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驚いた?

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 ホテルでの一件から五日が経ち、新菜がアパートに引っ越してくる日が来た。
 新菜の強い希望で選ばれた、俺が住む部屋の隣室。その室内を、俺は昼前から一人で掃除をしている。

「なんで俺がこんなことを……」

 愚痴っても仕方がないと分かってはいるが、口から愚痴がこぼれるのを抑えられない。
 時刻は現在、午後一時を少々過ぎたところ。先程、コンビニで買ってきた弁当で食事を済ませてからというもの、ずっと拭き掃除をしている。半時間ほど前に麦から連絡が入り、「あと一時間くらいで帰る」との報告があったが、それまでに済ませられるだろうか。

 麦と新菜は二人で出かけている。引っ越しをするにあたって必要な諸々の手続きを済ませたり、必要なものを買い込んだりするため、だそうだ。三人で部屋の掃除をやって、三人で用事を済ませればいいのでは? そう意見したのだが、麦曰く、

『女同士でしかできないこともあるの。米太郎は体力が有り余っているんだから、そっちの役目を引き受けて。新菜の第二の人生のためなんだから、嫌でも協力して』

 ……とのことらしいが、あいつの性格だ、楽をしたかったからというのが最大の理由だったのは間違いあるまい。
 通話した際の声の感じから判断した限り、麦は新菜と上手くやっているようだったから、その意味では安心したが。



 部屋の掃除は午後二時前に完了した。
 最後に連絡があった際に麦が告げた一時間後は既に過ぎているが、二人はまだ帰らない。
 ベランダに出て、アパート前の道に目を向けると――いた。仲睦まじそうに話をしながら、こちらへと向かってくる二人の女性。

 部屋を出て一階に降りる。門の前で待ち構えていると、ほどなく到着した。

「米太郎、久しぶり。掃除、終わった?」

 麦はいつもの服装かつ、いつもの調子だ。隣の新菜ははにかむように微笑み、軽く頭を下げた。

 長かった髪の毛をばっさりと切り、耳にかかる程度に短くしている。服装は、黒いドレスとは打って変わって、明るい印象の暖色系。外見もそうだが、顔つきも明らかに違う。朗らかで、柔和で、可愛げがあって――ポジティブな形容詞が次々と浮かんでくる。ホテルでフロント係のお姉さんに向かって包丁を振り上げていた彼女とはまるで別人だ。
 男なら誰しも恋人にしたいと思わせる、そんな魅力的な女に新菜は変身を遂げていた。

「どう? 驚いた? 私も驚いた! スタイルがいいから、ファッションに気をつかったら凄くかわいいよね。ま、私ほどじゃないけど」

 麦の賞賛の言葉に、新菜は控えめな照れ笑いをこぼした。俺の目の前まで歩を進め、恭しくお辞儀する。

「米村さん、五日前はありがとうございました。散々迷惑かけてしまって……」
「いや、いいよ、お礼なんて。もう済んだことだし」
「あ、照れてるの? だよねぇ。今日からこんなかわいい子が隣で暮らすんだから」

 肘で脇腹をつついてくる麦。それを払い除ける俺。そんなやりとりを見ている新菜は微笑ましそうな表情を見せている。

「これから大家さんのところ行ってくるから、米太郎はそれまで自分の部屋で適当にゴロゴロしてて。じゃあ新菜、行こうか」

 麦は新菜の腕を掴み、家入家の方向へ歩いていく。
 なんか仲いいな、あの二人。
 遠ざかる後ろ姿を見送りながら、そんなことを思った。



 新菜の荷物を部屋に運び込み、然るべき場所に配置する作業はすぐに終わった。
 それからは三人で談笑に耽った。メインで喋るのが麦。その相手役を務めるのが新菜。もっぱら聞き役に回り、話に入れそうな時にだけ会話に加わるのが俺。予想以上に二人の呼吸がぴったりなので、置いてきぼりを食らってしまうと言った方が正確だろうか。俺とは違い、新菜は麦のツッコミどころがある発言に一々茶々を入れたりしない。それ故に、話が一本の線となってどこまでも続くため、一度機会を逸したが最後、話題が変わるまで話に割り込めないこともしばしばあった。

 十代の女二人が和気藹々と談笑している光景は華やかで、俺としては眺めているだけで満足だったが、麦が放ってはおかなかった。

「ちょっと米太郎、さっきからなに黙ってるの? 掃除をするよう言いつけられたのを根に持って、ふて腐れているの? 全く、子供じゃないんだから」

 黙っている時間が長引くと、呆れたような、馬鹿にしたような口振りでそう言葉をかけてきたり、

「で、新菜のおっぱいを揉んでた時、どういう気持ちだった?」

 話題が五日前の一件、あるいは新菜の容姿に及ぶと、すかさずそうからかってきたりと、俺を長きにわたって黙らせてはおかないのだ。
 癪に障ることを言われれば、俺は食ってかかる。麦はそれに応じ、ちょっとした言い合いに発展する。ふと我に返って新菜に目を転じると、迷惑がるでも、小馬鹿にするでもなく、微笑ましそうに俺たちのやりとりを眺めている。そんな態度に却って羞恥を覚え、幼稚な兆発には乗るまいと心に誓うのだが、結局はまた麦とコントめいたやりとりを繰り広げ、新菜が控え目に笑みをこぼす。そんな場面が何度も繰り返された。



 宅配ピザで夕食を済ませ、その後も飽かずに無駄話に興じた。
 ふと気がついた時には、もう夜の十時が近い。

「おい、麦。もう十時だぜ。これ以上邪魔するのは迷惑だから、帰るぞ」
「帰るの? あ、そう。じゃあね」

 畳の上に寝転がった麦は、いかにも怠そうに俺に向かって手を振り、その手で口元を覆ってあくびをした。脚を大きく開いているので、スカートからショーツのピンク色がばっちり見えている。まるで自宅にいるみたいなリラックスぶりだ。

「いや、お前も帰れよ。新菜の邪魔になるだけなんだから。ったく、自分の家にいるみたいにだらだらしやがって」
「自分の家ではないけど、しばらく住むし」
「は?」
「今日からしばらく、新菜のところに厄介になることになったから。そうだよね、新菜?」

 体を起こし、呼びかけた相手に向かって笑いかける。新菜は嫌な顔一つせずに頷く。俺の頭上に浮かぶクエスチョンマークを解消する役目は新菜が引き受けた。

「麦さんは私のためにお金を使ったので、ホテルに宿泊するお金がなくなってしまったんです。麦さんには困っているところを助けてもらったのだから、今度は私が麦さんを助ける番。当然だと思うのですが……?」
「ということは――」

 麦はまず新菜と、次に俺と目を合わせ、白い歯をこぼした。

「そう。しばらくの間、私も米太郎のお隣さんになるの。短い間かもしれないけど、よろしくね」
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