笑ましげだったろうか。
「ごめんなさい、どうしたらいいの、止められないの……ごめんなさい……うっ、ひくっ……」
「だだだ大丈夫ネモちゃん!?」
上ずった嗚咽が聞こえ始め、脊髄反射でベッドを飛び降りた。
ネモフィラの花吹雪を掻き分け、カーペットに座り込んだ女の子を探し出すと、華奢な肩をつかむ。
そしたら、視界を埋め尽くす花びらがいっそう舞い狂うという。
「ほんとどうしちゃったの!? ヴィオさん、リアンさん、オリーヴ! ネモちゃんの様子がおかしいんですけど!?」
「ふふっ、それはまぁ」
「セリ様のせいと言いますか」
「というかセリのせいね」
「あたしのせいなの!?」
なんてこった。みんな口をそろえる上に、全然手を貸してくれない。こっちは何が何だかなんですけど!?
「ねぇ具合でも悪いの? 大丈夫?」
「……だいじょうぶじゃ、ない、ですぅ……」
「だよね、手品じゃないよねこのお花。こんなに乱発しちゃダメなんじゃない!?」
「だって、だって……止められないんだもん~!」
あたしもばかじゃないから、どこからともなく現れたこのネモフィラが、ネモちゃんの魔法によるものだってことくらいわかるよ。
もしかしなくても、パニックで魔力が暴走しちゃってる。
一刻も早く止めなきゃなのに、肝心のお母様やお姉様方は何も口出しをしてこないという。
「ごめんなさい、ネモが馬鹿力で馬鹿魔力で不器用なのろまだから……っ」
「そんなことないよ! ネモちゃんいい子! めっっっちゃいい子! 目に入れても痛くないくらい!」
「うそだぁ! 目に入れたら痛いもん~!」
「身も蓋もないマジレス!!」
こんなに必死でフォローするのははじめてかもしれない。
励まそうとして、余計号泣させてしまった。比例して花吹雪量も増える。
待って、呼吸ができなくなってきた……
えぐえぐと泣きじゃくるネモちゃんの背をさすりながら、途方に暮れる。
「どうしよっかな……あたし、何してあげたらいい?」
「ひくっ…………じゃ………なら……」
「え、なに?」
「ぐすっ……なら…………て……さい……」
「ごめんネモちゃん、もうひと息!」
「……ネモのこと、きらいじゃ、ないなら……ぎゅってして、ください……っ!」
「よしきた! これでオッケー!?」
「きゃあああぁあああ!!!」
「あぶぶぶ……いき、いきできな……」
言われるがままにぎゅっとハグしたら、もはや悲鳴のような絶叫が響き渡る。
決死の覚悟で花吹雪の中へ突っ込んだあたしは、そのまま飲み込まれてしまった。
「……き……」
そうした混乱の最中だった。
「好き……すきすきすきすき……」
何やらこれまでと様子が違うぞと、気がついたのは。
「ちっちゃくてかわいい、お人形さんみたい……やわらかくてあったかい……おひさまの香りがする……」
「あの……」
「すき……セリさま、すきぃ……」
「ぐえ……」
次第に、花吹雪は鳴りをひそめる。その代わりにあたしを抱き返した細腕の拘束は強く、熱に浮かされたような少女の声が近くなる。
「もっとネモのこと、見てください……もっとぎゅっとしてください」
朱に染まった頬が、あたしのそれに繰り返し擦り寄せられる。
「ん……ずっと、こうしていたいなぁ」
思考停止してしまったあたしを、ほぼゼロ距離で覗き込むペリドット。
瑠璃唐草に埋め尽くされた部屋で、あたしと彼女しかいないような錯覚に陥ってしまう。
「だいすき……」
一音一音を噛みしめるようにそっと言葉を紡いだ少女は、雨上がりのように晴れやかな笑顔であたしを抱きしめて、離そうとはしなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
14
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる