少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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中後保の過去⑤

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 僕は小毬の住人たちを襲撃することにした。

 高揚感はあったが怖くはなかった。返り討ちに遭うなんて微塵も考えなかったね。何か月ぶりに小毬に向かう足取りは、我ながら堂々としたものだったよ。
 堂々と、という形容とは矛盾するようだが、夜陰にまぎれて襲撃した。むかつくという意味では全員が該当するから、選んだ家は適当だ。被害者の名前すら覚えてない。戸をぶち破って、住人が寝ている部屋を嗅覚で突き止めて、喉笛を食い破って、それでおしまいだ。逃げるどころか目を覚ます隙すら与えなかったよ。どうやっていたぶろうかと漠然と考えていたんだけど、いざ本番になると、殺すことだけを目標に動いていた。沖野真一も、集会所で僕の殺しっぷりを見ただろう? ちょうどあんな感じだよ。返り血を浴びると頭に血が昇るんだ。

 思いがけず得た収穫は、人肉の美味さ。人間なんて動物と比べるとカスみたいな身体能力で、野生の動物よりも仕留めるのは断然簡単だから、労力の節約にもなる。復讐も果たせて一石二鳥ということで、必要と気分に応じて襲撃することに決めた。

 そんな日々をくり返す中で、今宮南那という思わぬ協力者を得て、沖野真一とも出会って、今に至るというわけだ。


* * *
 

 虎が語り終えてから一分以上が経過しても、真一はしゃべり出せなかった。中後保の壮絶な第一の人生にも衝撃を受けたが、虎という第二の人生をあまりにもすんなりと受け入れたのが、それ以上に衝撃的だった。
 それだけ小毬の住人を恨んでいると言ってしまえば、それまでなのだろう。しかし、夢に向かってひたむきに努力を重ねてきた文学青年が、人を殺す虎としての人生を全面的に肯定しているのだと思うと、やるせないような、悔しいような、この世界は本質的に救いがないものであるかのような、そんな絶望的な気分になる。

 時折感情的になって言葉を重ねすぎることもあったが、自らが体験した過去を時系列に沿って、ある程度の客観性を保ちながら、理路整然と語る虎の語り口からは、人間らしい理性がうかがえた。自己や他者に対する批評における言い回しや語彙からは、広い意味での知性が感じられた。

 虎になっても、人間時代と比べればいくらか減退したかもしれないが、理性と知性は残った。それを効果的に活用して、姿形が変わったとしても人間らしく生きていくこともできたはずだ。死んだことで、小毬の住人からは「この世にいない人」と見なされたのだから、それを利用して、孤独だが平穏な第二の人生を送れたはずだ。
 それなのに中後保は、どす黒い復讐心に身を委ねた。殺人という大罪を犯し、自らも命を狙われる立場になった。
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