聖女と騎士

じぇいど

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転移

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 まさか、異世界転移なんて、本当にあるとは思わなかった。


 いや、これまでそういった類いの小説とか漫画とか、読んだことあるけどね! というか、ぶっちゃけ好きだったけどね! 世知辛せちがらくて厳しい現実逃避に最適じゃん!
 そんな物語の中で、主人公たちがよく言ってた、「まさか異世界が本当にあるなんて」。
 私も心の底から同意したい。
 というか、それしか思い浮かばないって最初は。


     *


 目が覚める前の最後の記憶は、自転車に乗って会社から家へと帰る自分の姿。


 地方から東京の大学へ出てきて、そのまま東京で就職した。たまたま一人暮らししてたとこからほど近い印刷会社に内定もらえたから、引っ越さずに自転車で通勤してたんだよね。
 それほどブラックな会社でもないと思うけど、納期間近は残業が多くなる。版下をなかなか入稿してくれないクライアントの場合は特に。だから、深夜に帰宅するのもそれほど珍しくない。
 タイムカード押して、会社出て、バイクのほうが多い駐輪場から自転車引っ張り出して、七、八分ほど漕いだところでコンビニ寄って夜食のおにぎり買って、それからまた走り出して、角を曲がろうとしたところで――――記憶が途切れている。


 なにか事故にあったんだろうか。
 それで、その衝撃でこの世界にきてしまったんだろうか。


     *


 目が覚めたときには、知らない天井。というか天蓋てんがいっていうの? ゴージャスな刺繍がびっしりと入った布が目に入って、ぼんやりしてるところへかけられた、聞いたこともない言葉。
 横になったまま、首だけ巡らせてみると、落ち着いた色のロングスカートをはいた、きれいな女の人が私に話しかけていた。

 そのとき、背筋がひやっとしたんだ。


 ここ、どこよ。


 日本語じゃない。英語でもない。中国語や韓国語の響きとも違う。フランス語やドイツ語とも違う気がする。

 ねえ、普通に考えてさ、現代日本で帰宅途中で気を失って、次に目が覚めたときに知らない言葉で話しかけられるパターンってなにがある? 
 外国育ちの外国語ネイティブが私を事故に巻き込んで、家に連れ帰ったとか? でも普通なら病院連れてくよね? 事故を隠蔽するつもりなら、こんなふうに助けたりしないでとっととどっかに埋めてるよね? アブノーマルな性癖のある人が私に惚れて監禁しようとしてるとか? いやいやいや、ないですないって。


 自慢じゃないけど、櫟原いちはら千花ちはな 24歳、ごくごく普通の女で、これまでつきあった人は大学時代の一人だけ。それも、肉体関係になるまでになんとなく疎遠になって自然消滅してしまったから、はばかりながら未だ処女。
 少しだけ平均より背が高くて細めなのと、染めたことのない黒髪が取り柄っちゃ取り柄だけど、逆に言えば凹凸のない男っぽい体型で垢抜けない髪型とも表現できるわけで。そんな自分に、監禁してまで惚れてくれるような相手がいるとはとても思えない。
 私の貧弱な想像力では、もう他に、知らない言葉で話しかけられるようなパターンを思いつかなかった。

 試しに、知っている限りの言語で挨拶してもみた。
「こんにちは」「ハロー」「ニイハオ」「グーテンターク」「ボンジュール」「カムサハムニダ」「オラ」「ブエノスディアス」「アッサラーム」「ジャンボ!」……。
 意外と知ってて自分でもびっくりした。でも全部通じなかった。女の人は困ったように目を伏せるだけ。もちろんロシア語とかスワヒリ語とかだったら通じないのも仕方ないけど、たぶんそのどちらでもない気がする。

 だって、現代日本に住んでる外国語ネイティヴなら、いくら日本語が話せないとしても、「こんにちは」くらい通じるんじゃないかな。外国旅行未経験の私でさえ、これだけいくつもの言語で「こんにちは」が言えるんだからさー。

