上 下
53 / 263
第一章『忍び寄る影編』

第四十九話 うそつきの罪【後】

しおりを挟む
「おれは梅姐姐メイおねえちゃんといる。梅姐姐が行くところに行く。いっしょにいるんだ。ずっと、ずっと、ずっと!」

 もし自分が死ぬと言えば、この子も死を選んでしまう。そんな危うさが、無邪気さにかいま見える。
 自分がなにを言おうが、手遅れだったのだ。
 なんて、悪い子だ。

「……痛い、なぁ」

 こらえていた言葉は、か細くふるえて、こぼれでた。
 これにびん、と大きな月白げっぱくの三角耳としっぽを立たせた憂炎ユーエンが、目に見えて焦りはじめる。

「いっ、いたい? やっぱり?」
「痛い。ひとりで起き上がれそうもない」
「わーん! ごめんねぇ!」

 幼い憂炎は、ハヤメの言葉をそのままの意味でとらえてしまう。
 ハヤメの上から飛びのくなり、腕を引き、背を支えながら起こしてくれる。

 憂炎だって、男に斬られた背中の傷は決して浅くないだろうに。
 そんなことはまったく頭にないように、狼の耳としっぽをしゅんと垂れ、「ごめんなさい……」と消沈している。

(憂炎は、ひとの痛みがわかる子だ)

 その純粋なこころこそ、踏みにじられてはいけない。
 涙より、笑顔が見たいとねがってしまう。
 そんな資格はないと、わかっていても。

 うなだれた月白の頭へ伸ばしかけた右手を、その鉄錆くささから戻し、手のひらに爪を食い込ませる。

(……弱味を見せるのは、これきりだ)

 負けるわけにはいかない。
 生きなければならないのだ。

「行こう」

 言葉少なに告げたハヤメは、ひざもとに落ちていた剣を拾い、孔雀緑の裾をひるがえした。
 ともにゆこうと、言外の意図を察した憂炎は、柘榴の瞳をきらめかせて駆けだす。

 まっすぐに伸びる坂道を、無心で駆け上がった。
 夜闇の向こうからヒュルリと吹きつける風に、ハヤメは人知れず唇を噛む。
 
 後戻りはできない。
 これからおのれが成すことは、自己満足。
 決して褒められることのない、横暴だ。

 やがて暗い暗い景色が途切れ、まばゆい月明かりが視界へ飛び込んでくる。

 あまりのまぶしさに、持ち上げた右腕で影をつくる憂炎。
 そっとまぶたをひらくと、二、三歩進み、きょろきょろとあたりを見回したのち、正面へ視線を戻した。

「いきどまり……」

 道が不自然に途切れている。
 たどり着いた先は、崖だったのだ。

 水のにおいがするからには、川が流れているのだろう。
 しかし目下には、月明かりも届かない深淵の闇がひろがるばかり。
 この高さから足を踏みはずしたなら、どうなるかわかったものではない。

「べつの道さがそう」

 ぶるりと身をふるわせた憂炎は一歩後ずさり、とん、と背中にふれた感触に、一瞬の思考停止をした。

「梅姐姐……?」

 すぐ背後で、ハヤメがほほ笑んでいた。
 月光に照らされたその表情は美しく、見惚れてしまうほどだが、なぜだろうか。

 その笑みに、無性に胸がざわついてしまうのは。
 
「憂炎」

 ハヤメに名を呼ばれ、ほほにふれられる。
 それだけで舞い上がってしまうくらいなのに、なぜだか今日に限っては、ちっとも嬉しくない。
 やかましいほどに拍動するおのれの心臓が『なに』を訴えているのか、憂炎は理解できていなかった。

「ひとやすみついでに、おしゃべりをしようか」

 ハヤメはほほ笑んでいる。
 その瑠璃るりの瞳は憂炎を見ているようで、見ていない。

「私は剣とおなじくらい、弓も得意でね。まぁいまさらだろうが」

 きじと黒装束の男を仕留めた腕前は、憂炎もよく知っている。
 だがそのことが、どうしたというのだろうか。

「いつだったかな。狩りに出かけた。ねらいは鹿だったんだが、その日はめずらしい獲物を見つけてね。雪山に溶け込むような、狼の親子だった」
「……まって」

 いやな、予感がする。
 思考を凍てつかせた憂炎をよそに、鈴の音色は鳴りやまない。

「私の顔を見た瞬間、なぜだか急に親が子狼の首ねっこをくわえて、崖下へ落としてしまったけれどね。そうそう、ちょうどこんな崖から」

 びゅうびゅうと、北風がいている。

「残念だ。白い毛並みの狼は貴重だから、いっしょに剥製はくせいにしてしまいたかったんだが。剥製ってわかるかい? 殺した獣の内蔵を取りだして、腐らないようにしてから、きれいに飾るのさ」

