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虎からの命令
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「まあ、いい。人間が弱くて惨めで哀れなどということは、住人どもを何人も食らっている僕には分かりきっているからね。そんなことより、おい人間――と呼ぶのも味気ないな。名前を訊いておこうか、よそ者」
「真一。沖野真一です」
「なんだ、しゃべる元気があるじゃないか。返事もできないほど怯えているのだとしたらどうしようかと、心を悩ませていたところなのだが、杞憂に終わってほっとしているよ。僕としても、こちらの要求に従順な召使いは多ければ多いほどいいからね」
「要求、ですか」
「まさかお前も、世間話をするためだけに会う約束をしたとは思っていないだろう」
やっぱりか、と思いながら、額の汗を手の甲で拭う。虎の表情は人間のようには変化しないが、人間だとすればどんな表情をしているのかは不思議と分かる。今の虎は、尊大な態度で真一をせせら笑っている。
「沖野真一、お前に対する要求は二つだ。まず、毎日この時間にこの場所まで、僕のための食料を届けろ」
「食料?」
「わざわざ言うまでもないことだが、僕は虎だから肉しか食べない。この竹林とその近辺の山には野生の動物が豊富に生息しているが、狩りは体力と神経を使うからね。楽な方法で食料を得られるならそれに越したことはないのだよ。
……その顔、人間を殺してその肉を持ってこい、などと僕が言っているように聞こえているのか? 安心しろ。人間は僕が勝手に襲って食うから、お前は人間用の肉を調達してくるんだ。動物の種類は問わない。買いに行ってもいいし、盗んでもいい。どちらも難しいなら、あの女地区長に頼め。分かっていると思うが、『虎に脅されて肉を持ってこいと命じられました』などと、馬鹿正直に説明するなよ。では、なんと言えばいい? それはお前が知恵を絞って考えるんだ。人間にはそれくらいしか能がないんだから、能力を活かせ。
本音を言えば、あの女の助けを借りるのは癪なのだが、僕が直接頭を下げるわけじゃないからね。一グラムでも多くの肉を確保してくるんだぞ」
食料を自力で手に入れるのも簡単ではないから、毎日肉を持ってこい。あまりにも素朴で、ある意味では人間くさい命令だ。漠然と想像していた「最悪」と比べると、ずいぶん楽だというのが率直な感想だ。
「もう一つは、僕の襲撃に対して小毬地区側がどんな対策を立てているのか。あるいは、僕を殺す計画などは立てているのか。それをお前に探ってきてほしいんだ。お前は地区長――西島咲子と言葉を交わす機会はあるか?」
「昨日今日とありました。昨夕彼女の家で会話したときには、『明日も来てください』と言われて、『いいですよ』と約束したので、おそらくは今日も話をすることになるかと」
「それは好都合。お前はよそ者だから、このちっぽけな地区に囚われている西島咲子には魅力的に映ったんだろうな」
虎の上唇が少し持ち上がり、乳白色の牙が二秒間ほど垣間見えた。人間でいえば、皮肉っぽく微笑してみせたというところか。
「真一。沖野真一です」
「なんだ、しゃべる元気があるじゃないか。返事もできないほど怯えているのだとしたらどうしようかと、心を悩ませていたところなのだが、杞憂に終わってほっとしているよ。僕としても、こちらの要求に従順な召使いは多ければ多いほどいいからね」
「要求、ですか」
「まさかお前も、世間話をするためだけに会う約束をしたとは思っていないだろう」
やっぱりか、と思いながら、額の汗を手の甲で拭う。虎の表情は人間のようには変化しないが、人間だとすればどんな表情をしているのかは不思議と分かる。今の虎は、尊大な態度で真一をせせら笑っている。
「沖野真一、お前に対する要求は二つだ。まず、毎日この時間にこの場所まで、僕のための食料を届けろ」
「食料?」
「わざわざ言うまでもないことだが、僕は虎だから肉しか食べない。この竹林とその近辺の山には野生の動物が豊富に生息しているが、狩りは体力と神経を使うからね。楽な方法で食料を得られるならそれに越したことはないのだよ。
……その顔、人間を殺してその肉を持ってこい、などと僕が言っているように聞こえているのか? 安心しろ。人間は僕が勝手に襲って食うから、お前は人間用の肉を調達してくるんだ。動物の種類は問わない。買いに行ってもいいし、盗んでもいい。どちらも難しいなら、あの女地区長に頼め。分かっていると思うが、『虎に脅されて肉を持ってこいと命じられました』などと、馬鹿正直に説明するなよ。では、なんと言えばいい? それはお前が知恵を絞って考えるんだ。人間にはそれくらいしか能がないんだから、能力を活かせ。
本音を言えば、あの女の助けを借りるのは癪なのだが、僕が直接頭を下げるわけじゃないからね。一グラムでも多くの肉を確保してくるんだぞ」
食料を自力で手に入れるのも簡単ではないから、毎日肉を持ってこい。あまりにも素朴で、ある意味では人間くさい命令だ。漠然と想像していた「最悪」と比べると、ずいぶん楽だというのが率直な感想だ。
「もう一つは、僕の襲撃に対して小毬地区側がどんな対策を立てているのか。あるいは、僕を殺す計画などは立てているのか。それをお前に探ってきてほしいんだ。お前は地区長――西島咲子と言葉を交わす機会はあるか?」
「昨日今日とありました。昨夕彼女の家で会話したときには、『明日も来てください』と言われて、『いいですよ』と約束したので、おそらくは今日も話をすることになるかと」
「それは好都合。お前はよそ者だから、このちっぽけな地区に囚われている西島咲子には魅力的に映ったんだろうな」
虎の上唇が少し持ち上がり、乳白色の牙が二秒間ほど垣間見えた。人間でいえば、皮肉っぽく微笑してみせたというところか。
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