38 / 109
38
しおりを挟む
「あの、先生。わたくしになにか用でしょうか?」
「いや……」
先生は後頭部を掻く。二人の視線が漸く重なった。
「君に用事があるのは確かだが、脱衣中に入ってきたのはよくなかったね。就寝する前に伝えなければと焦るあまり、こんな形になってしまったのだが」
「とんでもありません! わたくしは使用人なのだから、いつでもお好きなときに声をかけてください。気をつかう必要はありません」
「しかし、脱衣場の中はさすがにまずいね。君が入浴を終えてからにしよう」
「いえ、この場でお願いできますか。先生を待たせるわけにはいきませんから。あ、でも、上を一枚だけ着させてください」
首肯が返ってきたので、大急ぎで肌着を身に着ける。先生の視線をひしひしと感じ、顔から火が出る思いをしながらの作業となる。「用事」のことで頭がいっぱいで、伝える相手につい注目してしまっているだけだ。そう頭では理解していても、恥ずかしいものは恥ずかしい。
もたつきながらも着衣を完了し、恥ずかしさを懸命に堪えながら先生に向き直る。先程までの先生がそうだったように、話し相手の目を見ることができない。無意識に、右腕をL字に曲げて胸を隠していることに気がつく。肌着の上にも着ればよかった、と思ったが、先生の前で隠しごとをするのは失礼だ。引力を感じながらも右手を下ろす。そろそろ深夜に足を踏み入れる時間帯の京山家を支配するのは、王の前に跪く千人の兵士のような静謐。
「君に伝えておきたいのは、小説のことだ」
文字どおり一瞬にして、照れくささが吹き飛んだ。
「この一週間、君に小説のことはなに一つ教えなかったね。気が緩むといけないと思って方針は伝えていなかったが、一か月経って勤務態度に問題がないようなら、少しずつ教えていこうと考えていたんだよ。しかし、予定を少し早めて二週間後の夜から、小説執筆に関する講義を執り行おうと考えている。時間は、そうだな、君の仕事が終わってから入浴するまでの間としようか。どうだろう?」
「断る理由はありません。ですが、その……」
喉が鳴らないように唾を飲み込む。
「本当に、よろしいのですか? 考えがあって、一か月後からと決められたのでしょう。わたくしとしては、教えてくださることを口頭で確約していただいただけでも充分です。ですから、無理に時期を早めなくても」
「それでは私の心が納得しないよ。君には迷惑をかけてしまったから、少しでも埋め合わせをしないと」
「いや……」
先生は後頭部を掻く。二人の視線が漸く重なった。
「君に用事があるのは確かだが、脱衣中に入ってきたのはよくなかったね。就寝する前に伝えなければと焦るあまり、こんな形になってしまったのだが」
「とんでもありません! わたくしは使用人なのだから、いつでもお好きなときに声をかけてください。気をつかう必要はありません」
「しかし、脱衣場の中はさすがにまずいね。君が入浴を終えてからにしよう」
「いえ、この場でお願いできますか。先生を待たせるわけにはいきませんから。あ、でも、上を一枚だけ着させてください」
首肯が返ってきたので、大急ぎで肌着を身に着ける。先生の視線をひしひしと感じ、顔から火が出る思いをしながらの作業となる。「用事」のことで頭がいっぱいで、伝える相手につい注目してしまっているだけだ。そう頭では理解していても、恥ずかしいものは恥ずかしい。
もたつきながらも着衣を完了し、恥ずかしさを懸命に堪えながら先生に向き直る。先程までの先生がそうだったように、話し相手の目を見ることができない。無意識に、右腕をL字に曲げて胸を隠していることに気がつく。肌着の上にも着ればよかった、と思ったが、先生の前で隠しごとをするのは失礼だ。引力を感じながらも右手を下ろす。そろそろ深夜に足を踏み入れる時間帯の京山家を支配するのは、王の前に跪く千人の兵士のような静謐。
「君に伝えておきたいのは、小説のことだ」
文字どおり一瞬にして、照れくささが吹き飛んだ。
「この一週間、君に小説のことはなに一つ教えなかったね。気が緩むといけないと思って方針は伝えていなかったが、一か月経って勤務態度に問題がないようなら、少しずつ教えていこうと考えていたんだよ。しかし、予定を少し早めて二週間後の夜から、小説執筆に関する講義を執り行おうと考えている。時間は、そうだな、君の仕事が終わってから入浴するまでの間としようか。どうだろう?」
「断る理由はありません。ですが、その……」
喉が鳴らないように唾を飲み込む。
「本当に、よろしいのですか? 考えがあって、一か月後からと決められたのでしょう。わたくしとしては、教えてくださることを口頭で確約していただいただけでも充分です。ですから、無理に時期を早めなくても」
「それでは私の心が納得しないよ。君には迷惑をかけてしまったから、少しでも埋め合わせをしないと」
0
あなたにおすすめの小説
見上げた空は、今日もアオハルなり
木立 花音
青春
──私の想いは届かない。私には、気持ちを伝えるための”声”がないから。
幼馴染だった三人の少年少女。広瀬慎吾(ひろせしんご)。渡辺美也(わたなべみや)。阿久津斗哉(あくつとおや)。そして、重度の聴覚障害を抱え他人と上手くうち解けられない少女、桐原悠里(きりはらゆうり)。
四人の恋心が激しく交錯するなか、文化祭の出し物として決まったのは、演劇ロミオとジュリエット。
ところが、文化祭の準備が滞りなく進んでいたある日。突然、ジュリエット役の桐原悠里が学校を休んでしまう。それは、言葉を発しない彼女が出した、初めてのSOSだった。閉ざされた悠里の心の扉をひらくため、今、三人が立ち上がる!
これは──時にはぶつかり時には涙しながらも、卒業までを駆け抜けた四人の青春群像劇。
※バレンタイン・デイ(ズ)の姉妹作品です。相互にネタバレ要素を含むので、了承願います。
※表紙画像は、ミカスケ様にリクエストして描いて頂いたフリーイラスト。イメージは、主人公の一人悠里です。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
神楽坂gimmick
涼寺みすゞ
恋愛
明治26年、欧州視察を終え帰国した司法官僚 近衛惟前の耳に飛び込んできたのは、学友でもあり親戚にあたる久我侯爵家の跡取り 久我光雅負傷の連絡。
侯爵家のスキャンダルを収めるべく、奔走する羽目になり……
若者が広げた夢の大風呂敷と、初恋の行方は?
再婚相手の連れ子は、僕が恋したレンタル彼女。――完璧な義妹は、深夜の自室で「練習」を強いてくる
まさき
恋愛
「初めまして、お兄さん。これからよろしくお願いしますね」
父の再婚によって現れた義理の妹・水瀬 凛(みなせ りん)。
清楚なワンピースを纏い、非の打ち所がない笑顔で挨拶をする彼女を見て、僕は息が止まるかと思った。
なぜなら彼女は、僕が貯金を叩いて一度だけレンタルし、その圧倒的なプロ意識と可憐さに――本気で恋をしてしまった人気No.1レンタル彼女だったから。
学校では誰もが憧れる高嶺の花。
家では親も感心するほど「理想の妹」を演じる彼女。
しかし、二人きりになった深夜のキッチンで、彼女は冷たい瞳で僕を射抜く。
「……私の仕事のこと、親に言ったらタダじゃおかないから」
秘密を共有したことで始まった、一つ屋根の下の奇妙な生活。
彼女は「さらなるスキルアップ」を名目に、僕の部屋を訪れるようになる。
「ねえ、もっと本気で抱きしめて。……そんなんじゃ、次のデートの練習にならないでしょ?」
これは、仕事(レンタル)か、演技(家族)か、それとも――。
完璧すぎる義妹に翻弄され、理性が溶けていく10日間の物語。
『著者より』
もしこの話が合えば、マイページに他の作品も置いてあります。
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/658724858
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる