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*20* かえくん、おすわり

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 帰り着いて、せつは夕飯の準備に取り掛かった。
 だからあたしも、あたしがすべきことをする。

かえで、入るよ」

 ノックの後ドアノブをひねれば、男らしい、サッパリした風景が広がる。

 入ってすぐの向こう側に、ノートパソコンが常駐してるデスクと、参考書だとかファイルだとかが並んだ本棚。
 時計回りに見回せば、カーテンの引かれた窓や、黒を基調としたホワイトストライプのベッドがある。

 それより手前、綺麗に整頓された部屋の中央、黒いローテーブルの前に、楓はいた。
 あぐらをかき、両腕を組んで、真正面からあたしを見上げている。

「……ユキさん、ちょっとこっち来てください」

 いつもより半音低い声に内心うろたえながらも、いそいそと、カーペットに膝を折る。
 30cmも身長差があるのと、楓の顔立ちが整っているのとで、威圧感はハンパなかった。

 だが怯むな佐藤幸。たとえ飼い犬に噛まれても、成し遂げるのだ佐藤ゆk

「ユキさ――――――んっ!!」

「ぐはぁッ!?」

 深呼吸の終わりを待たず、身体を襲う衝撃。
 タックルされた弾みで、モノクロ調のカーペットに背面ダイブする。

 噛まれてはいない。噛まれてはいないけど……!
 自分よりおっきな犬に飛びかかってこられたら、たまったもんじゃないよ!

「ユキさんユキさんユキさん……!」

「ちょっ、苦し……退いてほしいんだけど!」

「ヤダ!」

「いやマジで退いてください、ペラッペラになるから!」

「それはダメだ!」

 グイグイ胸を押せば、なんだ、あっさり退くじゃないか。
 ついでに、あたしの腕を引いて起こしてくれる。

 楓が、それだけで終わるはずがなかった。

「退く代わりに、しばらくコレで」

 事後承諾で要求されたのが、さっきのあぐらスタイルに、スッポリ収まること。
 コレがジャストフィットしてくれちゃったおかげで、余計に楓の気をよくさせたようだ。

「はぁ……ユキさんいい香り」

「なにをしとんのじゃワレェ!」

「ユキさんやーらかーい……」

 首筋スリスリ、背中をぎゅうぎゅう。
 瞳はとろんとしてるのに、腕の力がヤバイ、う、動けねぇ!

「もー俺、心配したんだぞー」

 やたら肌にふれたがるのは、体温を感じるため。
 必要以上にじゃれてくるのは、反撃具合を見るため。
 ……思えば、あたしの体調を確認してるような。そんな気がして、抵抗の手がゆるまってしまう。

「今日はどうしたの?」

 耳のすぐそばで問いかける声は、やわらかだ。
 楓が用意してくれた、2度目の機会。
 楓に応えるためだけに、あたしはここへ来た。

「腹痛、です。お…………女の子的事情の」

 ゴニョゴニョながらつぶやけば、楓はニカッと笑顔を輝かせるのだ。

「やっぱなぁ。どうりでいつもと違うと思った。香りが」

「香り!?」

「昨日くらいから酷くなってない?」

「ウソ、合ってる! なにあんたこわっ!」

「才能と言ってくださいな」

 女性ホルモン嗅ぎ分けてんの!? もはや人間の範疇はんちゅう超えてるよ!

 ガチで忠犬っぷりを発揮してることに唖然としてる間も、密着ハグは続行中。
 更にはニマニマと頭を撫でてくる、髪を梳いてくる。
 もう観念して、されるがままでいるしかない。

「楓は……さ、怒ってないの?」

「あんなちっさいこと、もう気にしてませんわ」

 もう気にしてない。
 それは、一度は気にしたってこと
 こういう辺り、楓は素直だなぁと思う。

「……楓のこと、嫌ってないからね?」

「知ってるよ。ユキさん俺のことすきだもんね」

「なんだその自信」

「最近、足蹴にされるのが週間ペースから日間ペースになった。これもある種の愛だよね!」

「あ、調子こいてきた」

「ギューッてしても怒らないし!」

「今まさに脱出を試みようとしてる」

「とにかく俺は、天使で妖精で女神なユキさんが好き、大好き、愛してる!」

 犬が尻尾をブンブン振って、飼い主をペロペロ舐めてくるみたいに、「んーっ!」っと甘えモード大全開の楓。
 お望み通り足蹴にしてやろーか! といきり立つも、それは叶わず。

〝ユキ、さん……?〟

 イヤな思いさせた代償かなぁって、まぶたをギュッ。
 跳ね返されること前提だったんだろう勢いでは、ストップなんぞ効くはずもありませんで。
 見事に、そりゃもうダイレクトに、楓さんの唇全体がほっぺにくっつきましたとさ。

 3秒後くらいにガバッと腕から解放されて、目を開けた正面の楓は、完熟リンゴみたいな顔。

 ……え、なに今更恥ずかしがってんの?
 キスもハグも、押し倒したりなんかも散々してきてんじゃん。
 なんなら、雪にも見せたことないあたしの半裸だって、(一応仕方ないとはいえ)見てんでしょ!?

「ちょ、沈黙つらっ……なにかおっしゃいよ楓さん……」

「あー……その……お、おかわり?」

「こんの駄犬がぁああッ!」

「いででで! 頭ッ! 頭は痛いんだよユキさんッ!」

 問答無用でバシバシ頭をはたいて、ゲシゲシ足蹴の刑に処す。
 ひとしきり躾けたところで、深呼吸。

 結論、人も犬も、甘やかしすぎはよくない。
 飼い主の威厳を見せつけねばと、仁王立ちのまま、カーペットを指差す。

「かえくん、おすわり」

「わん」

「ゴメンナサイして」

「わん……」

 あぐらスタイルでこてんと頭を前に倒す楓を見下ろしながら、なにやってんのかなぁ……ってため息。

 ……今日の楓は、やけに甘えたがりだ。
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