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幸いにも、話を逸らす絶好の口実をすぐに発見した。九条さんが身じろぎし、衣擦れとは似て非なる微かな物音が立ったことで、触れるべきなのに触れずにいるものの存在に気がついた。
「そういえば、コンビニでなにを買ってきたの? お土産ということだけど。ちょっと気になるな」
「ああ、これ。くり返し言うのもなんだけど、本当に大したものじゃないから」
そう断った上でレジ袋から取り出したのは、袋入りのキャンディ。個包装されたものが三十個ほど入っていて、味はミルクとチョコレートの二種類。パッケージにはそう記載されている。
「キャンディか、なるほど。九条さん、いつも食べているもんね」
「飴、美味しいのに、遠藤くんは食べないから。そんな余裕もない人なんだなと思って、憐れんで買ってきたの」
「いやいや、そのくらいの余裕はあるから。僕にプレゼントしてくれる、ということでいいんだよね」
「もちろん」
九条さんは大袋を開け、個包装を一つ取り出し、僕の手に握らせた。この場で食べろ、ということらしい。さっそく包装を破き、純白の球体を口に放り込む。
「うん、甘い。美味しいよ」
「たかがコンビニの飴ごときで喜ぶなんて、食生活が貧しいのね」
「美味しいからくれたんじゃないの?」
「声が変だし。くぐもっているっていうか」
「それはキャンディを食べてるからでしょ」
頬が緩むようなやりとりが終息すると、部屋は沈黙に満たされた。僕が口を閉ざしたのは、口の中にキャンディが入っていてしゃべりにくいから、などという微笑ましい理由からではない。九条さんがなにかを欲するような目で見つめてくるのだ。
「九条さん、どうかしたの?」
真正面から問うと、そっぽを向いた。しかしすぐに顔の向きを戻し、再びまじまじと見つめてくる。
「なにか言いたいことがあるなら言ってくれていいよ。今は家に家族もいないし、二人きりなんだから」
言い終わるか言い終わらないかのタイミングで、人差し指が僕の顔に突きつけられた。その行動の意味は、瞬時には掴めない。二・三秒を経て、顔というよりも口元が対象だと気がつく。
「キャンディ、九条さんも食べたいんだったら食べれば。九条さんのお金で買ったものなんだから」
九条さんは予想外の行動をとった。僕たちの目の前に置いてある、クッキーの器と茶のグラスが載ったトレイを、壁際まで退かしたのだ。そうすることで生じたスペースを、膝行して僕に近づく。
なにかが始まる予感に、僕はキャンディを舐める舌でさえも、一ミリたりとも動かせない。
出し抜けに、顔が急接近した。存在感が、匂いが、吐息が肉薄し、そして、
「その飴、私にもちょうだい」
唇に唇が重なった。
厳重な扉を、激しさはないが愚直にこじ開けようとする力を感じる。いつの間にか背中に両腕を回され、退くに退けない。突き放すのは躊躇われる。だからといって頭を後ろに逃がせば、半ば不可抗力的に顔が上を向き、口内に留まっているキャンディが喉の奥へと転がり落ちそうだ。丸呑みしてしまえば、なにか決定的な損害がもたらされる気がして、意識的に全身の力を抜く。間髪を入れずに、ぬるぬるしたものが侵入し、キャンディを唾液ももろとも奪い取った。上下の唇を圧していたものがゆっくりと離れる。無意識に瞑っていた瞼を開くと、銀の糸を引きながら遠ざかる薄桃色が見えた。
その唇を、九条さんは利き手の指先でゆっくりと拭う。指先に付着した唾液を唇になすりつけたような、そんな動きにも見えた。
僕の顔を見つめながらキャンディを噛み砕く。数秒前には確かに僕の口の中にあった、チョコレート味の球体が破砕される音が静寂の中で響く。
口の動きが止まる。僕から顔を背けることなく、九条さんは言う。
「遠藤くんの唾液、チョコレートの味がする」
寒気が背筋を駆け上がった。風邪をひいたときのような不快感はなく、むしろ性的快感に近いものを覚えた。九条さんは相変わらず無表情だが、なんらかの表情を浮かべたがっているような、そんな気配が窺える。
九条さんは床に視線を落とし、キャンディの袋に手を入れた。個包装を取り出して破り、真珠にも似たミルク味の球体を取り出す。迷いのない、あらかじめそうすると決めていたような滑らかな動作で、それを口に含む。口内で動いたらしく、キャンディと歯がぶつかって音を奏でた。
そして、挑発的な、意味深長な、蠱惑的な微笑み。
どこかぎこちなく、変化量こそ僅かだったが、純粋に、確固として、彼女は微笑んだ。僕に宛てて微笑みかけた。
張りつめていたものが切れた音を、僕は僕の中で聞いた。
「そういえば、コンビニでなにを買ってきたの? お土産ということだけど。ちょっと気になるな」
「ああ、これ。くり返し言うのもなんだけど、本当に大したものじゃないから」
そう断った上でレジ袋から取り出したのは、袋入りのキャンディ。個包装されたものが三十個ほど入っていて、味はミルクとチョコレートの二種類。パッケージにはそう記載されている。
「キャンディか、なるほど。九条さん、いつも食べているもんね」
「飴、美味しいのに、遠藤くんは食べないから。そんな余裕もない人なんだなと思って、憐れんで買ってきたの」
「いやいや、そのくらいの余裕はあるから。僕にプレゼントしてくれる、ということでいいんだよね」
「もちろん」
九条さんは大袋を開け、個包装を一つ取り出し、僕の手に握らせた。この場で食べろ、ということらしい。さっそく包装を破き、純白の球体を口に放り込む。
「うん、甘い。美味しいよ」
「たかがコンビニの飴ごときで喜ぶなんて、食生活が貧しいのね」
「美味しいからくれたんじゃないの?」
「声が変だし。くぐもっているっていうか」
「それはキャンディを食べてるからでしょ」
頬が緩むようなやりとりが終息すると、部屋は沈黙に満たされた。僕が口を閉ざしたのは、口の中にキャンディが入っていてしゃべりにくいから、などという微笑ましい理由からではない。九条さんがなにかを欲するような目で見つめてくるのだ。
「九条さん、どうかしたの?」
真正面から問うと、そっぽを向いた。しかしすぐに顔の向きを戻し、再びまじまじと見つめてくる。
「なにか言いたいことがあるなら言ってくれていいよ。今は家に家族もいないし、二人きりなんだから」
言い終わるか言い終わらないかのタイミングで、人差し指が僕の顔に突きつけられた。その行動の意味は、瞬時には掴めない。二・三秒を経て、顔というよりも口元が対象だと気がつく。
「キャンディ、九条さんも食べたいんだったら食べれば。九条さんのお金で買ったものなんだから」
九条さんは予想外の行動をとった。僕たちの目の前に置いてある、クッキーの器と茶のグラスが載ったトレイを、壁際まで退かしたのだ。そうすることで生じたスペースを、膝行して僕に近づく。
なにかが始まる予感に、僕はキャンディを舐める舌でさえも、一ミリたりとも動かせない。
出し抜けに、顔が急接近した。存在感が、匂いが、吐息が肉薄し、そして、
「その飴、私にもちょうだい」
唇に唇が重なった。
厳重な扉を、激しさはないが愚直にこじ開けようとする力を感じる。いつの間にか背中に両腕を回され、退くに退けない。突き放すのは躊躇われる。だからといって頭を後ろに逃がせば、半ば不可抗力的に顔が上を向き、口内に留まっているキャンディが喉の奥へと転がり落ちそうだ。丸呑みしてしまえば、なにか決定的な損害がもたらされる気がして、意識的に全身の力を抜く。間髪を入れずに、ぬるぬるしたものが侵入し、キャンディを唾液ももろとも奪い取った。上下の唇を圧していたものがゆっくりと離れる。無意識に瞑っていた瞼を開くと、銀の糸を引きながら遠ざかる薄桃色が見えた。
その唇を、九条さんは利き手の指先でゆっくりと拭う。指先に付着した唾液を唇になすりつけたような、そんな動きにも見えた。
僕の顔を見つめながらキャンディを噛み砕く。数秒前には確かに僕の口の中にあった、チョコレート味の球体が破砕される音が静寂の中で響く。
口の動きが止まる。僕から顔を背けることなく、九条さんは言う。
「遠藤くんの唾液、チョコレートの味がする」
寒気が背筋を駆け上がった。風邪をひいたときのような不快感はなく、むしろ性的快感に近いものを覚えた。九条さんは相変わらず無表情だが、なんらかの表情を浮かべたがっているような、そんな気配が窺える。
九条さんは床に視線を落とし、キャンディの袋に手を入れた。個包装を取り出して破り、真珠にも似たミルク味の球体を取り出す。迷いのない、あらかじめそうすると決めていたような滑らかな動作で、それを口に含む。口内で動いたらしく、キャンディと歯がぶつかって音を奏でた。
そして、挑発的な、意味深長な、蠱惑的な微笑み。
どこかぎこちなく、変化量こそ僅かだったが、純粋に、確固として、彼女は微笑んだ。僕に宛てて微笑みかけた。
張りつめていたものが切れた音を、僕は僕の中で聞いた。
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