キスで終わる物語

阿波野治

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五日目

楽しい時間と影

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 その日のティータイムに、陽奈子は初日以来の参加を果たした。
 裏庭のテーブルを囲んだのは、真綾、弥生、ミア、ノア、という前回と同じメンバーに加えて、それ以外のメイドの半数、という面々だ。
 弥生によれば、小学校から帰宅次第、中庭に直行してテーブルに着くので、真綾と弥生はほぼ毎日このイベントに参加しているという。次いで参加率が高いのは、仕事が滞ることが少ないミアとノア。残りのメイドたちは、個人差もあるが、一週間に五回程度。華菜は真綾が強く誘えば参加することも極めて稀にあり、琴音は毎回不参加らしい。

 陽奈子は席に着くや否や、正面やや左に座る真綾の顔をまじまじと見つめた。
 初めにこやかな表情を見せていた真綾だったが、凝視される時間が十秒を越えると戸惑いの色を浮かべた。三十秒が経過し、堪らずといったふうに口を開く。

「えっと、陽奈子、どうかしたの? わたしの顔になにかついてる?」
「あ、すみません。なんていうか、真綾の顔を近くから見るのは久しぶりだったので、つい」
「だったらティータイムに参加すればいいのに。参加したのは今日で二回目だっけ? 付き合い悪いわよね、陽奈子って」

 右隣に座る弥生が、からかうように口を入れた。

「そんなことないよ。仕事をこなすのに精いっぱいで、そうする余裕がなかっただけ」

 テーブルの中央の皿に盛られたチョコチップクッキーの山に手を伸ばし、一つつまんで口に運ぶ。クッキーの香ばしさとチョコの甘味のハーモニーに、午後からの仕事で溜め込んだ疲れはたちまち癒えていく。

「朝夕の食事のときに顔を合わせていることは合わせているんだけど、真綾の席は一番遠い場所にあるから、顔を合わせた気がしないっていうか」
「縦長のテーブルの端と端だからね」

 真綾は紅茶を無音ですすり、陽奈子に向かって答える。

「腰を落ち着けてみんなと話をする機会って意外と少ないから、食事の時間も有効に活用したいところなんだけどね。テーブル、真ん丸のものに買い替えてもらおうかな、琴音におねだりして」
「琴音、財布の紐が堅そうなイメージがありますけど」
「うん、そうなの。どういうふうにお願いすればいいか……」

 考え込む顔つきを見せた真綾に、すかさずミアとノアが提案する。

「中間テスト、確か五月末にありましたよね。それでいい点をとったら、というふうに頼めばどうですか?」
「真綾さまは成績優秀だから、それが一番確率が高いと思います」
「中間テスト、か。……うん、それがいいかな。でも、琴音は厳しいから、相当いい点じゃないと買ってくれないと思う」
「それじゃあ、頑張らないといけないですね」

 陽奈子がそう言葉をかけると、真綾は口元を緩めて頷いた。

「そうだね。……頑張らないと」

 紅茶を飲み、茶菓子をつまみながら、一同は話に花を咲かせる。話題は、雑多な、他愛のないものばかりが選ばれた。陽奈子は話を振られれば愛想よく受け答えしたが、基本的には聞き役に徹し、焼きたてのチョコチップクッキーを誰よりも熱心に食べた。
 働き始めた日のティータイムのように、ミアとノアが真綾にクッキーを食べさせようとして、陽奈子が横取りをして場が笑いに包まれる、という一幕もあった。弥生の解説によると、真綾と双子との間では、毎日のようにそんな子供じみたやりとりが行われているらしい。真綾は恥ずかしがっているが、嫌がってはいないように見える。

「こういうちょっとしたふざけ合いをしただけでも、琴音は大げさに怒るからね。でも、あの人はティータイムには毎回不参加だから、この時間だけはこういうこともできるわけ」

 弥生が陽奈子に説明している間も、真綾と双子の戯れは続き、周りのメイドたちは微笑ましそうにそれを見守っている。

 ティータイムを満喫する中で、陽奈子の胸に滲み出したのは、小柳家の人々はみんないい人ばかりだ、という思いだった。
 グループを結成し、共通の敵を設定し、なにかにつけてその者を陰湿な手段をもって攻撃し、排斥しようとする。そんな不埒な輩が、どんな集団にも少なからず存在するものだが、小柳家には誰一人としていない。一言で言うならば大人で、それでいて悪い意味で老成したところのない、気さくで社交的な人たちばかりだ。
 真綾に対しても、子供だからといって侮ったり、雇い主だからといって卑屈に追従したりと、極端な態度を見せることはない。理想的な主従関係が築かれていると言えるかもしれない。
 本当にいい人たちだ。こんな恵まれた環境で末永く働くことができたなら、どんなに幸せだろう。

 そんな思いに、願いに、暗い影を落とす存在がいる。床を赤く汚し、赤い文字の脅迫状を送りつけた、陽奈子に反感を抱いているらしい何者かだ。
 今こうしてテーブルを囲んでいるメンバーと、囲んでいない数名のメイドたち。その中に、あのような幼稚で、笑えない真似をした人間が確実にいる。その事実を思うと、ただただ信じられない気持ちになる。
 犯人はきっと、国木田陽奈子という人間を誤解しているのだ。あんな真似をしたが、本当はみんなと同じ善良な人間に違いない。だから誤解さえ解ければ、その人ともきっと仲良くなれる。
 まだ熱い紅茶を一口ずつ飲みながら、陽奈子はそう願わずにはいられない。

「今日の陽奈子は口数が少ないのね。私と二人で話すときはよく喋って、生意気な口も叩くのに」

 そう発言したのは弥生だ。抱いた感想をそのまま口にしただけで、他意はなかったのだろうが、無口なのは脅迫状のせいではないかと邪推したのだろう。陽奈子と真綾と弥生の三人を除く一同の顔に緊張が走った。
 こんなところにまで影に出しゃばられては、興醒めだ。陽奈子は努めて明るく答えた。

「千紘が焼いたクッキーが美味しすぎて、つい夢中になって食べてただけ。みんなにとっては楽しくお喋りをする場かもしれないけど、あたしにとっては食べるほうが大事だから」
「その割に、陽奈子がお茶の時間に参加したのって、これで二度目よね」
「しつこいな、弥生は。仕事が中々片づかないから、仕方なく空腹なのを我慢しているだけだって。こんな大きな図体してるのに、途中で燃料を補給しなかったら、とてもじゃないけど夕食まで持たないよ。見せられるものなら見せてあげたいな。間食をとらなかった日の夕食直前のあたしが、どれだけ酷い顔をして掃除をしているかを」

 場は和やかな笑い声に包まれた。真綾も微笑んでいる。これをきっかけに一同は調子を取り戻し、瞬く間に賑やかな話し声が中庭を満たした。
 陽奈子はティーカップが空になるまで、影のことを意識せずに過ごすことができた。
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