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九条さんの父親は娘を軽々と抱き上げ、肩に担いだ。無駄のないスムーズな動きで、少女一人分の体重を苦にしている様子はない。
こちらに向かってきた。僕に暴力を加えようと目論んでいるのかと一瞬思ったが、視線の方向は、上の道へと通じる細道。宣言通り、帰ろうとしているのだ。
私は今から、上に駐車してある愛車に娘を押し込み、私自身は運転席に乗り込み、車を運転して帰る。君が邪魔をすれば、容赦なく排除する。邪魔をしなければ、なにもしない。私は見ての通りありふれた中年男性だが、痩身の女子高生を軽々と扱えるだけの腕力を有している。その私を相手に、果たして目的を遂げることができるかな?
「ふざっ、けるな……!」
咆哮し、拳を振り上げて突撃する。
顔面を殴るつもりだった。敵の左側に回り込み、攻撃の芽を摘むべく伸ばされた右手を避けて、顔面に一発ぶち込む。
敵が動いた。真っ直ぐに距離を詰めてくる。攻撃をされるまでは攻撃をしてこないと高を括っていたから、虚をつかれた。喧嘩慣れをしていないがゆえに、想定外の行動をとられた、ただそれだけで軽いパニックに陥ってしまう。足を止めてしまう。敵は愚直なまでに一直線に迫り来る。射程圏内に入ったらしく、左脚が動いた。その瞬間は視認できた。しかし、軌道を目で追うことができない。速すぎる。空気が切り裂かれる音を聞いたと思った次の瞬間、右脇腹に圧迫感を覚えた。スイカ大の岩を力任せに押しつけられたような圧力に、息が詰まる。両脚に力を込められなくなり、俯せに崩れ落ちる。緑の香りを淡く帯びた空気が鼻孔に到達した。
蹴られた箇所が焼けるように疼く。両手を患部に押しつけているが、痛みは微塵も緩和されない。十秒や二十秒先の未来に立ち上がることなど、夢物語に思える。痛い、蹴られた、痛い、起き上がれない、痛い……。
荒い呼吸をくり返しているうちに、視界を覆っていた薄靄が晴れてきた。僕の四・五メートルほど前方、細道の上り口に程近い地点で、九条さんの父親が地面に片膝をついている。九条さんを肩に担いだまま、足元になにか細工をしている。腰を上げ、肩越しに僕を見やる。一歩横に動いたので、彼の足で隠れていた場所が見えた。何枚かの紙切れが地面に置かれ、拳大の石で重しをしてある。
「ここに置いておくよ。当初の予定通り、四十万円」
光の当たり具合の加減か、九条さんの父親は優越感たっぷりに笑ったように見えた。顔の向きを戻し、細道を上り始める。歩行に連動して九条さんの体が揺れている。僕たちが言葉で、視線で、拳と足で戦っている間、彼女は目を覚まさなかったし、目を覚ます気配もなかった。
仮に意識があり、一部始終を見ていたとしたら、彼女はなにを思っただろう?
分からない。分かるはずもない。九条さんの一番の理解者だという態度で彼女の父親に舌戦を挑んだが、その実、僕は彼女に知悉していない。むしろ知らないことの方が多い。
僕に分かるのは、僕の心だけ。
このまま九条さんが連れ去られてしまえば、僕は絶対に死ぬほど後悔する。
光が遠くへ行ってしまったら、僕の世界が再び暗闇に包まれるから、ではない。九条さんという光が消えてしまう、それが耐え難いのだ。
僕は、遠藤裕也ではなく九条翡翠のために、悪と戦わなければならない。
九条さんの父親が車に辿り着くまでの時間を演算する。車までの距離。大股だが急かない足取り。ロックを解除する時間。ドアを開けて九条さんを乗せる時間。自身が乗り込む時間。
大丈夫だ、間に合う。起き上がろう。
こちらに向かってきた。僕に暴力を加えようと目論んでいるのかと一瞬思ったが、視線の方向は、上の道へと通じる細道。宣言通り、帰ろうとしているのだ。
私は今から、上に駐車してある愛車に娘を押し込み、私自身は運転席に乗り込み、車を運転して帰る。君が邪魔をすれば、容赦なく排除する。邪魔をしなければ、なにもしない。私は見ての通りありふれた中年男性だが、痩身の女子高生を軽々と扱えるだけの腕力を有している。その私を相手に、果たして目的を遂げることができるかな?
「ふざっ、けるな……!」
咆哮し、拳を振り上げて突撃する。
顔面を殴るつもりだった。敵の左側に回り込み、攻撃の芽を摘むべく伸ばされた右手を避けて、顔面に一発ぶち込む。
敵が動いた。真っ直ぐに距離を詰めてくる。攻撃をされるまでは攻撃をしてこないと高を括っていたから、虚をつかれた。喧嘩慣れをしていないがゆえに、想定外の行動をとられた、ただそれだけで軽いパニックに陥ってしまう。足を止めてしまう。敵は愚直なまでに一直線に迫り来る。射程圏内に入ったらしく、左脚が動いた。その瞬間は視認できた。しかし、軌道を目で追うことができない。速すぎる。空気が切り裂かれる音を聞いたと思った次の瞬間、右脇腹に圧迫感を覚えた。スイカ大の岩を力任せに押しつけられたような圧力に、息が詰まる。両脚に力を込められなくなり、俯せに崩れ落ちる。緑の香りを淡く帯びた空気が鼻孔に到達した。
蹴られた箇所が焼けるように疼く。両手を患部に押しつけているが、痛みは微塵も緩和されない。十秒や二十秒先の未来に立ち上がることなど、夢物語に思える。痛い、蹴られた、痛い、起き上がれない、痛い……。
荒い呼吸をくり返しているうちに、視界を覆っていた薄靄が晴れてきた。僕の四・五メートルほど前方、細道の上り口に程近い地点で、九条さんの父親が地面に片膝をついている。九条さんを肩に担いだまま、足元になにか細工をしている。腰を上げ、肩越しに僕を見やる。一歩横に動いたので、彼の足で隠れていた場所が見えた。何枚かの紙切れが地面に置かれ、拳大の石で重しをしてある。
「ここに置いておくよ。当初の予定通り、四十万円」
光の当たり具合の加減か、九条さんの父親は優越感たっぷりに笑ったように見えた。顔の向きを戻し、細道を上り始める。歩行に連動して九条さんの体が揺れている。僕たちが言葉で、視線で、拳と足で戦っている間、彼女は目を覚まさなかったし、目を覚ます気配もなかった。
仮に意識があり、一部始終を見ていたとしたら、彼女はなにを思っただろう?
分からない。分かるはずもない。九条さんの一番の理解者だという態度で彼女の父親に舌戦を挑んだが、その実、僕は彼女に知悉していない。むしろ知らないことの方が多い。
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僕は、遠藤裕也ではなく九条翡翠のために、悪と戦わなければならない。
九条さんの父親が車に辿り着くまでの時間を演算する。車までの距離。大股だが急かない足取り。ロックを解除する時間。ドアを開けて九条さんを乗せる時間。自身が乗り込む時間。
大丈夫だ、間に合う。起き上がろう。
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