 いくら憂炎が幼いこどもであろうとも、なにを言われているのかくらい、わかる。わかってしまう。

「あの子狼はどうしたかなぁ。親に見捨てられたと思ったかなぁ。かわいそうに」
「……やめて、おねえ、ちゃん」
「もしもだよ。もしもあの子狼が、奇跡的に生きていたら」
「やめてッ!!」

 こわばるほほの稜線を、するりと白い指がなぞる。

「私を、殺しに来るだろうかね?」

 ハヤメはほほ笑んでいた。
 口をひらこうとした憂炎のからだが、後ろへかたむく。

「『きれい』な君がすきだったよ、憂炎」

 肩に添えた手へ力を込め、深淵の闇へ押しだす。
 呆然と固まった小柄な少年は、なすすべもなく重力の洗礼を受け。

「梅姐姐ッ──!!」

 何事か叫んだ言葉も、強風にあおられ、無情にかき消された。

 あの子が最後にどんな表情をしていたのか、わからない。
 見ることが、できなかった。

 冷たい冷たい北風にもまれながら、ハヤメはたった独りでたたずんでいた。
 遠い頭上の偃月えんげつを睨みつけながら、血がでるほど唇を噛みしめ、いびつな崖を踏みしめていた。

「……これで、いい……」

 自分へ言い聞かせるように絞りだした声は、情けなくふるえている。

「君は、この物語には必要な存在だから……」

 引き立て役の哀れな令嬢とは違って、君がいなければ、この物語は完結しない。
 だから黒幕にも『生存補正』がはたらくだろうという、お粗末な希望的観測だ。
 だとしても、それでも。

「だいすき……あいしてるよ」

 梅雪メイシェは愛しいひとのために、うそをついた。
 ハヤメも、おなじことをしただけなのだ。

 君の生きる糧となるならば、甘んじて罪を受け入れよう。

「私なんかのために傷つかないで、生きて、しあわせになって……憂炎っ……」

 これは、身勝手な自己満足以外の何物でもない。

 込み上げてきた熱は、歯を食いしばってこらえた。
 泣いている場合では、ない。
 自分にはまだ、やるべきことがある。

 凍てつく夜気を肺いっぱいに取り込んだハヤメは、いまにもくずれそうになる表情さえも凍らせて、左腕を掲げる。
 空中を指先で二度叩けば、ぽう、と光る半透明の画面が出現する。
 右上のメニュー欄からベルマークを呼びだし、一呼吸ののちにタップした。

【接続しています。少々お待ちください──……】

 無機質な光のメッセージがまたたく。
 コール音は、一度しか鳴らなかった。

《はい、クラマです》
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす

リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」  夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。  後に夫から聞かされた衝撃の事実。  アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。 ※シリアスです。 ※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。

条件付きチート『吸収』でのんびり冒険者ライフ!

ヒビキ タクト
ファンタジー
旧題:異世界転生 ~条件付きスキル・スキル吸収を駆使し、冒険者から成り上がれ~ 平凡な人生にガンと宣告された男が異世界に転生する。異世界神により特典(条件付きスキルと便利なスキル)をもらい異世界アダムスに転生し、子爵家の三男が冒険者となり成り上がるお話。   スキルや魔法を駆使し、奴隷や従魔と一緒に楽しく過ごしていく。そこには困難も…。   従魔ハクのモフモフは見所。週に4~5話は更新していきたいと思いますので、是非楽しく読んでいただければ幸いです♪   異世界小説を沢山読んできた中で自分だったらこうしたいと言う作品にしております。

彼の人達と狂詩曲

つちやながる
BL
転生を繰り返してる元日本人とペットを溺愛するおっさんの話。ほのぼのネタに最後はじんわりするらしい…BLよりローファンタジー寄り仕様。癒され愛されキャラ目標。本編10話完。のつもりが以後追加章。そして番外編のあと、その後の第二章38話追加。魔物転生エロ無し残念BL完結話。甘々が好きな自己満足作品。ムーン様掲載番外編追加。

気がついたら無理!絶対にいや!

