204 / 266
第三章『焔魔仙教編』
第二百話 闘いの角笛【前】
しおりを挟む
「……静かだな」
一番星のまたたく紺青色の空を見上げ、早梅はつぶやく。
ふいに庭を吹き抜けた夜風が、翡翠の髪を、ふわりと舞い上げた。
「おからだを冷やされます」
「ふふっ、黒皇がいるから平気だよ。このふわふわ羽毛めー」
早梅は黒皇に抱きしめられるのが好きだが、抱きしめるのも好きだ。
「私に陽功は残っていないはずなのですが」と黒皇は言うけれど、ふれるとあたたかい。
大好きなぬくもりとおひさまの香りを胸に抱き、至福を感じる早梅は、ふと人の気配に気づく。
ふり返れば、早梅のほうへ右手を伸ばした暗珠が、そこにいた。
ぱちりと視線が合うやいなや、暗珠はむっと唇をとがらせ、大股で早梅へ詰め寄った。
「またですか。いい加減烏贔屓はやめてくれません? あなたは! 俺の! 恋人でしょう!?」
「おやおや、まぁまぁ」
これは困った。早梅がほかの男と接しているとすぐさま嫉妬してしまう、厄介な『発作』が起きてしまった。
「恋人なのは、そういう『設定』だから……」
「ならそれらしく振る舞ってくださいよ! 猫とか烏とか烏とか烏にばっか構って、俺のあつかいは雑じゃないですか!」
「ご、ごめんよぉ~!」
ふだんは憎まれ口を叩いている暗珠だが、彼の本質はツンデレ。そう、本当は早梅に構ってほしくてたまらないのだ。
プライドが高いであろう彼が涙目で猛抗議してくるのは、『暗珠』というまだ十五の少年に憑依したがために、精神まで引っ張られているからなのか。
いずれにせよ、幽霊時代の『クラマ』からは想像もつかない言動で好意を示され、戸惑っているというのが、早梅の現状だ。
「雑にあつかってたわけじゃないの。機嫌直して? ねっ?」
早梅があたふたと背をなでてやると、暗珠がうつむく。
「……俺が信じられるのは、ハヤメさんだけなんです」
ぽつりとこぼされた独り言。
そのたったひと言で、暗珠がなにを言いたいのか、早梅は思い知らされる。
羅飛龍。尊敬していた父の、残忍な素顔を知った。
そして今回。陳太守……自身の世話役としてこの街で迎え入れてくれた人物が、獣人奴隷の売買という非人道的な行為に関与している可能性を突きつけられた。
(陳太守は、もとより皇帝派のお役人。まさか、こんなひざもとでおこなわれていた闇市の件を知らないなんてことはないだろう)
母である皇妃は早くに他界しており、後宮での暮らしを嫌う暗珠は、ほかに後ろだてもない。
この状況下で、だれひとり、暗珠の味方はいないのだ。
(いまだに、陛下の犯した非道の数々が信じられないだろう。だれを信じていいかわからず……クラマくんが不安がるのも当然だ)
暗珠を不憫に思うと同時に、早梅の胸中で、怒りがこみ上げる。
(飛龍……『暗珠』は、あなたの血を分けた息子だろう。なにを思って、彼を独り、この燈角へ向かわせたのだ……?)
正義感の強い暗珠が、獣人奴隷の売買などという悲惨な光景を目の当たりすれば、傷つくことはわかりきっていただろうに。
(あなたは、『暗珠』を愛していないのか……?)
