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蜜柑のあるホテル
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東京二十三区におけるホテルの宿泊料金の相場がいくらくらいなのかは知らないが、個人的な感覚からすればかなり安いと感じるホテルを、移動を開始して約半時間後に発見した。
ホテルの名称は『リア』。外観的にはなんの変哲もなく、どこにでもある普通のホテルという印象だ。
「よっしゃ、ここにしたろ」
俺は光の速さで決定を下した。安いし、これ以上探すのが面倒くさかったので、ここでいいや、と思ったのだ。
自動ドアを潜ると、内装も至って平凡だ。ロビーに人の姿はないが、客室の空き具合はどうなのか。フロントへと歩を進め、受付のお姉さんに話しかけると、
「泊まりたいんですけど、部屋は空いていますか?」
「空いている部屋なら、有り余っていますよ。余りまくりです」
との返答。一泊を希望する旨を伝え、速やかにチェックインを済ませた。ルームキーを受け取り、エレベーターで最上階の九階へ。
部屋はそれなりの広さで、内装は至って平凡。要するに普通だ。
中を一通り見てしまうと、やることがなくなった。ホテルの外まで出かける気分ではないが、室内でだらだらと過ごすのもどうなのか。
「だったら、ホテルの中をぶらぶらすればいいじゃない」
というわけで、部屋を出る。行き先はどこでもよかったが、とりあえず一階へ。フロントのお姉さんが美人だったから? 正直、まあ、それもあった。
暇に任せてぶらついていたところ、ロビーで興味深いものを発見した。
生えているのだ。ロビーの一隅に、リノリューム張りの床が三十センチ×三十センチほどの正方形に切り取られ、湿り気を帯びた土が剥き出しになっている箇所があるのだが、そこから蜜柑の木が。
幹の太さは女子中学生の二の腕ほどしかなく、頼りないことこの上ない。反面、背がやたらと高く、あと一息で天井に届きそうだ。鮮やかな緑色の葉が繁り、枝のあちこちにオレンジ色の実が生っている。スーパーマーケットなどで「何々みかん」という商品名で売られている、ごく普通の蜜柑だと思われる。
それにしても、なぜロビーに蜜柑なのか。
「どうして、ロビーに蜜柑の木が生えているんですか?」
気になったので、フロントのお姉さんに質問してみる。お姉さんが美人だから? 正直、まあ、それもあった。
「ひとりでに生えてきたのです。誰かがあの場所に植えたのではなく、ある日突然、床を突き破って」
年齢は二十代半ばだろうか、セミロングヘアがお似合いの綺麗なお姉さんは、声も表情もにこやかに答えた。営業スマイルなのだろうが、好感以外の感情を抱きようがない笑顔だ。ネームプレートによると、名前は古謝夏葉。
「突き破ったんですか。中々ガッツがありますねぇ」
「普通なら直ちに引き抜いて捨てるところを、類い希なるガッツに敬意を表して、残しておいたのです。そうしたら、あんなに大きく成長して、実までつけて」
「世話は誰がしているんですか?」
「従業員が交代でやっています。あのくらいの大きさになると、少し水をやらなかったくらいで枯れることはありませんし、常緑だから葉っぱを落とすこともないし、優等生なんです」
「実もつけるし」
「そう、実もつけるんです。毎年、毎年」
「ちなみに、実はどうされているんですか?」
「お客様に無料で収穫・お持ち帰りいただいています」
「へえ、無料で収穫」
「はい、無料で収穫。お客様もどうですか?」
「いやぁ……。じゃあ、まあ、チェックアウトのときにでも」
曖昧に笑ってフロントをあとにした。古謝さんとのお喋りに嫌気が差したのではない。蜜柑について語り合ったせいか、空腹を覚えたので、部屋に戻ってルームサービスを頼もうと思ったのだ。
部屋に引っ込むや否や、サイドテーブルの上に置かれているルームサービスのメニューを手に取る。肉料理、魚料理、ご飯、パン、パスタ、スープ、サラダ、スイーツ、ドリンク。ラインアップが不気味なまでに豊富だ。
腹に溜まる一品を選びたかった。昼飯に牛丼を食べたことは勿論記憶しているが、そんな些事には頓着することなく、ご飯の項目に視線を這わせる。
検討の結果、「まずい学食風カレーライス」を注文することに決めた。カレーライスに類する料理はその一品しかないらしい。カレーライスが食べたくて堪らない気分の俺としては、日本人ならではの、謙遜の心が反映されたネーミングだと信じたかった。炭水化物には、なにかしら人を狂わせるものがある。
