塵埃抄

阿波野治

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二十一世紀の常識

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 俺は百貨店のエスカレーターに乗って上階へ向かっていた。
 六階と七階の間を移動している最中、不意に視線を感じた。顔を上げると、数段前に乗っている男が、顔を後方に向けて俺を見ていた。三十歳くらいだろうか。黄緑色のダウンジャケットに薄汚れたジーンズという服装で、知的障害者特有の魯鈍な面構えをしている。
 男の隣には六十歳見当の女が立っている。女は前を向いていて、男と手を繋いでいる。二人は親子らしい。
 若い女ならともかく、いい年をした同性に見つめられても不愉快なだけだ。いくぶん大袈裟に眉をひそめて男を睨みつける。男は表情を変えることも、目を逸らすこともない。不愉快な気持ちに拍車がかかった。
 階段を上って男に近づく。距離が縮まっても、男は全く態度を変えない。
 ほどなく七階に到着した。俺は追い抜きざま、男の脇腹を思い切り肘で突いた。男は「おごぉ」と呻いて転倒し、半殺しにされた虫のように床をのたうち回る。母親がすぐさま息子を抱き起こし、ヒステリックに叫んだ。
「私の神様!」
 俺は傷害容疑で逮捕され、裁判が始まった。
 俺は、男に挑発され、カッとなって肘で突いたが、怪我を負わせるつもりはなかった、と供述した。
 母親は、息子を傷つけられて腹の虫が収まらない、容疑者を厳罰に処してほしい、と訴えた。
 男は、神は表現の自由よりも尊い、という意味のことを言った。
 下された判決は、男に懲役X年の実刑、というものだった。
 全くもって意外な結末となったが、同時に、二十一世紀の今日の常識と照らし合わせれば極めて妥当な判断だ、とも思う。
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