考えたところで、わからない。結局、飛龍本人へ問い詰める以外に、知るすべはないのだ。
「大丈夫だ。だれがなんと言おうと、私は君の味方だよ、クラマくん」
「ハヤメさん……」
とんとん、と背を叩けば、暗珠の肩のふるえが止まる。
「ほんっと……俺の気も知らないで、ずるいこと言いますよね」
「えっ、そうかな? 私だけじゃ頼りないかな? なんなら黒皇もいるよ?」
「だからっ、そういうとこが、鈍感だってのっ!」
「あたぁっ!」
ごちんっと景気のいい音を立てて、早梅の視界に星が散る。
どうやら、暗珠に頭突きを食らわされたらしかった。
「いったぁい! なになにっ、どうしたの? 殿下がご乱心~っ!」
「やかましいわ! 黙っとれ!」
「ぐぇぇっ……なにこれ、どういう状況……?」
くわっと瞳をかっ開いた暗珠に叱責されたかと思えば、次の瞬間にはぎゅううっと抱きしめられていた。
これには早梅も、ぽかんと間抜けな顔をさらすほかない。
「早梅さまらしいといいますか」
「え、黒皇なに? なんだって?」
「なんでもございません。お部屋に戻りましょうか。あまりお外に長居しますと、こんどは九詩さまが面倒……いえ、寂しがられますので」
うっかり本音が出かけた黒皇だったが、すまし顔で返答する。早梅のまわりに面倒な男たちがいるのは、いまに始まったことではないので。悟りをひらいていたともいう。
「そうだよね、爽も心配しちゃう。戻ろっか、クラマくん!」
「ちょっ、ハヤメさんっ……そういうとこだぞ! そういうとこだぞ!」
パタパタとあわただしく駆け出す際に暗珠の手を取った早梅は、暗珠が暗闇でもわかるほど顔を真っ赤にして怒っている理由に気づかない。
さすがの黒皇も暗珠に同情しつつ、後を追うように飛び立つ。
「──またてめぇか、薄汚い老いぼれが! 興ざめだ、失せろ!」
なんとも耳障りながなり声が響きわたったのは、そのときだ。
一番星のまたたく紺青色の空を見上げ、早梅はつぶやく。
ふいに庭を吹き抜けた夜風が、翡翠の髪を、ふわりと舞い上げた。
「おからだを冷やされます」
「ふふっ、黒皇がいるから平気だよ。このふわふわ羽毛めー」
早梅は黒皇に抱きしめられるのが好きだが、抱きしめるのも好きだ。
「私に陽功は残っていないはずなのですが」と黒皇は言うけれど、ふれるとあたたかい。
大好きなぬくもりとおひさまの香りを胸に抱き、至福を感じる早梅は、ふと人の気配に気づく。
ふり返れば、早梅のほうへ右手を伸ばした暗珠が、そこにいた。
ぱちりと視線が合うやいなや、暗珠はむっと唇をとがらせ、大股で早梅へ詰め寄った。
「またですか。いい加減烏贔屓はやめてくれません? あなたは! 俺の! 恋人でしょう!?」
「おやおや、まぁまぁ」
これは困った。早梅がほかの男と接しているとすぐさま嫉妬してしまう、厄介な『発作』が起きてしまった。
「恋人なのは、そういう『設定』だから……」
「ならそれらしく振る舞ってくださいよ! 猫とか烏とか烏とか烏にばっか構って、俺のあつかいは雑じゃないですか!」
「ご、ごめんよぉ~!」
ふだんは憎まれ口を叩いている暗珠だが、彼の本質はツンデレ。そう、本当は早梅に構ってほしくてたまらないのだ。
プライドが高いであろう彼が涙目で猛抗議してくるのは、『暗珠』というまだ十五の少年に憑依したがために、精神まで引っ張られているからなのか。
いずれにせよ、幽霊時代の『クラマ』からは想像もつかない言動で好意を示され、戸惑っているというのが、早梅の現状だ。
「雑にあつかってたわけじゃないの。機嫌直して? ねっ?」
早梅があたふたと背をなでてやると、暗珠がうつむく。
「……俺が信じられるのは、ハヤメさんだけなんです」
ぽつりとこぼされた独り言。
そのたったひと言で、暗珠がなにを言いたいのか、早梅は思い知らされる。
羅飛龍。尊敬していた父の、残忍な素顔を知った。
そして今回。陳太守……自身の世話役としてこの街で迎え入れてくれた人物が、獣人奴隷の売買という非人道的な行為に関与している可能性を突きつけられた。
(陳太守は、もとより皇帝派のお役人。まさか、こんなひざもとでおこなわれていた闇市の件を知らないなんてことはないだろう)
母である皇妃は早くに他界しており、後宮での暮らしを嫌う暗珠は、ほかに後ろだてもない。
この状況下で、だれひとり、暗珠の味方はいないのだ。
(いまだに、陛下の犯した非道の数々が信じられないだろう。だれを信じていいかわからず……クラマくんが不安がるのも当然だ)
暗珠を不憫に思うと同時に、早梅の胸中で、怒りがこみ上げる。
(飛龍……『暗珠』は、あなたの血を分けた息子だろう。なにを思って、彼を独り、この燈角へ向かわせたのだ……?)
