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28.失くしたモノ

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「わたしといっしょに……帰りませんか」

 一瞬、ほんの一瞬だけ、エメラルドの虹彩が鋭く瞬きました。
 わたしを抱き込んだ腕も、強張りをみせた気がします。
 そのことに気づけましたから、つかの間思案します。

(〝九生猫きゅうしょうねこ〟なら、ナナくんは生き返ることができる)

 その仕組みがわからないにしても、生きてほしいと願うのは、ヒトとして当然のことです。そしてなにより、

(どうか無事に……迷子を連れ戻して)

 返事はできなかったけれど、東雲しののめさんと約束しましたから。

「……俺が生き返ったら、三葉みつばが困るよ」

 聞こえるか聞こえないかの境で、ぽつり。
 言葉の真意を問う前に、するりと腕がほどかれます。

「なんてねっ!」

 太陽さえも恥じらって雲に隠れてしまいそうな、まばゆい笑顔でした。
 ナナくんは、それから「う~ん……」と苦笑気味に頬を掻きます。

「帰る理由が、俺には見つからない」
「理由……?」
「俺が一番にほしかったものは三葉。ほかにはなにを考えてたのか、失くしちゃったんだ。名前といっしょに」
「失くした……忘れたってことですか?」

 それなら〝大事なヒト〟というだけで、わたしがどういう人間か、どの程度大事だったか覚えていなかったこともうなずけます。
 でも、わたしが「理玖りくくん」と呼んだとき、特に驚いた様子は見られなかったような。

「あんだけ必死に呼ばれたら、あぁ俺の名前かって悟るじゃん?」
「え」
「あははっ! 三葉ってホント、考えてることわかりやすいよねー。ま、コロコロ表情変わるとこがかわいいんだけど!」

 表情というより、心を読まれている気が。
 れいもしかり、五感が優れている〝九生猫〟は、ヒトよりはるかに感情に敏感なのですね。

「〝忘れている〟ことは〝覚えている〟んですね」
「だから失くしモノなんだよ。アレどこやったっけ? って存在は覚えてるのに、見つからない。ただそれは名前に限った話。なんで死んだのかは、なにひとつわからない」

 なぜ死んだのかわからない。それはどうやって生きたからか――〝須藤すどう理玖りく〟くんの一生そのものが喪失されたことと同義。

 ――あなたはいつも明るくて、クラスのリーダー的存在でした。
 同年代の男の子より少し背が高くて、水泳部でも期待されていましたね。
 数学がちょっと苦手だったけど、わたしに何度も質問をしてきて、わからないところを確実になくす努力家でもありました。

「……ぅ、あっ……」

 こんなにたくさん想い出があるのに、言葉にできません。
 なぜ? どうして? モヤモヤだけが、胸にはびこります。

「俺のこと、教えてくれようとしてるの? いいよ、気にしなくて」

 ひどく落ち着いていて、達観したようなつぶやきでした。

「言えないのはね、地獄ここじゃ当たり前なんだよ。そういうもんなの。俺が自分で見つけなきゃいけないモノだから」

 優しく頭をなぜられました。きみは悪くないよと、はげまされたようです。

「どういう意味ですか? 地獄と言っても全然怖いところには見えませんし、ここは一体……」
「来て三葉っ!」
「きゃっ……!?」

 突然手を引かれ、反射的に駆け出します。

「難しく考えたって疲れるだけだからさ、休憩しようよ。俺がここ案内したげる!」

 それはまるで、探検へ向かう子供のように無邪気な笑顔でした。
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