赤と夜と過去

阿波野治

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赤い花 七

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 長広舌の終了を宣言したあとも、男性はダリアから視線を外さない。
「おじさんが言ったのと似たようなことを、ダリアのママも言ってたよ」
 彼女は声にいくらかの親しみを込めて、そんな感想を述べた。
「おや、そうかい。ということは、お嬢さんのお母さんはきっと、聡明で美しい人なんだろうね。一目顔を見られないのが残念でたまらないよ」
「もうそろそろ、トイレから帰ってくるころだと思うけど」
「でも、少しばかり遅かったみたいだ」

 男性は駅を貫いて走る線路の右手を見やった。その動きに釣り込まれて、ダリアも同じ方角に顔を向ける。動作を完了したのとほぼ同時に、彼女は緩やかな地鳴りのような振動を体に感じはじめた。視線の先に黒い塊が現れ、次第にこちらへと近づいてくる。電車がやって来たのだ。
 男性はいきなりその場に身を屈め、クラウチングスタートに酷似した姿勢をとった。ダリアが呆気にとられて彼を見つめているあいだにも、電車の走行音は大きくなっていく。
 腰が大きく浮いたかと思うと、次の瞬間には、男性は線路に向かって一直線に走りはじめていた。

 文字どおりあっと言う間に、プラットフォームを横方向に駆け抜けた。ホームと線路の境目に到達すると同時、両手を広げて跳んだ。そのときには、電車はすでに男性の真横まで迫っていた。
 一個の鉄塊と一個の肉塊が衝突する直前、男性が口角から一条の涎を垂らし、陶然たる表情を浮かべているのを、ダリアは目撃した。
 けたたましいブレーキ音に混じり、濁った破砕音が聞こえた。長大な鉄の箱は淑女のようにしとやかに停車した。
 ダリアはベンチから立ち、白線まで歩みを進めて線路を覗き込む。電車が通過した跡に赤黒い汚れがこびりつき、周囲に大小さまざまな肉片が散らばっている。

「大きな音がしたみたいだけど、なにかあったの?」
 ダリアの母が階段を上がってきた。ダリアは無言で線路を指差した。母は娘の隣で足を止め、我が子が指し示したものへと視線を転じる。「あら」という声が薄紅色の唇からこぼれた。
「誰かが飛び込んだの?」
「うん。なんか、知らないおじさんが」
「なにか変なことはされなかった?」
「うん。ちょっとしゃべっただけ」
「ならよかった」

 親子は無言で眼下の惨状を見物した。そうしているうちに、電車から降りてきた乗客の悲鳴や話し声で、プラットフォームはたちまち騒々しくなった。母はおもむろに左腕の腕時計に目をやり、それから娘に言った。
「ダリアちゃん、電車は無理みたいだから、店まではバスで行きましょうか。降りてから歩く時間が少し長くなるけど、駅とそう変わらない距離にバスの停留所があるから」
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