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本編

*43* たまには甘えて

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 後片付けを終えて部屋に戻ると、凪いだ夜色の瞳は、じっと窓の向こうの青空を眺めていた。
 敷き詰められた静けさの中へ、そっと1歩。

「お昼寝はしなくていいのかなー、ジュリくん?」

「さっき寝たばっかだよ。今夜眠れなくなっちゃう」

 冗談めかして窓際まで歩み寄ったあたしに、振り返ったジュリがまだ泣き腫らした跡の残る目じりをへにゃりと下げる。

「何もしなくていいって言われたら、逆に調子狂っちゃって」

 これで素なんだから、末恐ろしい子である。
 料理に掃除に魔法のお勉強にと、毎日せかせかと動き回っている子だ。たまにはだらけようよと急に言われても、難しいんだろうな。

「母さんこそ、ゼノとヴィオさんは? 全然姿が見えないけど」

「色々あって、練武場で訓練してて。発端はネモちゃんなんですが」

「あぁ、何となく察した」

 さっき様子をちらっと覗きに行ったら、もはや訓練ってレベルじゃなかったけどね。あのふたりの周りだけ、次元が異なっているに違いない。
 そうでもなきゃ、穴やらヒビだらけの地面だとか、空中で木っ端微塵に切断される葉っぱだとかの説明がつかない。

「木剣ってなんだっけ」

 思わず2度目の疑問をつぶやいたあたしに、「やだなぁ、木でできた剣ですよぉ」と同じく見学勢のモネちゃんからの返答があった。

「ごめんなさいセリ様……ネモは未熟者です……明日こそは必ず夜のお供をさせてください……!」と色々アウトな発言をかましながら涙ぐむネモちゃんから熱烈ハグを受け、あわや窒息寸前のあたしを助けてくれる気はなかったらしい。

「こらー、姉さんたち! さっさと食堂に来ないとランチが冷めちまうだろうがー!」

 そんな修羅場も、赤いギンガムチェックがトレードマークの彼女の登場で、終わりを告げることになったんだけどね。

「危ないから下がっていろ、アンジー」

「へぇ、まぁだやんのかい。食べないって選択肢があるとでも? セリ様お手製ランチなのに?」

 しん……と静まり返る練武場。
「早いとこ手を洗ってきな!」と容赦ない追い討ちがかかる。
 強い、強すぎる。この瞬間『アンジーさん最強説』が浮上した。神かよ。

 隣で「ヴィオ姉様を黙らせるなんて。セリ様すごーい、神様だわ!」とモネちゃんがパチパチ拍手していた。神はあたしだった……?

 とりあえず、アンジーさんに便乗。
 しゅんと落ち込んだ子犬みたいなまなざしで見つめてくる方々には、「お残しは許しまへんで」と笑顔の圧力をかけておいた。

「というわけで、みんなしばらくは来ません」

「そっか。じゃあ母さんは、もうちょっとオレが独り占めしちゃお。それっ」

「きゃー、捕まっちゃったー!」

 がばりと羽交い締めをしてきたジュリに、口だけの抵抗をしてみる。もちろん逃げる気はサラサラない。
 ふれたぬくもりが、いつものジュリだなって思う。
 それでいて包み込む腕の力強さは、昨日までとは全然違う。

「ねぇジュリ、大好きだよ」

「あっぶな……一瞬心臓止まるかと思った」

「えー? 思ったこと口にしただけなのに?」

「それを無自覚って言うんだよ」

 いつもなら「オレもだよ」ってシャイニングスマイルを返してくるところなのに、今日のジュリは何だかセンチメンタルだ。思春期なのかな、なんて冗談は置いといて。

「いやぁ、ジュリに謝りたいことがあってさ」

「さてはご機嫌取りだな? 今度は何をしでかしたの。白状しなさい」

 ひどい言われようである。普段のあたしの信用のなさよ。
 でも何だかんだ話は聞いてくれるんだよね。……可愛いなぁ。

「あたしね、もうジュリのお母さんじゃいられないの。ごめんね」

 ……ぎゅ。
 ブラウスに刻まれたしわを目にして、抱く腕が強張ったことを悟る。

「……言ってる意味がわからないよ。母さんは母さんだ」

 これ以上すきまなんかありはしないのに、苦しいくらい拘束を強める腕にそっと右手を添え、繰り返す。

「聞いて。あたしはもう、ジュリのお母さんじゃいられない……ジュリだけのお母さんじゃ、いられなくなるの」

「え……」

 呆然と声をもらすばかりで、ジュリは身動きひとつしなくなってしまった。

「だから、甘えるなら今のうちだよって話」

 そこまで踏み込んでしまえば、後には戻れない。
 ぐっと見上げた漆黒の瞳は、潤んでいた。無数の星が瞬く夜空みたいに、キラキラしていた。
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