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*4*  雪とあたしと本と8cm

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 実はあたし、かえでと同じ教育学部だったりする。レポート課題に使えそうな参考書を借りたり、なんてこともときたま。
 ただ楓は保健体育科、あたしは国語科。専門分野の不足分は、自分で補わないと。

「というわけでやって来ました、公立図書館!」

「ユキさんキラッキラしてるー」

「学生の本分は勉学であるからして、熱意を持って邁進せん」

「メッチャ目が泳いでるー」

「目的図書を探しておるのだ!」

「なんかもう、見てる俺がキュンキュンしてきた……」

 胸に手を当てて、はぁ……と悩ましげな楓。
 奇遇だな、あたしも動悸で息苦しいんだ。
 ここは本棚に挟まれていていかんな。風通しのいいところに――

「すみません、貸し出しお願いします」

「はい、お預かりします」

 行こうとしたそばからぁ!

 さっきまでいなかった。けどカウンターに座ってるふたりのうち、ひとりは、確かに!

せつがっ……雪が仕事してるよぉ……!」

 ヒマさえあれば「ゆきちゃん、ぎゅーっ!」ってハグしてくる、ウサギ系ゆるふわ男子、26歳。
 職業は公立図書館の司書という、れっきとした公務員でして、我が月森つきもり家の、立派な大黒柱なのです。

 その仕事ぶりと言ったら……
 慣れた感じでピッピッっと本のバーコードを読み込んで……
 パソコンに、カタカタッとブラインドタッチで情報を打ち込んで……
「返却日はこちらになります」って、にこっ! スマイル炸裂!
 おばちゃんそこ代わってぇええ!

「てゆーかメガネ……メガネしてらっしゃいますよ、雪さんんん……!」

「PCメガネだよ。兄さん、仕事のときはいつもしてんだ」

「それを早く言えぇい……!」

 控えめブルーのプラスチックフレームが、細い輪郭線によくお似合いで。

「かわいい……かわいいよ雪……!」

「ユキさんが静かにたぎっている……!」

 あたぼうよ、図書館ではお静かにだろーが。
 ゆるふわメガネ男子万歳。

「月森さん、お時間よろしいですか?」

「はい、どうなさいました?」

 今度は、隣の女性職員が話しかけた!
 年季が入っ……コホン、ステキなおばさまですね。
 それに、左手の薬指に指輪と来ました。
 既婚者とな。許す、特別に許可します。

「著書名が曖昧のようで。こちらの蔵書になると思うんですけど……」

「あぁ、児童書ですね! ぼくの担当です。お任せいただいても?」

「まぁ! 助かるわ」

「では、失礼して」

 ……む? なにやら雪がカウンターから出てきたぞ?

「こんにちは。お兄ちゃんが一緒に探してあげるね」

 膝を曲げて、ニコニコと話しかけたのは……6、7歳くらいの、幼女!

「ほんとに?」

「うん。どんなお話だったか、教えてほしいな」

「えっと……長ぐつをはいたネコさんが、おやまにシバかりに行って……クマさんに、おすもうしようって言われる絵本……」

 なにその絵本! ちょっと気になるよ!?

「なるほど~」

 わかったのか? 思い当たったのか雪!?
 ふにゃふにゃ笑顔にホッとしたのか、女の子が、ギュッと雪のカーディガンの裾を握る。

 ヨシヨシと頭を撫で、「こっちだよぉ」ってサラッと手繋ぎに切り替える雪は、手馴れている。
 息を呑んで見つめる先で、春らしいミントグリーンの後ろ姿が行ってしまった。

「……幼女をも陥落させるとは。恐ろしいやつよ」

「大丈夫?」

「萌え死にそう……」

「そんなユキさんに、俺が萌え死にそうです……」

 雪を見てあたしが萌え、そのあたしを見て楓が萌え。
 なにやってんだって感じだが、知ったことか。
 そろって軽く本棚にもたれかかり、ふぅ……感嘆のため息を漏らす。

「雪って、デキるオトナだったんだね」

「そりゃあ、大学主席で卒業してますから」

「……What?」

「文学部始まって以来の好成績でね。おかげで、今時珍しく正規採用されました、と」

「マジすか」

「マジマジ」

 うん……勉強見てもらってるときね、それとなく頭いいなぁとは思ってましたよ。
 ホントに頭いい人って、説明わかりやすいって言うじゃない?
 でもね! 主席とか! 聞いてません!

「……あ、てか参考書」

「は、参考書?」

「当初の目的忘れちゃダメだなーアハハ。ユキさん、俺あっち行ってますんで!」

「なんだ急に……ちょっ、楓さーん?」

 行動早っ! なんなの、なんで立ち去り際、親指突き立ててくれちゃってんの!?

「どのような本をお探しですか?」


 チョット待ッテチョーダイ。


 ギギギ……と軋む身体で振り返る。
 いつの間に来たの……? チョコレート色の瞳が、にこり。

「あっ……えと、この辺にあったような」

 散々ガン見しておいて、だよ。いざ目の前に立たれると、緊張する……

 逃げるように背を向けて、アテもないのに右手を伸ばしたから?
 本に嫌われちゃって、つかんだそばからスルリと指をすり抜ける。
 ふふっと、声が聞こえた。

「な――!」

 隣に立つとかじゃなく、後ろから、あたしに覆いかぶさる影。
 右の手の甲に、右の手のひらがふれた。

「ずっと見てたでしょ?」

「……気づいてたの」

「わかるよぉ。ぼく張り切っちゃった」

 スッと手の甲を離れた右手が、いとも簡単に本を捕まえてみせる。

「こちらでよろしいですか?」

 振り返り、受け取った本が示すのは、156cm、164cm――8cmの、差。
 目線は近いような気がするのに、違いを気づかされる。

「困ったことがあったら、なんでも聞いてね」

「……雪」

「なーに、幸ちゃん?」

「惚れ直しました」

「ほんと? 嬉しいなぁ」

「仕事頑張ってきてね。夕飯に美味しい春のロールキャベツ作って、待ってます」

 おもむろに伸びてきた指が、首筋を、ネックレスチェーンをかすめて少し。

「ではでは、頑張ってきますね」

 ふわりと、お得意の笑顔を零すから――

「……お腹いっぱいになったじゃん」

 ドキドキが加速したのは、見慣れないメガネ姿のせい。
 雪の後ろ姿を見送りながら、そっと笑い返した。
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