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六
俺が食べさせてあげる
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広いとは口が裂けても言えない台所に、姫ちゃんと新菜が並んで立ち、料理に励んでいる。知識と腕前は姫ちゃんの方が一枚上らしく、アドバイスしたり、手本を示してみたりしている。二人の顔つきは基本的には真剣ながらも、笑みと笑い声が頻繁にこぼれた。
年下の姫ちゃんが指導する立場に立って、でも年上の新菜に対するリスペクトは忘れていなくて、新菜も姫ちゃんに敬意を表しているが、お姉さんとしてリードするところはしっかりとリードしている。そんな絶妙な力関係が微笑ましかった。
一方の俺は、麦と一緒に六畳間で夕食が完成するのを待っている。俺はスマホを片手に時々台所の様子を眺めながら。麦は漫画本を顔に被せてうたた寝しながら。買い出しという、課せられた仕事はちゃんとこなしたものの、役に立っていない感が凄まじく、かなり後ろめたい。
「麦ちゃん、米太郎さん、お待たせ」
決まりの悪い思いから俺を救うべく、二人が大皿を手に六畳間まで来た。食欲をそそる匂いに、卓袱台の上に並べられた皿を覗き込む。巨大なハンバーグ。何種類もの食材が使われたサラダ。溶き卵の淡い黄色が鮮やかなスープ。副菜は他にもまだ何品かある。どの料理も見るからに美味そうだ。
「おっ、料理できたんだ。美味しそう!」
新菜の声を聴き取ったのか、あるいは匂いに反応したのか、麦が目を覚ました。卓袱台までいざり寄り、まだ配膳が終わっていないのに箸を手にする。
「起きたと思ったら飯かよ。食い意地張ってんなぁ」
などと言いつつも、食べるのを待ちきれず、さっさと卓袱台に着く。麦の真正面に当たる位置だ。もっとも、流石に行儀が悪すぎるので、箸は手に取らなかったが。
やがて全ての料理が卓袱台の上に並んだ。こちらまで戻ってきた姫ちゃんは、素早く俺の隣に座った。それを目の当たりにした新菜は、微笑ましそうに白い歯をこぼし、麦の隣にしとやかに腰を下ろした。
「いただきます」
一足も二足も早く食べ始めた麦も含めた全員が声を揃え、食事が始まった。
まずはメインのハンバーグに箸をつける。噛むと旨味たっぷりの肉汁が口の中いっぱいに広がった。お世辞抜きに、飲食店で提供されるものと遜色のないレベルの味だ。続いて他の料理も一通り食べてみる。どれも文句のつけようがないくらい美味い。
「米太郎さん、味はどう? お口に合う?」
新菜が問うてきた。隣では姫ちゃんが箸をとめ、回答を待ち構えている。
「うん、すげぇ美味い。こんな美味しい手料理を食べられるなんて、自分、幸せっす」
口調が若干おかしくなってしまったが、ふざけて嘘をついているわけではない、ということは伝わったらしく、新菜と姫ちゃんは安堵したような微笑みを交わし合った。
直後、俺は妙案を閃いた。
「姫ちゃん、あーんしてあげようか。俺が食べさせてあげる」
顔が見る見る赤くなる。
「ハンバーグがいいかな。ちょっと熱いかもしれないけど、まあ大丈夫でしょ」
「間接キスでもしようっていうの? 米太郎、やることがせこすぎ」
麦が小馬鹿にしたように口を挟んできた。少しずつ取り分ければいいものを、一枚の小皿に大量のおかずを入れて食べている。
「口の中を空にしてから喋れよ。箸は姫ちゃんのを使うから、心配するな。ほら、貸して」
姫ちゃんの箸を奪い、姫ちゃんの皿からハンバーグを一口分カットし、つまみ上げる。姫ちゃんは赤い顔のまま新菜に助けを求めたが、求められた方はただ微笑するばかりだ。
「はい、あーん」
ハンバーグを突きつけると、姫ちゃんは覚悟を決めたように目を瞑り、口を開いた。そこへ箸につまんだものを入れ、箸だけを引っ込める。口を閉じ、咀嚼。一口分なので、口の中はあっという間に空になる。姫ちゃんは瞼を開き、上目遣いに俺を見ながら、消え入るような声で、
「美味しい、です……」
新菜は拍手を送り、姫ちゃんの頬をさらに赤くさせた上で、こんな提案をした。
「姫ちゃん、お返しに米太郎さんに食べさせてあげて。きっと喜ぶわ」
こちらとしても、その展開は期待していたところだ。自らの箸を自ら相手に手渡し、お願いします、と頭を下げる。姫ちゃんは勢いに呑まれて箸を手にしたが、ひとたび手にした以上、そのまま突き返すのは失礼だと考えたのだろう。照れくさそうにしながらも、俺が踏んだのと同じ手順を踏み、一切れのハンバーグを俺の口元に差し出した。