正義感の強い暗珠が、獣人奴隷の売買などという悲惨な光景を目の当たりすれば、傷つくことはわかりきっていただろうに。
(あなたは、『暗珠』を愛していないのか……?)
考えたところで、わからない。結局、飛龍本人へ問い詰める以外に、知るすべはないのだ。
「大丈夫だ。だれがなんと言おうと、私は君の味方だよ、クラマくん」
「ハヤメさん……」
とんとん、と背を叩けば、暗珠の肩のふるえが止まる。
「ほんっと……俺の気も知らないで、ずるいこと言いますよね」
「えっ、そうかな? 私だけじゃ頼りないかな? なんなら黒皇もいるよ?」
「だからっ、そういうとこが、鈍感だってのっ!」
「あたぁっ!」
ごちんっと景気のいい音を立てて、早梅の視界に星が散る。
どうやら、暗珠に頭突きを食らわされたらしかった。
「いったぁい! なになにっ、どうしたの? 殿下がご乱心~っ!」
「やかましいわ! 黙っとれ!」
「ぐぇぇっ……なにこれ、どういう状況……?」
くわっと瞳をかっ開いた暗珠に叱責されたかと思えば、次の瞬間にはぎゅううっと抱きしめられていた。
これには早梅も、ぽかんと間抜けな顔をさらすほかない。
「早梅さまらしいといいますか」
「え、黒皇なに? なんだって?」
「なんでもございません。お部屋に戻りましょうか。あまりお外に長居しますと、こんどは九詩さまが面倒……いえ、寂しがられますので」
うっかり本音が出かけた黒皇だったが、すまし顔で返答する。早梅のまわりに面倒な男たちがいるのは、いまに始まったことではないので。悟りをひらいていたともいう。
「そうだよね、爽も心配しちゃう。戻ろっか、クラマくん!」
「ちょっ、ハヤメさんっ……そういうとこだぞ! そういうとこだぞ!」
パタパタとあわただしく駆け出す際に暗珠の手を取った早梅は、暗珠が暗闇でもわかるほど顔を真っ赤にして怒っている理由に気づかない。
さすがの黒皇も暗珠に同情しつつ、後を追うように飛び立つ。
「──またてめぇか、薄汚い老いぼれが! 興ざめだ、失せろ!」
なんとも耳障りながなり声が響きわたったのは、そのときだ。
0
あなたにおすすめの小説
甘い匂いの人間は、極上獰猛な獣たちに奪われる 〜居場所を求めた少女の転移譚〜
具なっしー
恋愛
「誰かを、全力で愛してみたい」
居場所のない、17歳の少女・鳴宮 桃(なるみや もも)。
幼い頃に両親を亡くし、叔父の家で家政婦のような日々を送る彼女は、誰にも言えない孤独を抱えていた。そんな桃が、願いをかけた神社の光に包まれ目覚めたのは、獣人たちが支配する異世界。
そこは、男女比50:1という極端な世界。女性は複数の夫に囲われて贅沢を享受するのが常識だった。
しかし、桃は異世界の女性が持つ傲慢さとは無縁で、控えめなまま。
そして彼女の身体から放たれる**"甘いフェロモン"は、野生の獣人たちにとって極上の獲物**でしかない。
盗賊に囚われかけたところを、美形で無口なホワイトタイガー獣人・ベンに救われた桃。孤独だった少女は、その純粋さゆえに、強く、一途で、そして獰猛な獣人たちに囲われていく――。
※表紙はAIです
主人公の義兄がヤンデレになるとか聞いてないんですけど!?