備えつけの電話機でフロントに電話をかける。応対に出たのは、古謝さんの声。
「あっ、ルームサービスの受付も担当されているんですね」
「はい。暇なので」
事もなげに答える。古謝さんは、広い意味でゆったりとした人のようだ。
「じゃあ、『まずい学食風カレーライス』をお願いします。それから――」
適当なドリンクも注文し、通話終了。
暇だとアピールをしていたし、まさか、運んでくるのも古謝さんだろうか? ……なんかドキドキしてきた。
部屋の出入口のドアまで移動し、ドアスコープを覗く。視野が及ぶ範囲は無人だが、監視態勢を維持する。我ながら気持ち悪いと思うが、話し相手がいなくて暇なのだ。アリスをコインロッカーに置き去りにしたのは俺だから、自業自得以外のなにものでもないのだが。
十分くらい頑張ったところで、人影が見えた。古謝さんだ。
ノックされた瞬間、こちらからドアを開いた。
古謝さんは目を丸くしている。右手に持っているのは、カレーライスの皿を載せたトレイ。小脇に抱えているのは、幼女。金髪碧眼、水色のエプロンドレス、五歳前後。
「ご注文いただいた『まずい学食風カレーライス』と、アリスちゃんになります」
柔和な微笑を満面に行き渡らせ、古謝さんはトレイとアリスを差し出した。
俺はアリスの顔を凝視する。アリスはお馴染みの無表情で俺を見返す。古謝さんの顔を見る。相変わらず微笑んでいる。
二つを同時に受け取る。食パンのような軽さ、だらっとした体の感じ――紛れもなくアリスだ。
「えっ、お前、どしたん?」
リアクションはない。置き去りにしたことを怒っているのだろうか? 古謝さんに注目を移すと、こんな言葉が返ってきた。
「フロントでテトリスをプレイしていて、ふと顔を上げたら、ロビーの蜜柑の木にこの子が――アリスちゃんがもたれていたんです」
「テトリス……」
「そう、テトリス。アプリがあるの。最近はまってて」
「はあ」
「で、やっていたゲームが終わり次第、アリスちゃんのもとに駆けつけたんだけど」
「すぐには駆けつけなかったんですね」
「体調が悪いとか、そんな感じでもなかったから。事情を訊いたら、小林さんのもとへ行きたいと言ったから、小林さんからの電話に対応したあとで、カレーライスとともに部屋までお運びした次第です。……ね?」
古謝さんの問いかけにアリスは頷く。本当か? 目で問いかけると、再び首肯。俺に対してはかなり面倒くさそうだった。
「食器はいつでも回収に参りますので、食事が済みましたら電話でご連絡ください。では、ごゆっくり」
微笑みはそのままに一礼し、古謝さんは去っていった。
ホテルの名称は『リア』。外観的にはなんの変哲もなく、どこにでもある普通のホテルという印象だ。
「よっしゃ、ここにしたろ」
俺は光の速さで決定を下した。安いし、これ以上探すのが面倒くさかったので、ここでいいや、と思ったのだ。
自動ドアを潜ると、内装も至って平凡だ。ロビーに人の姿はないが、客室の空き具合はどうなのか。フロントへと歩を進め、受付のお姉さんに話しかけると、
「泊まりたいんですけど、部屋は空いていますか?」
「空いている部屋なら、有り余っていますよ。余りまくりです」
との返答。一泊を希望する旨を伝え、速やかにチェックインを済ませた。ルームキーを受け取り、エレベーターで最上階の九階へ。
部屋はそれなりの広さで、内装は至って平凡。要するに普通だ。
中を一通り見てしまうと、やることがなくなった。ホテルの外まで出かける気分ではないが、室内でだらだらと過ごすのもどうなのか。
「だったら、ホテルの中をぶらぶらすればいいじゃない」
というわけで、部屋を出る。行き先はどこでもよかったが、とりあえず一階へ。フロントのお姉さんが美人だったから? 正直、まあ、それもあった。
暇に任せてぶらついていたところ、ロビーで興味深いものを発見した。
生えているのだ。ロビーの一隅に、リノリューム張りの床が三十センチ×三十センチほどの正方形に切り取られ、湿り気を帯びた土が剥き出しになっている箇所があるのだが、そこから蜜柑の木が。
幹の太さは女子中学生の二の腕ほどしかなく、頼りないことこの上ない。反面、背がやたらと高く、あと一息で天井に届きそうだ。鮮やかな緑色の葉が繁り、枝のあちこちにオレンジ色の実が生っている。スーパーマーケットなどで「何々みかん」という商品名で売られている、ごく普通の蜜柑だと思われる。
それにしても、なぜロビーに蜜柑なのか。
「どうして、ロビーに蜜柑の木が生えているんですか?」
気になったので、フロントのお姉さんに質問してみる。お姉さんが美人だから? 正直、まあ、それもあった。
「ひとりでに生えてきたのです。誰かがあの場所に植えたのではなく、ある日突然、床を突き破って」
年齢は二十代半ばだろうか、セミロングヘアがお似合いの綺麗なお姉さんは、声も表情もにこやかに答えた。営業スマイルなのだろうが、好感以外の感情を抱きようがない笑顔だ。ネームプレートによると、名前は古謝夏葉。
「突き破ったんですか。中々ガッツがありますねぇ」
「普通なら直ちに引き抜いて捨てるところを、類い希なるガッツに敬意を表して、残しておいたのです。そうしたら、あんなに大きく成長して、実までつけて」
「世話は誰がしているんですか?」
「従業員が交代でやっています。あのくらいの大きさになると、少し水をやらなかったくらいで枯れることはありませんし、常緑だから葉っぱを落とすこともないし、優等生なんです」
「実もつけるし」
「そう、実もつけるんです。毎年、毎年」
「ちなみに、実はどうされているんですか?」
「お客様に無料で収穫・お持ち帰りいただいています」
「へえ、無料で収穫」
「はい、無料で収穫。お客様もどうですか?」
「いやぁ……。じゃあ、まあ、チェックアウトのときにでも」
曖昧に笑ってフロントをあとにした。古謝さんとのお喋りに嫌気が差したのではない。蜜柑について語り合ったせいか、空腹を覚えたので、部屋に戻ってルームサービスを頼もうと思ったのだ。
部屋に引っ込むや否や、サイドテーブルの上に置かれているルームサービスのメニューを手に取る。肉料理、魚料理、ご飯、パン、パスタ、スープ、サラダ、スイーツ、ドリンク。ラインアップが不気味なまでに豊富だ。
腹に溜まる一品を選びたかった。昼飯に牛丼を食べたことは勿論記憶しているが、そんな些事には頓着することなく、ご飯の項目に視線を這わせる。
検討の結果、「まずい学食風カレーライス」を注文することに決めた。カレーライスに類する料理はその一品しかないらしい。カレーライスが食べたくて堪らない気分の俺としては、日本人ならではの、謙遜の心が反映されたネーミングだと信じたかった。炭水化物には、なにかしら人を狂わせるものがある。
備えつけの電話機でフロントに電話をかける。応対に出たのは、古謝さんの声。
「あっ、ルームサービスの受付も担当されているんですね」
「はい。暇なので」
事もなげに答える。古謝さんは、広い意味でゆったりとした人のようだ。
「じゃあ、『まずい学食風カレーライス』をお願いします。それから――」
適当なドリンクも注文し、通話終了。
暇だとアピールをしていたし、まさか、運んでくるのも古謝さんだろうか? ……なんかドキドキしてきた。
部屋の出入口のドアまで移動し、ドアスコープを覗く。視野が及ぶ範囲は無人だが、監視態勢を維持する。我ながら気持ち悪いと思うが、話し相手がいなくて暇なのだ。アリスをコインロッカーに置き去りにしたのは俺だから、自業自得以外のなにものでもないのだが。
十分くらい頑張ったところで、人影が見えた。古謝さんだ。
ノックされた瞬間、こちらからドアを開いた。
古謝さんは目を丸くしている。右手に持っているのは、カレーライスの皿を載せたトレイ。小脇に抱えているのは、幼女。金髪碧眼、水色のエプロンドレス、五歳前後。
「ご注文いただいた『まずい学食風カレーライス』と、アリスちゃんになります」
柔和な微笑を満面に行き渡らせ、古謝さんはトレイとアリスを差し出した。
俺はアリスの顔を凝視する。アリスはお馴染みの無表情で俺を見返す。古謝さんの顔を見る。相変わらず微笑んでいる。
二つを同時に受け取る。食パンのような軽さ、だらっとした体の感じ――紛れもなくアリスだ。
「えっ、お前、どしたん?」
リアクションはない。置き去りにしたことを怒っているのだろうか? 古謝さんに注目を移すと、こんな言葉が返ってきた。
「フロントでテトリスをプレイしていて、ふと顔を上げたら、ロビーの蜜柑の木にこの子が――アリスちゃんがもたれていたんです」
「テトリス……」
「そう、テトリス。アプリがあるの。最近はまってて」
「はあ」
「で、やっていたゲームが終わり次第、アリスちゃんのもとに駆けつけたんだけど」
「すぐには駆けつけなかったんですね」
「体調が悪いとか、そんな感じでもなかったから。事情を訊いたら、小林さんのもとへ行きたいと言ったから、小林さんからの電話に対応したあとで、カレーライスとともに部屋までお運びした次第です。……ね?」
古謝さんの問いかけにアリスは頷く。本当か? 目で問いかけると、再び首肯。俺に対してはかなり面倒くさそうだった。
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