食べさせられるというより、自分から箸がつまんだものを口に含んだ。食べ終わるや否や、無言で親指を突き立てる。再び新菜からの拍手。姫ちゃんは俯いてしまったが、新菜から肩を叩かれ、俺と麦から言葉で促され、赤味の抜けない顔で食事を再開した。
話し声とふざけ合いが絶えない、リラックスした雰囲気で食事は進んだ。
ちょっとしたアクシデントが発生したのは、大皿の中身がそろそろ少なくなってきた時のことだった。
「あっ」
がつがつと食べていたのが災いしたのか、麦が箸からおかずをこぼし、ワイシャツの上に落としてしまったのだ。
「うわっ、やばい! 貴重な一張羅が……!」
すかさず新菜がヘルプに入る。性格的も座っている位置的にも、当然予想された行動だったが、麦に対する処置は予想外だった。
「大変。染みになっちゃう」
汚れたシャツを麦の体から脱がせたのだ。麦は一切抵抗しなかった。ブラジャーに包まれただけの胸が目の前に曝け出され、思わず箸が止まる。
一番上のボタンを開けていたせいで、おかずは胸にも接触したらしく、新菜はティッシュでその部分を拭き始めた。新菜の手が動くたびに、弾力を誇示するように膨らみが微かに揺れる。
作業を終えると、新菜は汚れた服を手に脱衣場へと走った。一方の麦は、上半身下着姿のまま、何食わぬ顔で食事を再開する。
『おい、服着てから飯食えよ。下品だな』
そう言うべきなのだろうが、ついついまじまじと眺めてしまう。男の悲しい性というやつだ。下着に包まれただけのFカップは、流石に卑怯だ。
新菜は手ぶらで戻ってきて、平然と食事に戻った。女二人で暮らしているし、麦は元々だらしない性格だから、感覚が麻痺しているのかもしれない。そうは言っても、俺は男だし、姫ちゃんはお客さんなのだから、やはり苦言を呈するべきではないか。
「姫ちゃん、どうしたの? お箸止まってるよ」
新菜の声に釣られて隣を向く。姫ちゃんの小皿は空だが、茶碗にご飯は残っている。頬をうっすらと赤く染め、ちらちらと麦の方に視線を投げかけている。麦の胸に圧倒されているらしい。
「成長期なんだから、しっかり食べないと。装ってあげるね」
新菜は小皿を取ろうと前屈みになったが、その際、胸元から白い谷間がばっちり見えた。そして、おかずを装った小皿を返す時にももう一回。
……もしかすると、俺は大変な状況に置かれているのかもしれない。
年下の姫ちゃんが指導する立場に立って、でも年上の新菜に対するリスペクトは忘れていなくて、新菜も姫ちゃんに敬意を表しているが、お姉さんとしてリードするところはしっかりとリードしている。そんな絶妙な力関係が微笑ましかった。
一方の俺は、麦と一緒に六畳間で夕食が完成するのを待っている。俺はスマホを片手に時々台所の様子を眺めながら。麦は漫画本を顔に被せてうたた寝しながら。買い出しという、課せられた仕事はちゃんとこなしたものの、役に立っていない感が凄まじく、かなり後ろめたい。
「麦ちゃん、米太郎さん、お待たせ」
決まりの悪い思いから俺を救うべく、二人が大皿を手に六畳間まで来た。食欲をそそる匂いに、卓袱台の上に並べられた皿を覗き込む。巨大なハンバーグ。何種類もの食材が使われたサラダ。溶き卵の淡い黄色が鮮やかなスープ。副菜は他にもまだ何品かある。どの料理も見るからに美味そうだ。
「おっ、料理できたんだ。美味しそう!」
新菜の声を聴き取ったのか、あるいは匂いに反応したのか、麦が目を覚ました。卓袱台までいざり寄り、まだ配膳が終わっていないのに箸を手にする。
「起きたと思ったら飯かよ。食い意地張ってんなぁ」
などと言いつつも、食べるのを待ちきれず、さっさと卓袱台に着く。麦の真正面に当たる位置だ。もっとも、流石に行儀が悪すぎるので、箸は手に取らなかったが。
やがて全ての料理が卓袱台の上に並んだ。こちらまで戻ってきた姫ちゃんは、素早く俺の隣に座った。それを目の当たりにした新菜は、微笑ましそうに白い歯をこぼし、麦の隣にしとやかに腰を下ろした。
「いただきます」
一足も二足も早く食べ始めた麦も含めた全員が声を揃え、食事が始まった。
まずはメインのハンバーグに箸をつける。噛むと旨味たっぷりの肉汁が口の中いっぱいに広がった。お世辞抜きに、飲食店で提供されるものと遜色のないレベルの味だ。続いて他の料理も一通り食べてみる。どれも文句のつけようがないくらい美味い。
「米太郎さん、味はどう? お口に合う?」
新菜が問うてきた。隣では姫ちゃんが箸をとめ、回答を待ち構えている。
「うん、すげぇ美味い。こんな美味しい手料理を食べられるなんて、自分、幸せっす」
口調が若干おかしくなってしまったが、ふざけて嘘をついているわけではない、ということは伝わったらしく、新菜と姫ちゃんは安堵したような微笑みを交わし合った。
直後、俺は妙案を閃いた。
「姫ちゃん、あーんしてあげようか。俺が食べさせてあげる」
顔が見る見る赤くなる。
「ハンバーグがいいかな。ちょっと熱いかもしれないけど、まあ大丈夫でしょ」
「間接キスでもしようっていうの? 米太郎、やることがせこすぎ」
麦が小馬鹿にしたように口を挟んできた。少しずつ取り分ければいいものを、一枚の小皿に大量のおかずを入れて食べている。
「口の中を空にしてから喋れよ。箸は姫ちゃんのを使うから、心配するな。ほら、貸して」
姫ちゃんの箸を奪い、姫ちゃんの皿からハンバーグを一口分カットし、つまみ上げる。姫ちゃんは赤い顔のまま新菜に助けを求めたが、求められた方はただ微笑するばかりだ。
「はい、あーん」
ハンバーグを突きつけると、姫ちゃんは覚悟を決めたように目を瞑り、口を開いた。そこへ箸につまんだものを入れ、箸だけを引っ込める。口を閉じ、咀嚼。一口分なので、口の中はあっという間に空になる。姫ちゃんは瞼を開き、上目遣いに俺を見ながら、消え入るような声で、
「美味しい、です……」
新菜は拍手を送り、姫ちゃんの頬をさらに赤くさせた上で、こんな提案をした。
「姫ちゃん、お返しに米太郎さんに食べさせてあげて。きっと喜ぶわ」
こちらとしても、その展開は期待していたところだ。自らの箸を自ら相手に手渡し、お願いします、と頭を下げる。姫ちゃんは勢いに呑まれて箸を手にしたが、ひとたび手にした以上、そのまま突き返すのは失礼だと考えたのだろう。照れくさそうにしながらも、俺が踏んだのと同じ手順を踏み、一切れのハンバーグを俺の口元に差し出した。
食べさせられるというより、自分から箸がつまんだものを口に含んだ。食べ終わるや否や、無言で親指を突き立てる。再び新菜からの拍手。姫ちゃんは俯いてしまったが、新菜から肩を叩かれ、俺と麦から言葉で促され、赤味の抜けない顔で食事を再開した。
話し声とふざけ合いが絶えない、リラックスした雰囲気で食事は進んだ。
ちょっとしたアクシデントが発生したのは、大皿の中身がそろそろ少なくなってきた時のことだった。
「あっ」
がつがつと食べていたのが災いしたのか、麦が箸からおかずをこぼし、ワイシャツの上に落としてしまったのだ。
「うわっ、やばい! 貴重な一張羅が……!」
すかさず新菜がヘルプに入る。性格的も座っている位置的にも、当然予想された行動だったが、麦に対する処置は予想外だった。
「大変。染みになっちゃう」
汚れたシャツを麦の体から脱がせたのだ。麦は一切抵抗しなかった。ブラジャーに包まれただけの胸が目の前に曝け出され、思わず箸が止まる。
一番上のボタンを開けていたせいで、おかずは胸にも接触したらしく、新菜はティッシュでその部分を拭き始めた。新菜の手が動くたびに、弾力を誇示するように膨らみが微かに揺れる。
作業を終えると、新菜は汚れた服を手に脱衣場へと走った。一方の麦は、上半身下着姿のまま、何食わぬ顔で食事を再開する。
『おい、服着てから飯食えよ。下品だな』
そう言うべきなのだろうが、ついついまじまじと眺めてしまう。男の悲しい性というやつだ。下着に包まれただけのFカップは、流石に卑怯だ。
新菜は手ぶらで戻ってきて、平然と食事に戻った。女二人で暮らしているし、麦は元々だらしない性格だから、感覚が麻痺しているのかもしれない。そうは言っても、俺は男だし、姫ちゃんはお客さんなのだから、やはり苦言を呈するべきではないか。
「姫ちゃん、どうしたの? お箸止まってるよ」
新菜の声に釣られて隣を向く。姫ちゃんの小皿は空だが、茶碗にご飯は残っている。頬をうっすらと赤く染め、ちらちらと麦の方に視線を投げかけている。麦の胸に圧倒されているらしい。
「成長期なんだから、しっかり食べないと。装ってあげるね」
新菜は小皿を取ろうと前屈みになったが、その際、胸元から白い谷間がばっちり見えた。そして、おかずを装った小皿を返す時にももう一回。
……もしかすると、俺は大変な状況に置かれているのかもしれない。
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