少女と物語と少女の物語

阿波野治

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少女と少女

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 わたしが住む地域が梅雨入りした翌日、現代国語の授業があった。大正時代に書かれた著名な短編小説を読み解くという内容だったこともあり、福永さんたちは授業中、いつもよりもしつこく、あくどく、わたしを冷やかした。そのせいで、悪意のある言葉を満足に聞き流せなかった。
 授業後、福永さんたちはいつものようにわたしを取り囲んだ。受け止めた冷やかしの言葉が普段よりも多かったことで、普段よりも心が弱っていたわたしは、福永さんからすれば何気なく口にしたに違いない一言に打ちのめされた。

「増田さん、もう小説は書かないの? 読ませてよ、新作」

 あなたたちが奪ったんでしょう。あなたたちが、あなたたちが――。
 腹の底から湧き上がった怒りは、しかしすぐに、深い悲しみに変わった。目頭が熱くなり、たちまち視界が滲む。椅子をはね飛ばすようにして立ち上がり、教室を飛び出した。

「ちょっと増田さん、どこ行くの? トイレ?」
「あー、だから授業中しんどそうにしてたんだね」
「だったら言えばよかったのに。『先生、漏れそうだからトイレに行かせてください』って」

 下品な笑い声を振り切るように、走る速度を上げる。廊下を突っ切り、階段を駆け下り、校舎を飛び出した。
 辿り着いたのは、旧校舎裏。訪れる人間は滅多にいない、みんなから半ば忘れられた場所。
 スカートが汚れるのも厭わずに地べたに座り込み、膝を抱え、私は泣いた。ただただ悲しくて、ただただ涙を流した。余計なことを考えたりしたりせず、溜まりに溜まった悲しみを排出する作業に専念した。

 涙が途切れて間もなく、チャイムが鳴った。早く教室に戻らなければいけない。真っ先にそう思った。
 しかし、思いに反して体は動かない。立ち上がるどころか、膝を抱いた両手を外すことさえも。動きたいが動けない。動きたくない。そのどちらでもあるらしい。
 集団生活を送るにあたってのルールは遵守しなければいけない。でも、福永さんたちと同じ空間に身を置くのは、嫌だ。彼女たちにからかわれるのは、もうたくさんだ。

 胸が苦しかった。苦しみと戦いながら、第三の道を模索したが、まるで雲を掴むようで、枯渇したはずの涙が滲んだ。
 わたしはどうすればいいの? どう行動するのが正解なの?
 そう叫んだところで、答えを返してくれる人間が誰もいない場所にいるのだと思うと、もう限界だった。膝に顔を埋め、残っている涙を残らず出してしまおうとした、その時、

「どうしたの、こんなところで」

 声が聞こえた。女の人の声だ。
 顔を上げると、十メートルほど前方、校舎の角に、高等部の制服を着た少女が立っていた。リボンが臙脂色だったので、わたしと同じ一年生だと分かった。
 急いているわけでも、勿体ぶっているわけでもない足取りでわたしに歩み寄り、目の前で立ち止まる。女子にしてはかなり身長が高い。腰に届く長さの緑の黒髪、切れ長の目。男性的な凛々しさと女性的な優美さが同居した容姿だ。無表情だったが、冷たい印象は受けない。同性なのに異性に見つめられたかのようにどぎまぎしてしまう。
 少女はその場にしゃがみ、目の高さをわたしと同じにした。表情が少し和らいだ。

「どうしたの? 授業は?」
「……えっと」
「あなた、泣いていたのね。教室に帰れないわけでもあるの?」

 ずばり言い当てられて驚いたが、頬の涙の跡を見たのだと気がつく。

「一つ確認だけど、あなた、普通に喋れるんだよね? 嫌なことがあって、泣きやんだばかりだから、喋る気力が湧かない。そういうことだよね?」

 淡々とした口調だが、突き放す、という感じではない。

「はい、その通りです。すみません」
「いや、謝らなくていいから。ていうか私も一年だから、敬語は使わなくてもいいからね。まあ、それはあなたも分かっていると思うけど」

 出会って初めて、少女は明確な微笑みを顔に灯したが、すぐに消した。

「質問ばかりで悪いけど、もう一つだけ訊かせて。あなたは私にどうしてほしい? なにかしてもらいことはある? それとも、そっとしておいてほしい?」
「……えっと」
「そうだよね。あなたは今、頭が混乱しているんだもんね。えっと、なにか書くものは持ってる?」

 頷き、制服の内ポケットからメモ帳とシャープペンシルを取り出し、手渡す。わたしはその二つの文具を、思い浮かんだ小説のアイデアをメモするために常に持ち歩いていた。少女はメモ帳に素早くペンを走らせ、ページを破り、メモ帳とシャープペンシルとともに返却する。流れるような筆致でメールアドレスが綴られていた。

「それ、私の携帯電話のメールアドレス。学校にいる時でも、それ以外の場所にいる時でも、気軽に連絡ちょうだい。じゃあ、私は行くね」

 腰を上げ、その場から去りかけたが、思い出したように振り返り、

「名乗るのを忘れていたね。私は平間。あなたは?」
「増田美咲です」
「増田美咲ね。分かった、覚えておく。今度はタメ口利いてね」

 少女――平間さんは今度こそわたしのもとを去った。
 腰を上げた私は、教室ではなく保健室へ足を運んだ。授業の途中で教室に入れば、福永さんたちから不愉快な言葉をかけられるのは避けらない。それが嫌だったのだ。
 養護教諭の木下先生は、サボるのが目的の生徒には厳しい態度を取る人だが、頬の涙の跡を見たからだろう、ベッドで休むことを許可してくれた。チャイムが鳴るまで横になっていたが、教室に戻る気にはなれない。先生の勧めに従って早退した。

 その日、わたしは平間さんにメールを送らなかった。でも常に、ペンケースに仕舞った一枚の紙片のことは頭の片隅にあった。
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