 
 だから、ここは日本ではない、のだろう。


 知らないうちに日本語がまったく知られていない海外へ連れ去られていた、という可能性はさらに低いと思う。日本の税関なめんな。伊達に海に囲まれてるわけじゃないぞー。何らかの意図をもってさらったというなら、余計に日本語は通じるだろうし。


 特に身体に痛いところはなかったけれど、なんだかとてもだるくてだるくて、力が入らず起き上がれなかった。それだけでも不安なのに。


 伝わらない言葉。
 知らない場所。
 まったくわからない事情。
 見えない未来。


 まいった。


 上掛けを頭の上まで引き上げて、顔をすっぽり隠す。


 なんなのこれ。わけわかんないよ。
 どうすればいいの。どうすればいいのかさっぱりわかんない。


 声を殺しながら、ひたすら泣いた。


 目が覚めてからの私の一日目は、こうして過ぎた。


     *


 二日目は前日泣きすぎたせいか、頭が痛くて重くてやっぱり寝て過ごした。でも、それだけでも、新たにわかることがいくつもあった。


 私はただ寝ていてもOK、ということ。

 世話をしてくれる女の人は一人ではなくて、何人もいること。

 それが皆さん、同じデザインの服を着ている。たぶん制服、お仕着せ。使用人というか、いわゆるメイドさんなんだろう。メイド服、と聞いて浮かべる黒でフリルとはずいぶん違って、もっと地味で上品だけど。
 ということは、ここがどこか知らないけど、何人もの使用人を抱えられる結構なお金持ちの家だということ。
 これには正直ちょっとほっとした。ただ寝てるだけの罪悪感が減るわあ。私一人くらい穀潰ごくつぶしを抱えてもきっとなんともないよね? ね?

 ようやく短時間なら身体を起こせるようになったと同時に、トイレに行きたくなって、メイドさん二人に肩を借りて連れてってもらった。
 そこでわかったのが、トイレは水洗じゃないということ。
 けど、いわゆる汲み取りでもない。なぜなら、便器の穴の下に、流れる水が見えた。
 どうやら、トイレは川の上に建ってるみたい。

 
 現代日本で、処理もせずに川に垂れ流し――――ないない。
 ここが日本じゃない証拠が増えたような。


 どうやら電気も通ってない、ということ。
 辺りが暗くなってつけるのは蝋燭ろうそくが何本もささった燭台しょくだいで。部屋の隅には暖炉もあって。
 さらにここが日本じゃない証拠が増したような。


 ごはんは薄いおかゆみたいなもの――――お米ではなく、なにか白い穀物をつぶしたようなものだった。
 押し麦みたいに線が入っておらず、タピオカなんかみたいにむにゅむにゅもしてない。なんだろこれ。キャッサバ? 稗? 粟? それとも私の知らない穀物? 日本にはないような?

 二、三口しか食べられなくて、申し訳ないけど首を振る。すると、次はお盆にどっさり、別の料理を何皿も見せてくれた。肉料理やら、サラダらしきものやら、デザートっぽいものまである。どれか食べられないか、ということなんだろう。
 これにも首を振るのにはひどい罪悪感を押し殺さなければならなかった。

 ほら、もったいない、がデフォルトの日本人だからさー。メイドさんたちの気持ちもありがたいしさー。
 けど、これで間違いなくここがお金持ちだということは理解した。ありがたい。あまり遠慮なくお世話になれる。 


 とにかく、まずは元気にならなくちゃ。
 心配そうなメイドさんたちの顔を見ながら、そう誓う。


 これ以上、世話かけるのも嫌だし。一人で動けるようにならなきゃ、このよくわかんない事態を解明するのも難しいし。
 まさか、太らせてから食おうってわけじゃないとは思うけど、今のままじゃいざってときに逃げることさえままならないもんね。 


 明日はがんばって食べよう。
 それから、なんとかして起き上がれるようになろう。


 そう誓った二日目だった。 
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