玉響なつめ
恋愛
暗殺者として生きるセレンはふとしたタイミングで前世を思い出す。
ここは自身が読んでいた小説と酷似した世界――そして自分はその小説の中で死亡する、ちょい役であることを思い出す。
これはいかんと一念発起、いっそのこと主人公側について保護してもらおう!と思い立つ。
そして物語がいい感じで進んだところで退職金をもらって夢の田舎暮らしを実現させるのだ!
そう意気込んでみたはいいものの、何故だかヒロインの義兄が上司になって以降、やたらとセレンを気にして――?
おかしいな、貴方はヒロインに一途なキャラでしょ!?
※小説家になろう・カクヨムにも掲載
残念女子高生、実は伝説の白猫族でした。
具なっしー
恋愛
高校2年生!葉山空が一妻多夫制の男女比が20:1の世界に召喚される話。そしてなんやかんやあって自分が伝説の存在だったことが判明して…て!そんなことしるかぁ!残念女子高生がイケメンに甘やかされながらマイペースにだらだら生きてついでに世界を救っちゃう話。シリアス嫌いです。
※表紙はAI画像です
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ちょっと不運な私を助けてくれた騎士様が溺愛してきます
五珠 izumi
恋愛
城の下働きとして働いていた私。
ある日、開かれた姫様達のお見合いパーティー会場に何故か魔獣が現れて、運悪く通りかかった私は切られてしまった。
ああ、死んだな、そう思った私の目に見えるのは、私を助けようと手を伸ばす銀髪の美少年だった。
竜獣人の美少年に溺愛されるちょっと不運な女の子のお話。
*魔獣、獣人、魔法など、何でもありの世界です。
*お気に入り登録、しおり等、ありがとうございます。
*本編は完結しています。
番外編は不定期になります。
次話を投稿する迄、完結設定にさせていただきます。
男女比バグった世界で美女チート無双〜それでも私は冒険がしたい!〜
具なっしー
恋愛
日本で暮らしていた23歳喪女だった女の子が交通事故で死んで、神様にチートを貰い、獣人の世界に転生させられた!!気づいたらそこは森の中で体は15歳くらいの女の子だった!ステータスを開いてみるとなんと白鳥兎獣人という幻の種族で、白いふわふわのウサ耳と、神秘的な白鳥の羽が生えていた。そしてなんとなんと、そこは男女比が10:1の偏った世界で、一妻多夫が普通の世界!そんな世界で、せっかく転生したんだし、旅をする!と決意した主人公は絶世の美女で…だんだん彼女を囲う男達が増えていく話。
主人公は見た目に反してめちゃくちゃ強いand地球の知識があるのでチートしまくります。
みたいなはなし
※表紙はAIです
この世界、イケメンが迫害されてるってマジ!?〜アホの子による無自覚救済物語〜
具なっしー
恋愛
※この表紙は前世基準。本編では美醜逆転してます。AIです
転生先は──美醜逆転、男女比20:1の世界!?
肌は真っ白、顔のパーツは小さければ小さいほど美しい!?
その結果、地球基準の超絶イケメンたちは “醜男(キメオ)” と呼ばれ、迫害されていた。
そんな世界に爆誕したのは、脳みそふわふわアホの子・ミーミ。
前世で「喋らなければ可愛い」と言われ続けた彼女に同情した神様は、
「この子は救済が必要だ…!」と世界一の美少女に転生させてしまった。
「ひきわり納豆顔じゃん!これが美しいの??」
己の欲望のために押せ押せ行動するアホの子が、
結果的にイケメン達を救い、世界を変えていく──!
「すきーー♡結婚してください!私が幸せにしますぅ〜♡♡♡」
でも、気づけば彼らが全方向から迫ってくる逆ハーレム状態に……!
アホの子が無自覚に世界を救う、
価値観バグりまくりご都合主義100%ファンタジーラブコメ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる