僕は君を殺さない

阿波野治

文字の大きさ
32 / 66

32

しおりを挟む
 幸いにも、話を逸らす絶好の口実をすぐに発見した。九条さんが身じろぎし、衣擦れとは似て非なる微かな物音が立ったことで、触れるべきなのに触れずにいるものの存在に気がついた。

「そういえば、コンビニでなにを買ってきたの? お土産ということだけど。ちょっと気になるな」
「ああ、これ。くり返し言うのもなんだけど、本当に大したものじゃないから」

 そう断った上でレジ袋から取り出したのは、袋入りのキャンディ。個包装されたものが三十個ほど入っていて、味はミルクとチョコレートの二種類。パッケージにはそう記載されている。

「キャンディか、なるほど。九条さん、いつも食べているもんね」
「飴、美味しいのに、遠藤くんは食べないから。そんな余裕もない人なんだなと思って、憐れんで買ってきたの」
「いやいや、そのくらいの余裕はあるから。僕にプレゼントしてくれる、ということでいいんだよね」
「もちろん」

 九条さんは大袋を開け、個包装を一つ取り出し、僕の手に握らせた。この場で食べろ、ということらしい。さっそく包装を破き、純白の球体を口に放り込む。

「うん、甘い。美味しいよ」
「たかがコンビニの飴ごときで喜ぶなんて、食生活が貧しいのね」
「美味しいからくれたんじゃないの?」
「声が変だし。くぐもっているっていうか」
「それはキャンディを食べてるからでしょ」

 頬が緩むようなやりとりが終息すると、部屋は沈黙に満たされた。僕が口を閉ざしたのは、口の中にキャンディが入っていてしゃべりにくいから、などという微笑ましい理由からではない。九条さんがなにかを欲するような目で見つめてくるのだ。

「九条さん、どうかしたの?」
 真正面から問うと、そっぽを向いた。しかしすぐに顔の向きを戻し、再びまじまじと見つめてくる。

「なにか言いたいことがあるなら言ってくれていいよ。今は家に家族もいないし、二人きりなんだから」

 言い終わるか言い終わらないかのタイミングで、人差し指が僕の顔に突きつけられた。その行動の意味は、瞬時には掴めない。二・三秒を経て、顔というよりも口元が対象だと気がつく。

「キャンディ、九条さんも食べたいんだったら食べれば。九条さんのお金で買ったものなんだから」

 九条さんは予想外の行動をとった。僕たちの目の前に置いてある、クッキーの器と茶のグラスが載ったトレイを、壁際まで退かしたのだ。そうすることで生じたスペースを、膝行して僕に近づく。
 なにかが始まる予感に、僕はキャンディを舐める舌でさえも、一ミリたりとも動かせない。

 出し抜けに、顔が急接近した。存在感が、匂いが、吐息が肉薄し、そして、

「その飴、私にもちょうだい」
 唇に唇が重なった。

 厳重な扉を、激しさはないが愚直にこじ開けようとする力を感じる。いつの間にか背中に両腕を回され、退くに退けない。突き放すのは躊躇われる。だからといって頭を後ろに逃がせば、半ば不可抗力的に顔が上を向き、口内に留まっているキャンディが喉の奥へと転がり落ちそうだ。丸呑みしてしまえば、なにか決定的な損害がもたらされる気がして、意識的に全身の力を抜く。間髪を入れずに、ぬるぬるしたものが侵入し、キャンディを唾液ももろとも奪い取った。上下の唇を圧していたものがゆっくりと離れる。無意識に瞑っていた瞼を開くと、銀の糸を引きながら遠ざかる薄桃色が見えた。

 その唇を、九条さんは利き手の指先でゆっくりと拭う。指先に付着した唾液を唇になすりつけたような、そんな動きにも見えた。

 僕の顔を見つめながらキャンディを噛み砕く。数秒前には確かに僕の口の中にあった、チョコレート味の球体が破砕される音が静寂の中で響く。
 口の動きが止まる。僕から顔を背けることなく、九条さんは言う。

「遠藤くんの唾液、チョコレートの味がする」

 寒気が背筋を駆け上がった。風邪をひいたときのような不快感はなく、むしろ性的快感に近いものを覚えた。九条さんは相変わらず無表情だが、なんらかの表情を浮かべたがっているような、そんな気配が窺える。

 九条さんは床に視線を落とし、キャンディの袋に手を入れた。個包装を取り出して破り、真珠にも似たミルク味の球体を取り出す。迷いのない、あらかじめそうすると決めていたような滑らかな動作で、それを口に含む。口内で動いたらしく、キャンディと歯がぶつかって音を奏でた。
 そして、挑発的な、意味深長な、蠱惑的な微笑み。
 どこかぎこちなく、変化量こそ僅かだったが、純粋に、確固として、彼女は微笑んだ。僕に宛てて微笑みかけた。

 張りつめていたものが切れた音を、僕は僕の中で聞いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

結婚する事に決めたから

KONAN
恋愛
私は既婚者です。 新たな職場で出会った彼女と結婚する為に、私がその時どう考え、どう行動したのかを書き記していきます。 まずは、離婚してから行動を起こします。 主な登場人物 東條なお 似ている芸能人 ○原隼人さん 32歳既婚。 中学、高校はテニス部 電気工事の資格と実務経験あり。 車、バイク、船の免許を持っている。 現在、新聞販売店所長代理。 趣味はイカ釣り。 竹田みさき 似ている芸能人 ○野芽衣さん 32歳未婚、シングルマザー 医療事務 息子1人 親分(大島) 似ている芸能人 ○田新太さん 70代 施設の送迎運転手 板金屋(大倉) 似ている芸能人 ○藤大樹さん 23歳 介護助手 理学療法士になる為、勉強中 よっしー課長 似ている芸能人 ○倉涼子さん 施設医療事務課長 登山が趣味 o谷事務長 ○重豊さん 施設医療事務事務長 腰痛持ち 池さん 似ている芸能人 ○田あき子さん 居宅部門管理者 看護師 下山さん(ともさん) 似ている芸能人 ○地真央さん 医療事務 息子と娘はテニス選手 t助 似ている芸能人 ○ツオくん(アニメ) 施設医療事務事務長 o谷事務長異動後の事務長 ゆういちろう 似ている芸能人 ○鹿央士さん 弟の同級生 中学テニス部 高校陸上部 大学帰宅部 髪の赤い看護師 似ている芸能人 ○田來未さん 准看護師 ヤンキー 怖い

処理中です...