朝山みどり
恋愛
アリスは子供の頃からしっかりしていた。そのせいか、なぜか利用され、便利に使われてしまう。 そして嵐のとき置き去りにされてしまった。助けてくれた彼に大切にされたアリスは甘えることを知った。そして甘えられることも・・・

《短編集》美醜逆転の世界で

文月・F・アキオ
恋愛
美的感覚の異なる世界に転移 or 転生してしまったヒロイン達の物語。 ①一目惚れした私と貴方……異世界転移したアラサー女子が、助けてくれた美貌の青年に一目惚れする話。 ②天使のような王子様……死にかけたことで前世を思い出した令嬢が、化け物と呼ばれる王子に恋をする話。 ③竜人族は一妻多夫制でした……異世界トリップした先で奴隷になってしまったヒロインと、嫁を求めて奴隷を買った冒険者グループの話。

【1章完結】経験値貸与はじめました!〜但し利息はトイチです。追放された元PTメンバーにも貸しており取り立てはもちろん容赦しません〜

コレゼン
ファンタジー
冒険者のレオンはダンジョンで突然、所属パーティーからの追放を宣告される。 レオンは経験値貸与というユニークスキルを保持しており、パーティーのメンバーたちにレオンはそれぞれ1000万もの経験値を貸与している。 そういった状況での突然の踏み倒し追放宣言だった。 それにレオンはパーティーメンバーに経験値を多く貸与している為、自身は20レベルしかない。 適正レベル60台のダンジョンで追放されては生きては帰れないという状況だ。 パーティーメンバーたち全員がそれを承知の追放であった。 追放後にパーティーメンバーたちが去った後―― 「…………まさか、ここまでクズだとはな」 レオンは保留して溜めておいた経験値500万を自分に割り当てると、一気に71までレベルが上がる。 この経験値貸与というスキルを使えば、利息で経験値を自動で得られる。 それにこの経験値、貸与だけでなく譲渡することも可能だった。 利息で稼いだ経験値を譲渡することによって金銭を得ることも可能だろう。 また経験値を譲渡することによってゆくゆくは自分だけの選抜した最強の冒険者パーティーを結成することも可能だ。 そしてこの経験値貸与というスキル。 貸したものは経験値や利息も含めて、強制執行というサブスキルで強制的に返済させられる。 これは経験値貸与というスキルを授かった男が、借りた経験値やお金を踏み倒そうとするものたちに強制執行ざまぁをし、冒険者メンバーを選抜して育成しながら最強最富へと成り上がっていく英雄冒険譚。 ※こちら小説家になろうとカクヨムにも投稿しております

夫と妹に裏切られて全てを失った私は、辺境地に住む優しい彼に出逢い、沢山の愛を貰いながら居場所を取り戻す

夏目萌
恋愛
レノアール地方にある海を隔てた二つの大国、ルビナとセネルは昔から敵対国家として存在していたけれど、この度、セネルの方から各国の繁栄の為に和平条約を結びたいと申し出があった。 それというのも、セネルの世継ぎであるシューベルトがルビナの第二王女、リリナに一目惚れした事がきっかけだった。 しかしリリナは母親に溺愛されている事、シューベルトは女好きのクズ王子と噂されている事から嫁がせたくない王妃は義理の娘で第一王女のエリスに嫁ぐよう命令する。 リリナには好きな時に会えるという条件付きで結婚に応じたシューベルトは当然エリスに見向きもせず、エリスは味方の居ない敵国で孤独な結婚生活を送る事になってしまう。 そして、結婚生活から半年程経ったある日、シューベルトとリリナが話をしている場に偶然居合わせ、実はこの結婚が自分を陥れるものだったと知ってしまい、殺されかける。 何とか逃げる事に成功したエリスはひたすら逃げ続け、力尽きて森の中で生き倒れているところを一人の男に助けられた。 その男――ギルバートとの出逢いがエリスの運命を大きく変え、全てを奪われたエリスの幸せを取り戻す為に全面協力を誓うのだけど、そんなギルバートには誰にも言えない秘密があった。 果たして、その秘密とは? そして、エリスとの出逢いは偶然だったのか、それとも……。 これは全てを奪われた姫が辺境地に住む謎の男に溺愛されながら自分を陥れた者たちに復讐をして居場所を取り戻す、成り上がりラブストーリー。 ※ ファンタジーは苦手分野なので練習で書いてます。設定等受け入れられない場合はすみません。 ※他サイト様にも掲載中。

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

処理中です...